第3話 大丈夫か?

心配する声はいつも遠慮がちに聞こえてくる。

遠く、近く、暑く、冷たく、季節も距離も関係なく、その声はいつも傍にあっていつも同じように語りかけてくる。

ヒヤリとしたタオルが頭に乗せられるのを感じ、目をそっとあけるといつもと同じ顔。

日焼けした肌に黒い髪は短め、黒い眉はやや太めで深い黒の瞳は目じりをほんの少しだけ下げて心配そうにこちらを見ている。

「まぁた、身体弱いのに無理したんでしょう?」

苦笑しながらそう口に出す彼女はいつもであれば快活な笑顔を見せてくれるはずだが、今日はちょっと事情が違う。

というのも、これは自分自身の招いた事だが夏だというのにも関わらず、熱を出し寝込んでいるという事態なのだ。

「小説もいいけど、まずは自分の体調管理が大事って昔習わなかった?」

ちょっと拗ねたような素振りでのぞき込む瞳は有無を言わさない迫力があり、こちらとしても何も言えない。

「とりあえず今日は母さんからも許可もらってるし、ずっといるからね?」

この少女は少女といえる年齢にもかかわらず、母親の許可を取り一人暮らしの中年男の部屋に一日中居座るのだと宣言している。

この少女も少女だがその母親も母親である。

年頃の娘を顔見知りとは言え一人の男の家に居させるとは、心配ではないのだろうか?

そういうことは無いだろうという信用があるのか、それとも少女がまだ幼く手を出されないとでも思っているのだろうか。

おそらくは前者なのであろうが、なんとも複雑な気分である。

「さっき台所見たけど、朝からなーんにも食べてないんでしょ~?ダメだよ~?病気を治すにもまずは食事からってねっ」

こちらの顔色を窺っていたのだろうか、満足したのか小さく「よし」といって立ち上がるといつの間にか部屋に住み着いていた彼女専用のエプロンを部屋の隅にあるカラーボックスから取り出し、慣れた手つきで肩を通して腰で紐を結わえた。

「買い物は勝手にしてきたから、安心して!今日、のの屋が安かったんだー」

のの屋というのは近所にある商店である。

スーパーほどの大きさは無いが、生鮮食品など扱っている小さな店で近所の人たちが足しげく通う事でどうにか営業を続けられている。

「ぁ、今日さ、泊まってくからね?」

何てこと無いような口調でそう告げる彼女に、こちらが逆に慌てふためく。

「帰そうとしてもダメだからね!あたしもう荷物持ってきたし~」

そういって視線を部屋の隅に移すと、なるほど確かに学校指定のボストンバックがさも当然のように置かれている。

「後でシャワー浴びるけど、病人は覗いちゃダメだからね~?」

くすくすと笑いながら夕食の調理に戻った彼女であるが、ここで一つ聞いて欲しいことがある。

一見するととても仲睦まじい二人に見えるだろうが、実は付き合ってなどはいない。

自分は32歳、相手はまだ17歳。

おじさんと女子高生である。

年の差もそうであるが、そもそもこういう付き合いなのにも理由があり、引っ越してきた当初から隣に住んでいた彼女の母と彼女に色々周囲の事を教えてもらった経緯があり、それから何かと世話を焼いてくれるようになった、という訳であった。

であるから、決してイタイケな少女に手を出してる淫行親父、などという不名誉な話では断じて無い。

何やらふんふんふ~んと鼻歌混じりに調理を始める彼女の背中を少し眺めてから頭を枕に戻し、目を閉じる。

そもそも昨日までは締め切りが近いのもあり、二日ほど徹夜して執筆活動をしていたのだ。

職業小説家、とは言えないが三流ながらも文章で飯を食う身だ。

締め切りを破る訳にはいかず、体力の限界まで使いどうにか原稿をあげ、仕事が完了した事に安堵したのか、こうして風邪などを召してしまい、布団の虫となっている。

原稿を封筒に入れて郵便ポストに投函しに行った際に彼女の母親に体調が悪いのを見抜かれていたのであろう。

気絶するように布団に倒れこみ、眠り、起きたら彼女が居た。といった状況なのであるが、その状況というのもそれなりに慣れた光景であったのでこうして特に驚く事もなく過ごしているのである。

