4
私に大きな鎌を振り下ろしてくる、空色の髪をした男の子。
絶体絶命のピンチに陥った私を救ってくれたのは――……。
テレビや映画などでしか観たことがない甲冑を着た男性だった。
赤茶けた短髪。そして、一重で涼しげな茶色いビー玉のような目をした男性は、私を殺そうとしてくる男の子の鎌を大剣で受け止める。
「…………」
嫌な金属音を立て、二人は激しく睨み合っていた。
「聖騎士の名にかけて、オマエには負けない」
男性は朗々と言った。すると、男の子は茶化すような笑顔を見せる。
「何の名があったとしても、ボクは暗殺任務を遂行するまで」
言うと、男の子は女の子に目配せし……彼女は私へ鎌を向けた。
――やばい。
男性は男の子にかかりきり。いや、むしろ押されている。
(待って、聖騎士ってあの人言ってたけど、それって強いはずじゃないの?)
なのにどうして、男の子一人に手こずっているのか。
鎌を受け止めることすらできない非力な私が突っ込めることじゃないかもしれない。だが、そう思ってしまうのも仕方ないと思う。
それくらい、男性と男の子の体格差は歴然としている。
「オマエ……! どうして……っ」
「なあに、ボクがこのくらいで力負けするわけないじゃん」
男の子は本気を出していないのか。両手ではなく片手で鎌を操っている。
と、そちらへ目をやっている暇はない。女の子はその間にも私へとじりじり近寄ってきている。
「女性を殺すのは、しのびないのだけど」
女の子は呟いた。
「じゃあ、殺さないで!」
「無理。命令だもの」
(なら、しのびないとか言うなっ)
思わず、心の中で突っ込みを入れる。
「さようなら、かわいそうなお姉さん」
女の子は悲しみも苦しみも浮かんでいない表情でそう言った。
ああ、今度こそ終わった。
避けようにも、壁際に追い詰められていて、少しだけ首を動かすことくらいしかできない。
「やめるんだっ」
甲冑を着た男性は鋭く叫び、私のもとへ来ようとしてくれるも――彼と戦っている男の子がそれを許すはずもなく。
私は、ぎゅっと目を瞑った。
(痛くありませんように)
最期に思うことがこんなことなんて、つらすぎる。
痛みを感じさせず一思いで……
――と。
ざざっと大きな音がしたと思ったら、私の前から威圧感が消えた。
「…………?」
薄目を開ければ、女の子が立っていた地面に大きなクレーターができていて。えぐれた地面は、ぷすぷすと焦げ臭さを放っていた。
女の子は路地裏の先を睨み据えている。
そこにいたのは――……頭からすっぽりとボロボロな外套を被った少年――……。
「セイラ……っ」
思わず、私は彼の名を呼んだ。
セイラは一瞬だけ私に目をやると、すぐさま紫色の瞳を半人の女の子へ向けて、剣を薙いだ。
ぶわっと風圧が巻き起こる。それは男の子と女の子のみに襲いかかり、彼らを吹き飛ばした。
私や甲冑を着込んだ男性は何ともない。きっと、セイラが意図的に避けてくれたのだろう。彼が炎以外の魔術を操っているところを見たのは、初めてだ。
女の子はしたたか壁に体を打ち付け、ズルズルと地面へ這いつくばる。そのまま、彼女はぴくりとも動かなくなってしまった。
気を失っているのだろうか。それとも……。
女の子が生きているか確認するため、私は彼女の顔を覗き込んだ。するとその拍子に、カッと目を見開いた彼女と、視線がかち合ってしまった。
女の子は再び私に襲いかかってくるも、男性がそれを止めてくれる。
セイラはぽかんとしている私や男性を尻目に、「いたあ……」と後頭部をさすりながら起き上がった男の子へ突撃した。
あまりの素早さに、つむじ風が目の前を横切ったのかと思った。
男の子は瞬時に体勢を整えると、セイラの放った炎を器用に避け、鎌を両手で握り直す。
セイラの唇が
「魔術って、不便だよねえ。遅い……遅いよ」
「……!」
いつの間に移動したのか。男の子はセイラの懐に飛び込んでいた。男の子の持っているナイフがぎらりと光る。
そんな男の子に対し、セイラは動じることなく自らもまたナイフを取り出して応戦した。
男の子は喜色を浮かべる。
「ふうん、ボクと戦えるなんて……お兄さん強いんだね」
軽くそう言い、男の子は飛びすさった。鎌とナイフがクルクルと宙を舞う。
「……ボクはアーニアルベロミュー。覚えておいて。……コトネは必ず殺すから」
無邪気な男の子――アーニアルベロミューが放った言葉が恐ろし過ぎて、背筋に悪寒が走る。
アーニアルベロミューからの強い視線を、すっとセイラが遮ってくれた。
その様子を見て、面白おかしそうにアーニアルベロミューは笑う。
「退くよ」
アーニアルベロミューは半人の女の子に声をかけた。
「逃がすのですか」
「そこの紫目、ボクと同等の力があるからね。いったん引くのが望ましい」
「……はい」
半人の女の子は素直に頷き、去って行くアーニアルベロミューに続いた。
「待て!」
甲冑を着た男性は彼らを追おうとするも、「やめておいた方が良いと思う」というセイラの言葉に足を止めた。
「どういう意味だ」
「そのままの意味。君の腕では、あの子に勝てないよ」
「…………っ。聖騎士の名折れだ」
男性は屈辱に顔を歪ませる。
セイラは飄々とした顔をして、剣をおさめる。
「…………」
私は、ヘナヘナとその場に座り込む。
……マーエラの力がどうとかこうとか。私には次元の間に流れる糸を紡ぐ力がある。それは自分でもよくわかっている。しかし……。
私は、他に何の力も持っていない。武器を扱うことも、逃げることも、護身術も、何も。
