終 章 伝説の在処




       一


 聖剣士選定に関する審査会にミーナス国民の関心も高まってきたらしい。

 内々の審査では、ルゥファナとハレルオンのふたりとも聖剣士の最終候補として残ったという。ルゥファナのそれまでの成績は、予想通りあまり芳しいほうではなかったものの、実技最終試験での彼女の動きは、見るものを感動させ、圧倒したようだ。

 また、聖皇ドェラル自身が感動のあまり涙を流した、という事実は何にも増して、彼女の評価を押し上げる結果となっていた。


 キーオィに呼び出され、そんな内容を延々と、くどくど聞かされた。

「聖皇さまはな、ルゥファナ殿を見て『聖剣士ドゥミナー』もかくのごとし、とのたまわれたのだぞ」

 先ほどからもう、三回ほど同様の話になっていた。

「知識や教養……まあ、貴族的なたしなみには欠けていたとしても、そこはそれ、戦場を駆けめぐってきた剣士殿のことゆえ、聖皇さまは気にならないと申されてな」

「はあ……」

 上機嫌で延々と語りつづける代皇執務官の声を遠くに聞きながら、先日手ひどく追い返されたのは、彼女の成績があまりにも悪く、ドェラルの期待に応えきれないと判断されたからだと感じた。

 キーオィは誠心誠意聖皇に仕えていて、そう言った意味では、聖皇を悲しませるようなことには、より厳しく対応するのかも知れない。



 聖剣士の最終審査は三日後のボヌンに聖主庁中央礼拝堂で執り行われる、聖日礼拝内で実施されようとしていた。

 この礼拝にはミナセリアはおろか、ミーナスの所領からも大勢の礼拝者が訪れる。

 肝心の審査は中央礼拝堂いっぱいに集まった民衆の前で行われ、その反応を見た諸侯の投票により決定されるのだ。その後すぐに聖剣士の任命、祝福式を執り行うという流れだという。

 審査内容は試験項目に従い、候補者の経歴と実績の朗読、剣技の型を会衆に披露する剣技試技だ。



「いやよ!」

「ルゥファナ、どうしてなんだ、理由を教えてくれ」

 さっきからもう何度も同じ押し問答がつづいている。

「私は見せ物じゃない!」

「ああ、見せ物じゃない。そんなはずもないだろう? なぜそう思うんだ!」

 公館のルゥファナの部屋で、おれたちは最終審査のために打ち合わせをしていた。ところが彼女は突然、最終審査を辞退すると言い出したのだった。

「見せ物よ! 私の身体を見て、動きを見てどうしてそれで剣士だってわかるの?」

「剣士じゃないか、どこから見ても」

「剣士の剣は戦うためにあるのよ! 振り付けを見せるためじゃない!」

「そうさ、そんなことはわかっている。だが、平和な世界にはそれも必要なんだ」

「センギィ、あなたはそれでいいの?」

「え?」

「あなたは……私が聖剣士になれれば、それでいいの?」

「ルゥファナ、やっとここまで来たんじゃないか。つらい修行に明け暮れ、実戦に出て」

「それで?」

「だれもが望んでなれるもんじゃない! 聖主国ミーナス史上初の剣士なんだぞ!」

「名誉よね! でも、よく考えれば、それだって見せ物だわ!」

「なんだって?」

「最後の実技の時に、はっきりわかったの。聖皇さまは、感動されていたと言うけど、私は彼を殺さないようにするので、精一杯だったのよ」

「それがどうしたっていうんだ! 手加減してやったことくらい分かったさ!」

 ルゥファナは唇を噛み、おれの足もとをにらんだ。

 次に口を開いた時には震えた声となっていた。

「ちがうわ。そうじゃないの……ユルノスの言ったことが今なら分かる。剣術は人殺しのためだって。……あの試験で何度ハレルオンに剣を突き立てそうになったか、あなたにはわからないの?!」

 誤解していた。

 ハレルオンのあの蒼白な顔は彼女の殺気を感じたためだったのか。

「私の内側には、人殺しも辞さない剣士としての顔があるのに、聖剣士ともなれば、剣も振るえず、最初の晩のようにただ宴席でおしゃべりするだけ。見た目と迫力があれば、それだけで、おお、とか、ああ、とか言ってもらって仕事になるんだわ!」

 おれは怒鳴った。

「いい加減にしろ! ここはトーロヴじゃないんだ! 平和な護国連合のいったいどこで剣を振り回せるんだ! せっかくつかんだ機会じゃないか、なぜいやがる!」

「いやなのよ、もう! 剣士も、聖剣士も!」

「な、なに?」

「剣士なんてもう、うんざり。人が死んだり、殺されたり!」ルゥファナは泣いた。

「剣士になりたいって言ってたのはだれだ!」

 彼女は泣きじゃくりながら、おれに懇願した。

「ねえ、どこかに行きましょう。トーロヴ……他のどこでもいい、ミーナスを出ましょう! お願いセンギィ!」

「ふざけるな! 聖皇だぞ! 護国連合の宗主国最高権力者に気に入られてるんだぞ! ここを逃げ出してどうなる、きみどころか、おれだって二度と護国で商売できなくなっちまう。そうなったら、だれがおれたちを拾ってくれるんだ!」