「こんな暑いけど、今日は熱いうどんだよ!熱い日には熱い物を食べていっぱい汗をかくといいって昔おばあちゃんが言ってたんだよねぇ~」

昔の知恵というかなんというか、嬉しそうに語る彼女はぐらぐらと煮立った鍋にお揚げやらねぎやらを入れて、手際よく作業をこなしている。

やがて味噌を溶かし、出来上がったうどんをどんぶりによそい、この部屋に置いてある唯一のテーブル、思わず「昭和かよっ!」と言いたくなるくらい味のあるちゃぶ台にそれを乗せた。

「先に食べていいよ?あたしの分は今持ってくるからっ」

パチリと箸を置いて、彼女は立ち上がり自分の分を用意しにいく。

時間にして18時を過ぎたばかり。

空はまだ明るく、ようやく日が傾き始めて青色の中に朱色混じっている時間である。

両手を合わせていただきますと声を掛けると自分のどんぶりを持ちながら

「どうぞ~」

と少女が言ってくる。

そんな彼女もどんぶりをちゃぶ台に置いて、両手を合わせ「いただきます」と言って静かにうどんをすすり始めた。

しばらく無言でうどんをすすり、はふはふという熱い物を口に入れ無理やり空気を取り込んでさまそうという努力の音と、すする際のすすすすという音だけが部屋を支配する。

一口すすっては汗を拭き、汁を一口飲んでは汗を拭い、自分と彼女はそうやって熱いうどんという強敵に共に立ち向かい、そして勝ち残った。

「ふぃ~、食った~!あっちぃ~~~」

制服の胸元をパタパタと仰ぎ、だらしなく足を伸ばして満足そうに彼女は天を仰いだ。

確かに気温に負けない熱さではあったが、味はしっかりと染み込み、身体に栄養が浸透していく錯覚さえ覚えそうなほどのうどんだったとは思う。

「ぁ、なーに見てんの?えっちっ!」

仰いでいる姿を見てたのだが、どうやら勘違いされた?ようだ。ボタンを二つ外した胸元を手で隠し、べーっと舌を出して文句を言ってくる。

普段はあえて見る事は無いが、確かに彼女の身体はそれなりに育ってきているようには見受けられる。

大きくは無いが、ソフトボールくらいには膨らんだ胸に腰回りは細く、小さめの尻はツンと上を向いているのがスカートの上からでも見てとれ、均整が取れていると言っても過言ではないスタイルであるとは思っている。

肢体といっても過剰ではないが、そもそもそういう関係になるには少々こちら側に遠慮がある関係である。

ばーか、と軽く笑っていつも通り流すが今日の彼女はそれだけでは終わらないらしい。

「じゃあ、こんな事しても大丈夫?」

そういってボタンの三つめを外し、ためらいがちにYシャツの胸元をそっとほんの少しはだけさせる。

胸元にちらりと見える白いレースが何とも艶めかしいものだが、彼女自身やっていて思ったより恥ずかしかったのか、そこから先へは進めずほんのり頬を赤く染めているのが見えた。

「さ・・・サービスはここまで!!あああ、後片付けしないと・・・って、きゃあっ!」

パッと胸元を隠し、慌てて立ち上がろうとして思わずバランスを崩す。

膝をつき、倒れこむようにして転んだ先にいたのは自分の身体。もちろん転んだ彼女を支える為に移動したのだが、うまく抱える事が出来たようだ。

しっかりと胸元に抱き留め、布団に倒れ込んでいる彼女と自分。

胸元から動かず、耳まで赤くなった彼女に大丈夫か?と声を掛けると無言でコクリと一つ頷いた。

胸元に伝わる熱と強張った彼女の身体に苦笑しながら、どう緊張をほぐしてやろうかなぁなどと呑気に事を考えながら、自分は彼女の頭をそっと撫でてやるのであった。

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100のお題 霧野アタル @mistangel

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