「……ポーナ卿」

「なんだ」

「ここはどう見ても、宮殿ではないようですが」

「ああ――騎士団の詰め所だ」


 なにゆえ、このようなところに……とカイは顔を引き攣らせる。


「皇帝への謁見許可をジェスティル様へ取らねばならない」


 ナユは複雑そうな顔をして言った。できれば、許可など取りたくないと言いたげだ。


 ……私はてっきり、ここが皇帝のいる宮殿だと思ったのだが、どうやら違ったらしい。カイは「古ぼけた詰め所だことで」などと皮肉げに言っているが、彼の感覚はおかしいのではなかろうか。

 入り口にそびえ立っている塔からして非常に立派で圧迫感がある。頑強な石材で築かれているそれは、外部からの襲撃に備えてか、上部に見張り台が設置されていた。

 ナユに続いて入り口をくぐると、そこには橋があった。結構な長さである。

 橋を渡り終えた先には四角形の建物がそびえ立っていた。きっとそれが詰め所なのだろう。


 ――と、思ったのだが。


 四角形の建物の中は大きなアーチ状の通路があるのみ。左右には何やら大きな石が所狭しと並んでいる。敵が来た時に石を落として進路を阻むためのものと思われる。そうとしか思えない。どう見たって、オブジェとして大きな石を並べる理由はないはずだ。

 アーチ状の通路を抜けてしばらく複雑に曲がりくねった狭い通路を行く。


 ……そうしてようやく、詰め所の入り口へと辿り着いた。


 ナユは、詰め所入り口にいた使用人へ爽やかに「ジェスティル様を呼んできてくれ」と伝える。使用人からここで待機するよう言われた私たちは、手持ちぶさたに入り口に設置されていたベンチ付近でたむろしていた。

 男ばかりのむさ苦しい騎士団の詰め所を行き交う女性たちは、誰しもキリッとしており、きびきびと動いている。

 きっと私などが働こうものなら、ものの五分で「どんくさい」と言われて叩き出されるはず。いや、五分保つかも微妙なところだ。

 ……と、すぐそばを横切っていく使用人たちの会話が耳に飛び込んできた。彼女たちは私たちがいるのに気づいていないのか、大声で言葉を交わし合っている。


「ジェスティル様、すごく不機嫌ね」

「なんでも……召使いの一人がクァーヴェラ候補として国を追われちゃったんだって」

「ええっ」


 可哀想に、と使用人たちは口を手で押さえた。


「“クァーヴェラ”候補?」


 なんだか、“マーエラ”と音の響きが似ているのは気のせいだろうか。


「ああ……クァーヴェラっていうのは――」


 そこまでカイは言ったが、口をつぐんだ。彼の視線の先――階段上には明るい金髪の麗人が立っていた。均整が取れた体。すっと伸びた背筋が、凜々しさを感じさせる。


 しかし……。


「…………」


 麗人はクァーヴェラ候補の話をしていた使用人たちを、射殺さんばかりに睨みつけた。それはもう、ものすごい形相で。

 使用人たちは「ひっ」と短い悲鳴を上げ、飛び上がって散り散りに逃げ去った。

 はあ、と金髪の麗人は溜め息を吐きながら階段を降りてくる。眉間には深い皺が刻まれている。見るからに、めちゃくちゃ不機嫌だった。


「ジェスティル様。お忙しい中、申し訳ございません」

「前口上は良い。……で、何の用だ」


 気だるげにジェスティルはナユを含む私たちを睥睨する。

 ナユは、私たちが置かれている状況を噛み砕いて説明してくれた。その間、私やカイ、セイラは頭を垂れていた。

 説明が終わると、ジェスティルは「事情はわかった」と、コツコツとつま先を鳴らす。


「今は、マーエラという単語さえ聞きたくなかったものを――……」


 彼はそう言って舌打ちする。


「まあいい。皇帝へ謁見できるよう、取りはからってやる。安心しろ」


 言い残し、ジェスティルはさっとマントを翻した。


 ジェスティルがその場から去ったあと、唐突にカイは口火を切った。


「断ち人」


 いきなりの単語に、私はきょとんとしてしまう。


「“クァーヴェラ”のことだ」

「クァーヴェラ……断ち人」

「ああ。クァーヴェラは、この世界を終わらせる者とされている」


 え、と私は目を剥いた。


「コトネをこの世界へ呼び入れたのも、それが関係している」


 これ以上のことはルルロで教えるから、とカイは口早に言った。

 ……正直、もうここまで言ったんだから、全て吐いてしまえよと思わなくもない。



 ◇




「…………」


 バムール皇帝が住んでいる宮殿は、非常に豪奢な造りをしている。前にテレビで観たことがある、アラブの宮殿みたいな感じだ。外観は華美で金色など、太陽を受けて照り輝く色を採用しており、内装は甲冑やら武器やらが至る所に飾られており、物々しさが全面的に押し出されていた。