「ごめんなさい! センギィごめんなさい! でも……でも!」

 彼女はわんわん声を上げて泣いた。

 そうさ、ようやく長年の夢がかなうって時に、彼女は足もとのハシゴをはずそうとしてる……おれはそう感じていた。

「きみが剣士になるというから、おれはここまで来た。ようやく伝説の剣士が完成する、誕生するっていうのに、肝心の『素材』がなんてざまだ!」


 思わず出たことばだった。


 これまで使わぬよう気をつけていたはずなのに。

 泣き声はぴたりと止む。

 少しの間の後、彼女は嗚咽をこらえながら低い声を出した。

「……きょう、あのヨツラって人が来たわ」

 唐突にその名を聞き、一瞬、状況を把握できなかった。

「……なんだと、ヨツラだ? で、やつが? ……やつは何しに来た?」

「いろいろ話していったわ。……マーガルとか、湖水の剣士のこととか」

「おれがキーオィと会っている時にか?」

「……センギュスト、あたしはあなたのなんなの? あなたはあたしをどうしたいの?」

 ルゥファナは両目からこぼれ落ちる涙をふきもせず、おれを凝視したまま訊ねた。 

「おれは……約束通り、きみを伝説の剣士にするつもりだ」

「……そう」

 彼女は涙を手で乱暴にふいた。まなじりを決しておれを見る。充血したその眼にはいつかユルノスのところで見た、妖しい光を宿していた。

「結局あなたは、あたしじゃなくても良かったのね。素質があって、能力があって、あなたの夢をかなえられる『素材』なら、だれでも」

 さっきの失言を悔いた。

「ルゥファナ、待ってくれ、いいかい、おれの言うことをよく聞け」

「命令はもうたくさん!」

 ルゥファナはぴしゃりとおれを制した。

「ルゥファナ!」

「三日後の審査には出るわ。……安心したでしょ? センギュスト・テイル」

「ルゥファナ……」

「かわりに、いますぐここをでてって」

 有無を言わせぬ口調で彼女は命令した。おれはそれに従うしかなかった。



 おれたちは――ルゥファナは、その日以来、まったく口をきかなくなった。

 もっとも、そうなったのは彼女の方だけだったが。

 生まれてこのかた、次のボヌンの訪れがこれほど待ち遠しく、またつらいと思ったことは一度もなかった。

 そんなボヌン当日、拒否されるのを覚悟で、ルゥファナを迎えに部屋を訪ねた。

 予想に反し、彼女はおれを招き入れてくれた。

「……みて」

 数日ぶりに聞く声。あのルゥファナ付き侍女は衣裳を完璧に整えていた。


 儀礼用の甲冑は純白で、ルゥファナの長身を雄々しく、りりしく際だたせていた。

 肩当てやひじ当て、すね当てに仕込まれた集光石は、早朝の薄暗い部屋の中でうっすら輝き、まるで彼女の四肢から生命の輝きがあふれ出ているように見えた。

 少し紅の入った唇、薄化粧を施された顔肌は、彼女をより美貌の存在に感じさせる。

 おれは言いしれぬ感動に捉えられていた。

 聖皇も幻に見たという、伝説の『聖剣士ドゥミナー』が、そこにいた。

「ルゥファナ……とてもきれいだよ」

 思わず口走っていた。彼女は出会ったころのような、はにかんだ笑みを浮かべる。

「ありがとう、センギィ。……先に行ってて。あとから行くわ」



 ルゥファナは来なかった。


 ボヌンの礼拝時間を過ぎても、彼女は中央礼拝堂に姿を現さなかった。

 キーオィは大あわてで彼女を捜索させたけれども、公館のあの侍女は、時間通りに出立したというばかりで、結局その行方は遥として知れなかった。

 審査の時間になってもなお、彼女は現れない。炎雷の剣術教師ハレルオンはただひとり、礼拝堂の一番前で好敵手の出現を待っていた。

 ほどなくルゥファナは棄権扱いとなった。

 審査は予定通り経歴、実績の朗読と、擬敵相手の試技により滞りなく行われた。

 すべての予定が終わると、聖皇ドェラルは立ち上がり、礼拝の座にぬかずくハレルオンを祝福した。

「……汝、剣士ハレルオン。そなたをわが主『名のない神』および建国の祖『与え授ける者ドゥミナー』の御名により、建国以来ふたたびの『聖剣士』に任ずる」


 おれはその一部始終を、おれの夢が壊れていくさまを、半ば放心しながら、食い入るように眺めていた。



 礼拝後すぐ、代皇執務官キーオィに呼びつけられる。

 驚いたことに、執務室には聖皇ドェラルも来ていた。

「センギュスト殿……残念なことです。ほぼ、ルゥファナ殿で決まりでした」

 聖皇は、執務室の窓から見える景色を眺めながらそう打ち明けた。

「諸侯もひとりを除き、彼女の剣技を見て、文句なしに、と言っていました……」

 聖皇は悲しげにため息をついた。

 彼の期待を裏切ってしまったことで、深い自責の念に駆られた。

「風の御使い……風はどこから来て、どこまで吹くのかだれにも分かりません。……わたしやあなたでは、その風をつなぎ止められなかった、ということなのでしょうね」

 おれにねぎらいのことばをかけ、聖皇ドェラルは肩を落とし、退室していった。その足音が聞こえなくなるまで、おれの頭は垂れたままだった。

「聖皇さまはお優しい方だ。貴殿のような者をさえねぎらわれる」

 部屋に残ったキーオィは、おれの背後から恐ろしく冷たい声で言った。

「……だが、私はそうはいかん」」

 振り向くと、その表情は、声音の通り、かたく凍りついたようになっていた。

「センギュスト・テイル。日が暮れるまでにここを出て行け、二度とこの国に来るな。もし日暮れ以降、ふたたび聖都に姿を見かけた時は、衛士に命じ投獄、必ず死罪に処する」



 公館に戻り荷造りをはじめた。

 おれの頭の中にはなにもなかった。

 だれかが部屋の扉を叩く。


 扉を開けると、さきほど任命されたばかりの『聖剣士』だ。

「センギュスト・テイル、それがしを知っているな?」

「なにか?」

「ルゥファナ殿はヨツラのところにいる、早く行ってやれ」

「……なんだと?」

 意味が――

「わからないのか。彼女はヨツラに捕まっているんだ」

 カラッポ頭になっているおれの思考は、回転がひどく遅い。

 ――ということは、ルゥファナはおれを置いて出て行ったわけではないのか。

「中へ」

 やっとひと言だけ、ことばが出てきた。


 ハレルオンは室内に入ると、急におどおどしはじめた。

「……詳しく聞かせてくれ」

 おれは少しずつ事態を把握していった。

「話す時間も惜しいはずだ。あいつらは彼女に何をするのか分からないぞ」

 ハレルオンは必死そうに見えなくもない表情を浮かべている。

「つまり……ヨツラは彼女を拉致して、審査の妨害を……そういうことだな?」

 そう言えば、礼拝堂でやつの姿を見かけなかった。

「そうだ。早く……」

「あいつの使いそうな手だ。が、おれはあんたの動機が知りたい」

 ヨツラがらみなら、この男もグルという可能性は高い。もしかするとルゥファナを拉致したなんて大ウソかも知れない。

 だいたい彼女をそう簡単に捕まえられるものか。

「動機なんて聞いてどうなる。早く行け!」

「そうはいかない。彼女はおまえらでなんとかできる程度の剣士じゃないぜ」

「彼女を助けたいんだ!」ハレルオンは怒鳴った。

「聖剣士を争う同士だったのに? おかしいじゃないか?」

「そうだ、そう思っていた。……だが、違う。剣を交えた時、格の違いを思い知った。彼女は私を傷つけないように手加減しながら、それがしの剣の動きに合わせていた。たぶん、双方が互角に見えるよう配慮しながら」

