第六章 穢れなき戦場



       一


 内乱のトーロヴ国には各国から大勢の剣士が集結している。


 剣士……剣士だって?

 いや、いや、実際はそうじゃない。

 ここには剣士もいるが、ほとんどがあぶれものの剣士、剣士になれなかったやつ、なりたいやつ、追いはぎ、泥棒、ならず者……まともなやつからそうでない犯罪者までいる。

 暴力で身を立てたい者ならだれでも剣士になれる、受け入れてくれる。

 戦争ってのはそういうもんなのさ。


「剣士長どの! ご注進!」


 仮設の司令所へ若い剣士が転がり込んできた。

 身体のあちこちへ血をしみ出させ、足を引きずりながら、剣士長と呼んだ初老の剣士に身振り手振りを交え、何かを報告し始める。

 ふたりとも低い声で、こちらにはさっぱり聞こえない。と、初老の剣士はいきなり立ち上がり、若い剣士を突き倒したばかりか、天幕の虚空に大声で怒鳴った。

「民衆軍のばかどもめ! いい加減に戦いおって! グラリアにしてやられるとは!」

 戦局はまた変わったらしい。

 グラリアの剣士に奇襲でもされたのか、ユラガの圧勝という風評通りにはいかないようだ。


 剣士長は血走った目をおれに向け近づいてきた。そしていま一度、昨夜聞いた歌の内容を確かめるように念を押した。

「詩人殿、まことにそのもの、必ずやわれらに勝利を導いてくれる剣士なのじゃな?」

「はい。かの剣士の味方を得れば、必ず御陣営の勝利を導く切り札となりましょう」

 その目を見つめ、神妙に答えた。


 

 戦場の中立区域に戻る。

 ルゥファナは小高い丘の草原で、幼い子どもたちと遊んでやっていた。

 おれはその近くに転がっている大石へ腰をおろし、しばらくその情景に見とれた。


 小さな女の子がひとり、ルゥファナに摘んできた花を数本渡し、花束を作ってもらおうとしている。ルゥファナは傍らの雑草をひもがわりにして器用にそれを束ね、花の冠を作ると、その子の頭にかぶせてやった。

 喜んであたりを駆け回る女の子を見て、他の子どももひとり、またひとりと冠を作ってもらいに摘んだ花々を携え、ルゥファナのもとへと赴いていく。

 子どもたちは彼女の前に列を作った。

 それはまるで祝福を求めて聖人の御許を訪れる巡礼者たちのように見えた。

 

 花の巡礼。


 ルゥファナはその光景を眺めているおれの姿に気づき、手を振った。

「センギィ!」

 手を振りかえしつつ大石から立ち上がる。その群れに近づいた。

 小さな巡礼者たちはおれの姿を見るとわぁーと声を上げ、たちまち散っていった。


「行ってきた。結構苦戦しているみたいだ」

「そうなの?」

「ああ、いろいろ調べたが、ユラガの優位は固い。でもなかなかグラリアは降参しない。おそらく代表戦で片が付き、あとは政治で手打ちということだろうな」

「ええ、ここにいる人たちもそんなことを言っていたわ」



 おれたちのいるこの中立区域は戦争で焼け出され、家と家族を失った者たちの一時的な避難場所とされている。地域同士の争いに必ず設けられるもので、両軍とも一切の戦闘行為は禁止されていた。

 地域民による全面的戦闘を緩和し、総力戦、殲滅戦を避けるための配慮だ。

 もともとは護国連合内の戦時に考案された仕組みで、やがて他国にも広がったらしい。

「ここにはグラリアの人たちが多いみたい。でも、ユラガの人たちも……みんなどちらが勝っても、支配者が変わるだけって感覚なの」

 ケラザとの勉強の甲斐あって、ルゥファナは政治、経済についても関心を抱くようになり、王と民衆、国と地域、産業と国家などのさまざまな知識や考え方がその聡い頭脳へ詰め込まれていた。

 その結果、ルゥファナは世界情勢について、より深く知り、その実態を理解するようになっていったのだった。


 ここを訪れた当初こそ、あちこちにゴロゴロ転がる無惨な死骸を見て生理的嫌悪感を覚えたり、政治の不毛に義憤を感じたりしもていたが、やがて、内戦という悲惨な状況を作り出した、トーロヴ国内の事情や課題について彼女なりに解釈し、受け止めているようでもあった。


 道中、徘徊する追いはぎや、盗賊、ならず者に出くわしても、ルゥファナを脅かしたり、傷つけたりすることのできる者はひとりもいなかった。

 結果として、以前実施した『追いはぎ撃退』同様、未だ彼女は自ら手を汚すことはなく、その実情におれは多少、心配もし始めている。

「それで、どっちに付くか決めたのか?」

「たぶん……グラリア」

 ルゥファナはおれと正反対の答えを出した。

 


 この国はいま、王と支配階級の圧政に耐えかねた各地方の民衆がそれぞれ手を組み、そこに利権の匂いをかぎつけた反国王の地方領主たちも協力し、トーロヴ国王の一派と戦っていた。

 よくある話で、民衆側と王制側の二つに分かれ争っているというわけだ。


 内乱の戦地は、トーロヴ中心部に位置する王都トロヴァニスと周辺地域の市街地で、そこでは民衆軍および反国王派地方領主による、傭兵を中核とした剣士団と、トーロヴ国王麾下の剣士団を擁する国王軍とが、連日すさまじい争いをくり広げていた。

 物量的には民衆派、軍事力では王制派に有利とされていても、両軍戦力の微妙な均衡により、決着の付かない闘争はもう数年もつづいている。まして、最前線はとっくに消耗戦の様相を呈しており、トーロヴ国内は兵士も民衆もみな疲弊しきっていた。

 戦場がそういう膠着状態に陥り、今後も果てしなく続きそうなとき、取る手は二つしかない。


 殲滅戦か代表戦だ。


 もちろん、この戦争を起こしたやつらの中にも多少理性的に考える人間はいたらしい。

 そんな状況にはまりこむのを予期でもしたのか、中立地区を用意し、両陣営が万が一、敵陣営の人間すべてを討ち滅ぼす殲滅戦に突入したとしても、国内に少しはまともな民衆の生き残れるような工夫をしている。

 だが、国土荒廃をもたらし他国からの侵略を招きかねない殲滅戦へ突入する愚を犯すより、代表戦を選択する方が賢明だろう。現状の打開策はそれしかない。


 代表戦はその名の通り、敵対する陣営双方の代表者を出して勝敗を決する。


 五人なら五人、十人なら十人の代表者だけで殲滅戦を行い、その結果に――勝者は喜んで、敗者は不承不承――したがう。

 ただ、代表戦で一応の勝敗はついても、戦力は互いに残したままだから、放っておけばいずれまた戦争は起こるのは避けられないかも知れない。


 つまり、このやり方の本当の利点は、少数の剣士の命と引き換えに得た一時的な和平の間に、どれだけ相手とねばり強く交渉をしていけるか、ということでもある。その交渉によって、次の争いを防ぎ、平和の維持に繋げられるなら、他国の侵略を招きかねない、国力の疲弊を最低限に抑えこむことが可能だ。それゆえ代表戦は交渉の時間を稼ぐための、最重要、最重点戦略のひとつだったりする。


