第七章 聖剣士



       一


 巷ではルゥファナの話題で持ちきりだ。

 代表戦のあの日、グラリア側の仮設陣営で見た光景を、おれは生涯忘れないだろう。


 グラリアの難民は仮設陣営背後の柵に集結し、代表戦の行く末を案じていた。

 前半の次陣営不利に対する不安は、あの郷土歌の唱和で多少緩和された。彼女はまったくうまい手を考えついたと、おれは内心誇らしかった。

 陽のだんだん細くなる中、味方の生還を待ちきれなくなった民衆は、ついに最悪の結果を予感しだした。悲嘆の声もあちこちから漏れはじめた。

「あ! 見ろ!」

 だれかが叫んだ。

 向こうに見えるものを自分の目で確かめようと、おれたちはわれ先にと柵のもとへ殺到した。


 太陽を背にし、遠くから七つの影が、ひとまとまりになりこちらへやってくる。

 影の中央はひときわ高く隆起していて、その正体は明らかだった。

 剣士たちは身を寄せ、かばい合うようにしてお互いを支えていた。ケガをしている者もいるだろう、一歩一歩、大地を踏みしめるようにぎこちない歩みだった。


 難民たちは遠くの影が近くで形を取り、その陰影の細部を目に判別できるようになるまで、ひとりとして動くこともなくことばもなく、目前の光景に圧倒されていた。

 顔の見える距離まで近づいたとき陰影の中心から天を指し大きな剣が掲げられた。

「勝利よ!」

 ルゥファナは短く高らかに、大声で叫んだ。

 その場にいるだれもかれも、堰を切ったように歓声を上げた。



 グラリアとユラガの代表戦はグラリアの圧勝で終わった。

 双方三十名の剣士たちのうち、死傷者はグラリア陣営に多いのにも関わらず、ユラガ陣営には戦場に立つ者、戦える者はひとりもいないという、成果だけ聞けば意味不明で、不可思議な、前代未聞の決着だった。


 はじめユラガは代表戦の不文律である殲滅戦が守られなかったとして異議を唱えた。しかしすぐその愚を悟り、発言を取り下げた。

 戦場で相手を殺さずその戦闘力を奪うというのは、よほどの実力差がなければ出来ない。ましてや、自軍の威信をかけて投入した、実力ある剣士たちの生命が温存されていて異議を申し立てたのでは、恥に恥を重ねることになると気づいたからだった。

 王制派と民衆派の争いは、その初戦をきっかけとして急速に終焉を迎えた。

 グラリアで行われた代表戦は、戦死者とその流された血の少なさから『穢れなき勝利』と呼ばれ、以降数回行われた局地での代表戦に大きな影響を与えることとなる。

 その直接的な理由は、すべての代表戦にルゥファナも参加し、指導的役割を果たしたからだった。

 王都トロヴァニスで行われた王制派と民衆派の和平交渉は、人々の予想を覆し、終始王制派の有利に話が進められたという。


 トーロヴにようやく平和が訪れた。民衆はルゥファナをほめたたえた。

 いまや、ルゥファナの名声はトーロヴ国内に知らぬ者のいないほど高まっていた。

 彼女とともに初戦からすべての戦いを生き抜いた南方の剣士ラシも、修行中の若い駆け出し剣士として充分すぎるほど剣名をあげたようだった。

 諸国修行をつづけ、いずれ護国連合北部の武の国ウーケに渡るという彼と別れ、おれたちは一度ケネヴへ戻ることにした。

 ルゥファナの功績により、思った以上の褒章金も渡されていて、おれはその一部をユルノスに支払わなければならないからだ。

「ケラザにはいいの? なにもあげなくて」

「ああ、あいつはもう充分金持ちだ。口達者だから、きみの土産話の方を喜ぶさ」

 ルゥファナは苦笑した。


 どこからか現れ内乱のトーロヴを終戦に導き、人々の気づく前に何処かへ去った、巨躯の女剣士の噂は、瞬く間に巷へと広がった。

 いつしかトーロヴの人々は彼女のことを『風の御使い』と呼ぶようになっていた。



 リガオンに戻ると、おれたちはふたたび家を――今度は別々に――借りた。

 厳密に言うと、おれはもともと借りていたリガオンの貸家へと戻り――新たな借り手はいなかったのか、まだ空き家のままだった――ルゥファナには、彼女の体格にあった、もう少し広い部屋のある一軒家を見繕ってやった。

 そうしておれたちは、ナルカリイの港へ赴いた。


 久しぶりに会うユルノスは苦虫をかみつぶしたような顔に、おれたちを出迎えた。

「田舎の王国で、ずいぶんご活躍だったそうじゃねえか、おまえら」

 すでにトーロヴでの出来事を伝聞で知っていたらしく、どうしてなのか、すこぶる機嫌も悪そうだ。

「なんだ、ずいぶん虫の居所が悪いな。彼女の名声に嫉妬でもしてるのか?」

 そういやみを言ってやる。

「……ふん、まあいい。で、やまお……ルゥファナ。おまえ、あのスコルーヴォと剣を合わせたらしいじゃねぇか? まずはその話からしてもらおうか」

 ユルノスはおれの手渡そうとした報酬には目もくれず、ルゥファナから事細かに戦闘の様子を訊きだしはじめた。

 手元に革紙と筆記石を用意し、時々彼女の話を止めながら、聞いた話を書き込んでいく。

「……とすると、こうか? やつは手をこう回したんだな?」

 自分の伝えた技に対する、相手の反応や技のかたちを、身振り手振りで再現し、ルゥファナに確認するとまた革紙に向かって書き込む。そんなことが延々とつづけられていった。

 おれ自身、強敵との戦闘をここまで克明に聞いたことはなかったから、ルゥファナの話は非常に興味深かった。

 話はスコルーヴォとの決着のあたりにさしかかっていた。


「私はそのときセンギィのことばを思い出したの。ユルノス、あんたが剣術は化かし合いって言ったって。ひらめいたわ! ……胸元の柄のことを!」

 ルゥファナはキスルから持ってきた『ドゥーリガン』の折れた柄を削って丸くし、まるで肌守りのようにいつも首からかけて身につけていた。それが結果的に彼女を救ったのだった。

 戦闘の様子を思い出して興奮するのか、彼女の顔は紅潮し、おれとユルノスを交互に見ながらしゃべりつづける。

「だから、あたしはなにがなんでも生き延びて、絶対あんたたちに感謝しなきゃって……」

 彼女はすっかり昔の話し方に戻って、なおも口角泡を飛ばしている。


 紅潮した彼女の頬にうっすら浮かび上がる、一筋の細く赤い傷を見て複雑な気持ちになった。

 ユルノスに初めて遭ったときの名残りだ。普段はまったく目立たないが、彼女が興奮し、顔に血の上ったときにだけ、それは現れた。

 本当に彼女はこれで良かったのか……かすかに、そんな思いが胸をよぎる。


 ユルノスはスコルーヴォとの一戦の様子をつぶさに聞き終わると、手に持った筆記石を置き、ルゥファナに語った。

「命を拾ったな、ルゥファナ。……スコルーヴォは聞いていた以上のやつだったらしい。おれの技をそこまで返されるとはな。正直、むかつくぜ」

 珍しくも、この孤高の剣鬼はくやしがっていた。

「それで、スコルーヴォに、とどめはちゃんと刺したんだろうな?」

「え?」

 ルゥファナは驚いて訊きなおす。

 ユルノスはルゥファナに目を注いだまま、おれに言った。

「……こりゃ、どういうことだ? あ? センギュスト。おまえが付いていながら、なんてざまだ、ええ?」

 言いながらみるみる険しい顔になっていく。

「噂にゃ聞いてたけどよ。<穢れなき勝利>ってな。……それ以降の代表戦も人死にの少ねえ、変わったいくさだったってな。……おい、山女。おめぇまさかひとりも殺してねえって言うんじゃないだろうな?」

 ユルノスの声はどんどん大きくなっていく。

「ま、まてユルノス、そりゃ確かに彼女は」おれはやつをなだめようと必死になった。

「なぜ怒るのユルノス? 私はただ、国同士のくだらないいくさに利用される人たちが、生命まで失うことはないって思っただけなの。あなたから学んだ技や力を良いことのために使うのがなぜいけないの?」

 戸惑うように眉間に皺を作り、ルゥファナも剣鬼に向かって意見する。


「しゃらくせぇえ! このバカども!」

 ユルノスは大喝した。

「おまえらはわかってねぇ、なーんにもわかってねえ。おれの技を良いことのために使うだぁ? ふざけんな。剣術ってのは人殺しの技だ! まかり間違っても良いことなんかのためにゃ使えねえんだよ!」

「で、でも!」ルゥファナは食い下がる。

「それから山女。よく聞いとけ、おまえは剣士だけじゃねえ、男ってもんをまるきり分かっちゃねえ。生命さえありゃめっけもんってのは、いいか? 女の発想だ。スコルーヴォはな……、おめえはやつを助けたつもりかも知れねえが、向こうからすりゃこれ以上の地獄はねえ。なにせ女に負けちまった。それだけじゃねえ、気絶させられて生命まで助けて頂いたッてことは、そりゃ、剣士の世界じゃ笑い話以外のなにもんでもねえんだ! おめえだって、この世界で女がどんな扱いをされるか身にしみてんだろ? これで、これまでやつが積み上げた経歴はすべておしまいさ。この世界じゃもう再起不能になっちまった!」