 おれの目には、ハレルオンもそれなりの腕に成長していたと見えた。ルゥファナはそんな加減までできるようになっていたのか。

「先ほど、聖皇さまから訓辞をいただいた。あの方は、この国の将来を心から憂いておられる。……残念ながら、それがしはその期待に応えられる器ではない。……おれは、愚かしい罪人なのだ。ハゥロト公は利権目当てに、それがしを聖剣士に推薦した。このままでは聖皇さまの志に背く行為にも協力せざるを得なくなる」

 さすがは聖皇。初任の訓辞ひとつでこの男を回心させちまうとはたいしたもんだ。

「場所はどこだ、案内しろ」

 おれはたったいま荷造りを終えたばかりの荷物をほどきはじめた。

「場所は教える……が」

「おまえは来ないつもりか?」

「たとえ国に私心を持つ者であっても、大叔父の縁故で、ハゥロト公には世話になった恩もある。……すまん」

 それがこいつの守るべき、剣士らしい分別なんだろう。理解はできても納得のいかない理屈だ。しかしいま剣士の徳目について議論する必要はない。

「分かった」

 おれは荷物から双首のキリューグを取り出し、公館を飛び出した。



       二


 ハレルオンは、聖都ミナセリアの下町にある場末の宿屋に行けという。


 ヨツラに会いに来たと告げると、宿屋の主人は宿裏のはずれにある大きな家畜小屋におれを案内した。

 正面から堂々と入り、中を見回す。家畜は一匹もいない。壁の両脇には宿屋でよく見る什器備品や調度の類が雑然と置かれている。午後の日差しが窓から差し込み、奥を照らしていた。

 納屋を借りる貧乏客のためか、そこは広い土間になっていた。どうやらここは賃貸し用に改造されているらしい。

 転じていまはヨツラ一党の隠れ家ってわけだ。


 奥へ進むと、土間の中央には大きな木製のテーブルも置かれていて、ヨツラと仲間たちはそれを囲んで座っていた。全部で十四、五人はいる。

「よおぉ、センギィ……遅かったな?」

 巻いたまま床に放置してある薄汚れた絨毯に足を載せ、ヨツラはすでにできあがっているようだ。祝杯のつもりか、軽酒のはいったジョッキを持っている。

「おれの来るのが分かってたみたいだな」

 やはりハレルオンの話は罠だったか。

 ヨツラは酔っぱらい特有の充血した目をおれに向けた。

「どうせハレルオンに聞いたろ? あいつ、チャンバラで一緒に踊ってから、女剣士にすっかり惚れこんじまったらしい。ま、あんたと一緒じゃないってのは上出来だ。律儀だから、ハゥロトに恩でも感じてんのかね」

 それでもヨツラの読み通りになったってことは、罠にかかったみたいなもんだ。

「……ルゥファナはどこだ」

 おれはヨツラから目を離さず、言う。声が割れた。

「ん? なんだって?」

「ルゥファナはどこだ!」

 ヨツラは首をかしげると、わざとらしく思い出したふりをして答えた。

「さて、どこだったかな? ……ああ! 思い出した」


 ヨツラは載せていた足で汚い絨毯を転がした。赤茶けたそれは、ヨツラの前方にわずかだけ転がり、止まる。

 絨毯だと見えたのは、ぼろぼろにされたルゥファナだった。 


「ルゥファナ!」

 倒れている彼女に駆け寄ると、その容態を確かめた。

 まだ息はあった。

 彼女は両腕を後ろ手に縛られ、両足首は木枠に固定されていた。

 繰り返しむち打たれたと見え、白い儀礼用の服はずたずたで、そのため上半身は半裸状態だった。わずかに残る衣服は肌の裂け目から滲む血で赤黒く染まっている。

 顔は腫れ上がり、無惨な青あざもできていた。

 腹部から両足にかけて広がる大きな血のにじみを発見し、下腹部にも創傷かなにか他に――

 彼女の手を握ろうとして、自分の指にまったく力の入らないことに気づいた。


「済まねえな、センギィ。そいつは助からねぇぜたぶん。血の出すぎだ。女のくせに、たったひとりで殴り込んで来るから、こっちもつい本気になっちまった」

「……おれを、センギィって呼ぶな」

 ことばに抑揚はつかなかった。

「ち、……気取るんじゃねえよセンギュスト。なんなら、おっ母たちにしたみてえに、その女にもトドメを刺してやったらどうだ?」

 けらけらと笑うやつの声を聞き、燃え落ちる旧いリガオンの風景を思い出した。


 ヨツラはおれを取り囲む自分の仲間に話しつづけた。やつの本質を表わす、あの頃のままの汚いことばづかいに戻っていた。

「なあ、おめえたち。こいつはおいらの兄貴さ。もっとも、血のつながりなんかあるはずもねえ淫売宿で一緒に育っちまっただけだがよ。で、ある日、剣士になるんだって勝手に飛び出しちまった。そのくせ、戦争で町が焼け落ちる時に戻ってきてな、こともあろうによ、育ててくれた恩人の淫売どもを自分の剣でぶっ殺しちまった。笑えるぜ、まったくよ」



 当時、ケネヴ国境での小競り合いに剣士として参加していたおれは、リガオン急襲の報を聞き、戦場を抜けだした。戦禍に巻き込まれた町からおっ母たちを助け出そうとしたんだ。

 でも、もう遅かった。

 火の回った売春宿の中で、彼女らはそのほとんどが崩れ落ちた建物の下敷きになっていた。

 おれは、まだ息のある者を助けようと、柱や壁の残骸を持ち上げたり、剣で斬りつけたりした。しかし、それまでいくら剣の修行を積んでいようと、伝説の剣士たちのように岩を砕き、大木を断ち割ることはかなわなかった。

 おっ母たちは生きたまま焼かれる前に死を請い願った。

 おれは泣きながら、その首に、次々剣を突き立てていった。

 ヨツラもその脇でわんわん泣いていた。


 彼女らを守ろうと剣士になったのに、おれの剣は結局だれも救えなかった。


 そのときから、おれは剣を捨てた。

 育成専門の吟遊詩人になったのは、助けたいだれかのために剣を振るう、そんなやつの、その手助けをするためだった。

 ……ルゥファナ。すまん、おれはいつのまにか自分の道を見失っていた。

 伝説の剣士を育てたいんじゃなかった。

 きみの言うとおり、聖剣士なんてどうでもよかった。



「『死剣のセンギィ』だっけ? 多少は名も売れてたくせに、身内も助けられねえへぼ剣士だったよ、あんたは。辞めて正解だったよな」

 かつての相棒であり、同じ売春宿で育った弟分のヨツラは、侮蔑と憎悪のこもった口調で、頭上からことばを降らせてきた。

「……おれを恨んでるんだな」

 こいつは今に至るまで、あのときのことを許していなかった。そう感じた。


「正直、あんたの剣士ごっこにゃ飽き飽きしてたけど、吟遊詩人ごっこはもっと気にくわなかったぜ。伝説の剣士だ? あいにくだったな、おれが先に手に入れちまったよ。ハレルオンを使ってな」