 実はこの仕組みや考え方は、兄弟同士五カ国で長年争い続けた過去を持つ護国連合の中で経験的に考案され、他国に伝わった外交術、戦術のひとつだ。


 さて、目指すはその代表戦。

 おれはその機会を狙ってこの地を選んだ。


 代表戦ともなれば、両陣営は必勝をかけて実力者を送り出してくる。手柄を立てて所属する陣営を勝利に導けば、実績はもとより、名も上がる。

 現世の英雄になれる。


 基本的に代表戦はその国の人間によって行うという不文律を持っていても、実態はそうじゃない。相手に勝てなきゃ、代表戦をしてもなんの意味もない。だから、抜け道も用意されている。

 多くの国では、代表戦には『助太刀』の参加を認めることが多い。

 自陣営に強い剣士の少ない側は、他国から剣士を引き抜いてきたり、傭兵を雇って『助太刀』とする。ふたを開けてみると、両陣営には傭兵ばかりで自国民はほとんどいなかった、なんていうこともあったりするから面白い。

 おまけに代表戦の開催が決まりそうだと見るや、他国から『我こそは!』というやつらも自分を売り込みにきて、戦争だっていうのに、その地域は剣士、吟遊詩人を取り混ぜ大騒ぎになっちまう。


 いまこの地に荒くれ猛者どもが大勢入り込んできているのは、そういう事情によるものだ。


 さらに、和平交渉に至るまでにもさまざまな取り決めと、段階が設けられている。

 一般的な流れとして、代表戦はもっとも大きな戦場から始められ、順々に規模を縮小して各地で同様の代表戦を行い、最後に両陣営本陣のある戦場で、これまでの戦績から交渉にはいる。

 トーロヴ国内で大きな戦闘が起きているのは四ヶ所。その中で王都付近をのぞけば、このグラリアとユラガ地方間の戦闘がもっとも大規模だった。

 そうしたわけで、巷ではもし代表戦をするなら、おれたちの滞在する中立地帯を囲むユラガ―グラリア群境の戦場で始まると考えられていた。


 おれははじめ、ユラガ陣営にルゥファナを送り込むつもりだった。

 その理由のひとつは、民衆派の方に大義があるように見えるからだ。

 圧政に苦しむ民衆や、それを支援する地方領主たちに味方したほうが、どう考えても大勢の支持を集めそうじゃないか。英雄の登場にはぴったりの状況だ。


 もうひとつは、代表戦の持つ特性のためだ。


 代表戦で名を上げるための秘訣は、「勝つ方の代表」になるってことだ。

 見極めはそう難しくない。自陣営によほどいい剣士でもいるなら別だが、大抵、有能な『助太刀』は金のある方に集まる。言い直せば、金のある方は、いい剣士を集められる。

 汚いようでも、これが戦争の実相ってやつだ。

 ユラガ陣営は、一見、反王制派の民衆勢力に見えて、金の出所は反国王派の、豊富な資金を持つ地方領主たちという情報を事前に仕入れてたわけさ。


「ねえ、センギィ。あなたの言うことも分かるわ。それが必要だってことも。でもね、自分の目で見たこと、この耳で聞いたこと、そして心で感じたことも重要だと思うの」

「どういうことだ?」おれは訊ねた。

「私の戦う場所は私自身に決めさせて欲しい。生命を賭けて戦う理由、私はそれを自分で見つけなければならない。そうでなければ、自分の剣をふるう理由をいつも他のなにかや、だれかに決めてもらわなければならないわ。そして、もしそうなれば、自分が何のために剣を使うのか見失って、状況に流されるだけになると思うのよ」

 ケラザの指導でルゥファナのしゃべり方もずいぶん変わった。

 しかし、一番変わったのはこれまでにない理屈を言うようになったことだ。

「……おれの言うことが聞けないって言うのか?」

 自分でも分かるくらい顔の筋肉はこわばった。今までの訓練でも反発や反抗はある程度あったにせよ、ここまで意見を異にし、かたくなに固持する彼女は初めてだった。

 おれは怒る、というより心理的に衝撃を受けていた。


「いちど他人の義を自分の義にしてしまうと、剣士としての義は貫けなくなる」

 彼女は申し訳なさそうに、でもはっきりと自分の意見を述べた。

 経験も知識も実績もおれの方がはるかにあったし、だからこそ、今回だって自分の判断はかなり妥当なものだという自負もある。出した結論を裏付ける根拠や情報だって申し分ない。

 しかし、ルゥファナは剣士が剣士として生きる本質と本分に、おれよりも早く気づいたのだった。


 剣士はいかに取り繕っても殺人者だ。

 敵対するだれかをその剣で、その力で圧倒し、排除する。

 それが剣士の本質であり、宿命でもある。


 剣士の祖たる『剣王ドゥール』は、そのことをだれよりもよく分かっていたんだろう。それゆえ、自ら『剣士の十法』を書き遺し、放っておくとどこまで行くか分からない、どこまで大きくなるか分からない暴虐と暴力に『義を行う』という目的を与えた。

 すなわち、剣士は、剣を持たない人々を暴虐や暴力から犠牲を厭わず守る者と定め、この世の秩序をもたらすよう指導したわけだ。

 もっとも、現実にそれを遵守する剣士はどれくらいいるか。

 高邁な理念に従うより、その日暮らしに明け暮れ、手っ取り早く就職できるなら自分の主義を曲げても構わない、そんなやつが多いんじゃないのか?


 そうして、雇われた剣士は雇い主の意向に従う。

 仕事を言いつけられれば雇い主のいうことをためらわずに実行しなければならない。

 その是非すら考えずに。

 剣士が雇われるというのはそういうことなんだ。


「ルゥファナ。それじゃ……だれもきみを雇ってくれなくなるぜ」

「ごめんなさい。でも」

 ルゥファナはうなだれた。そのしょげた様子を見下ろしながら、おれ自身、今後のおれたちの行く末に関する重大な決断を迫られているのだとわかった。

 少し間をとり、静かに、大きく息を吸い込む。

「わかった。……きみの好きにしていい」

 怯えたように、彼女は一瞬ぴくりと身体を震わせた。


 成長した彼女が少々遠くなったようで、おれはなんとなく寂しく感じていた。だからたぶん、おれの声は少し怖くなっちまっていたんだと思う。




       二


 そういうわけで、数日前の、ユラガの最前線を視察しに行く直前のそんなやりとりの結果、おれの留守中、ルゥファナはこの中立区域を歩き回り、自分の目で見て、耳で聞いて、荷担すべき陣営を決めたってことだ。


