エピローグ 風の御使い



 除幕式当日。


 トーロヴ救国の英雄『風の御使い』立像は、首都トロヴァニスの王宮前に建立されていた。二十ファブトほどもあるその偉容はまだ幕の背後に隠され、全貌は明らかではなかったが、形状から判断すると、剣を高く天に掲げた、ルゥファナの初戦での姿に違いなかった。


「やっと、あんたの夢もかなったな」

 おれの横でユルノスはささやくように言う。

 心は刺されるように痛んだ。


 おれたちは幌のついたグマラシ車の御者台に並んで座り、王宮から少し離れた丘の上から除幕式の様子を見物していた。眺めのいいせいか、王宮前周辺の群集からあぶれた民衆の一部も、ここに来ている。


「伝説……か。残ったのはあの偶像ひとつさ」

「まあ、この国のあれだけの人間の心に残ったんだから、良しとしろよ」

 ユルノスは気楽そうに言って、御者台から勢いよく飛び降りた。

 くつわを付けられたグマラシは、着地の音に反応し、ぐうとひと言うめく。

「どこへ行くんだ? 見ていかないのか?」

「ここでお別れだ、センギィ。野暮用があってよ」

「そうか……まさかここまでつきあってくれるとは思わなかったよ。ありがとう」

「勘違いすんな。たまたま方向が同じだったってことさ」

「……トーロヴに? 知り合いでもいるのか?」

「山女の尻ぬぐいだ。ここにゃ命拾いしたやつがずいぶんいるんだろ?」

「……どういうことだ?」

「元弟子の不始末は、元師匠がつけねえとな。生き残って地獄を見てるやつには、本当の地獄で感謝されると思うぜ」


 こいつの精神構造はいったいどうなっている。

 ユルノスは先のトーロヴ内戦でルゥファナと戦いつつ、とどめを刺されなかった剣士たちに、引導を渡しに来たのだった。


「それじゃ……ミーナスに現れたのも」

「ああ、スコルーヴォの行方を追っかけててよ。ミーナスにいるって聞いたから、行ってみたら、まあ、たまたまだな。あれは」

 おれたちの危機を救うために現れたわけじゃなかったのか!


「ところでな、センギィ。女のことくらい、もう少し知っといたほうがいいぜ?」

 剣鬼は、いきなりわけのわからないことを言い出す。

「なんだと? そりゃどういう意味だ」

「山女の持病だよ。いや、実際は病気でも何でもなかったってことだ」

「……なんだって?」

 いまさらなぜそんなことを持ち出すんだ。

「ありゃ、女の月のものってやつだよ。あのくれぇ身体がでけえと、出血量も半端ねえそうだぜ。だから、一時的に貧血起こしてぶっ倒れちまうこともあるんだと」

「……だ、だが、おまえ、あのときはそんなこと言ってなかったじゃないか」

 ケネヴの酒場前で会話した時には、たしか心当たりはないと言っていたはずだ。

「なんつーか。あんた勉強しねえのか? おれはしたぜ。酒場女たちに色々話を聞いたりしてな。……いいかセンギュスト。人は新しい知識がねえと成長しねえんだぜ」

 自分の頭をこんこんと叩き、ユルノスはそううそぶいた。

 こんな、ひとをひととも思わぬやつに、言いたい放題言われたかない。

「医者でもないくせに。そんな素人診断が当たるか」

「山女をひんむいたときに見たろ、腹や股んところにゃ傷ひとつねえのに、あの出血だ。あんただって、あいつの血まみれの股ぐら見て首を捻ってたろうが」


「な、んですってぇ!」


 突如、幌の内側から悲鳴にも似た大声が聞こえてきた。

「おお、起きてたか。いいか、山女、いつまでも恥ずかしがってねえで、ちゃんとセンギィにほんとのことを教えてやれ」

 幌の内側でルゥファナのごそごそ動く音がした。


 その話に少し心は軽くなったような気もした。


 汚され、辱めを受けてはいなかった。

 おれのせいで彼女に一生消えない傷を与えてしまったのではなかったんだ。


「それからな、おれがおめえの不始末を何とかしたら、おめえはおれの弟子『だった』って、勝手に吹聴していいぜ。あのスコルーヴォを一回でも倒せた褒美に、破門は帳消しにしといてやらぁ」