 ……ああ、そうなのか、それでわかった。

 マーガルも、ハレルオンも、ルゥファナのことも。

 聖剣士のことだってそうだ。

 ヨツラはおれから、おれの大切だと感じるものをみんな奪うつもりなんだ。

 それは、おれを育ててくれたかりそめのおっ母たちのひとり――彼女はヨツラの本当の母親だと言われていた――の首に剣を突き立てた罰なんだ。

 おれは顔を上げ、懇願した。

「ヨツラ、おれなら好きにしていい。だが、ルゥファナは手当てしてやってくれ」

「無駄だよ兄貴……可哀想に、あんたと関わらなきゃ、いまもキスルの田舎で平和に暮らせてたんだろうにな」

 そのことばに、おれはひどく驚いたような顔をしたようだ。

 あのいやらしい薄笑いを浮かべ、ヨツラはおれの疑問を解き明かす。

「へ、驚いた? おい、顔を見せてやれよ!」

 くぐもったぐふぐふという声で笑いながら、ヨツラの横に男が並ぶ。巨漢だった。

「お、おぼえてるぞ、おまえ」そいつは聞き取りにくい声にしゃべる。


 ストルングの剣士オルスワムは片目になっていた。

 顔中に切り傷を負い、治癒時に出来た肉の盛り上がりや、深い傷の溝により、その笑い顔はひどく陰惨に見えた。

「偶然拾ったこいつが、教えてくれたんだよ」

 ヨツラは上機嫌で、すらすら流れるようにしゃべった。

「兄貴たちにこんな顔にされちまったんだってな? で、まあ、こいつの話じゃ、もともとその女はキスルの給仕女で、聞くも罪深いドゥルクの呪いを受けてたって言うじゃねえか。そんな卑しくて不吉な女が、こともあろうに『聖剣士』だなんて! なんともおぞましい話だよな」

 こちらの事情は全部知っているようだ。

 解せないのは、それを承知なら、なぜ審査前に醜聞として公表しなかったのか。

「そのあばずれが辞退してくれてよかったな、センギィ。もし聖剣士になったあとでばれたら、面倒見てる吟遊詩人のほうだってただじゃ済まねえ。高名なるセンギュスト・テイルの名は、聖主国を汚した罪で、後世まで語り継がれることになっちまうだろうからよ」

「なるほど……数日前ルゥファナに会ったのは、それを言うためか」

 醜聞は情報を流す方も応分の危険を伴う。

 ヨツラはルゥファナに自ら辞退させるようにしむける方が簡単だと考えたわけだ。

「さあな。つい、そんなことも言ったかもしれねえな」

 やつはそらぞらしく答えた。

「そうそう、その女は昔のあんたのことをずいぶん気にしてたから、いろいろと話してやったぜ。あんたの育てた剣士たちのこととか、あんたは育成専門としちゃかなりの目利きだから、いい『素材』にしか興味ねえってこととかをよ」


 この男の悪意ある手法について、おれの理解はまだまだ足りていなかった。数日前の大ゲンカも、元を正せば、こいつに仕組まれたことだった。


 ヨツラは調子に乗ってさらにまくしたてる。

「でもな、本心を言うとその女を説得しに行ったのさ。実はミーナスなんかよりもっといい就職口があるって話をした。悪く思うなよ? あんたに認められるようないい素材は少ないんだよ。……すぐに断られちまったがね。ただ、興味があったらどうぞって、この場所のことを教えてたのは失敗だったぜ。まさか、殴り込みに来るとは思わねえもんな」

 当然、彼女がいずれここを訪ねてくると踏んで教えたに違いない。

 ヨツラは周囲を見回し、仲間に同意を求めた。そいつらは、眼下のおれたちめがけ一斉に野卑な笑い声を上げた。


 彼女はおれを見捨てて出て行ったわけじゃなかった。

 自分なりに考え、最善の選択をしようと考え、悩み、そして――

 ルゥファナ。

 きみは自分の義を見極めた上で、最後まで剣士らしくあろうとしたんだな。

 だが、おれは……。


「……ひとつ質問していいか?」喉涸れの、乾いた声だった。

「うるせえぞ、おれがまだしゃべってんだ!」やつは甲高い声で怒鳴る。

 ヨツラの返答など気にせず、つづけた。

「彼女にどうやって勝った? おまえらじゃ勝てるわけがない」

「おうおう、すばらしい信頼じゃねえか。けど、それにしては、剣士の体調管理もろくすっぽ出来てねえとはね! ……まあ、最後の質問ってことで答えてやるが」

「どういう意味だ」

「強かったぜ、最初はな。さすがあんたが仕込んだだけはあるって思った」

 ヨツラはしゃがみ、おれに顔を近づけてきた。

 きつい安酒の臭いに思わず顔を背ける。

「でもよ、おれたちが何もしねえのに突然倒れこんじまった。……なぜだか分かるか?」

「な、なんだと……」 

 <あれだ……>

 彼女のあの持病のことだと直感した。

 自分の本心を探ることもせず、おれは目先の栄光に目を奪われ、心を捉えられていた。結果として、彼女の致命的な弱点を知りながら、見て見ぬふりをしたのだ。

 おれは自分の愚かさを後悔した。死ぬほど悔やんだ。


「さあ、謎も解けて満足だろ? ……最初は聖剣士の称号を頂くだけでいいと思ってたが、よく考えたら、あんたらを生かしといて、汚ねえ手を使って聖剣士になった、なんて噂されても困るしな。口封じってことでそろそろ覚悟してくれや」