 ユルノスはあまりの怒りに身体をぶるぶる震わせている。

「例えどっかの戦場でのたれ死んでも、だれもやつを顧みねえ、ああ、あいつか、女に負けてたよな、で、終わりだ。死んでさえ名も残らねえ……妙な情けをかけられて、生き残るほうが、剣士にとっちゃ死ぬよりつれえんだ!」

 その理屈はおれにもなんとなく分かった。


 剣士は人殺しという重い罪を、義で正当化せざるを得ない仕事だ。

 それにも関わらず、彼らが生命をかけて義を通せる、通そうとするのは、ひとつには、たとえ死しても自分の名が義を貫いた者として人々の記憶に遺されていく……歴史の中に自分の存在が残るかも知れないという希望を持つからでもある。剣士にとっての名誉――自分の名が後世どう語りつがれるか――は、ある意味、志ある剣士にとって現世での生命より大切なことかも知れないんだ。 


 と、急にユルノスの怒りは収束し、最後には小声となった。

「山女、わりぃが、おめえはもうおれの弟子と名乗るな。そうでもしなきゃ、おめえに情けをかけられて、生き恥をさらさなきゃならねえやつに、申しわけがたたねえ」

 事実上の破門宣告だった。



 リガオンへ戻ったおれのもとに、ある日、ウーラのケラザから使者づてに親書が届けられた。

 内容は、以前作詞作曲した例の曲とともに、『風の御使い』の噂を聞いて新たに書き下ろした歌曲が王宮内で評判をとっている、という自慢話にはじまり、ケラザが巡業で回った各国でのその曲の評価や賛辞、というより、ふたたび自慢話が書かれていた。

 ルゥファナの噂は護国連合内でも着実に広まりつつあるらしい。


 おれはルゥファナの新しい借家を訪ねた。

 破門への不条理と、ユルノスへの反感と、師を失った喪失感とに悲しみを隠せない彼女を慰めるため、ケラザの手紙を読んでやるためだった。


「……とのことより、各国の諸侯たちはみな『風の御使い』について、非常な興味を持たれる由。中でも聖主国(せいしゅこく)ミーナスの聖皇(せいおう)ドェラルさまは、特に当該の剣士が女性であることに常ならぬ関心を示され……」


 彼女は寝床に腹ばいになり、むこうを向いている。手紙の内容に特に関心もないのか、なんの反応も示さない。おれは傍らの椅子に座って先を読み進めた。

「拙者がかの者と、知己として親しく交わりのある旨、申し上げたところ、是非賓客として招かれたいとのおことばを賜り候。よって……」

 ルゥファナはこちらを向いた。手紙の内容に驚きを隠せない様子だ。

「……ねえ。ねえ、それ……ってことは」

「ああ、そうさ」おれは笑顔を彼女に向けた。

「きみは聖主国ミーナスの聖皇に賓客として招かれたんだ」



       二


 その荘厳なる建築物は、おれたちの視界いっぱいを満たしていた。

 間近で見る、見た目の豪華さ、豪奢さ、豪儀さに目を奪われつつも、巨大な建物の威容は、近づくもの全てに畏敬と畏怖を感じさせずにはいられない。

 やがて建物中央の大扉は開かれ、おれたちは聖主国ミーナスの首都ミナセリアにある聖主庁中央礼拝堂の正門をくぐった。


 聖主国ミーナスは、他の護国連合各国とは違い、少々異質な発展を遂げた国だ。

 この国に国王はいない。

 国王の代わりに聖皇という独特、特殊な存在が国全体を支配している。

 聖皇はまた、北方五ヶ国すべてに対し宗教的指導力を持ち、隠然たる影響力を持っていた。

 護国連合の前身である五国連合設立も、過去、時のミーナス聖皇の尽力によって、当時相争う五カ国の協調した結果だった。


 <剣王ドゥール>の孫ドゥーリスは、ドゥールから受け継いだ領土を自分の五人の子どもに分け与える際、五つのしるしを選ばせた。すなわち剣、宝石、黄金、麦、皮だ。

 このうち<聖>を象徴する宝石を選んだのは、ミーナス建国の祖<与え授ける者ドゥミナー>だった。

 ドゥミナーは他の兄弟たちとは違い土地を支配することを望まず、祖父ドゥールに豪剣を授けた<名のない神>をあがめ、礼拝する道を選んだ。

 最初に建てられた初代礼拝堂は、諸国から志を同じくする人々や、他の四カ国で迫害にあった信仰者たちの寄る辺となった。

 以降、<名のない神>への信仰者たちはどんどん増え、やがてこの国の基礎はできあがる。


 これが、おれたち吟遊詩人のときどき歌う<ミーナス建国聖史>の序盤部分だ。

 ルゥファナが護国連合内ではじめて剣士として立つ大舞台は、この聖主国ミーナスとはじめから決めていた。

 この国こそ女の剣士、女の英雄の登場にふさわしい唯一無二の国。


 なぜなら、ミーナスの祖<与え授ける者ドゥミナー>は、国を興す前には<聖剣士>と呼称される、歴史上最初で最後の女剣士と伝承されているからだ。


 

「名を持つ者たちに尋ねる。汝ら、名のなき主の前にて汝のこうべを垂れ、そのみおしえに耳をかたむけ得るか、得ざるか……」

 聖会堂に入る前のおきまりの誰何を受ける。

 おれたち、いや、ルゥファナの体躯に、祠祭(しさい)は途中でことばを呑みこんだ。それを気に留めず、ただ『拝聴します』と答え、扉をくぐった。


 会堂の中央には幅の広い、どこまでつづくのかと思うほど長い青い絨毯が敷かれていた。表面はどういう加工なのか、ひとつの継ぎ目も縫い目もない。

 絨毯をはさみ、両側にはこれもまた、端まで何人の信徒が座れるのかと思うほど長い椅子が左右に伸びている。

 あちこちに膝をかがめ祈る信徒たちの姿も点在していた。

 目を上げて絨毯の終点を探す。

 遠方に見えるその終点には聖主国ミーナスの聖皇ドェラルらしき人物が礼拝の座に腰かけていた。



「おふたりとも良くおいでくださった。この地にようこそ。私はドェラル。ミーナスの聖皇です」

 聖皇ドェラルは、礼拝の座の前でひざまずき、頭を垂れているおれたちに向かって声をかけてくれた。思ったよりも年若く、きさくな印象を持った。

「さ、どうぞ、お顔を上げてください」

 ことばのとおり、頭を上げた。ドェラルは立ち上がる。

 礼拝の座を降り、階段をくだり、ルゥファナの右手に立つと、顔を上げ恐縮している彼女を見つめて、言った。

「剣士ルゥファナ。あなたのお噂を聞いてから、ぜひ、ひと目お会いしたいと思っていました」

 ルゥファナは緊張と興奮で頬を朱く染めながら、聖皇に返事をする。

「大変恐縮です、聖皇さま。わたしのように粗陋(そろう)な女を、わざわざこのような聖なる場所へお招きくださり、感謝申し上げます」

「いえ、よくぞ私の招きに応じてくださいました、ささ」

 聖皇はルゥファナを立たせると、改めてその大きさに感動を覚えたようで、あちこちから眺めはじめる。


 ルゥファナは全身を白に統一していた。

 ケラザに調達させた軽装の白い堂丸鎧、その下には純白のシャツと袖のない上着、ズボンを履いている。ブーツも白だ。その堂々とした立ち姿には、特有の美しさ、気品のような雰囲気もあって、見る者は一瞬、心奪われてしまう。

「おお、おお……あなたなら申し分ない、いや、立派に務まりそうです」

 聖皇はルゥファナを意味不明なことばでひとしきり賛美し、彼女を散々照れさせたあと、また礼拝の座に戻った。それから待機していた側の者に耳打ちをした。

「……実はあなた方にご依頼したいことがございます。詳細は彼にお訊ねください」

 聖皇は付き人に衣服を整えられると、供の者を引き連れ、座から退出していった。おれたちはそのあいだずっと頭を下げていた。


「では、面を上げてもよろしい……こちらに参られよ、客人がた」

 終始丁寧で気さくだった聖皇にくらべ、ずいぶん高圧的な声の主だ。顔を上げると、さっき聖皇から指示を受けていた男だった。武人然としているところを見ると、この国の衛士なのかも知れない。おれたちはその指示のまま、礼拝堂を出て違う建物へ移動した。


「実はな、貴公らへの依頼は……その前に、この話は他言無用だ。よいな?」

 眉間にしわを寄せ、もったいぶったいい回しで守秘を念押しする。同意しなければ話にならないのだろうから、おれは仕方なくうなずいた。ルゥファナもそれにつづく。

 男は聖皇の代皇(だいこう)執務官で、名をキーオィといった。

「……では話そう。……わがミーナス建国の祖ドゥミナーの話は知っているかね?」

 キーオィはルゥファナに向かって質問する。

「ええ、多少は存じております。……<与え授ける者ドゥミナー>。聖女ドゥミナーとも」

「そうだ。そしてドゥミナーは剣士でもあった」

 ルゥファナは首肯した。キーオィもそれに合わせうなずく。

「うむ。ところが、現在わが国には剣士と名の付く者はいない。護国連合の宗主国であり、連合の創立を提唱……各国を和平に導いた立場からすると、対外的な武力を持つなどもってのほかだからな。……というのは建前で、実はわが国にも武装した兵はいる」

