第4話:幕開け

 キーン……キーン……。

 甲高い機械音が鳴り響く。よく通るが、不快では無く、むしろ心地いい。王井が腕時計で時刻を確認すると、午後7時。これは、時計の鐘の音だ。

「あのオブジェから鳴ってます、これ?」

「ええ、そうですわ。あのオブジェは時計であり、灯台であり、両屋敷のシンボルである大事なものなんですの。夕日に照らされているのを御覧になりました?夕焼けの光を反射して、真っ赤に染まった姿は、思わず鳥肌が立つ程の代物です」

「そうだったんですね。いやあ、見逃しました。残念」

 王井はその様を見ていた。だが別段感動しなかったので、殆ど記憶にすら残っていない。そんなに美しいものだったか、ともう一度よく観察してみる。オブジェは黒に近い銀色で、形も先端が尖っただけの十字架。大きさこそ十数メートルあるので目立ちはするが、特に美しいとは思えない。先端から一メートルほど下にガラスの半球が取り付けられていて、そこが点灯すると思われる。灯台の姿になればもう少し美しいと思えるのだろうか、いやそうでもなさそうだとか考えながら、王井は視線を外した。

 


「ん?今日は料理の減りが大きいね。いつも結構残るのに」

 透の素朴な疑問の答えは、王井の凄まじい食欲であった。

「すいません、美味しくってつい」

「ハハ、君が食べていたのか。いいさ、残されるよりはよっぽど気分がいい」

 収入の安定しない探偵の王井にとって、ご馳走にありつける機会は滅多に無かった。


「王井くん、もっと飲むか?」

「ぜひぜひ」

「少しは遠慮しろ馬鹿」

「いいんだ、泡渕さん。待っててくれ、今取って来るよ」

「透、それではそちらのお酒ばかり無くなってしまうだろう。湯崎の家から出そう。給仕……が居ないな。どこに行ったのだか。私が直接持って来よう」

 透を引き留めた洋司は、湯崎の青い館へと戻って行った。


 それから十分後、血相を変えて戻ってくる。

「どうした、洋司くん」

「居ない……」

「居ない?」

「使用人が、誰も居ないんだ、屋敷の中に、一人も!執事も、メイドも、調理師も……」

「そんな、馬鹿な」

 その大声を聴きながらも、王井は他の反応を見る。

 泡渕は、殆ど表情を変えない。記者の旗垣は、愉快げに僅かに口角をつりあげる。他の者は、みな一様に、訝しげに顔をしかめている。


「兎に角、僕も確認しに行こう。洋司くん、屋敷に入れさせて貰えるかい?」

「待ってください、私もついて行きます」

 透の提案に先に便乗したのは、王井でなく、泡渕だった。王井は対抗も考えたが、両家の信頼が厚いのは彼の方だし、大人しく譲ることにした。


 戻ってきた三人が言うには、手分けして湯崎の屋敷を隅々まで探したが、全く人影が見当たらなかったという。

「田園家の方に居るとは考えられませんか?」

「それはないと思いますよ。少なくとも舞踏会が始まる前までは湯崎家の屋敷に使用人が居て、その後はずっと、両家の唯一の渡り廊下たる中庭に、我々が居ました。いくら踊りや食事に夢中になっていたからと言って、何人もの使用人が移動するのを見逃すはずがありません。第一、そんな事をする理由がわからない」

「万が一という事もあります」

「しかし泡渕さん―」

 透がここまで渋るのは、次女のゆきと、遭難者五木通の存在故だ。隠すつもりは無かったが、このタイミングで二人が登場すれば、更に場が混乱する事必至。だから、田園家の捜索は、なるべく避けたかったのだ。


 ブツッ。

 その時、耳障りなノイズ音と共に、辺りが真っ暗闇に包まれる。

 中庭の灯かりが消えた。いや、先ほどまで黄色い光を漏らしていた屋敷の照明も、みな消灯している。

「何!?停電?」

「どうしたんだ、なんで急に?」

「きゃっ、ぶつかった」

「マリア!マリアどこ?」


「落ち着いて!その場を動かず、余計な音を立てないで!下手に動き回ると怪我をします。俺の指示に従って下さい」

 最も早く状況を理解した王井が、勝手に指揮を執る。

「透さん、聞こえますか?中庭の照明を管理しているのはどこですか?」

「屋敷の中だよ。照明が故障した訳でなければ、管理室から直ぐに復旧できると思うけど、こう真っ暗では……」

「無闇に歩き回るのは危ないですね。屋敷には、得体の知れない侵入者が居る可能性も有ります」

 王井が念頭に置いているのは、遭難者五木通である。


「みつさん、先ほど十字架のオブジェには灯台の役割があると言っていましたね。もしかして点灯する仕組みがあるのでは?」

「ええ、ですがそれも管理室は屋敷の中で……」

「いや、オブジェの裏側にシステムを制御するパネルがある。誰か、オブジェの近くに居ないか」

「はい、ボク近くにいると思いまス。やってみますネ」

 洋司の提案に、ケビンが名乗り出る。


「まだ点きませんか、ケビンさん?」

「すみません、手許が見えなくテ……あっ、このボタンで」

 ケビンがパネルの点灯ボタンを押すと、ようやくオブジェに光が灯った。暗闇に青白い光が広がって、舞踏会の参加者たちの、視界を回復する。


「きゃああああああああああああ」


 次に起こったのは、歓喜の叫びでなく、恐怖の悲鳴。


 明かりが点いた瞬間、誰しもが真っ先に目にした。だって、は、光源である灯台の先端に、ぶら下がっていたのだから。

 暗闇から戻った彼らが最初に目にしたのは、十字架の先端部に突き刺さった、田園家の幼子マリアの惨たらしい姿だった。


「ああ、こりゃあ・・・」


 流血の深紅に染まった十字のオブジェは、今度は確かに、王井に鳥肌を立たせる程の代物だった。












 

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死んだ舞踏会 叉久叉 @snr-tg

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