 ヨツラは周囲の仲間を見回してへらへら笑った。おれとルゥファナをのぞく場の全員はまたもその笑いに追従した。

 伝説の剣士を育てるという夢も、大切な『素材』も取り上げられてしまった。

 ヨツラは完全におれに勝ったんだ。

 頭を上げて勝利者とその仲間たちを見回した。

 おれは自分の不手際と不甲斐なさに絶望していた。一瞬、このままこいつらの手にかかって、死んでしまってもいいと思ったほどだ。

 実際、ヨツラの取り巻きの中にそいつを発見するまでは、確かにそう思っていた。



       三


 テーブル脇にいたのは、間違いなくナルカリイ港の職業斡旋所で見た、あの悪相の男だった。

 頭の中にわき浮かぶ様々な情景が、一瞬にして繋がりはじめた。

 その奥から出てきたのはヨツラ・テイルという名で呼ばれたかつての弟分の、遠大で邪悪な計画と、それを裏付ける驚くべき事実。


 ルゥファナの手をそっと床に置き、ゆっくり立ち上がる。


「……ハレルオンはどうなる。殺すのか?」

「往生際の悪いやつだな。まだ合点もいかねえか。ま、いいや、やつのことまで心配してくれて、ありがとよ。……ハレルオンはおれを裏切っちまった。ふつうなら」

 ヨツラは手で自分の首を切る真似をする。

「が、あいつにゃ、これから『聖剣士』として、おれたちの役に立ってもらわなきゃならねえ。苦労してあっちこっちの貴族どもの信頼を得た。民衆の評判もいい。だから、きついお仕置きくらいで済ませてやるさ。……安心しただろ? これで」

「貴族子弟の誘拐は、そのためか」

 ヨツラは顔色を変えた。

「な、なに!」


 ケネヴでのことも含め、すべてこのための壮大な『やらせ』だったんだ。

 悪相の顔の男はまだおれに気付かない。

 そりゃそうか。使い捨てにする人間の顔まで、いちいち覚えてられないもんな。


 ハレルオンが自分を称して『罪人』だと言った理由はよく分かった。

 自分の評判は偽りで塗り固められているってことだろう。


 ヨツラたちの誘拐した貴族子弟を助け出し、恩を売る。

 謝礼金もふんだくる。

 金でなければ、礼に剣術教師として雇わせる、紹介させる。

 たぶん、そんなことで得た名声だった。


「誘拐で身代金をぶんどるだけじゃなく、ハレルオンに何をさせてた?」

「う、うるせぇ! 話はこれで終わりだ! おい、おまえら!」

 やはり図星だったか、一方的に話を打ち切ろうとした。


「最後に一曲弾かせてくれ」

 声を張り上げた。

 同時に、背負っていた愛用の楽器を床に下ろす。


 気勢を削がれた連中はおれを取り押さえようとする動きを止めた。

 おれの態度の変化に不穏なものでも感じたのか、ヨツラは数歩後ろに下がる。

 取り巻きたちは、ノロノロとした動きで互いに顔を見合わせていた。


 おれはキリューグの革覆いをとり、弦を張った二本の首の上部を握る。

 楽器を両足ではさみ、楽器の首を握った腕に力をこめた。

 そのまま上にまっすぐ引き抜く。

 ばつんと音を立て、八本の弦はすべて切れた。


「歌い手はおまえらだ」


 言うや、キリューグの双首に仕込んだ大小二本の剣を、抜き斬りの要領で面前の男の胸に刺し込む。

 そいつは突き刺さった剣とおれの顔を交互に見比べ、驚いたように目を見開いた。

「あ、あれ? ……なにこれ」

 突然胸元に生えた剣の刃を指さし、口をぱくぱくさせる。

 直後、ぐるりと白目をむき、ばたんと大きな音を立てて背後に斃れた。


 その場にいるものはみな、床に落ちて壊れた置物でも見るように床の死体を見つめ、身じろぎひとつしなかった。

 かまわず前に出て、手近なやつの首筋をはらった。

 さくりとした手応えに横目で相手を確認すると、あの悪相の男だった。

「わっ、ぎゃっ!」

 首から間歇泉のように血を吹き出し、鳥のように甲高い声で悶え苦しみながら、みるみるうちに悪相は死相に変わり果てる。


「や、やれ、やれっ!」

 ようやく我に返り、ヨツラは大声で指示を出した。

 数人の剣士が殺到してくる。


 先頭のやつの攻撃を左手の長剣で止め、右の短剣をその顔面に突き刺す。

 つづけてぐるりと身体を回し、近づいてくるもうひとりの剣士を下から長剣で斜めに切り上げた。

 三人目の剣は短剣でいなし、勢いに泳いだその両手を長剣で一気に切り落とした。

 やつの両手は剣を握ったまま床に転がり、まるで魚のようによくはねた。

「あう、あう」

「ぐぎゃ、が」

 人間から発せられるとは思えない声で、そいつらは哭き叫ぶ。


 剣舞の要領で動き、二本の剣はひらひらとおれの手の間を行きつ戻りつ、確実に、周囲の敵を情け容赦なく切り裂いていった。


「なにやってんだ! 相手はひとりだぞ!」

 ヨツラの声は納屋に空しく響いた。


 とうとう、おれと、ヨツラと、あのオルスワムだけになった。


 まだ死にきれていないやつもいたと見え、そいつらのうめき声が納屋に充満し、さながら地獄の光景のようだった。

「そんな仕込みをしてたとはねぇ。つきあいは長かったのに、知らなかったぜ」

 ヨツラはなぜか落ち着きを取り戻していた。

 妙に余裕ある表情だ。

「十人以上の剣士を一瞬で……か。さすが『死剣のセンギィ』。まるで伝説の剣士みてえじゃねえか」


「伝説の剣士、だと?」


 おれの中にあるくらい、黒い大きいなにかが、そのことばをきっかけとして表に吹き出してくるような気がした。

「伝説の剣士か……こんなんで、伝説?」

 言いつつおれはすり足でオルスワムに近づいた。


 巨漢のゆがんだ顔はひきつったようになり、ますます醜怪な顔となった。

 やつはおれの脳天めがけ剣を振り下ろしてきた。


「じゃぁああっ!」


 強烈なその一撃を短剣の根本で受け、脇に逸らすと、上半身の隙に長剣を差し入れ、やつの右手首を切った。

 剣を返しざま、左手首も切る。

 両手の筋を破断され、巨漢は剣を取り落とす。


 おれの攻撃はとどまらなかった。


「伝説の剣士はなぁ、こんな細い剣二本で受けたり、ちまちま刺したり、斬ったり、よけたりしねぇんだよ! 人間どころか、丸太だって岩だって、まっぷたつにするようなやつじゃなきゃ、伝説になんて残らねえだろうがぁあ!」


 あのときおれにそんな力がありゃ、おっ母たちを救えたかも知れない。


 そのおれの無念を、ルゥファナに託した。

 彼女はもう入りかけてた。伝説の門を開き、そこに入りかけてた。


 それなのに、それなのにおまえらは……


 言いしれぬ激情に支配され、絶叫しながら、オルスワムを解体していった。

 一片の肉も、ひとかけらの骨も、そしてこいつの存在そのものも、この地上から消し去ってしまうつもりだった。



「……オルスワムでも相手になんねえってか。聖剣士には、ハレルオンよりあんたを売り込んだ方が、金にはなったな。もっとも、品のねえ淫売宿育ちじゃ、すぐに追い出されちまうだろうけどよ」


