第94話 星のゆくえ

 周翼が李炎の部屋へ行くと、そこには玄武が待っていた。李炎は戦で負った傷が元で、寝所に伏せっていた。杜狩の話では、具合は大分悪いという話だった。特使と共に都へ向かっても、果たして都に着くまでもつかどうかという程に悪いという。


「……星抜きの傷は、普通の治療では癒やせないからな。それに、ここまで弱ってしまっていては、お前の力でも、もう……」

 眠っている李炎の顔を見ながら、玄武がそう言った。

「そうか……」

 周翼は寝所の傍らに跪くと、李炎の手を取った。その気配を感じたのか、李炎が僅かに目を開けた。

「……ああ、やっと戻ってきたか」

 消え入る様な声で李炎が呟く。

「李炎様……」

「先刻、ここに、義姉上がいらしていた……」

 吐息を吐きだしながら、李炎が言った。

「……まさか、華梨がここに?」

 周翼は思わず身を乗り出す。


 周翼が中天界から戻って、あの小屋に行った時には、華梨の姿はすでに消えていた。占術盤を用いても、その星の所在は、分らなかった。何か見えない力がその存在を覆い隠してしまった様な、そんな感じを受けた。 だが、それが何なのか、周翼には分らなかった。


「別れを……言いに来てくれたのだ……私がもう……長くはないと知って……」

「何を言われるのです、李炎様、お気を確かに」

「……最初で最後だと……そう言っていたからな……あの星王は」

 李炎が自嘲気味に呟き、弱々しく笑う。

 紫星王はそんな事を言っていたのか、と今更ながらに思う。


……紫星王は、冥王の動きを、漠然と感じていたのか……


「……私は、お前が望む様には、上手く出来なかったのだろう。大きな力を手にしながら、それを上手く使う事が出来なかった……ただそれが申し訳なくて……私は……本当に不甲斐無い主で……だから、最後に……お前に詫びを言って行かなければと……そう思って……お前の帰りを待っていたんだ……」

「何を言われるのです李炎様。私こそ力及ばず……」

 李炎が遠くを見るような眼をした。李炎はもう、周翼の言葉を聞いてはいなかった。

「……済まなかったな……周翼……お前が傍にいてくれて……私は本当に……嬉しかっ……た……」

 そこで、李炎は息絶えた。李炎は、口元に穏やかな笑みを浮かべたまま、静かに逝った。

「李炎様っ」

 涙を堪える為に、思わず握り締めたその手は、急速にその温かさを失って行く。李炎は、自分が殺したようなものだ。そんな思いが周翼の胸に押し寄せる。


……こんな事を……いつまで続ければいい……


 遣り切れない思いに、周翼は声も立てずに、ただ肩を震わせて泣いた。その肩に、玄武がそっと手を置いた。

「しっかりしろ、俺達の力で終わらせるんだろうが」

「……ああ…………取り乱して済まない」

「星王がまた、この地上に戻った様だ」

 玄武が淡々とした口調で告げた。

「で、まあ、それぞれに、また新たな盟約を結んだ様だな。それを野放しにする訳にもいかないから、俺は、とりあえず南へ行く。そっちへ流れた星があるみたいなんでな」

「南……湖水に星王が?」

「ああそうだ」

「でも、赤星王は……」

「ああ、それならもう手は打ってある。すでに白虎が張り付いている」

「白虎って、まさか、他の四方将軍もすでに地上に降りているのか?」

 周翼が問うと、玄武が肯定の意を示す笑みを浮かべる。

「そりゃ、俺達が出張るからには、総出で、きっちり片を付けるに決まっている。一つ、いい事を教えてやろう。今年早々に、杜家に生まれた赤子がいるだろう。それが、白虎の仮の姿だ」

「杜家の……」

「未来見の星見姫が、何か、上手くお膳立てしてくれたみたいでな。それで上手いこと入り込んだ様だ」

 かつて白星王が、楓弥を周翼の元に送って寄越したのは、そういう理由だったというのか。


 天界四方将軍がこの地上に降りるには、人として生を受けなければならない。地上への影響を最小限に抑える為に、そういう取り決めがあるのだ。 だから、そうして人として生まれた彼らは、星王の様に、特別な力を使う事は出来ない。ただ、四方将軍としての記憶を有し、その記憶を頼りに、人の心を、そして行動を誘導し、事態の収拾を図っていくのだ。


「で、お前はどうする?」

「……とりあえず、華梨の行方を探さなければ何も出来ない」

「多分、赤星王のお守りをさせられるのが嫌で、蒼星王は逃げたんだろうな」

 玄武が苦笑する。

「……笑い事じゃありませんよ、全く。蒼星王が見つからなければ、赤星王に詔を渡す事は出来ないんですよ」

「いっそ、橙星王でも構わないんじゃないのか?」

「……この地上が滅びる事をお望みなのですか?」

 赤星王が覚醒している以上、その前に立ちはだかる者があれば、あの破壊王は容赦なくそれを薙ぎ払う。必ず大きな戦になるだろう。

「……だよなあ」

 そこでまた、玄武が楽しそうに笑い、周翼は顔をしかめた。





 遠くに蝉の鳴く声がしていた。

 ひんやりと濡れた布が、火照った顔を拭っていく。その感触を、心地よく思いながら、劉飛はまどろんでいた。


 温まった布が水に浸され、絞られる音がする。水で冷やされた布は、そのまま額に置かれた。そして、誰かが何かを話す声を聞いて、人の気配が遠ざかって行く。

……と、額に置かれていたその布が、急に変な動きを始めた。ぐるぐると顔の上を、行ったり来たりする。不審に思っていると、ふとその感触が無くなった。そう思った途端、不意に顔の真ん中にその布がぽとりと落ちてきた。


 そして、耳元で女の声が言った。


……いつまで寝ておるのじゃ。さっさと起きぬか……


 そこで、意識が戻った。


 劉飛は顔の上の布きれを掴み、思わず起き上がった。するとそこに、幼い少女が座っていた。そして劉飛と目が合うと、少女はにっこりと笑った。

「……え……えぇと」

 人のやってくる足音がして、桶を抱えた茉那まなが姿を現した。

「劉飛様……」

 劉飛の姿を認めると、顔に安堵の表情が浮かぶ。

「良かった。お目覚めですね。お加減は如何ですか」

「はい。いえ……別にどこも……」

「あなたは、ひと月も眠ったままだったのですよ。八卦師の術を受けて、体中傷だらけで、瀕死の状態で見つかったと聞いた時には、もう駄目かと思いましたもの。ああ、大変、陵河りょうかさまに、すぐにお知らせしなくては…… 鳳花ほうかどの、劉飛様のお世話、お願いしますよ」

「はい、茉那さま」

 少女が笑顔で答えると、茉那は桶を置いて出て行った。


「ええと、鳳花どの、ですか?」

 前に会ったのは、一年半程も前だ。歩くのも危なげだった幼子が、まだ小さいとはいえ、立派に一人前の顔をした少女に育っているのを、劉飛は感慨深げに見る。

「御年、お幾つになられましたか?」

「三つですわ」

 ちょっと気取った風に、鳳花が答える。そしてそのまま、同じ問が返ってきた。

「劉飛さまは、お幾つにおなりですか?」

「……そうですね……二十でしょうか」

「十年、お待ち下さいます?」

「え?」

「私、すぐに大きくなりますから」

 そう言って、鳳花が満面の笑みを浮かべた。



    【 七星覇王伝 第二部  完 】

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七星覇王伝2 抹茶かりんと @karintobooks

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