 衛士だな。とおれは先読みした。

「衛士がそれだ。知っての通り、衛士には剣王ドゥールの教えにより、外敵から城や建物の守護のみ行うという制限もあるから、衛士のみの配備は、他国への侵略を決して行わないという、わが国独自の意思表示でもある」


 <剣王ドゥール正統紀>では彼が異界の蛮族や怪物、魔物と戦った際、弓矢や槍も使われている。ドゥールはそれらの武器の威力を知り、驚き、さらに弓矢や槍は決して人間同士の争いには使われるべきではない、と感想を漏らしている。

 これはあくまで私見だが、別にドゥールは弓矢や槍の使用を禁じたわけではない。

 単に威力ある武器を戦争に使えば、血みどろで悲惨な結果になると警告しただけだ。おれはそう見ている。けれども、この記述は後世の歴史家や為政者により勝手に解釈され、今では現世での弓矢や槍の使用を限定する根拠となっているのだった。


「ところが最近、一部の者から、わが国にも剣士は必要だという意見が出ていてな、いまはそちらに大勢が傾いているのだ」

「その……理由は?」

 ルゥファナはキーオィの話に口をはさんだ。

「ふむ……もっとも大きな理由は『雇用』だ。剣士になりたがる若者は多い……わが国は宗主国であり、神をあがめているといっても、祈祷だけで暮らしているわけではない。立派な産業もあれば、商業も発達している。しかし、剣士という職のないために、力を持つ有能な若者はどんどん他国に出て行ってしまうのだ」

 キーオィは驚くべき理由を持ち出してきた。

「別に剣士だけが職ってわけじゃないでしょう?」

 思わず尋ねる。

「そんなことは国を出る若者に言ってくれ。……ともかく、現況は深刻だ。形だけでもいいから、剣士の枠を作り、教育する中で別な職に就くことを教えるしかないのだ」

 ルゥファナとおれは顔を見合わせた。

「聖皇さまは、前途有望な若者が国から去ることに、たいそうお心を痛められ<聖剣士>の称号を復活させようとなさっている。国の祖である<聖剣士ドゥミナー>にちなんでな。単なる剣士であれば、連合諸国にとうとう本国も武装化、いずれ侵略の意志ありと思われるかもしれん。しかし、ドゥミナーの名を借りれば、それは宗教的位階のひとつ、と解釈してくれるだろう」

 諸国は本当に聖皇ドェラルやキーオィの思惑通りに考えるかどうか。

 それに剣士人気は雇用の確かな安定職だから、とも言える。

 決して若者たちはかっこよさや名誉だけで剣士になりたいわけではない。だが、その理屈に対する反論をおれが披瀝する前に、代皇執務官は口を開いた。

「故に剣士ルゥファナ。あなたに是非、開国の祖、聖剣士ドゥミナーに次ぐ、わが国次代の聖剣士になって頂きたいのです」


 聖皇の発案による聖剣士の復興の目的は、要するに剣士のいないミーナスの雇用、景気対策だ。キーオィの話では、近年、産業の中心となる集光石の採掘と加工にさえ人手が足りなくなり、国外への輸出量も年々減っているらしい。若者を国につなぎ止めるのは急務といえた。

「聖皇さまは悩んでおられる。……若者の心にわれわれの教えが核とならず、多くの国のための宣教の働きが滞るのは、ご自分の責任とな。今回の聖剣士復興によって、国の若者たちの心が開かれ、ふたたび教えがその核となることは、聖皇さまの悲願なのだ」

 さすがに宗教指導者だけあって、問題の本質は捉えていると思う。

 平和に慣れた若者たちには目的も理想も使命もないから、遊興に明け暮れるか、危険や冒険にあこがれて、結局そっちのほうにいっちまう。

 やつらの心には核がなくて、満たされていないんだ。

 ……けど、だからと言って、核となる象徴を作り、若者の心をつなぎ止め、そこに集まった者を教化、訓練して国のために働かせようってのは、政治屋とか、政治家の発想だけどな。


「ひとつだけ質問させてください」念のために確認だけはしておく。

「なんだね?」キーオィの目はギラリと光ったように見えた。

「彼女は……剣士ルゥファナはこの国の民ではありません。それでも……」

 キーオィは手を振り、おれの質問を遮った。

「ああ、それなら気にすることはない。……聖皇さまは、ルゥファナ殿に関する歌をお聞きになり、評判をお知りになり、今日、実際にお会いになられ、これは天啓であると確信なされた。それに……もともと護国の民はひとつの国民だった、と考えるなら、聖剣士という称号は、世界に開かれているべき、つまり、その出自を問う必要はない、とおっしゃっている」

 聖皇ドェラルはかなり度量の広い男のようだ。しかし、この国の為政者、諸侯たちが全員それを受け入れる許容力を持ち合わせているかどうか。



 翌朝、おれはルゥファナとともに、賓客用の公館を出で、聖都ミナセリアの市街地へ向かった。格式高い公館はなんとも窮屈に感じられて、中でじっとしていられなかったからだ。

 昨夜キーオィから聞いた話を半信半疑に考えていたので、この機会を生かし、おれは国から若者たちが出て行くという現状を自分の目で確認してみるつもりだった。




       三


 ミナセリアの市街地は、この国の領地でしか採掘できない集光石による、光る石畳が都市全体、主だった街道域全部に敷かれていた。

 日光を蓄積し、夜になるとそれをはき出すように一定の時間光りつづける、それが集光石だ。

 他の国では、貴族階級御用達の品として目の飛び出るような価格で取引され、一般庶民の目に触れることはほとんどない。それなのにさすが原産国と言うべきか、ミーナスでは市街地ばかりか、至る所でお目にかかれる。

 なにしろ道の石畳にまで使ってあるくらいだ。

 それらは夜になると幻想的な光で闇を照らし、道行く人の足もとを照らし、行き先までの道しるべとなる。

 人生に惑った人々のために行くべき道を指し示す、という使命を持った宗教国家にはふさわしい備品ってことだ。


 おれは通りを行き交う人を観察しながら、酒場や市場、食堂のような大勢の人が集まるところを探した。ルゥファナは自分でもなにか見てみたいと言って、別行動をとっている。

 日が暮れるまで市内を歩き、この国の置かれる状態を少し把握した気になった。

 若者たちは必ずしもキーオィの言うとおりではなく、街中にあふれている。

 ただ、彼らは一様に無気力にも見えた。

 昼間から通りに座り込み何をするでもない者、酒場の前にたむろし、座り込んで話に夢中になっているやつら。熱心に商売をしている若者をわずか見かけても、市場の売り子はたいていみな年寄りか中年ばかりだった。

 途中、何人かの吟遊詩人が街角に立ち、剣士物語を歌っている場所にでくわした。

 そこに数名の若者も集い、歌に合わせわずかに身体を揺らしている。

 彼らの目は一様にうつろっているようだった。

 そろそろ辺りも暗くなってきたので、おれはルゥファナと待ち合わせている場所へ戻ることにした。


 戻りがけ、街の中心を走る大通りに差し掛かかる。

 日暮れ時のせいか、驚くほど人の往来は少ない。ミナセリア規模の大都市であれば、他国ではもう少し賑やかなはずだと訝しく思う。

 宗教国家だから、夜遊びもしない、敬虔な市民の多いということか。

 おれの好みではない街だ。おそらく地場の若者にとっても、つまらなく感じられる都市なんだろう。


 と、豪奢なグマラシ車が停車しているのを見かけた。通りに面した、ひときわ大きな建物の前だ。

 一般的に、質素や倹約が美徳とされているこの国にふさわしくないほど飾り立てられ、贅をこらした二連の客車を曳いている。

 初見ではどこかの貴族が観光でミーナスを訪れているのかと思ったが、よく見ると客車の腹に大きく浮き彫られた紋章の一部に、縦棒の長い十字があしらわれていた。地上に突き立てられた墓標としての剣を意匠化したもので、ミーナスの国旗にも同様の意匠が使われている。

 どうやら地場の貴族らしい。

 ただ停車しているだけで、色彩に乏しい大通りの中、そこだけがやたら華やか、かつ毒々しい。

 ちょうどそこへ、珍しくミナセリアの市民らしき男が通りかかった。

「やあ、こんにちは。ちょっと訊ねてもいいかな?」

「こんにちは。巡礼者の方ですか?」

 多少警戒気味に、でも気さくそうに男は答えた。

「あそこへ駐車しているグマラシ車はすごいね。あんなに派手な客車は見たことがない」

 男はグマラシ車を一瞥すると、意外にも眉をひそめる。

「ああ。ハゥロトさまの……」

 男の話によると、ミーナスの有力な選王――ここでは聖領主というらしい――だという。

「あの大きな建物は?」

「あれは市庁舎ですね」

「それにしても、人が通らないね、これだけの大きな街なのに」

「このあたりの建物はみな公用――聖公務というんですけど――ですから、もうこの時間には人がいなくなります。みんな家に戻ったり……ああ、どこか食事する場所をお探しですか?」

 彼は昼間おれが探索していた方角を指し示し、いくつか店の名前をあげ、価格や料理の種類、客層などをペラペラしゃべりだした。


 そのほかに、いくつか質問をしながら、会話の合間にグマラシ車を横目で見ると、市庁舎とわかった大きな建物から、持ち主とおぼしき貴族たち一行がぞろぞろ出てくるところだった。