「なぜ……グラリアなんだい?」

 おれはせめて、彼女のそう決めた理由を知りたかった。

「この国の王さまは民衆派の言うようにひょっとすると悪い王さまなのかも知れない。でも、少なくとも王制派は民衆を戦争に巻き込みたいと思っていないようだわ。ここにグラリアの人々が多いのは、王制派の剣士たちが中心になって戦っているからなのよ」

「そりゃそうだろう。民衆派は圧政に苦しんでいる民衆のための志願兵だから、自分たちの自由を勝ち取ろうって、武器を取って戦ってんだぜ? ……それに」

 ルゥファナは先に声を出した。

「本当にそうなのかしら? 民衆派を助けているという地方領主たちは、自分たちの剣士団はなるべく使わず、民衆自身や傭兵に戦わせているわ。後方で指揮だけとって……本来なら先頭に立つべきではなくて?」

 ユラガの司令部で見た光景を思い出した。彼女の言うことにも一理ある、しかし……

「さっきの子どもたち……グラリアの子よ。両親がいなかったり、おうちがなかったり……でもユラガの民衆派では、あんな小さい子どもにも武器を持たせ、戦うことを教えているらしいの。自分たち民衆の戦いだからおまえたちも武器をとれって……ねえセンギィ、それは果たしていいことなのかしら? それは大義と呼べるのかしら?」


 おれは彼女の問いに答えられなかった。

 それは戦争というものの大いなる矛盾だからだ。

 矛盾に答えはない。

 答えがないから矛盾なんだ。


「グラリアにならまだ、私の剣士としての義を貫ける気がするの」

 ルゥファナは夕陽に照らされ、黄金色に光り輝いていた。その姿は美しく、りりしく、そしてまばゆいばかりに輝き、おれの視界を奪った。



 数日後、代表戦の開催は両陣営からそれぞれ発表され、時間と場所が決まった。

 ときは二週間後、場所はグラリア、ユラガの境界線上。両陣営三十人体制による戦闘だった。

 <民衆派め、よほどうまく交渉したな。……だがこれじゃルゥファナが目立てない>

 おれは、中立地区に立てられた代表戦発布の看板を見ながらそう考えた。

 資金に勝る民衆派は、金にあかして相当強力な剣士を雇うつもりなんだろう。

 不利と伝えられる王制派は、自軍の剣士を温存したいはずなのに、そんな『助太刀』を雇う金もない。三十人の代表ともなれば、王制派は自軍の戦力を投入せざるを得ず、民衆派は相手の戦力を楽に削ぐことができる。民衆派に死傷者は出ても、雇い入れた『助太刀』ばかりだろうし、王制派は自軍の剣士を多く失うことになる。


 この不利な条件でさえ、代表戦を受けざるを得なかったというのは、なんらかの裏取引きがあったのかも知れない。王制派の敗色は相当濃いということなのか。

 おれは、看板の記載事項を目で追うルゥファナを、横目で盗み見た。ケラザから習って間もないので識字に苦労しているようだ。険しい顔をしている。

 彼女は当然ながら、集団戦を経験したことはない。

「見ろよ、あの身体の大きさ……」

「あれだけ大きいから剣士も務まるのかねえ、あたしらと同じ女だってのにさ……」

 彼女の周囲で話す、避難民たちの小声を聞く。

 ルゥファナはこの中立地区ではすでによく知られた剣士となっていた。

 身体の巨大さだけではなく、ケラザ仕立ての宮廷作法を叩きこまれた優雅な物腰に加え、いつも朗らかで笑顔を絶やさない彼女の存在は、女流剣士であるという下世話な物珍しさも手伝い、民衆の間で広く噂されはじめている。

 中立地区での戦闘禁止という前提をいいことに、女とからかう男の剣士や、からんでくるならず者もいたが、彼女はそれをことばや仕草で軽く受け流し、そんな賢く自信のある態度もその評判をうまく押し上げていった。

 日につれ深まる彼女の存在感を不動のものとするため、ほどなく次の手を打つつもりだった。



 中立地区には、仮設小屋の数十軒建ち並ぶ一角がある。

 避難民用の救護所や避難所に加え、食堂、交易所、両替屋、酒場、宿屋まであり、それらの建物は皆、中央の広場を囲み、円を描くようにして建てられている。

 まるでひとつの町のようだ。


「ここなるは鳴切の剣士フォンスーレ。ひとたび剣を抜けば、その威力たるや……」

「みなさまに語り継げますはユラキュスの物語、人呼んで氷刃の剣士」

「トービビ山の岩塊、それはわれらが剣士、タムテェの……」


 代表戦の実施が発表されてから連日、どこからか現れた吟遊詩人たちは広場の周囲に立ち、剣士の紹介歌を、口上入りで歌っていた。

 実のところ、広場で不特定多数の人間相手に歌われるような剣士は大抵二流、三流のやつだ。

 もっとも、歌っている吟遊詩人たちはそれを百も承知で、たとえ顔出し程度だとしても、後日、自分の取り扱う剣士がこの戦場に来ていたという証拠作りのために来ているってわけさ。

 代表戦ともなれば、相応の実力ある剣士を求められるから、剣士を『助太刀』で立身させたいと考える吟遊詩人たちは広場ではなく、出演料はかかっても、じっくり自分の歌を聞いてもらえる酒場や宿で歌う。そうして、めぼしい『助太刀』の剣士を捜しに中立地区を訪れる両陣営の人事担当者を待つんだ。


 おれはいったいどの程度の剣士が現れるのか、偵察も兼ねて酒場に潜り込み、舞台を観察していた。ちょうど二人目の詩人が登壇し、キリューグを弾き語り始めたところだ。


 <水の流れる彼の地より、現れ出でたるかの剣士>

 <優れて強いその腕で、敵の頭をもぎ取らん……>


 こういう時の歌詞ってのは、やはりそれほど文学的でなくてもいい。人事担当者が理解しやすい程度に実用一辺倒なほうが採用率も高くなる。

 見たところ、酒場にはもう両陣営からそれぞれ数人の人事担当者も来ていて、その歌を熱心に聞いていた。何人かはうつむいて手元の革紙に歌詞を書き込んでいる。歌が終わると、両陣営の人事担当者はひとりづつ、そいつのところに行って話をしていた。

 やつはもったいぶって歌の主人公たる剣士を連れてきていない様子だった。たぶん明日にでもそれぞれの陣営を訪ね、再度売り込みをかけるんだろう。

 予想通り、話はすぐに終わったようだった。日程だけ打ち合わせたのか、人事担当者たちは席に戻る。おれはそれからもう数組の舞台を見ると酒場を出て、夜闇の中、仮設の町並みを逗留先の安宿まで歩いた。

 <いよいよ明日……明日の晩か>

 おれはあいつらのような売り込みはしない。

 というより、ルゥファナの決定でそうしなくて済んだ。いまではそれもいいと思いはじめている。なぜなら彼女はすでに伝説の世界に入り込んでいるんじゃないかという、予感めいた確信もあったからだ。



