第3話:そろい踏み
「遭難者、ですか?」
「ええ、山道に迷ったらしくて。酷い恰好でしたから、すぐに屋敷にあげましたわ」
田園家の門を叩いたのは、
「怪しい人物ではありませんでした?」
「刑事さんは、すぐに疑ってかかりますのね。それは素晴らしい姿勢だと思うけれど、今のあなたは只のゲスト。何も考えず、おもてなしされればいいのです。心配しなくても、彼に変な事を起こさせはしませんわ」
殊の外強い言い回しで、みつは王井の介入を押さえつける。
来訪者五木通の世話をするのは、長女はるの婿養子ケビンであった。その為、今、田園家の応接間で歓談するのは、王井の他、当主透と、妻のみつ、長女のはるに、娘のマリアの、計五人だ。本当はもう一人家族が居るのだが、屋敷に着いてから、まだ顔を見せていない。
田園家は湯崎家と違い、庭師を除くと全く使用人が居ないので、屋敷の人口密度はとても小さい。
「おじさーん、見てえ」
「ん~?」
マリアは王井に近寄ると、薄い紫色の、ヒラヒラした子供服を見せてきた。
「綺麗だね~、舞踏会で着るのかな?でもマリアちゃん、俺はまだおじさんじゃないよ」
それを聞いて、マリアは本当に意味が分からないという顔を見せるので、王井も参ってしまった。
「王井さんは今おいくつなんですか?」
はるが尋ねる。
「もうすぐ成人式です」
「またご冗談を」
皆に笑いが起こる。王井はすっかり、田園家に溶け込んでいた。
「おや、お茶がもうありませんね。私が注いできましょう」
と、またも当主の透が率先して気を遣うので、図々しさに定評がある王井も、流石に少々申し訳ない気になる。
「いやあ、もう結構ですよ。お腹たぷんたぷんです。それより、ケビンさん遅くないですか?何か不測の事態でも起こったのでは?」
「心配無いでしょう。ケビンくん、強いから。はるとマリアを任せておいて、不安になったことはありませんからね」
これを聞いて、やはり王井は引き下がった。
午後3時15分。まだ、事件は起きない。
*
「やっほー泡渕さん」
「王井!お前、勝手に屋敷に」
「いや、勝手じゃないっすよ」
午後4時半。王井は中庭を通って湯崎家の屋敷に侵入していた。泡渕に事情を説明するためだ。
「……それで田園家の屋敷に入れてもらった訳か。全く、お前の捜索に無駄な時間を使った」
流石の泡渕も、ほとほと呆れ果てていた。
「それより、あそこに座っている人誰ですか?湯崎家の人間じゃないっすよね」
ひそひそ声で、王井は尋ねる。
湯崎家の応接間には、使用人以外に、王井・泡渕と、もう一人いた。
「ああ、よくわかったな」
「指輪、してませんからね」
田園家の面々は、皆赤い指輪を人差し指にはめていた。きっと舞踏会の習わしで、だとしたら、湯崎家側の人間も似たような物を身に着けているはずである。
「
「なんでそんな男がここに?」
泡渕の話によると、港区婚約者殺害事件の加害者被害者一家が密かに集まりを催していることを聞きつけ、記事のネタを求めて泡渕達の車をつけてきたらしい。要するに、質の悪いマスコミだ。
「もしかして、僕の話をしてます?」
応接間の扉付近で立ち話をしてた二人に、旗垣が近づく。
「ええ、まあ。怪しそうな人だなって」
王井は、はっきりと言う。
「僕からすれば、あなたも十分怪しいですけどね。探偵なんて、眉唾のご職業を自称してらっしゃるようですし」
二人の相性は悪そうだ。
「泡渕さんが漏らしたんじゃないっすか、こいつに、舞踏会の事」
「俺じゃねえよ、多分」
「まあ君にもこうして情報を漏らしてるみたいですから、泡渕さんの情報セキュリティは信用置けないみたいですね」
暫く言い争いのような会話を続けていた三人に、執事から声が掛かる。そろそろ、舞踏会の準備をして欲しいとの事だ。刑事、探偵、新聞記者、部外者三人は渡された仮面とタキシードに身を包み、舞踏会会場である中庭へと向かった。
三人が中庭の広場に到着した時には、両家の面々は、既に一堂に会していた。全員仮面を装着し、男はタキシード、女はドレス姿。おまけに仮面と夕暮れで視界が悪いものだから、誰が誰だか殆ど判別はつかない。
皆声を出さず、広場を適当にぶらぶらと歩きながら、ダンス曲が始まるのを待つ。これが、この舞踏会のルールらしい。
中庭の中央には、人目を惹く大きな十字架状のオブジェが屹立し、それを円く取り囲むように、石畳の広場が設けられている。その広場へはそれぞれ湯崎家と田園家の屋敷に通ずる、やはり石畳の通路が敷かれていて、残りの地面は舗装されず緑が美しく生い茂っている。