「あの方ですよ」おれの視線に気づき、男は言った。

「ええと、さっきの、ハゥロト……さまかい?」

 どの男かはすぐに分かった。

 一行の中でも特別に目立つ、豪華で長い法衣と宝杖を携えた、あごひげの長い壮年だろう。

 取り巻きに囲まれ上機嫌らしく、甲高い笑い声はここまでよく聞こえる。聖主国の『聖』とはまったく無関係そうな、俗物臭い印象を持った。

「時期聖皇候補と言われています。……でも市民にあまり人気はありませんね」

「ふーん……」

 なんと反応するべきか迷い、とりあえず感心したふりをする。

「今日も市庁舎で会議だったんでしょう。根回しには本当にマメなお方なんです」

 男は苦笑混じりにそう言う。

 その後、二言三言他愛もない世間話を交わすと、おれは彼に礼を言って別れ、待ち合わせ場所まで早足に急いだ。もうすっかり日も落ちかかってしまった。


 おれを待っていたルゥファナと合流し、帰途につく。晩飯は公館にて宴を催すとの誘いを受けているから、ふたりとも空腹を我慢して足早に歩いた。

 辺りの暗くなるにつれ、石畳はうっすらと光り、足もとを照らしだす。光る歩道は幻想的で神々しい。まさに宗主国ミーナスにはふさわしい設備と言えた。

 ただこの歩道の上にいるだけで、なんだかこっちまで聖なる気分になっちまう。


 周囲はすっかり暗くなっても、おれたちは石畳の中心にはめ込まれた、ぼうと青白く光る集光石の淡い光を道しるべに、迷わず公館を目指した。

 薄淡いその光の中、寄り添うように肩を並べて歩く。彼女はいつのまにか長い髪を後ろで束ね、背中に垂らしていた。

「どうだった? なにかわかったかい?」

 ルゥファナは肩をすくめ、散策した結果を話す。

「そうね、キーオィの話を実感することはなかったけど……ただ、ここの若者、ううん、若者だけじゃなく、街全体に精気がないように感じた。グラリアのひとたちとはまったく違う」

「そりゃ……戦地と比べれば、そうだろうな」

 おれはルゥファナとしゃべりながら、心中にこの国の、いや、平和な社会の抱える大きな問題点、課題についてひとつの結論を出した。

 それは『退屈』だ。

 なにをしなくても咎められることはなく、なにをしても命がけには至らない日々。

 無目的に惰性で生きていても、そうでなくても、身の危険を感じずに済む世界。

 ……平和ってのはきっと、そういうことなんだろう。

 この国は、その平和で平凡な日々の蓄積から生み出される、『大いなる退屈』に覆われているんだ。



 公館の自室に戻ると聖皇ドェラルから招待状が届いていた。

 今夜聖主庁で実施される宴のものだ。ミーナスの諸侯も出席し、盛大に実施すると書かれている。

 どうやらおれたちの歓迎をしてくれるようで、豪華な式服も室内に用意されていた。当然ルゥファナのところにも同様にドレスかなにかが届けられているだろう。

 部屋に備え付けられた、高価なウーラの細工物『時計』を見ると、自分の身支度をするにはまだ時間に充分余裕もあった。


 部屋を出るとルゥファナの滞在する部屋を訪ね、その扉を叩いた。

「ルゥファナ、準備は大丈夫か? だれか手伝いを呼んでくるか?」

「……センギィ……これ、着方がわからないのよ、どうしよう、さっきのひとは……」

 中から、ぶ厚い扉のせいかぼそぼそとした、しかし困惑したルゥファナの声がした。予想通り、着慣れない式服に手こずっているらしい。

「ルゥファナ、とりあえずここを開けてくれ」

「でも……私……いま、裸なのよ!」

 扉の向こうから、珍しく動転したような叫び声が聞こえる。

「……なにかを羽織ってここを開けてくれ!」

 仕方なくどんどんと扉を力一杯叩いた。

 ちょっと干渉が過ぎる気もする。でも彼女にとっては初の大きな舞台だ。


 ここからは失敗は許されないんだ。

 

 うしろからわざとらしいせきばらいが聞こえた。

 振り返ると、この公館の侍女らしき女。丁重な身振りでそこを通せと合図してくる。あわててどくと、彼女は扉を丁寧に叩き、声をかける。

「ルゥファナさま、よろしいでしょうか」

 少々の間の後、錠前は開いた。侍女はおれに室内を見せないよう扉を少しだけ開け、体を傾けたまま素早く注意深く部屋に入る。扉の閉めぎわ、おれに眉をひそめ、小声に言った。

「世話好きな殿方ですこと」

 そうじゃない!

 おれは抗議の気持ちを両目に込め、閉じられた扉をにらみ返した。



 聖主国ミーナスの夜は長い。

 この国の産業の核とも言うべき集光石により、夜も昼もなくなった館の中で貴族連中は夜更かしをする。おれのいる聖主庁の大広間は、その集光石をどこよりも惜しみなく使い、まるで日中のように明るかった。 

 ルゥファナは、漆黒の宴席用ドレスを身にまとっていた。

 聖皇の、というよりキーオィの趣味なのか、それは背の高い彼女にとてもよく似合った。はじめて正装したにしては、着こなしもきまっていて、あの無礼な侍女の着付けも、よほどよかったんだろうと思えた。

 宴席のはじめ、聖皇によってミーナスの貴族、選王などの諸侯に紹介されると、かれらはみなルゥファナの大きさに驚き、奇異なものでも見るような表情をした。ほどなく無骨ではあっても彼女の柔らかな物腰、魅力的な笑顔、そして知的で豊富な話題の持ち主であると知れると、かれらの偏見や警戒心は徐々に取り除かれていったようだった。

 いまルゥファナは周囲を取り巻く貴族の若者たちと歓談していて、ときどき控えめな笑い声をあげている。その朗らかで自然な表情を眺めつつ、おれは自分ひとりの、郷愁にも似た気持ちに浸っていた。

 しばらくするとキーオィがおれのそばに来て、予定通りに歌奏を促す。

 準備にかかると、やつは宴席に向け、改めて列席者におれを紹介した。

「みなさん、ご歓談中のところではありますが、そこにおられる女流剣士ルゥファナを見いだし、育て、いまや巷に知らぬものはないほどと噂される『風の御使い』として諸国へ紹介した、かの高名なる吟遊詩人センギュスト・テイルの歌奏です。どうぞお楽しみ下さい」