「これからみなさまにお知らせするのは世にも数奇な運命、そしてその運命の中に置かれたひとつの宝石。それは、この国の行く末を導くひとりの剣士の物語……」

 キリューグをつま弾きながら、おれは大仰に語り出した。

 他の吟遊詩人の奏でる剣士売り込みの陳腐な曲や歌詞と違い、この歌は、名にしおう宮廷歌人ケラザの手になるものだ。客席の聴衆はいつもと違う聞き慣れない独創的な曲調に話を止め、こちらに注目する。

 おれは語り始めた。


 <風にしかわからない、風にしか伝わらない、風を知るものもいない>

 <朝は昼に、昼は夜に、そしてまた夜は朝に風を語りつぐ>

 <人は子に、子は人に、そしてまた人は子にその息吹を示す>

 <知るものはない、ことばもない、その音も聞かれない>

 <ただ、いにしえの碑だけが、そのゆくえを示しつづける……>


 吟遊詩人は暗喩を使う。

 火や水、土、風、雷など主に自然から取り、地方領主や剣士団の人事担当者らに自分の取り扱う剣士の性格や特徴の概要を知らすための符号としている。

 例えば『炎』と歌えば、その剣士は気性の激しい、時として怒りに我を忘れるような人間であり、『水』なら、おとなしく控えめで主体性のない、雇い主に従順な剣士、と考えて差し支えないという具合だ。


 おれとケラザは、ルゥファナの暗喩を『風』と決めていた。

 一般的な意味合いは「自由奔放、自分勝手、気まぐれ」で、就職用には不向きかも知れない。

 だがケラザの作った歌詞や曲は、剣士の売り込みのみを目的とした『宣伝歌』ではなく、むしろその剣士は自分の宿命をどのように考え、苦しみ、悩んできたかという、ルゥファナの剣士としての生き方、考え方、感情など、個人の内面に迫る、『楽曲』だった。

 剣士の情報を革紙に書き留める人事担当者たちの手もいつしか止まり、純粋に歌詞と曲とに耳を傾けはじめたように見える。

 会場は静かになり、おれの歌い上げる、その剣士の歩みに共感、共鳴していった。


 きょうの昼間、ルゥファナは中立地区内にあるグラリア側の陣地を訪ね、代表戦に助太刀したい旨を伝えた。助太刀を志望する剣士が吟遊詩人を通さず直接売り込みに来るのは珍しい。

 ある意味、義勇の心を持つ剣士だということで、彼女は中に通されたものの、そこで剣士長代理から女であることを理由に参戦を断られた。だが、ルゥファナは粘り、とうとう一度だけグラリアの剣士と試合うことを許可されたのだ。


 試合は『助太刀』への礼儀として、剣士長代理自ら相手を務めることになった。

 相手を女と見てその顔に浮かんだ冷笑が引きつるさまは見物だった。彼女は相手の木剣を一度も身体に触れさせず、その剣をはじき飛ばして相手を降参させてしまった。

 彼女はその場ですぐグラリア代表のひとりとして登録された。


 おれの演奏は終わった。

 だれともなく拍手がわき、それはすぐ全聴衆に伝播した。

 立ち上がって彼らに辞儀をしながらおれは、剣士ルゥファナの伝説は、この歌によってしっかり彼らの心に根を下ろしたという手応えを得ていた。


 <代表戦はもうすぐだ>


 自分が出場するわけでもないのに、心はワクワクするような期待感にあふれかえっている。

 ひとつ残念なのは、ルゥファナはおれに通り名をつけさせてくれなかったことだ。

 あのユルノスでさえ、通り名を持つというのに。

 ――いや、それには触れない方が無難か。

 とにかく、通り名として考えていた『嵐の女丈夫』や『烈風山河の女』は、なぜか彼女の不興を買い、結局使えなかったんだ。



       三


 のろしは二本、空に立ちのぼる。両軍の陣地からひとつずつ。

 とうとう代表戦の開始だ。

 こちらの剣士は三十人、実は二十八人。最後まで募集をつづけ、助太刀の剣士も、傭兵も、自軍から起ち上がる剣士すら見つからなかったという。

 私はいま、グラリアを助勢する『助太刀』と言う名の義勇剣士として戦場にいる。


 グラリアは予想以上に疲弊していた。

 中に入ってそれがよく分かった。

 長くつづく戦乱と混乱。毎日の激戦。前線の剣士たちは本当に疲れ切っている。

 自らの剣をふるうことにではなく、剣をふるう相手が、きのうまで守るべきと考えていた民衆だからだ。

 剣士の守護すべき、剣を持たざる者が、きょうは武器を手に襲いかかってくる。

 自分を、同僚を、そして家を、地域を、町を、村を攻め、自分の家族や親戚や、愛する者たちを滅ぼしてしまうかも知れない。


 そう思いながら戦うことがつらいのだ。

 そう思わなければ戦えないことがつらいのだ。


 彼らの戦いの意味はもう、国王への忠誠でもなければ、剣士としての本分を尽くすためでもない。ただ、その日その日を生き延びるため。

 生き延びて、なんとか自分の暮らす場所へ戻っていくため。

 センギィ。

 私にはわかっている。

 あなたもユルノスも、私が剣士としての宿命を受け入れられるか心配していることを。

 私が人を殺めてもなお、剣士の道に留まっていられるかどうか知りたがっていることを。


 でも、大丈夫。私はもう決めたから。

 私の義は自分自身で決めたから。



 私を含めたグラリア代表剣士たちは事前に決めたとおり、二十八人の剣士を五つに組み分けし、それぞれ広い戦場に散開した。

 代表戦は殲滅戦。相手を全滅させることが目的だ。

 守るべき王も、守るべき民衆も、本陣もこの戦場にはいない。

 気楽といえば気楽だけど、これだけ広い戦場では相手に巡り会うまでにすごく時間もかかりそう。

 あそこに見える、戦場の境界線として立てられた柵の向こうにはセンギィもいるのかしら? 

 彼に私の姿は見えているのかな? 


 私と私の組んだ四人は、横一列になって周囲を見回しながら、先へ先へと進む。起伏の多い、でこぼこした盆地だから、戦闘になったとき足を取られないように気をつける必要もあるし、なるべく戦いやすい場所を憶えておかなければならない。

 きのう聞いた話では、相手方はとびきり腕の立つ剣士を何人も雇ったらしい。ちょっと名前を聞いただけでも、かなり剣名の通った人たちだ。

 炎鳴の剣士スコルーヴォ、氷壁の剣士ギャキャン、烈火の剣士セノワ、ほかに……

 私はいつも思う。なぜ剣士にはみんな『通り名』という大げさな売り文句が付いているのだろう。炎鳴って炎が鳴くのかしら。どんな声なの? 