日本とはあまりに違う、この
よしんば護身用ナイフを持っていたところで、何も変わらない。
先ほどの男の子たちのような暗殺者が現れたら……私は、赤子の手を捻るような容易さで、殺されてしまうに違いない。
「恐かったろう。もう大丈夫だ」
そう言つつ、甲冑を着込んだ男性は紳士的な言葉を私へ送った。そして屈み込んで片膝をつき、手ではなく腕を差し出してくれる。
「オレはナユ・ポーナ。この
聖騎士の証拠なのか。腕に巻かれた紅い布についているバッジを私へ提示してくれる。怪しい者じゃないぞ、と自ら証明しようとしているのだろう。
暗殺者の男の子に、善意を利用された私にしてみれば、そう言う心遣いは非常に身に沁みる。
「あ……」
彼の腕に掴まろうか迷っていると、セイラは私の手へ近づいてくるナユの腕を、布で包んだ剣で止めた。
ぎらりと、茶色いビー玉のようなナユの双眸に剣呑な光が宿る。殺伐とした……敵意に満ちた光。
「…………何の真似だ」
「聖騎士という保証はどこにもない。そして、聖騎士だからと言って安心できるものでもない」
バッジは偽造できるしね、とセイラは坦々と言葉を発する。
セイラの瞳に、ナユは映っていない。彼が見ているのは、ナユの動きだ。少しでも妙な動きをしたら斬るとでも言いたげな。
「オレは先程の暗殺者たちのような、卑怯な真似はしない」
「どうだろう。最近は、聖騎士の腐敗も酷いと聞く」
「…………」
バチバチと二人の視線がぶつかり合い、目に見えない火花が散った。
と、そこへ。
カイが遅れて姿を現す。彼はセイラとナユを見るやいなや、翠色の目を丸くした。
「コトネ、無事か……っと、何故ポーナ卿がこちらに?」
どうやら、カイとナユは知り合いなようだ。
カイは、ナユへ布で包んだ剣を向けているセイラを睨みつけた。
「セイラ、彼に何をしている」
「怪しかったから」
「怪しい……? ポーナ卿が怪しいのであれば、セイラの怪しさはもっと凄まじい」
酷い言われよう、とセイラは嘆息して剣を下ろした。
ナユは、腕を引っ込めると代わりに白い手袋をした手を差し出してきて、そっと私の手を握って立ち上がるのを補助してくれた。
思いやりあふれたその動作。感激で涙が出そうだ。
ここへ来てから……いや、日本にいたときもだが、こんな風に女性として扱われたことはなかった。
恋愛的なドキドキは全く感じないが、ナユに対してかなりの好印象を持った。
「ナユは高潔なる聖騎士。各国協議の際にバムール皇帝の護衛として出席するほどの者だぞ」
カイの言葉を要約すると、どうやらナユは悪い人ではなく、むしろ身分的に高い地位にある人らしい。
「カイ、彼女はオマエの連れだな」
「はい」
「――暗殺者に狙われていた」
ナユの言葉に、カイは怪訝な顔をする。
「そもそも、女性を一人にするのはいかがなものか」
「申し訳ございません」
(カイが、謝ってる)
意外過ぎる光景である。
私は思わずセイラを横目見た。……どうやら、彼も同じことを思ったらしい。ばっちり、視線が合い、二人して微かに頷き合う。
これまでの道のりで、カイが私やセイラに対して頭を下げたことなど、一度もなかった。
そんな彼が、自身より確実に年下と思われるナユに対して謝っている(もちろん、私やセイラよりナユの方が年上であるだろうが、カイよりは年下に違いない)。それだけ、ナユの身分が高いのか。それとも、力関係的に聖騎士には媚びへつらわなければならないのか。
ナユはカイに何やら尋問をしている。柳眉を撥ね、カイは嫌そうにな顔をした。しかし、何も言わずにしらばっくれることはできないと判断したのか、マーエラ女王の許可・命令を受けてここにいることを告げていた。
「なるほど。しかし……彼女はどこの国の者だろうか。これまで出会ったどんな女性よりも小さいが」
「異界の者です」
異界、とナユは瞠目した。
そして、とカイは言葉を切る。
「コトネ・カヤノ。彼女こそ、本物のマーエラ女王」
「…………っ」
体の中から臓器が飛び出してくるような、強い驚きを感じる。セイラも私と同じように驚いたのか、眉をひそめた。
本物のマーエラ女王、なんて。
まるで、今いる女王が本物ではないかのような言い方だ。
というか、そんな話、今初めて聞いた。
「ちょっと、私……何も聞いてな――」
「すでに決定づけられていることだから」
抗議の声を打ち落とされる。そんな、という小さな呟きは空気に熔けた。
泣きそうだ。
しかし、泣いたところで何も解決しないと、私は嫌というほど知っている。
――『気持ち悪い』
――『何を言っているの』
――『不気味な子』
脳内にリフレインする、周りからの拒絶。
思わず、視線を地面に落とした。
「…………。マーエラ女王の関係者であれば皇帝のもとへお連れする」
「え」
ナユの答えが予想外のことだったのか、カイは間抜けな声を出した。
マントを翻し、高らかに靴を鳴らすナユ。「着いてこい」と言うナユに対し、カイは露骨に不満げな顔をして見せた。
「…………マーエラ関係者は、めんどくさいことばかりだ」
ナユに届くか届かないかくらいの、至極小さな声でセイラは言った。
「いや、こんなこと――いつもはない」
やはり、琴音のことを怪しんでいるのか、とカイとセイラはボソボソと言葉を交わし合っている。
私は肩を落としたまま、足を動かしていた。
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