 割れんばかりの拍手とともに、おれは食卓の上座にしつらえられた舞台に登り、辞儀をした。

 壁際の集光石に次々覆いがかけられ、大広間内はおれのまわりの集光石が発する淡くはかない光だけになる。

 双首のキリューグをとり、わずかに調弦すると、おれは歌い始めた。

 最初は当然、トーロヴで歌った、あの曲だ。

 朗々と歌いつつ、宴席の面々を端から順に見ていく。

 薄明かりに照らされた選王――聖領主か――や、貴族たちの顔は青白く見え、そのせいだろう、他の国々で見る為政者たちほどには、世俗にまみれていないように見えた。

 宴席の中央に、昼間見たあごひげの長い壮年を発見した。

 時期聖皇候補だというハゥロトは、近くに見るとやはり聖さとはほど遠い、いかにも野心と野望に満ちあふれたような顔つきで、つまらなさそうにおれの歌奏を見ている。

 その一瞬目が合い、おれはやつを見る眼に力を込めた。眼を細くしたハゥロトは、顔を背け視線をほかの場所へそらした。

 そういえば、昼間見たハゥロトの取り巻き連中のひとりに、おれのよく知る人物に似た人間のいたことを思い出す。

 <まさか、そんなはずもないか>

 この国に剣士はいない。だからやつの出る幕はない。


 ヨツラ・テイルは自分の商売と結びつかない場所には、絶対に来ない男だ。


 脳裏から、あるはずのない可能性を追い出し歌奏に集中した。その甲斐あってか、おれの舞台は列席者の大きな拍手と声援とにより、大盛況のうちに幕を閉じた。



 歌奏後、延々とつづく貴族たちの宴もようやく終わり、おれたちはやっと解放されて公館に戻ることができた。夜はすでに白みはじめている。

 自室に戻ると、横になってくたびれた身体を少しでも休めようとしたが、珍しくルゥファナはおれの部屋へ押しかけてきて、それを邪魔した。

 彼女は少し酔っていた。 

 おれは着替えもせず、とりあえず天蓋付きの寝台に寝ころんでいた。

「ねえセンギィ、あたし今夜ほど剣士になって良かったって思ったことないわ!」

「そうかい、そりゃ良かった」

「ぜーんぶ、あなたのおかげ。ぜーんぶあなたの歌のおかげ」

「……歌はケラザの作詞作曲だぜ」

「いいじゃない、歌詞と曲だけだわ。歌い手はあなた」

 見ると、彼女の目はすわっている。

 ルゥファナは寝台脇にあったソファに寝そべり、手を上に挙げてぐるぐる回した。

 ドレスのすそが太もものあたりまでめくれ上がっている。

 おれは目のやり場に困り、彼女の顔だけに視線を固定しようと必死になった。

「キスルを出るとき……ミーナスに来ないって言ったでしょ?」唐突に話は変わる。

「ああ……」

「すごく不満だったのよ……でも、来られたわ。やっと」

 おれを見つめるルゥファナの瞳は酔っているせいか、やけに潤んでいた。

「さ、もう寝よう。朝になってる。部屋まで送ろう」

 あのルゥファナ付き侍女の渋い顔を想像した。

「あたし、いますごく幸せ。だって」そこで彼女はきゅっと口をつぐむ。

「……どうした? 吐きたくなったのか?」

 ここで吐かれては困る。おれは眠りたいんだ。

「ばかね、そんなに酔ってないわよ! ……いいの。じゃ、帰るわね、おやすみなさい」

 ルゥファナは赤らんだ顔に、強い調子でそれを否定した。

 いきなり話を切り上げたかと思うと、ソファから勢いよく立ち上がる。

 いくぶんふらつきながら、部屋を出て行った。




       四


 なぜかもう二週間も公館に留め置かれている。

 公館に押し込まれたまま、いつまでもなんの沙汰もない。

 しびれをきらしたおれは、聖主庁のキーオィを訪ねた。

 はじめ、やつは多忙を理由になかなか取り次ぎに応じなかったが、会えるまで執務室前にいると伝えると、渋々その姿を現した。

「いろいろと多忙な時期でな。いや、待たせて済まなかった」

「二週間待ちましたのでね、一日や二日、ここで待つくらいはなんともありませんよ」

 キーオィはおれのいやみに、少しだけむっとした顔をするが、さすが聖職者の端くれ、すぐに元の顔へ戻る。言いにくそうに話し始めた。

「うむ、早速だが例の件は……聖皇さまは当初、是非ルゥファナ殿で、と考えておられた。が、諸侯との関係も考えると無理押しするわけにも行かなくなってな」

「どういうことです?」

 なんだか不穏だ。こちらに連絡も報告もなく、勝手にことは動いているらしい。

「ひとりの諸侯が猛然と反発してきた……聖皇さまの独断だと言わんばかりにな」


 聖皇に次ぐミーナスの実力者、あの聖領主ハゥロトは、ミーナスの政治、経済に関わる有力者たちを集め、聖剣士候補者の選定に関する聖皇の不公平さを説いた。


『確かに剣士ルゥファナ殿は、開国の祖<聖女ドゥミナー>と同じ女剣士でもあり、噂によれば、剣士としての実力、実績に不足はないとも言える。ただ、噂は噂であり、我々自身、その目で確かめたわけでもない。また、その出自は不明で、どこの国の人間なのか定かでないとも聞く。ところで諸侯がた。伝統あるわが祖の称号を、そのような人物に無審査で継承させるのはいかがなものか。いや、それ以前に、この広いミーナスの所領に、聖剣士にふさわしい聖さと実力を持った人物は、果たして本当にいないのであろうか?』


 出自を問わない聖皇の意向を逆手にとり、そう言ってハゥロトは、諸侯に自分の縁故であるひとりの剣士を紹介した。

『風の御使い』に比べ、剣士としての実績には乏しいものの、ミーナスを飛び出した後、剣士修行を重ね、いまは諸国の剣術指南として評判を取り、民衆に人気もあるのだそうだ。

 なにより各国の貴族ともつながりのあるということで、ハゥロトは、仮にその人物が聖剣士ともなれば、ミーナスの外交上大きな力になる、と諸侯に説いた。

 以降、ハゥロトに触発され、他の諸侯も負けじと自らの縁故や知り合いから聖剣士候補者を推薦し出したという。

 結果、とうとう聖皇ドェラルもそれらをはねのけ、ルゥファナを聖剣士に、とは踏ん張りきれなくなったのだ。


「新たな候補者は四名だ。ルゥファナ殿を含めば五名となる。正直に申して、どの剣士もルゥファナ殿ほどの人物ではない。外国の内乱を鎮めたというような輝かしい実績もないしな。……それに、ルゥファナ殿は、女性であるという点で、こと『聖剣士候補』としてなら他の候補者よりも有利と考えられる」

「他の諸侯はそれを有利とは考えていないようですが?」

 利権がらみの話だ。伝統や伝説を固守するなんて二の次だろう。事と次第によっちゃ、男の剣士を女装させることだってやりかねない。

 権力闘争を行う貴族連中は、みんなそんな輩ばかりで、いくら聖主国といえど、そこには聖さのかけらもないはずだ。が、言いたいことはいろいろあれども、既に決定済みらしいことへ文句を言ってもムダだろうな。

 仕方ない、せめて各諸侯推薦の候補者について訊ねてみることにした。

 一番気になるのはやはり、あごひげ男の推す候補だ。

「ハゥロト公の推す候補者の名は?」

「貴殿ならたぶん知っているだろう。炎雷の剣術教師ハレルオン、だ」

「……はぁ?」おれの声は裏返った。


 確かに知ってはいた。けれどもあんなやつが、それほど巷で評価されているとは想像もつかない。

 ……ということは、だ。

 <ハゥロトと一緒にいたのはやはり>

 ヨツラも剣士育成分野でそれなりにいい仕事をし出したと言うことだろうか。

 いいや、あいつに限ってそれはない。それだけは断言できる。

 ヨツラは手間のかかる剣士育成などに、自ら絶対に手は出さない。面倒なことと金にならないことは死ぬほど嫌いな性格なんだ。

 全候補者名の書かれた革紙を受け取り、眺めた。おれの表情の変化に気づいたのか、キーオィは険しい表情となる。

「なにか?」

「……納得いきませんな。これでは彼女と釣り合いが取れない」

 ハレルオンはともかくとして、当然ながら他の候補者の名に覚えはない。

 ミーナス諸侯の縁故で、ほとんどが貴族子弟たちというから、つまり、この候補者たちはいわゆる『貴族系』の剣士たちだろう。


 戦場に赴く剣士にとって体技や剣技は自分の命綱となる技術であるのに、後方で指揮を執る貴族やその子弟たちにとって、剣とは、知っておくべき『たしなみ』のひとつでしかない。

 おれからするとそんな『貴族系』の剣士とは、限りなく剣士に近いどしろうとにしか見えない。ましてや公式には剣士のいないとされるミーナスで剣士を名乗っているなら、とんだ食わせ物の可能性も高い。

 ルゥファナをこいつらと同列にされ、おれは反発を感じていたのだった。

 おれのことばに軽くうなずきながらも、キーオィは彼らを擁護した。

「釣り合い? 剣士としての実力にかね? たしかにそうかも知れない……が、正直彼らはルゥファナ殿にはないものを持っている。家柄や、それに付随するつきあいの広さやら……要するに、確かな身元と信用、貴族としての交友関係などだ」

「……しかし、聖剣士を制定し雇用の促進を目指すには、それなりの実績や実力は必要なのでは? 若者のあこがれるような人物でないと、目的に合わないように思いますが」

 おれの反論には極めて実務的な回答が用意されていた。

「平和な世界において、剣士に要求される資質は変化した、と考えている諸侯もいる。諸国では安定職に就きたいという動機で剣士になることが多くなっているのだそうだ。ましてや、長年にわたり世界の平和を提唱してきたこのミーナスに、ことさら『戦場の風』を吹かせる必要はない、という意見も持つ者もいる」

 諸侯は、巷の噂からルゥファナを見いだした聖皇を、暗に批判しているつもりでいるのか。まったく畏れおおい話だ。

「……では、これからどうするんです? 五人も候補者がいて」

 キーオィはそれに答えず、もうひとつの可能性を探ってきた。

「せめてルゥファナ殿の出自さえ明らかで、この候補者たちにも引けを取らないということであれば。センギュスト殿……彼女は、ウーケの武人から託されたということだが、ほかに彼女の身元に関する手がかりはないのかね?」

「さあ、それ以上のことは……」

 事情あって名の出せないウーケの武人から依頼され、彼女を預かったと言ってある。どんなことがあろうと、本当のことを言うつもりはないし、彼女にも堅く口止めしてあった。

 ネッケーゼ村自体、ミーナスでは異端と目される歴史を持つのに、本当のことを知られれば、投獄や、場合によっては死罪に処せられるかも知れない。

「……そうか。ならば、やはりルゥファナ殿だけを候補とするわけにもいかんな」

 キーオィは肩を落とした。

「諸侯は『審査』で決定するべきだ、と言っている。方法はそれしかない」

 やつは執務机の上に載せた肘の上で両手を組み、そこへ自分の顎をのせた。

「試合ではないのですか?」念のため尋ねてみる。

「センギュスト、貴殿は神の御前で血を流すおつもりか?」

 キーオィは声に怒気をはらませた。

「……ハゥロト公から、内々に審査基準と、その項目の提案をもらっている」

 やつは荒々しい動作で執務机の引き出しから、見るからに高級そうななめし革の革紙を取り出し、おれめがけ投げ放った。革紙は広大な執務机の上を滑り、おれの手元で止まる。

 内容を見た途端、思わず声が出ていた。

「これじゃ不公平だ! 彼女の特質はなにも生かせない!」

「やっぱり、そうだろうな。私もそう思う」

 キーオィの表情から、ことはすでにこの内容で進行中なのだと分かった。



 聖剣士選定に関わる審査諸項目

 一、筆記審査

    護国の歴史に関わる事由

    剣士の徳目に関する事由

    護国各国に関する事由

 一、実技審査

    芸能披露

    試技披露

    剣技応酬

 一、最終審査

    経歴朗読

    実績朗読

    剣技試技



「なに、これ?」

 おれの書き写してきた革紙を読み、ルゥファナは眉をひそめた。

 不審そうな声を出す。

「筆記審査とか……芸能披露? 芸能っていったいなに?」

「貴族ってのは、お絵かきやら彫刻やら歌やら演奏やら……いわゆる『芸術』をたしなむんだ」

「ねえ、センギィ。これはいったいなんの審査なの? 貴族になるための試験?」

 彼女はひどく不満げにおれを見た。たぶんおれがキーオィのところで感じたのと同じ気持ちなんだろう。

 その気持ちを全部受け取るようなつもりで、彼女の視線から自分の眼を外さず言う。

「……もう決まっちまってることだそうだ」

 ルゥファナはため息をつきながら、ふたたび手元の革紙へ目を落とした。

「見た限り……私でもなんとか務まりそうなのは、実技審査の試技……披露? と、剣技応酬……最終審査の剣技試技、くらいかしら。……いずれもなにをするのかまったく分からないから、本当にできるのか自信はないけど」