 ……もっとも私だって、もうすこしで妙な売り文句をつけられるところだったけれど。


「来たわ」

 背の高い私は他の人より遠くを見通せる。前方の人影を見つけ、小さく鋭く横の四人に声をかけた。

「行くぞ!」ラシ・クルスムも短く声を発した。

 ちょうどユルノスくらいの小柄な体格をした、黒々として精悍な顔をした若者だ。

 南方の国々のどこかの出身で、王制派に雇われた剣士の中では一番年若い。

 村を出たころの私くらいにも見える。

 ちがうのはのびのびとまっすぐな性格だというところかな。

 剣士修行のため諸国を巡っていて、腕も立つとのことだった。


 前方の黒影は速度を上げて、どんどんこちらに近づいてきた。私たちの足も自然に速まる。

 走りながら身体の脇につった大剣をさやから抜き、両手で握った。何回も何回も手入れをし、確認したのに、剣が柄からはずれないかとか、柄に巻いた布は滑らないかとか、そんなことばかりを考えてしまう。

 相手との距離はどんどん縮まり、いまはもう、敵の剣士の顔がはっきり分かった。

 向こうは三人。

 私はすれちがいざま、互いに放つ斬撃に耐えられるよう、身体のあちこちに気を配る。

 もうすぐそばだ。走る足と剣を握る手に力をこめ、そのまま敵にぶつかった。

「いいいいいっやああああ!」

「あああああああああああ!」

 だれが発したか分からない気合いの声があたりに飛び交う。

 <がっ> <かしぃいん> <ざりっ> <ごっ> 

 剣同士の激しくぶつかり合う音に混じり、肉や骨の断ち割られる音も響く。どさ、と音を立て、右方でだれかが斃れた。

 私とぶつかり合った剣士はそれほどの相手ではなかった。すれちがいざまに強烈なひじ打ちを脇腹に当てたので、こちらに向き直りながら、少しよろめいている。迷わず前へ出て、相手の放つ斬撃を下から大剣ではねとばした。返す勢いを少し曲げ、刃を立てず寝かせた剣で側頭部を打つ。

 鈍い音と共に、相手は十ファーブほど宙を飛び、大地に突っ伏すとそのまま昏倒した。ぴくりとも動かない。死んだかも知れない。

 でも、いまはこれで良しとすべきだ。


 他の相手を見つけるため右横を見ると、味方はふたり斃されていた。いずれも雇われたこちら側の剣士だった。敵の大きな剣士は、もうひとりの味方をいま打ち倒したところ。とどめを刺そうとしている。ラシは別な相手とその向こうで戦っていた。

 その大きな剣士のもとに走り寄ると敵はその気配を感じ取ったのか、とどめを刺すのをやめてこちらを向き、構える。私を見て、大声を出した。

「貴様か! 女の剣士というのは! 女の分際で男の戦場を汚す不届き者め。おれが戦場の神ファレスに代わり、天罰を下してくれる!」

 生命のやりとりに男も女もない。そして戦場には神さまなんていない。

 こういう思いこみの強い、激情型の男は一番苦手で、きらいだ。

「んけぇええええええ!」

 気持ち悪くなるほど甲高い声の気合いと共に、打ちかかってきた。

 彼の使う得物も両手剣だわ。

 まともには受けず、剣をわずかに寝かせ受け流した。けれど敵はそこからつづけて、二撃、三撃と連続技を仕掛けてくる。その攻撃を剣と身体の動きでかわし、横凪ぎの一撃を仕掛けた。

 <がっつん> 相手はそれを剣の根本で受け、火花が散った。

 ――いいわ、この剣士はかなりの腕だわ

 私の中の『剣士』は、私を喜ばせようと、そう語りかけてくる。

 今度は自分から積極的に仕掛けた。なじみ深いウーケの初歩連撃。相手は即座に私の攻撃をそれと見抜き、予想通り基本に忠実に、連撃の返し技で受けてくれた。


 ユルノスは、この『ウーケの初歩連撃に似た技』を伝授してくれるとき、私に言った。

「この初歩連撃ってのは、出来るやつならみんな知ってて、返し技でみんな受けられちまう。なんてったって初歩だからな。実戦じゃ使えねえ技だ。けどな、使えねえって言われると使いたくなるじゃねえか。いいか、よく見てろ」

 感謝してるわ、ユルノス。

 だけど、本当にあんたって、ひねくれてて、人のいやがることを発見する天才だわ。


 三、四、五撃と私は連撃をつづけた。この技は七回目の斬撃前に隙が出来る。

 大剣を連続で振りつづけるから、その重さに手や身体が引きずられるし、剣を振った疲労で膂力も弱まり、だれでも一瞬、剣の返しに手間取るのだ。

 私はかまわず六撃目を放つ。

 たぶん相手は勝利を手にしたと思ったことだろう。

 敵はそれを受けた後、私の上体にできる隙を予測し、胸のあたりに強烈な突きを放ってきた。

 私は剣を返さなかった。

『肉体の声』の勧めに従い上体を反らし、前に進みながら剣と共に身体を一回転させ、その突きを逸らした。敵は身を引こうと後ろに下がる。

 浅く踏み込み、大剣を打ちおろす。

 剣先は音を立てて相手の引き際の小手にめりこんでいった。

「が、っがああ!」

 敵はたまらず剣を取り落とす。

 小手の丈夫さのおかげか、両腕はまだ彼の肉体を離れていない。

 私も多少の手加減はしたつもり。けれども、少なくともこの戦いにおいて、彼は二度と剣を持てないだろう。さっきのは、小手ごと骨の砕けた音だし。


「すげえな、姐さん。そいつはセノワだよ! ……とどめは?」

 背後からラシの声がする。彼も勝利したようだ。

「行きましょう、まだ終わってないわ」

 私は地面に横たわる味方の剣士を抱き起こした。細い息。彼を肩に抱え、別な敵を探しに行くため歩き出す。ラシはなにかを言いかけ、黙ったまま私に続いた。

 背後から、砕けた両腕の痛みに絶叫しつづける、あのセノワという剣士の声が、私たちを追いかけてくるようにいつまでも聞こえていた。




 一時休戦の黄色いのろし。正午になったということ。


 初戦のあと戦場をあちこち歩き回って、新たな敵を探しつづけた。

 結局見つけたのはいくつかの戦闘跡と、転がる双方の無惨な死体たちだけ。

 のろしを見てラシはその方向へと私をいざなう。かついでいる剣士に、もう息はなかった。

 自陣営に戻ると、すでに何人かの仲間は戻っていて、手当を受けている者もいる。


 肩から死骸を降ろし、駆け寄ってくる救護の係に適切な対応を依頼すると、ラシの横に腰かけ、残る剣士の生還を待った。

「まずいねえ、状況。あいつらに聞いてきたけど、かなりやられちまってら」

 ラシは少し離れたところに座っている剣士たちから、ある程度午前中の戦況を聞いてきたようだ。彼らはみな一様に疲れ果てた様子で、無気力な目をしている。

「予想通り、ユラガの雇った『助太刀』どもは相当の凄腕で、こっちにはすでに全滅した組もあるらしいよ」

「なぜ分かるの? 全滅なのに報告が出来るなんて」

「それが……仲間がやられてるのを隠れて見てたやつがいるって」

 戦況を憂いてか、グラリア剣士たちの程度を知ってか、ラシは嘆息した。

「でもしかたねえよな。相手はどうもスコルーヴォらしい。あっという間に四人やられて……やつはひとりで動き回っているんだって、自信満々にさ」


 残りの剣士は、それから数人ずつバラバラに帰還し、私たちの総数はしめて十二人になった。

 ようするに午前中だけでグラリアは十六人の剣士を失ったことになる。

 今回の代表戦で隊長を務めるグラリアの剣士長は、それぞれの組から聞いた敵の殺傷数を発表した。驚いたことに八人しか斃せていない。こちらの損害の半分だ。つまり向こうにはまだ二十人以上もの剣士がいるということになる。