 ヨツラに長剣の切っ先を向けた。

 あたりは血まみれになっていた。


 おれへの復讐心と自分の利得のため、護国内で貴族子弟の誘拐事件を画策、実行してきた男だ。おれやルゥファナを罪人というなら、こいつは吟遊詩人どころか、重罪人のペテン師と言わざるをえない。


 おれとの確執という動機の一部を、理解してやれないわけじゃない。


 でも、このままじゃ、いずれはだれかにやられちまう。

 こいつはそういう生き方を選んだんだ。

 ならば……せめて不肖の兄貴分として、長年のわだかまりを解消してやらなきゃ。


 ――そんな気持ちとなっていた。


「軽口につきあう気はねえ、ヨツラ、おまえとは今度こそ本当に縁切りだ」

「縁切りね。それにゃ賛成だが、次はどうかな? ……おい、頼むぜ! 先生!」

 納屋の奥の暗がりから、ひとの動く気配を感じた。


 まさか、ずっとそこにいたのか。

 いままでまったく気付かなかった。いやな予感がした。


「死剣……の、センギィ。……かつてよく聞いた名だ」


 低い、よく通る声。

 納屋の床をきしませながら、気配はこちらへ向かってくる。


「素速く二刀を動かし、倍あるようにも見せる『四剣』の技、初見なれど、見事」


 窓から差し込む光の中に、そいつは姿を現した。

 大きい、というより巨大といった方がしっくり来る。

 巨漢でも最上位の部類にはいるだろう。


 護国内では珍しい金髪を総髪にして肩に垂らしている。表情は陰気だ。ごつごつした顔の骨格の上に、ナイフで切った痕のような細い眼が特長となっていた。

 革服に包まれた身体から威圧感にも似た、独特の雰囲気を発している。


「……『風の御使い』は、期待はずれだった。体調管理も出来ず、戦場で倒れ込むとは。こんな女に一度でも不覚をとった自分が許せぬ」


 こういう口調は、自分をたたき上げることを至上の命題とし、絶えず技を磨くことへ余念のない職業剣士に多くみられる。


 おれたちは『人斬りバカ』って言ってる。


「おまえか。ルゥファナをぼろぼろにしたのは」

 やつはおれのことばなど聞いてもいかなった。

「死剣のセンギィ……おまえは、おれを楽しませてくれ」


 言うなり、いきなり襲いかかってきた。


 避けられたのは、僥倖としか言いようもない。

 やつの斬撃はおれの身体をかすめ、床に突き刺さった。

 途方もない威力でその剣は床を破壊し、爆発でも起きたのかと思われるほど大量の木片をあたりにまき散らした。

 おれは、その一撃をかわしながら、大テーブルの上を飛び越え、やつとの距離をとろうとした。相手の巨躯から判断し、剣の間合いを考えると、まともにやりあうのは非常に危険だ。

「ふん!」

 やつは振りかぶった剣をテーブルへ叩きつけた。

 人間の胴体ほどの厚みを持つ木製の大テーブルさえ、べりべりと音を立て、真っ二つに割れる。間一髪、おれは前に飛び込み難を逃れていた。床に転がって素早く立ち上がると、なんとか体勢を立て直そうとした。

 それにしてもなんて威力だ。剣で断ち割ることなんてできそうもない、あの分厚いテーブルを一撃で破砕するとは、まるで……伝説の剣士みたいだ。こんなやつがいるなんて、これまで聞いたこともない。

 やつは悠然とテーブルの破片を押し退け、のしのしとおれに近づいてくる。


「その剣は……ドゥーリガン、か?」

 初めてやつの得物に気付いた。

 刀身の最先端は、丸く太くなり、ちょうど金槌のような形状をしている。ネッケーゼ村でルゥファナの持っていた、あの大金槌にそっくりだ。

「知っているのか。これを」

 巨躯の剣士は歩みを止めた。

「武の国ウーケ……に伝わる剣だろ?」

 時間を稼ぐため、話を継ぐ。

「そうだ。トーロヴからウーケに渡り……この剣に出会った。剣王ドゥールも使ったという豪剣ドゥーリガン……いままで使った中で最高の得物だ」

 ルゥファナの大金槌と違うのは、刀身まで全て金属製らしいということだ。すなわち、強度も重さも比較にならないに違いない。

「センギィ、どうだ! 先生にはかなうまい!」

 勝ち誇ったような声でヨツラは叫ぶ。

『先生』はその声を合図とし、ふたたび攻撃を開始してきた。


 おれの剣は、キリューグに仕込むため、軽く薄く作ってある。相手の剣をそらし、隙をつき斬りつける、おれの得意とする剣技に最適な作りだ。ガチャガチャまともに剣同士を合わせるような戦い方には不向きな得物だった。

 だが、剣を合わせず、かわすばかりでは限界もある。あっという間に納屋の壁に押し込められ、頭上から必殺の一撃を撃ちまれてしまう。

 かわせない! 

 両手の剣を交差させ、それを受け止めた。

 <ばきん>

 長剣は破砕した。

 ドゥーリガンは止まらず、先端部が身をかわしたおれの左肩をかする。

 受けて勢いを殺したのにもかかわらず、この威力か!

「ぐぅっ!」

 なんとか横に飛び、次の斬撃から身を避けた。が、そこまでだった。痛みに膝をつき、おれは左肩を押さえて、その場にしゃがみ込む。外傷はないようだが……。

 長剣で打撃の力を削ぎ、方向がそれたため、強度の打撲程度で済んだのだ。

「終わりか。勝負にもならん……いや、おれと、この剣が強すぎるのか」

 その傲岸不遜な物言いに、なにか文句をつけてやりたい!