 そして今、私が突っ立っている中庭には南国の香り満載な大きな椰子の木らしきもの、色彩豊かな大輪の花。何ともエキゾチックな庭だ。

 不審者対策だろうか。至る所に松明が設置されている。

 私は、半眼で夜空を仰いだ。

 ――この宮殿に着いたのは夕方。それからすぐに皇帝に謁見したのだが……。

 カイがうまいこと説明をしたことで、異空間から来た私を皇帝はいたく面白がり、船を融通してくれることになった。しかもカイは……ちゃっかり路銀までせしめていた。


(口うますぎ)


 身振り手振りを交え、皇帝へ笑顔を振りまいていたカイを思い出し、詐欺師という職業がぴったり来るなとまで思ってしまったことは内緒だ。

 もちろん、私とセイラが沈黙していたのは言うまでもない。喋れば間違いなくボロが出るし、怪しまれるから喋るなと断じたカイは正しいと思う。


 そうして、今に至る。

 おのおのに客室が与えられ、お風呂――大浴場のようなところが貸し切り状態だった――で体を洗うこともでき、さわり心地の良い服まで用意してもらって。体が沈んで埋もれてしまうほど柔らかなベッドも準備されていた。

 大満足だ。

 が……。

 これまでの過酷な状態とは正反対すぎて、落ち着かず。

 私は宮殿の庭の隅っこで縮こまっていた。

 夜のにおいと風が私を包んでいる。

 ……と。

 大きな葉を避けると、向こう側にセイラがいるではないか。少し離れた位置にいるからか、相手は私に気づいていない。

 じりじり、と何かが焦げ付くような音がする。

 セイラは地面に何やら剣で描いているようだった。しかも、何やらぶつぶつ言っている。


(…………変なの)


 変な人すぎて、声をかける気にすらならない。というか、一人でいたい気分だった。

 ――もう、部屋へ戻っても大丈夫だろうか。少し、落ち着くことができた気がする。


「コトネ」


 部屋へ戻ろうとした途端、誰かから声をかけられた。振り向けばそこにはナユがいた。

 昼間とは打って変わって軽装だ。少し襟がよれた柔らかな素材のシャツ。黒いブーツに裾を押し込んだズボンも、カイやセイラが着用しているのと同じような素材のものだ。防具も着けていない。

 なんだか、若く見える。

 謁見の間に入る直前、年齢の話となった際に彼が十九だと知ったが……。聖騎士の正装をしたナユは、到底十九歳には見えなくて。

 いや、そんなことはどうでも良い。


「何でしょうか」

「少し聞きたいことがあるんだが」

「…………はい」


 身を固くする私に対し、ナユは表情を和らげる。


「いや、別に尋問しようというわけじゃない。キミの口から、状況を聞きたいと思ってな」

「え……?」


 ナユの茶色い瞳が私を真っ直ぐに見つめる。


「オレはカイからの説明しか受けていない。……何か、隠していないか」


 ぎくりとする。


「キミは、本当にマーエラなのか」


 ざっと生ぬるい風が私たちの間を横切った。


「ぶしつけなのは十分承知している。しかし、これまで見てきたマーエラたちとはあまりにも違うから……」

「違う……んですか……?」


 ああ、とナユは首肯する。赤茶けた短髪が、松明の灯りによって赤まる。


「マーエラたちは誰しも顔を隠している。それに、滅多なことではルルロ教国を離れたりしない。彼女たちには重い役目があるからな」

「…………」

「コトネ。キミ……本当は、無理矢理連れて行かれているんじゃないのか」


 鋭すぎる一言に、硬直する。そっとナユの顔を見れば、生真面目そうな顔がそこにはあって。

 ……茶色いビー玉のような目。まるで、世界を透かしてみることのできるような透き通った色合いを持つ目。


 ――この人は、私を助けてくれるだろうか。

 ――いや、信じてはいけない。


 二つの思いの狭間で、私の心は激しく揺れる。


(昼間、暗殺者の男の子が吐いた嘘にまんまと騙されたばかりじゃないか。信じちゃ駄目だ)