 居合わせた剣士たちは一様に沈黙し、場は陰鬱な空気に覆われてしまう。

「……ケガのない、まともな剣士は九人。組分けを変え、午後は二組に編成しなおさねばならん」

 剣士長は宣言した。

「その人数なら……組分けは意味をなくします」思わず声を出していた。

「な、な、なに?」

 剣士長は目を剥き、場にいる者の視線は一斉に私へ注がれた。怖じずに話しつづける。

「事前の打ち合わせでは、敵が一挙に攻めてきたとき、総合力に劣る私たちがそれを受けきる自信がないので、組分けするということでしたね?」

「そうだ」

「組分けして、敵の目標を分散させれば、自然、敵も分かれて少人数同士の戦いに持ち込めると、そうおっしゃいましたね?」

「ああ、そうだ! いったいおま……なにを」

「しかし敵は最初から組分けして、私たちに当たってきました。つまり向こうも私たちと同じことを考えていたのでしょう。いいえ、そればかりか、むこうは組さえ作らず、雇い入れた強力な剣士ひとりでこちらを相手にしているとも聞きます」

 剣士長は口を真一文字に閉じた。

「彼らはこちらの兵力が激減したことと、その実力が恐れるほどのものではないとすでに知っています。午後は私たちをひとりも逃がさないように、散開した包囲網を敷いてくるかもしれません。こちらの戦力を分散させるのは得策ではないように思います」

「……だが、向こうが散開するとなぜ分かる? これ幸いと総力戦であたってくるかもしれん」

 彼は私のことばに懸念を表した。

「敵が全員一度に来たならば、組分けしていては、ますます不利になります。ここは逆に戦力を集中させ、敵の組に一丸となって当たることをご検討ください」

 首を回し、剣士長は他の意見が出るかどうか確認した。

 ことばを発する者はひとりもおらず、彼は私を見下したように言った。

「助太刀『殿』から、なんとも貴重なご意見を頂いた。……が、戦場は女流剣士風情に分かるほど簡単なものではなくてね、残念ながら、貴『殿』の意見は」

「おい剣士長! そんなにメンツが大事か? 『女流』に意見されて悔しいのか? おれたちは命がけなんだぞ!」

 ラシは立ち上がり剣士長を遮った。場の剣士たちを睨み回し、言う。

「それにな、この姐さんはセノワをやっつけてんだ、まじめに検討ぐらいしろよ!」

「な、なに!」

 たちまち場はどよめいた。

「烈火の剣士……セノワを、だと?」

 剣士長は驚いたような声を出した。

 確かに強い剣士だったけれど、そんなに驚かれるほどのことじゃないとも思う。私でも十分通用する程度だもの。でも、ラシがそういってくれたおかげで、剣士長も多少私を見直したようだ。そして、そこからなぜか場の空気は私に好意的なものへ変わっていった。


 男は『強さ』には畏敬や尊敬を払うものだと、とりわけ剣士にはその傾向が強いということを初めて体感した。とても単純で笑える原理だわ。



       四


 軍議を兼ねた食事を終え、わたしを含めた剣士たちが天幕から出ると、グラリア代表不利の戦況でも漏れたのか、中立地区のグラリア難民たちが柵の向こうに続々と集まってきているのが見えた。

 代表戦の戦場区域と非戦闘区域を分けるためにこしらえられた急作りの柵を隔て、彼らはこちらを心配そうに見ている。

 私に気づいた人々は口々に叫んだ。

「剣士ルゥファナ!」

「ルゥファナ! ルゥファナ!」

 名を呼ばれただけで、とても勇気づけられる。

 たぶんセンギィもあの中にいるのね。

「貴殿……貴女は、中立地区の難民に人気があるんだな」

 剣士長は皮肉めいた口調に柵の向こうを一瞥した。

 ふと思いつき、彼に言う。

「ねえ、剣士長。さっきはメンツをつぶしたような結果になってごめんなさい。それでね、ごめんなさいついでに、もうひとつ頼みがあるの」

「な、なにかね? まだなにか?」

 剣士長は警戒するような口ぶりだ。軍議では彼の戦略ではなく、私の立案したものがみなに採択されたので、内心穏やかではないはずだろう。

「グラリアには郷土歌……ふるさとの歌のようなものってないのかしら?」

「ん、ま、まあ一応あるにはあるが、それはどういう……」

「歌って。ここで」

「そ、それがしがか?」

「お願い!」私は語気を強めて迫り、剣士長は怯えたように、その歌を口走った。

「もっと大きく!」

 言われるまま、彼は声を張り上げた。私は代表戦に出ている他のグラリア剣士にも促し、その歌を斉唱してもらう。つづけて柵に駆け寄ると、向こうへ群がる人々へ声をかけた。

「みなさん。故郷を愛する気持ちはグラリアの剣士も同じ。さあ、そんな顔をしないで、彼らを歌で勇気づけて!」

 ひとり、ふたりと歌い出し、そのうち、場の民衆はみな、グラリアの郷土歌を歌い出した。戦場である盆地の一角はしばらくの間、歌声で満たされた。

 振り返ってみると、心なしか、味方の剣士たちの目にかすかな光も戻ってきたように感じられた。

「ルゥファナ、ルゥファナ」

 柵の向こうから、いつも遊んであげていた、あの小さな女の子が手を出している。

「お花、あげる」

 彼女は摘んできた花を私に渡そうと精一杯手を伸ばす。

 かがんでそれを受け取ると、軽装の鎧に付いている留め金につけ、約束した。

「必ず、勝つわ。必ずね」




 赤いのろしだ。

 午後の戦闘を開始するという合図。

 ケガをしている三名を自陣の天幕内に置き、私たちは残る九人で一隊となり敵の組を個別に撃破することにした。敵を探したりおびき寄せたりする役目は、ラシともうひとりのグラリア剣士が買って出てくれた。