 審査は三週間後に実施される。

 それぞれの審査で具体的に何をするのか訊ね、その準備のために、おれはキーオィに伝令を借りた。ウーラの首都イヨルまで手紙を届けさせたのだ。

 宛先はもちろんケラザだ。

 なんとしてもあいつの力を借りなければならない。



       五


 一週間後に返事をもらった。

 結論から言うと、ケラザはミーナスを訪れることはなかった。ウーラを代表する宮廷楽師としては、もともとルゥファナを聖皇に紹介した経緯もあることから、、特定の候補者応援のために表だって行動しにくいということだった。つまり、仮にルゥファナが聖剣士となった場合、ウーラはミーナスに対する影響力を持とうとしているのではないかと内外に思われるのを避けたいってことだ。

 ただ、来られない代わり、やつの手紙には長々と『貴族系』剣士たちの実状、実態が書き添えてあった。それによれば、このばからしい審査に使われる項目はどうやら、少し前から護国の貴族間で流行している『武芸全般認定』とかいう資格試験からの借り物らしい。

 ケラザにしては珍しく、その内容について微に入り細に入り、解説と対策も記載されていて、自慢話は一切無かった。

 あいつもルゥファナのことを本当に心配しているのだとわかる返信内容だ。

 おれたちはケラザの記述を参考に、試験項目への対策に取り組んだ。とはいえ、残りたった二週間で行う事などたかが知れている。

 おれは筆記試験への対策を中心に準備を組み立てた。

 彼女は以前の剣士修行時にケラザから指導を受け、なんとか読み書きはできるようになっていたが、筆記試験ともなると単なる書き取りではないから、文章力に加え、書ける語彙の豊富さ、綴りの正確さなども必要になる。加えて護国の歴史やら、剣士の徳目、政治や経済に関する用語を使いこなさなければならない。

 そうした勉強のため、おれはミーナス唯一最大の皇立図書館に一室を借りた。

「センギィ、これはどういう意味?」

 はじめこそ、好奇心旺盛なルゥファナはケラザの指示ある本や資料を喜んでひもといていたものの、連日の勉強漬けで、いまはすっかり飽いてしまっていた。

「それは……いや。そこにある用語書を調べてみたほうがいい」

「……だって、面倒くさいもの」

「それじゃ勉強にならない。わからないことは自分で……」

「いいじゃない! わかってる人がそばにいるんだから聞いたって」

 彼女はすねたようにそう言い、開いている本を勢いよく閉じた。

 ばたんという大きなその音は部屋中に響き渡った。

「こんなに天気がいいのに、私たちは薄暗い部屋で難しい本と首っぴき。つまらないわ」

「ルゥファナ。あまり時間はないんだぞ」

 思わず、おれもうんざりしたような声になる。

 実際、こういった勉強につきあう方もたまったもんじゃないんだ。

 彼女はそんな気持ちを察しもせず、大きなあくびをしながら両手を高く挙げ、のびをする。気楽なもんだ、まったく。

「気分転換しよ。朝から座りっぱなしで、もう、くたくた」

「ルゥファナ……」落ち着け、冷静になれ。

 彼女は椅子から立ち上がった。

「ルゥファナ!」

 部屋を出るその後ろ姿に向かって声をかける。抑えたつもりで、だが大きな声になった。

 彼女は振り返りもしなかった。心中はみるみる苦々しい気分に満たされていく。

 しばらく経っても彼女の戻る気配はなかった。いらいらしながら待つのも、気を滅入らせるばかりだ。部屋から出て、ルゥファナを探しつつ図書館の中を散策することにした。


 おれの出身地ケネヴは学問の盛んな国だから、こういう大きな図書館は珍しくもない。ただ、この図書館はあちこちに集光石を使い、天井のところどころに開けた採光用の窓から差し込む光も相まって、屋内は幻想的で聖なる雰囲気に満たされていた。

 大きくそびえる本棚のあちこちに設置された集光石は、昼間でも薄暗くなる棚の隅をぼうと淡い光で照らし、本を探しやすくすると同時に、ここを訪れる者の心を落ち着かせ、なにか聖いもので満たしてくれるような、そんな気分にさせてくれる。

 直接日光の当たらない集光石を屋外に出し陽の光を蓄えさせるため、日に二度取り替えるのは、聖皇に仕える図書修道士たちの仕事だそうだ。

 図書館内をしばらく歩き回るにつれ、おれの中にあったモヤモヤも、多少軽減されていく。

 <無理のないことかも知れないな>

 先ほどのルゥファナの態度に、寛容な心にもなった。悪いのはおれたちではなく、聖主庁のほうなんだ。審査になると知っていたら、ミーナスを訪れたかどうか。

 ……本当か? と、自問する。

 いや、それでもやって来ただろう。生けるひとりの人間が一国の象徴的存在になる……。

 それこそ、現代の伝説じゃないか。



『聖剣士選定に関わる審査』は、ひどくのんびりした日程で進められる。

 筆記、実技、最終の三項目のうち、一日で三つの試験を実施する最終審査を除き、残り二項目は一日一試験ずつ実施するとのことだった。

 つまり、最短の日程でも七日かかることになる。

 実際は審査項目の変わりごとに休養日を入れるという余裕を持たせ、最終審査をボヌンの礼拝に合わせるため、審査終了まで二週間の予定で組まれていた。


 筆記審査第一日目。おれとルゥファナは指定された時間に聖主庁を訪れた。

 用意された式服ではなく、彼女はよく手入れをした軽装の鎧を身にまとい、戦場の剣士然とした出で立ちをしていた。式服を着るようにと勧めたものの、彼女はそれが自分の正装だと言い張った。

 審査の受付には、華美で派手な式服を着た貴族の家士らしき人間たちが並び、ルゥファナのその格好を見て、眉をひそめた。

「候補者五番、女流剣士ルゥファナ殿ですな。控えの間にどうぞ」

 五番とはなんだ! 最初に話が来たのはおれたちになんだぞ! 

 たかが順番の数字なのに、そんな悔しい思いにも駆られる。

 修道士の丁重な案内で、廊下の奥にしつらえられた控えの間へ入る直前、彼女は一瞬おれを振り返った。首をかすかに動かし、微笑んだようだ。

 試験は筆記の場合、各候補者同士の顔合わせはない。ひとり一室をあてがわれ、そこで孤独に問題と対峙する。入退室もそれぞれ別な場所から行われるのだそうだ。


「おやおや、センギュスト殿、出会ってしまいましたな、また」

 ルゥファナを見送った直後、背後の声に振り返ると、見覚えある、あのいやらしい笑顔の男がそこにいた。

「おまえ……なぜこんなところに!」

「はっはっは。これはご挨拶ですな。もうご存じのはずでは?」

 ヨツラ・テイルは鼻の下に長いひげを生やしていた。しゃべり方までうってかわり、お上品にとりすましている。

 貴族階級の好む色とりどりの派手な衣裳を着ていても、全然似合っていない。むしろ気色悪いだけで、顔に表れた性根の悪さは隠しようもなかった。

「いろいろ、裏で動き回っているようだな。本来、おまえの商売には関係のない国のはずだが……いったい何を企んでる」

「ほっほっほ。商売ねぇ……ま、私はいまこの国のさる高貴なお方のもとに寄留いたしておりまして。商売と言うより、この国の行く末に関する大事に携わっておりますよ。そのうち機会があれば、どこかで一献でも差し上げましょう。ではまた」

 周囲の人間の眼をはばかってか、おれの話にも乗らず、ヨツラは足早に去っていった。


 集光石が昼間ため込んだ光を放ちはじめるころ、審査は終わった。

 こちらに向かって歩いてくる小高い影を奥廊下に認め、おれは手を振った。

 ルゥファナは憔悴しきったような顔つきになっていた。無言でおれの前を通り過ぎ、聖主庁の出口に向かう。

「お、おい! どうだったんだ?」

 歩幅の大きい彼女に小走りで追いつき、斜め後ろから声をかけた。

「だめ……かもしれないわ。書くだけは書いたけど、半分以上書けなかった……」

 話しにくそうにそう言うと、彼女は口元を堅く引き締め、それ以上話さなかった。

 翌日、翌々日の試験も同様に日暮れ近くまで実施され、いずれの帰り道でも、彼女は試験の出来に関することはまったく話さず、おれたちは無言で公館にただ戻るだけだった。

 審査結果は最終審査の前に公表されるという。

 それまでひとつひとつの試験結果にとらわれず、全ての試験に全力を尽くせ、ということらしい。しかし、それでは、だれがどの審査でどういう評価を得たのかまったく分からないし、そもそも審査自体、だれがどこでどのように行うのか公表されないから、疑義も残る。