 やつは、剣の構えを解き、部屋の隅に縮こまっているヨツラへ声をかけた。

「見たとおりだ。おれは生まれ変わった。ドゥーリガンを手に入れ、最強にまた一歩近づいた」

「スコルーヴォ先生、まだ終わってねぇんだ。さっさとそいつをぶち殺してから、聖剣士と一緒に、あんたを各国に売り込む相談をしようぜ」


 ……なんだ? スコルーヴォ、だと? こいつがか。


 そう知って改めてやつを見ると、ルゥファナに聞いたとおりの風貌をしているようにも見える。

 剣士スコルーヴォはドゥーリガンを構えなおし、おれに近づいてきた。

「そういうわけで、覚悟してくれ。今日はおれの再起の日となる。望む形ではなかったが、『風の御使い』と、それを育てた人間とに、惜敗をそそいだからな」

 自分の運の悪さを呪うことはすまい。

 少なくともおれの育てたルゥファナは、この伝説級の腕を持つ剣士に一度は勝っているんだからな。



       四


「てかよ、武器の選択が悪すぎんだろ、センギィ。ひと目見て分かんねえのかよ」


 部屋の端から声がかかる。

「ユルノス!」

 反対側の隅っこからヨツラは甲高い声で叫んだ。

「おお、ヨツラ。相変わらず薄汚ねえ商売に精出してて結構じゃねえか。今度は『聖剣士』の称号売りだってな? でも、そこは一歩も動くな。すぐ殺すぞ」

 ユルノスは表情ひとつ変えずに、ヨツラを脅しつけた。


 なぜ、こいつはこんな所にいるんだ?


「なんだ貴様は」

 おれが質問するより早く、スコルーヴォはうなるような声を出した。

「ああ、あんたスコルーヴォだろ? おれはユルノス・エルブンスキ、山女の師匠だ」

「ユルノス……や、やまお……?」

「トーロヴであんたを負かした大女のことだよ。……さて、やろうか」

 腰の剣を左手に抜いた。

 ユルノスに利き手はない。相手に合わせ自在に変えられるらしい。

「勝負か? ……待て、この男の始末をしてから……」

 ユルノスは無造作に突きを放つ。それも必殺の勢いで。

「きっ、貴様!」

 スコルーヴォはそれをかわし、右方に飛んだ。

 滑るような足さばきで相手へ肉薄し、ユルノスは追撃していく。ふたたびスコルーヴォは後方へ大きく飛んだ。体勢を整え、なじる。

「無礼なやつ。剣士とも思えん!」

「剣士じゃねえ。そう名乗ったか?」

 言いながら、なんの物怖じもない様子で、構えもせず相手に近づいていく。その間にスコルーヴォは記憶からユルノスのことを引き出したようだ。

「……ユルノス。たしかナルカリイの港に、そんな名前の、腕のたつ剣士もいると聞いたことがある」


 ユルノスは足を止めた。


 おそらくそこがスコルーヴォとの間合いの境界なんだろう。

「人違いだな。おれは剣士じゃねえ」

「ふむ、そうだ。剣士を否定する剣士、『否剣士ユルノス』と言ったか」

 ああ……とうとう言っちまった。

 理由は知らないが、通り名で呼ばれるのをユルノスは何よりも嫌う。うっかり言ったやつがどうなったか、おれは実例をいくつか知っていた。


「否剣士……どうやら無礼な剣士という意味らしい」

 スコルーヴォは真顔で挑発した。

「おしゃべりな野郎だ、剣を抜いてるってのによ」

 つぶやくように言いつつ、ユルノスは、相手との境界を易々と越えた。

 <しゃっ>

 その瞬間、鋭い呼気と共にスコルーヴォの、目にもとまらぬ斬撃は飛ぶ。当たらない。ユルノスはわずかに身体を傾け、それをかわしたのだ。

 スコルーヴォの連撃は止まらなかった。


 ドゥーリガンは金槌状になった先端の重量を使い、遠心力で攻撃力を増す武器だ。錘の重量を変えても、円弧を描く速さの変わらない振り子とは異なり、この武器は持ち手の膂力を加えることで剣の速さをいくらでも変えられる。しかも、その威力は通常の剣と比べ、桁違いに大きい。

 <だあぁ!>

 ユルノスは一撃当たれば即死を免れない連続攻撃を見事にかわしていた。

 それにより、ドゥーリガンによる斬撃は狙いを外して床を穿ち、壁に大穴を開け、みるみるうちに納屋を廃屋のように逆改造していく。壁際の調度や家具は見る影もなく粉砕されていった。

 激しい連撃はついにユルノスの身体をかすりはじめた。

 ユルノスの着る革服に真新しい擦過痕が増えていく。やがてスコルーヴォの一撃はユルノスの頭部をかすめた。

「ちっ!」

 舌打ちをして、今度はユルノスが大きく後方に飛び退った。

 スコルーヴォは追撃しなかった。荒い息になっていて、その場を動かない。

 どうも、疲れちまったようだ。


「おめぇ……なんだってそんな得物に持ち替えちまったんだよ。両手剣ならまだ、ちゃんといい勝負が出来たってのによ」

 めまいでもするのかユルノスは頭を押さえ、少しふらつきながら、ぶすぶすと不満を漏らす。

「さすが『否剣士』、自分の不利を武器のせいにするとは。なるほど、たしかに剣士とも思えん」

 スコルーヴォは大粒の汗をかいている。

 見ると、ユルノスの額から一筋の血が流れ出ていた。頭をかすった斬撃にやられたらしい。

 その血を手でぬぐい、大きくため息をひとつつくと、この、負けず嫌いの剣鬼は相手に噛んで含めるように言う。

「しょうがねえな。慣れねえ武器使うから、呼吸も乱れんだよ。いいか、いまからおめえの敗因を教えてやる。よく聞いとけ。ひとつ……」

「敗因? ふざけるな! まだ勝負はついておらんぞ!」


 まあ、怒りたくなるのもわからないではない。

 そこそこ付き合いのあるおれでさえ、やつの発言が理解できないこともあるからな。


「うるせえ! 黙って聞け、このばかやろう!」

 小さな身体のどこでそんな声を出すのかと思うくらいの大音声だった。

 気勢をくじかれ、スコルーヴォは口を開けたままとなった。

「ひとつ、おめぇはその武器に慣れてねえ、ふたつ、その武器はそう使うんじゃねえ、みっつ、だからそいつに使われちまってる、よっつ、武器の威力を実力と勘違いしてる、いつつ、おめぇにはそもそもそいつを扱う才能がない。まだまだあるが、つまりそういうことだ」