 いま、私たちは遠くの敵から目立たないように息を潜め地面にへばりついている。

「……やっぱりこんなのは剣士らしくない。待ち伏せはいいとしても、相手より大勢で攻めるのは剣士としていかがなものか」

 剣士長は私の後ろでしきりにぼやく。本当は私ほども戦場経験のないひとじゃないだろうか。

 指揮官には珍しく、まったく状況が見えないらしい。

 総数は相手の方が多いのよ。


「剣士ルゥファナ、来ました」

 グラリアの若い剣士は私に報告してくれた。

 彼の指す方向を見ると盆地を悠然と歩く五つの人影を発見する。どうやら私の予想は当たったようだ。敵はやり方を変えることなく、また数組に分かれて私たちをいぶり出すつもりなのだ。実力派の『助太刀』をそろえたため、こちらが総員体制でも問題ないと、たかをくくっているのかもしれない。

 ラシたちはまだ戻らない。

 七人対五人、こちらの人数は多い。でも、このひとたちで勝てるのか……私はつかのま逡巡し、即答した。

「わかったわ。みんな敵を囲むように広がって!」

 小声で、しかしはっきりと指示を出し、敵がちょうど良い距離に来るまでじっと地面の上で待っていた。いつのまにか指揮権は私に移ってしまったかのようだった。


 宮廷歌人ケラザは私に人を扱う術をいくつか教えてくれた。

 彼のいる宮廷は権謀術策の渦巻く魔窟で、そうしたことを知らなければ、あっという間に地の底まで追い落とされるのだそうだ。

 そのひとつによれば、人を動かす秘訣は自信のある態度と素早い決断にあって、特に職業剣士たちは命令を受けるのに慣れているから、考えさせずに動かすのが良いらしい。

 これまでそんな情報は剣士修行に関係ないし、興味ない分野と思ったのに、それがこんなに役立つなんて。


 ユラガの剣士たちはもう目前に来ている。

「いまよ!」

 短く鋭く強く叫んだ。みんなすでに剣を抜いている。

 ときの声もあげず、私たちは決死の心持ちで立ち上がり、目の前の五人に殺到していった。

 突然の出来事に凍りついたユラガの剣士たちはまだ剣を抜こうとしている最中だ。

「てあっ!」

 それでも最前の剣士はいち早く剣を抜き、斬りかかってくる。

 私は大剣の鍔元でそれを受け流し、空いた隙間から、顔面に向かって下からヒジ打ちした。

 走る勢いも加わり、ユラガの剣士はそのまま後方に大きく吹き飛ぶ。


 まわりでは小競り合いも始まり、がしゃがしゃと軽装鎧のぶつかる音や、剣同士の絡み合う金属音に混じり、剣士同士の荒々しい呼吸も聞こえてきた。

「剣を引け、ユラガの剣士たち! おまえたちの負けだ!」

 私の出した大声に、双方の剣士の動きは止まった。

「すでに四対七だ。勝ち目があると思うな! 私はさきほどおまえたちの頼りにしていたセノワに勝っている! だが剣を捨てれば命までは取らない!」

 セノワの名前を聞き、ひとりのユラガ剣士は剣を捨てた。すぐに残りもそれに追従した。

 その剣名の影響力に多少嫉妬してしまう。

 それにしても、いくら命が惜しいにせよ、このひとたちはもう少し代表剣士としての矜持を持っていてよさそうなものじゃないかしら。


 手分けして五人の剣士を縛り上げ、目につかないくぼみへ彼らを隠すと、ラシたちを待った。

 剣士長は私が五人を殺さないことに不満たらたらだった。

「殲滅戦というのに! 殲滅戦の意味はおわかりか? 剣士ルゥファナ!」

 彼の愚痴を適当に受け流しつつ、結局私は、彼らを探しに行くことにした。

「いま動くのはまずいと思うが」

 剣士長は案の定、反対する。

「そうね。だから動いているのが分からないように、動きましょう」

 とはいえ、大柄な私は目立つので実際は遠目にもはっきり見えると思う。

 それは分かっていても、何となくいやな予感がして、いてもたってもいられなかったのだ。



 予感は当たった。

 斥候を志願したあの若い剣士は、瀕死に大地へ横たわっていた。

 私は彼を抱き起こす。

「どうしたの! なにがあったの?」

 彼は苦しい息の下から、少し離れた場所を指さした。ユラガの剣士がふたり斃されて、草むらに転がっていた。

「ラシさん……ふたりだからやってしまおうって……そしたら、あ、あいつ」

 よく分からないけれど、ふたりを斃したところに新手の剣士でも来たのか。

「おれ、手伝おうと……」

 最後まで語れず、グラリアの若者は腕の中で息を引き取る。そっと地面に寝かせると、私の手は血でべっとりと濡れていた。

 あらためてその亡骸を見ると、彼についた剣傷は残忍なほど見事な切り口をしていた。

「あ、あれあれ!」

 仲間の大声でふり返り、声の方に向かうと、そこは急な坂を持つ窪地になっていて、その最下部でふたりの剣士が戦っていた。

 ひとりはラシ、もうひとりは……

「あ、あいつです剣士ルゥファナ! あいつがスコルーヴォです!」



 窪地の縁に見張り役の剣士ふたりを置き、残りの剣士たちとともに下まで駆け下りた。

 ラシのもとへ向かう。

 スコルーヴォは私より大柄の、本格的な巨漢だった。全身を頑丈そうな鎧でかため、兜はかぶっていなかった。トーロヴでは珍しくもない金髪を、短く刈り揃えている。

 ラシはスコルーヴォに果敢に攻撃を仕掛けていた。

 手数の多さからか、一見ラシが優勢に見え、味方の剣士たちは大喜びをしている。

 でも、私にはそう見えなかった。

 スコルーヴォは当然、新たな敵の到着に気づいているはずだ。なのに、あわてたそぶりも見せず、余裕でラシの猛攻をあしらっている。

 ――よほど自信があるのか……しかし

「みんな、ラシを助けるぞ、スコルーヴォを囲んで一気に殲滅だ」

 剣士長は、また余計なことを言う。

「待って!」

「なんだ、この期に及んで正々堂々と勝負させてやれと?」

 まったくこのひとは使えない。なぜ代表戦に選ばれたのかな。

「来るな!」突然ラシは叫んだ。

 彼は身を転がしてスコルーヴォとの距離を大きく取り、そこでがっくりと膝を折った。滝のような汗を流し、呼吸も浅く、速い。幸いケガはないようだ。

「ラシ!」

「こいつは……姐さん、とんでもないぜ……まったく勝てる気がしねえや」

 スコルーヴォは手に持っている大剣の切っ先を下げ、私を見た。細い眼をさらに細めたので、彼の目は黒い糸のように見えた。

「セノワを倒した女流剣士か? ……話より大きく見えるな」

 私は黙ってうなずく。スコルーヴォの身体から発せられている、何か得体の知れない雰囲気のせいか、知らぬうちに無口になっていた。

「姐さん、いけねえ。……こいつはおれたちを集め、一度にやる気なんだ」

「ちまちま組ごとに戦うのはおれの流儀にあわない」

 スコルーヴォは窪地にいる全員へ向かって言い放つ。

「おまえたちを一度に片づけられる機会を待っていた。三十人体制による代表戦か……くだらん。おまえたち程度ならおれひとりで充分だったものを」

 この男の傲岸不遜な態度も、あながち虚勢とは言えない。

 事実、スコルーヴォはラシの猛攻を受けていてさえ、息を乱すこともなく、そして、驚いたことにその立つ位置もほとんど変わっていなかった。その尋常ならざるたたずまいに、いまや味方の剣士たちも完全に剣気を呑まれてしまっている。