 言って、去り際のユルノスはグマラシ車の横から幌をばさばさ手で叩く。

 ひょっとすると、ユルノスは彼女の過去の遺恨を全て自分の手で刈り取るつもりなのかも知れない。新しい彼女の未来のために。


 おれはやつの背後から声をかけた。

「ユルノス! 死なない程度にやれ、また会おう!」

「そりゃ、相手次第だな」

 孤高の剣鬼はにやりと笑い、トーロヴの荒野へ向かい歩き去っていった。


 やつが去ると、幌の中をのぞき込む。

 ルゥファナは荷台に造りつけた寝台から上半身を起こし、眼を赤く腫らしていた。どうやら最後までやつに意地を張り、顔を見られたくなかったらしい。

 声をひそめて泣いていたのか。

 それでいい。


 別れってのは、やっぱりどうしても泣いちまうもんなんだ。


 大きな歓声と拍手、奏でられる勇ましい音楽の響きが聞こえてきた。

 振り返ると『風の御使い』立像の覆いは外され、その姿は明らかになっていた。思った通り、剣を片手で天高くそびえ立たせ、わずかに上空を仰いでいる。

 巨大な女性剣士の立像だ。

 大きな翼を背中に生やし、まるで天高く飛翔するかのような姿勢をとっている。だが、その顔立ちは遠目に見ても、当該人物とは似ても似つかなかった。


 あれは、動くことのない翼を持った、物言わぬ像。

 生きて飛び立つこともなければ、だれかをふたたび救うこともない。

 ただの『伝説』だ。


 おれは、妙な寂寥感と共に風の御使い像を眺めていた。

 ひとは思い出が風化しないように、なにかで形を遺したいと願う。ドゥルクの伝説や、あの立像みたいに。けど、形に遺したとたん思い出は風化しはじめる。


 思い出は真実を伝えない。


 ただ、こうなりたい、こうありたいという、その時々のだれかの願いのみが伝えられていく。

 それよりは、いま目に映るものを真実として記憶にとどめているほうがずっといい。だれかの記憶に残らなくても、いつかそれがなくなるとしても、自分の心にさえ残っていればいい。

 その後のことは、後世のだれかが考えればいいってことさ。


「あれじゃ、あたしって分からない。全然似てないわ」

 おれの後ろで幌の中から顔だけ出し、ルゥファナはそう言った。

「似てたら大変だ。いつまでもトーロヴ中の人間に追い回されることになる。だから幌の中でじっとしててくれ。ここじゃきみはすっかり有名人なんだ」

 あわてて首を引っ込めた。幌の中からくぐもった声で訊ねてくる。

「これからどこへ行くつもり?」

「まず傷を充分にいやそう。……どこか行きたい所でもあるのか?」

「そうね、別な国にも行ってみたいけど、護国ならウーケはどうかしら」

 迷わず返答してくるとは。

 訊くんじゃなかった。

 おそらく護国中におれたちへの回状も出ているはずだ。いま戻るのはあまりにも危険だろう。

 なにしろ聖主国の期待を裏切り、聖皇を完全にすっぽかしたんだからな。


 巷の噂に、その後ハレルオンも聖剣士を固辞し、ミーナスを出たと聞いた。聖剣士の席は宙に浮き、ハゥロトもその影響で面目を失い、失脚しかけているそうだ。


 ――ヨツラは……


 あいつはどこへ逃げたのか、その話だけは聞こえてこなかった。

 ユルノスの調べによれば、ハゥロトと組んで、将来的に『聖剣士』の称号を各国の貴族や剣士たちに売りつける算段だったようだ。

 なるほど、聖主国のお墨付きとあれば、さぞ高値で売買されたことだろうな。

 だが、何年もかけて周到に準備し、貴族師弟誘拐などという大罪を犯すくらいだ。あのヨツラが称号売りだけのために、そんな面倒なことをしてきたとも思えない。

 もっと他に目的もあったのではないか――おれはそう考えてる。

 

「ねえ、そういえば……見たの?」

 彼女は幌の中から包帯で巻かれた手を出し、背後からおれの二の腕をつかんだ。

「突然、なんの話だ?」……ああ、それか。

「あたしの……よ」

 肝心のところは、小声で良く聞き取れない。だが意味するところは理解した。

「仕方ないじゃないか。着替えだぜ? 見たくなくても見えちまう。なにしろその体格だからな。毛布じゃ全部覆いきれなかった」

「もう! ばかね!」

 彼女は恥ずかしさのあまりか、つかんでいるおれの腕をぎゅっと握りしめた。

「てててて! 放せ、放せっ!」

 除幕式を見に来た周囲の見物人たちは声に驚き、怪訝そうに御者台のおれを見上げている。

「人が見てるぅうっ、放せっ!」

「……先にウーケに行きましょう。護国では、ウーラとあの国にだけ行ってないの」

「か、観光旅行じゃないんだぞ!」

 万力のようなその手の力に、ケガの回復も順調だと知った。


 ルゥファナの手を振りほどきながら、ふと思う。


 彼女は風だ。

 伝説は風と共に姿を現す。

 風はだれにも傷つけられない。


 おれたちの行く末に思いを馳せる。

 そのとき、ごうと音を立て、耳元を突風がかすめていった。




≪了≫

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テイルズ・アクト/センギィと風の御使い 九北マキリ @Makiri

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