 そう――信じては駄目。

 助けてと言いたい。カイから無理矢理この世界に連れて来られてしまって困っている、と。あの人は私を利用しようとしている、と。

 セイラの真意も全く掴めないし、自分がどうすべきかもわからない。

 言いたい。

 だが、言えば今度はナユから利用されるかもしれない。

 …………それでも、今より状況が悪くなることはないかもしれない。


(言ってしまえ)


 心の中で声が木霊する。

 今より悪い状況になることはないはず。


「あの、私――」

「コトネ、何をしている」


 助けて、と言う前に、私の言葉は遮られた。


 ちょうど良いタイミング……私にとっては最悪のタイミングで現れたのは、カイだった。


 告げ口を見つかったときのような、居心地の悪さを感じる。

 ……嘘は苦手だ。どうしても、平静な顔を取り繕うことができない。


(バレませんように)


 心の中で祈る。しかし、きっとバレる。


「何をしていると聞いている」


 言え、と圧力を含んだカイの言葉に、私は何も答えることができない。何を言っても、彼は納得しないだろうから。

 視界の端に映るナユは、心配そうな顔をしていた。そして――……。


「オレが出自についてしつこく聞いていた。そうだよな、コトネ」


 何も答えられないでいる私に、ナユは助け船を出してくれた。

 私は呆けた顔でナユを見る。すると彼は、そういうことにしておけ、とでも言うように微笑んでくれた。

 私はナユの助け船に乗じ、「本当なのか」と訊いてくるカイへ首肯する。

 カイは不承不承、それに納得してくれた。

 ほっと息をなで下ろす。もし、カイのことを悪し様に言ってナユに助けてもらおうとしたなんてことが知られたら、まずいはず。

 力関係的に、カイはナユに強く出ることができないようだから、ナユの助け船は本当に助かった。


「カイはどうしてここに?」

「コトネのもとへ行こうとしていたのです」


 ナユの問いかけに、カイはそう答えた。カイの翠色の目が私を映す。


「明日には『境界』へ行くことができる。準備をしておけ。……荷物はほとんどないだろうが」


 明日、と私は口の中で呟き、ごくりと唾を呑み込んだ。


「急ぎなのか」

「はい」


 ナユの質問に対し、カイは端的に答えた。

 ……これから自分がどうなるのか。不安しかない。ナユへ助けを求める機会も逃してしまったし……。

 私は、腕をさすり上げた。

 カイに「行くぞ」と言われてそれに従う。

 一言挨拶をしようと思ってナユを見やれば、彼は何やら考え込んでいるようだった。




 ◇



 嫌でも朝はやって来るもので。

 運動会当日、リレーが嫌で嫌で堪らなかった時と同じような憂鬱さが、心を支配している。

 バムール皇帝が口利きしてくれた船は、そこそこの大きさでありながら私たち以外は乗っていない。貸し切り状態だ。


「浸水の可能性は、ほぼ皆無だろうね」


 セイラはしげしげと船のデッキや何やらを調べながら呟いた。


「それはそうだろう。皇帝が準備したんだから」


 言いつつ、カイは船長や船員たちと航路についての話を再開した。境界へ向かっている船が多いため、他の船と同じ航路を辿るよりも別ルートを使った方が良いと思います、という船長のアドバイスに、カイは真剣な表情で耳を傾けている。


「…………」


 もう、何も言うまい。そして、何も考えるまい。

 私は遠い目で港を見やる。と…………。


「ん?」


 目の錯覚だろうか。港に満ちている人々。その中に、頭一つ飛び抜けた背の高い男性が紛れている。


 髪の色は――――赤茶。


「…………あれって…………」

「どうしたの」

「あ、セイラ」


 船内部の調査が終わったのか、セイラが私の隣にやって来る。

 セイラは私が見ている男性を見て、アメジストの双眸を細めた。彼はカイに声をかける。


「なんだ、どうした?」


 船長たちとの会話をいったん打ち切り、カイはこちらへ足を運び……瞠目した。


「ポーナ卿?」


 聖騎士として忙しくしているはずなのに……わざわざ見送りか、とカイは呟く。

 ナユは私たちが乗っている船のタラップに足をかけた。


「ポーナ卿、見送り……感謝致しま――」


 カイの言葉を遮るように、ナユは手に持っていた荷物をこちらへ放り投げてきた。そして、ガッと船のデッキのハンドレールへ手をかけた。


「オレも一緒について行くことになった」

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