「……勝ってから言え、否剣士め!」巨漢はあざけるようにことばを返す。

 ユルノスはふたたび口をつぐむと、ずかずか早足で相手に向かっていった。

 迎え撃とうと、スコルーヴォはドゥーリガンを自分の前で振り回しはじめる。明らかに防御を目的とした剣技に見えた。

 自分の剣をだらりと脱力させた腕に垂らし、ユルノスはそれにも構わない様子で、回転する相手のドゥーリガンめがけ突き進んでいく。

「あっ!」

 おれは自分の目を疑った。

 ユルノスは目を閉じていた。

 <じゃっ!>

 たちまち防御の型を解くと、大量の呼気と共にスコルーヴォは剣を真横に薙ぐ。


 ゆるり、と、ユルノスの周囲の空間までがねじ曲がったように見えた。


 肉体はまるで剣風に舞う木の葉のように緩やかに、柔らかく動く。

 その動きの延長で、天才剣鬼はただ、剣を持つ片手を前に突き出した。

 鞘にでも戻るように、剣はスコルーヴォの胸元に吸い込まれていく。

 <とん>

 剣は巨漢の心臓を真正面から貫き、たちまちその機能を破壊した。永久に。



 納屋の中で息をしているのは、とうとう、おれとユルノス、ルゥファナの三人だけとなった。


「額をやられたのは、一般的に言う、不覚ってやつだ。やつめ、慣れねえ武器を使ってやがるから、狙ってるところと命中する場所が微妙にずれて、当たっちまった」

 スコルーヴォを斃したユルノスの第一声はそれだ。

「いいわけはそれだけか?」

「まあ、あの武器は厄介だから、最後は相手の『肉体の声』まで聞いちまったが」

「……そんなことも可能なのか?」

 どうもウソくさい話で、だから少々からかってやったつもりだ。けど、やつはまともな返答をしてきた。

「おれは天才だからな。それにしても……ヨツラの野郎、途中で出ていきやがった」

 あの激闘の最中、そんなところにまで気を配れるとは。

 そっちのほうが大したもんじゃないのか。

 ユルノスはドゥーリガンで破砕された床の一角に転がる、好敵手の巨大な骸を振り返った。

「正直言って……スコルーヴォはなかなか強かったぜ。前にも言ったが、山女はよく勝てたと思うな。おれに奥義を使わせるほどだったからな」

 ああ、そんなことは見てて分かった。

 最後の一撃もきっと、一か八かの賭けだったのかも知れないな。

 ……そう思ったが、直接言うのは避けた。

 当たっていたら、たぶんプライドを傷つけちまう。こいつは意外と繊細な神経をしてるからな。

 おれに背を向けたまま、やつは小声に言う。

「そろそろ看取ってやれ」



 横たわるルゥファナの上半身を抱え起こし、その手を取った。

「センギィ……」抱えられた拍子に多少意識も戻ったのか。

 彼女はうっすら目を開けた。

「ルゥファナ」

「……来てくれたの」

 おれはうなずいた。

「ルゥファナ、しゃべらなくていい」

「ねえ、憶えてる?」

 ルゥファナの大きなその身体は、おれの腕の中で小さく震え、はかなく、もろく、力を込めると簡単に砕けそうに感じた。

「あなたがコケで倒れたときのこと……いまは、逆ね」

「ルゥファナ」

「忌まわしい子……呪いの娘……ずっとそう呼ばれてた」

 彼女は震える手でおれの手を握る。あの、強かった手に、もうこんなにわずかしか力も入らない。

「剣士になるつもりなんてなかった。ごめんね……本当は怖くて、伝説のドゥルクみたいに身も心も強くなりたくて……夢中で剣を振ってただけ」

「いいさ、もういい」

 ルゥファナは弱々しく手をあげ、おれの唇をさわる。わずかに微笑んだ。

「私、村にいたときには死んでた。生きてたけど死んでた。……あなたと一緒で、いろんな人と出会って……あたしは、それまでのすべてより……生きてた」

 はじめ荒かったルゥファナの息は、彼女が息をするたびに少しずつ……確実に少なく、か細くなっていった。

「前に言いかけたでしょう……ほら、初めてドレスを着た晩、お部屋で……ね?」

「ああ、憶えてる。頼む、もうしゃべらないでくれ」

 彼女の口調は出会ったころのような、素朴な村娘のものに戻っていた。

「あたしのゆずりの地はどこかなあって、ずっと考えてた。ケネヴ、グラリア……土地じゃなかった。……あたしの場所ってたぶん……あなたのいるところ」

「……ルゥファナ」

「そう言いたかった。聖剣士になっちゃったら……ずっとここにいなきゃならない……そう考えたら……ずっとわがままで、ごめんなさい」

「いいさ、もう。……きみは『風の御使い』だ、どこにでも行ける」

「ふふ、ゆずりの地さん……コケの時から、祭りの時も、護ってあげなきゃって……」

 ルゥファナは急に目を見開いた。おれの手を握るその手にもわずかに力が蘇る。

「そうだ、あいつら、あの人、ヨツラ、オルスワム……スコルーヴォもいた。だから……でも、負けちゃった」

 彼女の体から、再び力は抜けていく。おれは内心の必死さを悟られないよう、彼女を安心させようと、やさしく、静かに微笑みかけた。

「あいつらはいなくなった。もう心配ない」

 ルゥファナは顔を傾け、自分の足もと近くにある楽器の残骸を見た。

「知ってる。助けてくれたのね。……ごめんね、壊れちゃったね……あたしのために。……もう一度聞きたかったなあ」

「あれはもう十分使命を果たした。けど……君が望むなら、また直して使えばいい」

「そっか……最後に役立ったのね。良かった……」

 彼女はぎこちない笑みを浮かべ、おれの背後に目を移した。

 目の焦点はもう、合っていないようだった。

「変ね、こんな時に……さっきそのあたりに……ユルノスが……謝らなきゃ、あたし。いまなら分かる、あのひとの言ったこと」

 彼女の視界から外れるべく、おれの背後にまわったユルノスは終始無言だ。こんな時くらいなにかことばをかけてやればいいのに。

「そうだ、ユルノスにも会いに行こう。だから早くよくなれ。ケネヴへ戻ろう」

「あなたを護りたかった。……違うわね。護られてたのはあたし。だって、一緒にいると……ありがとう、センギィ。……夜? あたりが暗いわ」

 彼女の身体は、突然大きく震えはじめた。それを押さえるため、腕でさらにしっかり抱き止める。

 血に濡れた彼女の肌は、おれの服越しにも分かるほどひんやりとしていた。

「ルゥファナ、さ、手当に行こう、そしてまた……はじめるんだ。今度は剣士でなくてもいい」

「センギィこわいわ。暗くなるの……ねえ抱いて、もっと強く!」

 彼女の冷たい頬に自分の頬をくっつける。

 肩の痛みも忘れ、大きな身体に回した自分の両腕に力を込めた。

 そうしている間にも、彼女の肉体からぬくもりはどんどん抜けていくようだった。

「センギィ? ……あたし、出会ったときにね、あなたの」


 ルゥファナはおれの腕の中で静かに目を閉じた。

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