日が隠れ始めて光が少ない中も、王井はその景色をよくよく観察していた。
音楽はきっかり6時に始まった。各自、その時一番近くに居た相手と組む。社交ダンスと言っても、前後にステップしたり、クルリと回転するだけの、所謂スローリズムダンスであったが為に、一月前から練習を重ねていた泡渕は勿論、今日屋敷に来てから初めて習った王井にも、一応踊る事が出来た。
10分程で、音楽は止んだ。その間、誰一人ダンス相手を変える事は無かった。
「このまま夕食会になります。皆さま、ダンスパートナーの手を取って、こちらのテーブルへ向かい合わせにお座り下さい」
ダンスを踊っている合間に、広間の反対側ではテーブルと夕食が用意されていた。その夕食会にて、今日自分が踊っていたのが誰であったか種明かしする、という趣向なのだ。
「……やっぱり、あなたでしたか」
「俺も、薄々お前だと気づいていたがな」
「毎月ダンスやってる人間が、あんな下手な訳ありませんもんね」
王井と泡渕はペアだった。この珍しい山奥の夕食会で、よく見知った顔同士突き合わせて座ることになるとは、二人とも思っていなかった。
「久しぶりじゃね」
「博人お爺さん、お久しぶりです。前回は参加されなかったので、夏以来ですかね」
「ああ。透くんのパートナーは富子さんじゃったか、二人ともいつもよりいい動きじゃった」
「刑事さんが来ていましたからね。張り切りましたよ」
「麗奈さん、今晩は」
「はる姉さん、お父様とだったんだ。うまく踊れた?」
「ええ、洋司さんが上手くリードしてくれましたから」
あちらこちらで会話が始まる。舞踏会での奇妙な緊張の糸が切れ、一気に砕けた雰囲気になる。
「ケビンさん、このワイン開けましょう!お酌しますよ~」
「ハハハ、ボク強いですヨ」
傍から見るとまるで親戚の一員かのような王井の振る舞いに、泡渕は驚きを隠せない。
「随分馴染んでるな」
「ええ。田園家の皆さんは本当に親切っすよ」
と言いながらも、王井はこの楽しい食事会に、名状しがたい恐怖感のようなものを抱いていた。彼らは殺人事件の加害者一家と被害者遺族。どうしてこんなに仲良くできるのか。そこに演技とか、裏の顔とかが、一切透けて見えないのが、逆に不気味さを加速させていた。
「どうした、王井」
「あ、いや、席が二つも空いてるなーって思って。一つは湯崎家の次男坊。もう一つは……例の人用ですよね?」
「多分な」
使用人以外でこの席についていないのは全部で三人。一人は湯崎家次男、純也。先ほど姉の麗奈に、もうすぐ着くと連絡があったそうだから、空席の一つ目は彼のもので間違いない。二人目は五木通と名乗った遭難者。彼は舞踏会への参加を拒否したらしいし、元々招かれざる客だから、わざわざ席が用意される可能性は低い。三人目は、屋敷に居ながらまだ姿を見せない、田園家の次女、ゆき。件の殺人事件の加害者本人だ。彼女はれっきとした田園家の一員。それに館には既に到着しているのだから、その夕食の席は用意されていると考えるのが自然だ。
「おじさん、絆創膏」
「ん?」
王井にそれを手渡したのは、田園家の女の子マリアであった。
「足、お怪我してるんでしょう?」
どうやら王井の踊りがあまりに下手だった為に、怪我をしてると思い込んだみたいだ。
「はは、ありがとう。貰っておくよ」
間接的にけなされた訳だが、子どもの無邪気な気遣いに、思わず笑みがこぼれる。こんな奇妙な空間においても、幼子は確かに癒しをくれる。
「怖い顔のおじさんも、要る?」
泡渕の事だ。
「ああ、頂戴しようかな」
「じゃあ、箱ごとあげる」
マリアは、100個入りの絆創膏のパッケージを、テーブルの上に置いていった。
「泡渕さんの方が酷い怪我をしてるように見えたって事っすね」
「うるせえ」
その頃、王井達の席から離れたテーブルの先には、新しい顔があった。
「ごめん、遅くなった」
「純也!あなた遅れ過ぎよ。もう舞踏会は終わってしまったわ」
「自転車諦めてヒッチハイクしてきたんだけどさ、流石にこの山奥まで運んでくれる人が居なくて、途中から山登りしてきたよ。あー、疲れた。俺も飯食っていい?席どこ?」
母富子を筆頭に大人たちがまくし立てるが、純也はそれを殆ど受け流し、自分の言いたい事だけを口にする。納得の自由人で、今日この会場に現れたのもまるで奇跡である。
これで、役者は揃った。
湯崎家当主、
田園家当主、
外からやってきたのは、四年前の事件解決の立役者
仮初めの平穏が、まもなく崩れる。
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