 おれは全筆記試験終了後に設けられた休養日を待ち、キーオィを訪ねた。

「残念だが、教えられん」

 ルゥファナの筆記の出来と、他の候補者のそれとを聞き出すつもりだったが、執務室の扉前まで出向いてきたキーオィにきっぱり断られた。

「この時期に貴殿を執務室に入れること自体、諸侯に余計な勘ぐりを与えることになる。代皇執務官はルゥファナ殿に肩入れしているのではないか、とな。私はあくまで中立の立場でなければならないのだ。さ、申し訳ないがお引き取り願えるかね」

 まあ、立場はわからないでもない。仕方なく、審査に関する疑義をぶつけてみた。

「審査は適正かつ、公正に実施されていると聞く。そもそもそこに疑いを持つとは! わが国は宗教国家だ。不正などあろうはずもない!」

 宗教国家の代皇執務官にはふさわしくないほど頭に血を上らせ、キーオィは怒りの露わになった声を出した。

「念のためにお訊ねしただけです。実態を把握されているなら、それで良いと存じ上げます」

 本当は良くない。が、話をこじらせる気もない。

 おれは礼を言って、場を辞去した。



 公館に戻ると、彼女はどこかに出かけたあとだった。

 あのルゥファナ付き侍女に、近辺に心当たりの場所はないか訊ねてみると、泉にでも行ったのだろうと教えられた。泉? 初耳だ。そんな場所が近くにあったのか。

「公館を出て、街の外れ近くまで歩くと森があります。そこに……」

 どちらかというとこれまでの滞在中、おれはミナセリアの街中に行くことが多かった。昔から人の多い、賑やかそうな場所の方が肌に合うからだ。

 彼女は自然に囲まれた村育ちだから、山やら森やらのある環境を好むのかも知れない。

 たとえルゥファナはそこにいなくても、自分にとっても多少の気分転換になると考え、とりあえずその泉まで行ってみることにした。

 森まで歩くあいだ、準備期間を含め筆記試験の終わるまで、彼女とろくに会話らしい会話をしていなかったと気づく。

 審査に関する話はたくさんしたように思う。だがそれは、いわば仕事の打ち合わせのようなものだ。最近の彼女の浮かない表情、おれへのそっけない態度は、そういったことへの不満かもしれない。


 森はこぢんまりとしていた。

 もうすぐ初夏を迎える木の葉は、散策に充分な明るさの木漏れ日を、森の中へ通す程度に茂っている。小径に沿って歩き、ほどなく泉のほとりにたどり着くと、彼女はそこにいた。

 公館で貸与された長目の白いスカートを膝の上までまくり上げ、泉の縁に腰かけている。水の中に素足を浸しているのだ。男物を仕立て直したのか、大柄な彼女の体躯に白い袖無しのブラウスはぴったりだった。下ろした茶褐色の毛髪は、前に垂れ、水面を眺めうつむく彼女の顔を隠している。その表情は分からない。

 おれは特に話しかけもせず、そこまで歩いていき、彼女の脇に腰かけた。

「……ねぇ、センギィ」

 彼女はおれと気づいたように話す。

「……だめだった。教えてももらえない」

 報告は早い方がいい。

 水面を見つめたままのルゥファナは、ぽつりと言う。

「私って、未熟よね。……もっと修行しなきゃ」

「そんなことはないだろう。まだ三分の一だ。それに」

「トーロヴみたいな国って他にないのかしら」

「ルゥファナ、きみは……」

「ダメだったら、別な国に行きましょうよ」

「ダメって事はない。本格的剣士としてなら君の有利は変わらない……と思う」

「やっぱり聖剣士なの?」

 ルゥファナは顔を上げておれを見た。

「え?」唐突な質問に、一瞬、答えを失う。

「聖剣士になることが、私たちの目的なの?」

「それ以外にあるのかい?」それを前提として今まで頑張ってきたんじゃないのか。

「……そうよね、もう走り出しちゃってるもんね」

 ルゥファナは大きくため息をつく。

 心の中の屈託を振り切るような仕草に見えた。



       六


 実技試験も、もう三日目だ。

 一日目の『芸能披露』に関しては、詳細を語る気も起きない。

 かいつまんで言うなら、ルゥファナは音痴だ。それもひどく。

 いまさら準備する時間はないから、とりあえずケラザ作詞作曲のあの『風の御使い』の歌を歌うことにしたけれども、練習の時から、こりゃやばい、とおれの感じたとおりだった。


 試験を審査する人間たちは、聖主庁にしつらえられた舞台の上で、調子外れの声を張り上げ歌うルゥファナを、笑いをこらえながら、あるいは眉間に深いしわを刻みながら、審査していた。せめて無表情に済ますくらいの配慮をしてやればいいのに、まったくこいつらはそんな気働きひとつできないバカどもなんだ。まだ個別審査だということで、他の候補者の前で歌を披露せずに済んだのは幸いだったが。

 一日目の失敗は二日目にも影響を与えた。

 試技披露は、屋外で擬敵を打ち倒すという課題で、彼女は得意の初歩連撃を二発ミスし、擬敵破壊という課題にいたっては両手剣を使っていてさえ、擬敵を両断することができなかった。



「はあああっ!」

 目前で、他の候補者たちによって繰り広げられているのは、実技審査の最終試験『剣技応酬』だ。

 離れた距離を置いて対峙した者同士、双方ただ剣を振りまわすだけという、意味も意義もよく分からないことが行われる。簡単に言えば、素振りをして相手に受けの型をとってもらったり、こちらもその逆をしたりするわけだ。

 剣技を披露する人間の安全のため、踏み込んで互いの剣をいっぱいに伸ばしたとしてもなお、剣尖同士の距離は大人が両手を広げたほども空いている

 本日の試験は相手もいることから個別にではなく、関係者全員に公開されていた。

 聖主庁内にある大広間の中央部には、舞台と両側に客席を設けただけの会場が設営され、そこには二十名ほどの人間が集い、片側の客席最前列には、この試験の審査員役として、ミーナスの各諸侯たち、および各候補者たちも列席している。

 それでようやく他の候補者を観察できた。

 ハレルオン以外の候補者はやはりまったく知らない顔ぶれだ。どいつもこいつも悪趣味な装飾と模様の飾り鎧や胸当てをつけていて、いかにも『貴族系』の剣士らしかった。


「必殺! 極意三段返し!」

 候補者の片方は、いきなり大技、らしく、技の名を叫んで剣を振り回しはじめた。

「やっ、とっ、ほっ!」

 もうひとりの候補者は、それを受けた、らしく、素早く剣を動かした。

 客席からおおーっという声、そして拍手。気をよくしたのか、そいつは叫んだ。

「なんのっ! 奥義、天意両斬! とぁああっ!」


 やめなさい。


 ケラザの手紙であらかじめ内容を知っていてさえ、現実に見るまでは信じられないようなばかばかしさだ。子どものチャンバラでも、せめて剣同士当てるくらいはするだろうに。

「ちょっと待たれよ!」

 三段なんちゃらを使った候補者は剣を下げ、こともあろうに相手に文句を言い始めた。

「それがしの放った必殺技は、そのように軽く受け止められるものではござらん。少なくとも貴殿の肩口に深い傷を負わせたはず」

 どうでもいいよ、そんなこと。

 名前からすると返し技のはずなのに、先に使う返し技とはどんな技のつもりだ。

 文句を言われた候補者も、負けじと大声で弁解する。

「なるほど。確かにすごい威力ではあったが、私の受けは相手の攻撃の力に逆らわず、神速の体捌きでそれを中和する防御法。貴殿は私の身体が目にも止まらない速さで回転したのをご覧になったはず」

 見たけど、あんた、あの程度の動きじゃ戦場で後ろを向いた途端にやられてるぜ。

「いやいや、いかなる防御といえども、それを打ち崩す技なのだ」

「そんな技はない」

「ある。今使ったのがそれだ!」

「いや、ない!」


 結局その言い争いは長引き、午前中はそれだけでつぶれてしまった。

 ちなみに勝敗は審査員の介入により『引き分け』となった。貴族らしい公平かつ平和的な決着なのだという。


 貴族にありがちな日和見かつ平和ボケした決着、の間違いじゃないのか。


 時間の関係で、つづく試験は急遽配られた簡易な昼食を食べながらの観戦となる。

 あの剣術教師ハレルオンと、もうひとりの候補者の番だ。

 ルゥファナは一応国賓扱いなので、他の候補者の中から勝ち抜いてきた人間と一回だけ、このくだらないお遊戯を努めればよかった。

「ご準備はよいか。……では、はじめ!」審判のかけ声だけは立派に聞こえる。

「はああっ!」ハレルオンは剣を大上段に構えた。

「たああっ!」候補者の片方はそれを受ける構えとなり、やはり、絶叫した。

「必殺! 黒潮岩盤板挟みいぃいっ!」

 ……こいつらも同じか。

 おれは向かいの客席前列に居並ぶ審査員と候補者たちに目を移す。

 審査委員長は聖領主ハゥロトらしい。ハレルオンはこいつの縁故だそうだから、どうせいい点を付けるのだろう。ハゥロトの後方には、口ひげを生やしたヨツラもいる。こいつらさえいなければ、ルゥファナはいまごろ晴れて伝説の聖剣士になっていたはずだ。