「さて、それでは始めようか。だれからでもいいし、全員で、というのもおれには手間と時間の節約になっていいがね」

 みなその場に立ちつくしていた。強大な威圧感にだれも身動きできなかったのだ。

 スコルーヴォは降ろしていた大剣を上げ、剣先を私にぴたりと向けた。

「……それじゃ女流剣士。まずは一手、所望いたす」

 私は立ち上がり、自分の大剣をさやから抜いた。ある意味、これほどの剣士から挑戦を受けるのは光栄でもあったし、威圧感以外に私の感じる何か得体の知れない感覚はいったいなんなのか、彼と対戦しなければ分からない気もした。

「ひ、ひとりでやるつもりか!」

 剣士長は甲高い声を出した。

「……ラシを連れてここから離れて。ここはなんとかするから!」

 私のその指示にスコルーヴォは鼻を鳴らした。

「おっと、それはいかん。……そうはいかん。ひとりも逃がさんぞ」

 そう言うや、彼はその巨体には似合わない素早さで、一番近場にいたグラリアの剣士に走りより、頭上から大剣を振り下ろした。あわてて剣を構え防御したにも関わらず、たちまちグラリアの剣士は斜めに斬りおろされ、まっぷたつになってしまった。その肉体から出た大量の血しぶきは周囲の剣士に降り注いだ。

「わ、うわうぇああ」

 同輩の血を浴びたグラリアの剣士たちは恐慌をきたし、われ先に窪地の外に逃げ出そうと、急な坂をはいずり登る。

 ――ちぃいっ!

 私は両手で大剣を脇に構え、逃げる剣士を追うスコルーヴォの背後に突進した。

 <がっ!>

 後方から近づく私に向かい、スコルーヴォは突如振り向きざまに一刀を打ちおろしてきた。

 肉体の声に従い、なんとかそれを受けきる。そのとたん、自分を襲う得体の知れない感覚の正体に気づいた。


 この男に恐怖を感じているのだった。


「姐さん!」

 ラシの声だ。

「ほぅ?」

 スコルーヴォは意外そうな顔をした。

「セノワを倒したというのも、まんざらウソではなさそうだ、女にやられたと聞いたときは、たちの悪い冗談かとも考えていたが……」

 私は一度引き、体勢を立て直した。たった一撃受けただけで、その衝撃に手はしびれた。

 どっと流れ出た冷たい汗が額を伝い、鼻筋や頬に落ちる。

「女流! 本気になってかかってこい。……楽しめそうだ」

 スコルーヴォは私との間合いをじり、じりと詰めてきた。その圧力に屈し、思わず退きそうになる。気力で一歩踏みだしなんとかそれを押さえたものの、全身の毛は逆立ち、この男は生涯最強の相手であると、私の肉体の声も告げている。

 セノワなんて比較にもならないし、手加減など出来る相手ではない。

「りゃっ!」「はっ!」

 私たちは同時に大剣を振り、剣同士の衝突で空中に大きな火花を散らす。二合、三合、四合、五合……お互いの斬撃はそれぞれ必殺の威力を秘め、私とスコルーヴォは相手の隙を狙って打ち、払い、薙ぎ、突いた。



 どれほどのあいだ打ち合っているのか、もう時間の感覚もなかった。修練で身につけた技を自分の心で感じるまま、感性の命じるまま、肉体の声に従い、組み合わせを変え、軌道を変え、速さを変え、ただひたすら繰り返すだけだ。

 腕の感覚がなくなってきた。振りつづける剣の重さに屈し、私の斬撃はスコルーヴォのそれに打ち負けつつある。体格が同等なら膂力や体力は男に分があることを痛感した。

 忍び寄る死の予感は心を捕らえ、私はこれまで感じたこともない緊張と恐怖とで、いまにも悲鳴を上げそうになる。


 助けて、だれか、センギィ!


「だあっ!」

 スコルーヴォは渾身の一撃なのか、大きな気合いを発し、私の頭めがけ大剣を振り下ろしてきた。

 その刹那、私の脳裏にセンギュストのことばがよみがえる。

 <剣術や武術は「化かし合い」だ>

 化かし合い……ユルノスの声がそのことばにかぶる。

 <どの武器も技も、自分が有利に立つために相手の盲点を突くためのもんだ>

 振り下ろされる大剣をなんとか受けとめ、数歩後ろに身を引くと、自分の剣を腰のさやに収めた。

「な! どういうつもりだ!」

 スコルーヴォは私が逃げるとでも思ったのか、驚いたように声を出す。

 私は腰から抜いたさやを横抱きにしたまま、相手に身体ごとつっこんでいった。

「ばかめ!」

 真っ向から私を両断しようと、スコルーヴォはふたたび両腕を大きく振り上げる。

 胸元から革紐を引きちぎり、私は走りながら村で使っていた『ドゥーリガン』の折れた柄を、その顔めがけ投げつけた。

 <ばしっ!>

 さすがスコルーヴォは大剣をいち早く振り下ろし、それをはじき飛ばす。

 けれども、下がった両腕の上方の隙の、彼の額めがけ、横抱きにしていたさやを思い切り前へ突きだした。

 さやから勢いよく飛び出した私の大剣は、大きく重い柄頭で彼の間合いの外から、その前額を直撃する。スコルーヴォは頭を大きく後ろにのけぞらせた。

「……が、ふ?」吐気が漏れた。


 スコルーヴォは大剣を持ったまま、少しばかり立っていた。

 やがて、その身体はふらふら揺れだしたかと思うと、いきなり膝を折り、そのまま、どう、と地面に倒れ伏した。

 グラリアの剣士たちはみな無言のまま、昏倒しているスコルーヴォの姿を眺めていた。


 真っ先に声を上げたのは、あの剣士長だった。

「う、おぉーっ!」

 その雄叫びに触発され、場に生きて立っている者はそれぞれ勝手に大声で叫びはじめた。

 それはちょっと早めの勝ちどきにも聞こえた。

 私は疲労で、もう立っていられなかったし、まだユラガの剣士は大勢残っているのに、なぜか私たちはこの戦いの勝利を確信していた。


 少し休み、自分の大剣を杖がわりに立ち上がると、いまだ興奮冷めやらない剣士たちに言った。

「さあ、あと少しよ。まだ終わってないわ!」

 剣士たちは頭上に自分の剣を高く掲げ、今度こそ本当にときの声を上げた。

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