 そう言えば、なぜこいつらは『聖剣士』の称号を欲しがるのだろう。


 仮にハレルオンにそんな称号を持たせたところで、何が変わるというのか。縁故にすばらしい称号を持たせれば貴族としての名誉欲でも満たされるのか。

 一応、次期聖皇とも目される人物だし、今後のミーナスを左右するかも知れない聖剣士事業の一切にいまから影響力を持ち、将来の地位を盤石にするためとも考えられる。ただ、それだけなら、ヨツラとの接点は薄い。

 やつの商売は人の売り買いだ。

 ミーナス内の雇用拡大や人材流出を防ぐための人材育成に寄与しようなんて考えるはずもない。


 場のどよめきに、おれの考えは中断された。

 ハレルオンは大柄な身体に似合わず、身体を回転させながら剣を素早く振り回していた。実戦で使えるとは思えない大技だが、見た目の派手さと、動きの優美さとで観客の目を奪っている。相手の候補者は手数と多様な方向への剣先の動きとに追従できていなかった。やがて、ひたすら攻撃を受け切っている、とでも表現しているつもりか、剣を顔の前に掲げたまま、身動きひとつしなくなってしまう。

 <ずいぶん成長したじゃないか、ハレェエエルオーン>

 率直にそんな感想を持った。

 剣舞としても金を取れるほどだ。これならお飾りとして聖剣士になっても、それなりに務まるのじゃないだろうか。

 だれの目にも剣士としての素養、実力の差は歴然としている。


 結局ハレルオンはつづく候補者たちも難なく退け、とうとう最後まで勝ち抜いた。

 ルゥファナの相手はようやく決まった。


「実戦向きじゃないけど、いい動きをするわね、彼。ケネヴで見た時とは別人みたい」

 最終戦前の休憩時、候補者席の彼女のもとを訪れると、そう漏らした。

「よほどいい教師についたのかな……それにしても、大丈夫か?」

「なにが?」彼女はおどろいたようにおれを見た。

「……いや、こんなばかばかしい試合。……空中での剣のやりとりにさ」

「ばかばかしいのは最初から分かってたじゃない。それに今まで見ていて、ここにいるひとたちの好みというか、どこに注目しているか、何となく分かったわ」

 昨日までの失敗も忘れたかのように、ルゥファナは、落ち着きある自信に満ちた表情で断言した。


「いよいよですな」

 背後にヨツラ・テイルが取り巻きを連れ、立っていた。

「なんの用だ」一瞬にして、やつを警戒する。

「陣中見舞いですよ。……それにしても、座っておられると、それほど大きい女性とも感じられません、剣士ルゥファナ」

 ヨツラは色つき羽のついた帽子を持ち上げ、挨拶した。今日はまた、道化のように色とりどりで眼のちかちかする上着を羽織っている。まったく似合ってない。

「センギィ?……この方は?」ヨツラから目を移し、彼女はおれに訊く。

「ヨツラ……テイル。むかしの連れだった。ハレルオンの吟遊詩人だ。今はハゥロト公の所にいるらしい」

「テイル、はよして下さい。もはや吟遊詩人でもないし」

 ケラザといい、こいつといい、どうして貴族階級とつきあいのあるやつは吟遊詩人だった過去を隠そうとするのか。それほど下賤な仕事だと思っているのか。

 むかっ腹もたち、思わず皮肉を言ってやった。

「まるで、昔はまともに吟遊詩人をやってたみたいな口ぶりだな?」

「貴殿の記憶にそう残っていないとしたら、それは非常にありがたいことです」

 ヨツラはおれの挑発をさらりとかわし、慇懃に嫌みな礼をする。

「お互い、気持ちのいい剣技応酬になるといいですな。期待していますよ」

「負けそうになっても、おまえの取り巻きを乱入させたりするなよ」

 ついつい憎まれ口を叩いちまう。


 あいつと初対面のルゥファナは、一見、鷹揚でひとの良さそうな男に、おれがなぜそんなに過敏で無礼な態度をとるのか理解できないようだった。

 彼女にはヨツラに関する話を一切したことはない。

「ねえ、あまり好きじゃない人にしても、あんな態度は失礼だわ」

 なんとでも言うがいいさ。

 いかに誠実そうに見えても、立派な服に身を包んでいてもあいつは全然変わっていない。その証拠に、おれの最後のことばで、一瞬だけ、あの、いやらしいヘドを出したくなるような笑顔を浮かべていた。



「聖皇ドェラルさま御来降である」

 張りのあるキーオィの声に場の人間はみな凍りついたようになった。

 その後、聖皇の姿を目視すると、誰もが一斉に立ち上がり、頭を垂れる。剣技応酬最終試験前に、突如として聖主国ミーナスの最高責任者が供の者を引き連れ、訪れたのだ。

「こ、これはまた。きたる最終審査にご出席というお話は聞き及んでおりましたが……」

 審査員長のハゥロトは予想外のドェラルの登場に、面食らった様子で自分の席を脇にどけ、新たに聖皇用の椅子を用意させた。

「みなさん、どうぞお座り下さい。私もここでしばらく剣技の応酬を拝見させていただきます」

 といっても残すはひと組、最終戦だ。

 ルゥファナとハレルオンの実技を直かに天覧させ、ルゥファナに不利な審査をさせないための、キーオィの配慮だろう。

 観衆がみな着席すると、ハゥロトの合図でようやく試験は始まる。

 ルゥファナは自分の両手剣を構え、背筋をぴんと伸ばしたまま、微動だにしなかった。

 対するハレルオンも、片手剣の長剣を前に出し、ぴたりと彼女に狙いを定める。よく見ると、やつもルゥファナとそう変わらぬ背丈だ。

「剣技応酬、はじめ!」審判役の衛士は手を挙げた。

 ふたりとも無言。やがてどちらともなく、構えを変え、剣を振る。

「は!」

 ハレルオンは気合いと共に一撃を繰り出した。離れた場所で彼女は息を鋭く吐き出し、それを受けた振りをする。立ち位置を変えることなく撃ち込まれるハレルオンの連撃に対し、彼女も立ち位置を変えることなく受けの型で追従していった。

 攻守の絶妙なタイミングに、まるで見えない剣が空中を飛んでいるかのような錯覚すら覚える。観衆は息を呑んでいた。


 ルゥファナはユルノスに教わった、例の体技を使っているようだった。

 相手の狙う場所を的確に把握し肉体の声に従うという、あの動きだ。それにより相手の斬撃に現実味のある動きで受けを返すことができているんだろう。


 俊敏ながら緩やかに、流れるように動く彼女の大きな肉体は、迫力と躍動感に満ちている。手足の先にまで神経の行き届いたようなその人影も美しく、ひどく優雅に見えた。

 一方、ハレルオンもルゥファナほどではないにせよ、それなりに良い動きをしていた。ただそれは、剣の型を模した踊りのようにも見える。おそらく貴族向け剣術教師のたしなみとして、さまざまな舞踊や剣舞を身につけているのだと想像できた。

 ふたりはまるでひとつながりの生き物のように、呼吸のあった動きで剣を振りつづけた。

 おれは、ふたりの距離がだんだん近くなっていることに気付いた。

 足下に引かれた境界線をとうに踏み越え、そのせいで剣先同士はもう触れんばかりになっている。ハレルオンは勢いよく身体を回転させ、さきほど使った大技を繰り出した。

 踏み込む足はさらにルゥファナに寄る。

 <かぃいぃん>

 金属同士のこすれる甲高い耳障りな音が大広間に響いた。

 客席の観衆はその音に思わず身を乗り出す。

 我に返ったようにハレルオンは一歩退き、ルゥファナはそれを追う。ふたたび剣同士は激突し、今度は火花が散る。

 ハレルオンは退くのをやめ、前に踏み込みながら斬撃を受け止めた。

 唐突に、ふたりの剣舞に音と火花という演出も加わっていく。

 ほとんどの観衆は立ち上がったまま身じろぎもせず、しばらく、その美しくも鬼気あふれる演し物に心奪われていた。

 数合、もう五、六合、いつまでもその危険な舞踊を見ていたい……

 そんな場の雰囲気とは別に、おれは、なぜか胸のあたりに奇妙なうずきを感じていた。


「と、止めよ! ふたりを止めよ!」

 あわてたようなハゥロトの怒鳴り声に、突如、場は現実に引き戻される。

「聖皇さまの御前ですぞ! 控えなさい、控えて!」

 キーオィの声もする。


 <がっしぃいいいぃんん>


 最後に斬撃の大きな残響を生じさせ、ふたりは同時に退き下がると、もとの境界線近くまで戻った。互いに相手を凝視し、構えは解いていない。双方の激しく流れ落ちた汗は、みるみるその足もとに溜まりを作った。


 ぱちぱちと、だれかの拍手が響く。

 聖皇ドェラルだった。

 彼は涙を流していた。その拍手につれ、場はやがて爆発的な拍手の洪水となる。

 大広間はふたりへの感動と称賛の声で満たされていった。

 ルゥファナとハレルオンはようやく構えを解くと、剣を下ろし、聖皇に深々と頭を垂れた。紅潮している彼女の顔の色に比べ、やつの顔は蒼白だった。


 その時、胸のうずきの正体に気づいた。

 古傷にも似た、おれの中の<剣士>は、ハレルオンに対して嫉妬していたのだった。

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