甘い雲

桜﨑芦花

第1話

 屋台のおじさんが手に持った長い棒をくるくるくるくると回す。するといったいどこから現れたのか、白い綿が棒に纏わりついて、どんどん大きくなってゆく。まるで空に浮いてる雲みたい。わたしはそれがとっても甘いのを知っている。

「ねぇねぇ、お姉ちゃん、あれ買って!」

「あんなの、ただの砂糖の塊でしょ? もっと身になるものを食べなさい」

 ケチなお姉ちゃんは私が欲しいものはぜんぜん買ってくれない。高校生のお姉ちゃんにとっては、お小遣いの「やりくり」というのが大変らしいけど、わたしはお姉ちゃんが毎月お母さんからたくさんのお札をもらっていることを知っている。わたしなんか月に二百円しかもらっていないのだ。ちょっとくらいわけてくれたっていいんじゃないかと思う。

 それにお姉ちゃんは何か勘違いしている。わたあめは確かにお砂糖みたいに甘いけれど、あれがお砂糖のはずはない。だってお砂糖は砂みたいだけど綿あめはふわふわしてるから。甘いものいこーるお砂糖という単純な考え方しかできないお姉ちゃんのかわいそうな思考回路に、大人なわたしはそれでも馬鹿にした態度はとらないで優しく受け流してあげるのだ。まあ、だったらあれはなんだと聞かれても、わたあめはわたあめだとしか答えられないけど。雲に似てるからってあれを雲だと言うほどわたしは子供じゃない。

 とにかく、あれを買って貰わないとお祭りにきた意味が無くなってしまう。いちおう念のためにおこづかいは持ってきているけど出来れば使わずに済ませたい。

 今月は読みたいマンガが発売されるのだ。この次の刊を買うにはまたためなおさなくちゃいけないし。

 高校生より小学生のほうが「やりくり」が大変なのですよ。それを大人たちは分かってくれない。大人はお金がいっぱいあるくせに。

 とにもかくにも、私にかせられたしめーというやつにより、お姉ちゃんには何としてでもわたあめを買ってもらわなくちゃいけないのだ。

「お姉ちゃん、買ってよ」

「ダメったらだーめ」

「なんでなんでー」

「私が好きじゃないもん」

「なっとくいかーん!」

「まあまあ、ジャガバター食べる?」

「いらん!」

  全く聞く耳持ってくれない。こうなったらじつりょくこーしするしかない!

 というわけで走った。わたしの言うことを聞いてくれないのなら困らせてやる、とお姉ちゃんから逃げるように走った。

 当然お姉ちゃんは追いかけてくると思った。でも、しばらく走って振り向いたらどこにもいないことに気づいた。

 もー、迷子になるなんてこまったさんだなーと、お姉ちゃんを探してあげる。

 人がたくさんいるからなかなか見つからない。もしかしたらお姉ちゃんは勝手に先に進んでしまったのかもしれない。いっつも私のそばから離れちゃダメ―とか言ってくるくせに、お姉ちゃんは自分勝手に行動をするのだ。大人はいつだってそう。りふじんっていうやつだ。

 人ごみをよけながら歩き回る。もー、お姉ちゃんったらいったいどこまで行ってしまったのやら。

 どこもかしこも人だらけだ。どうしてみんなこんなにお祭りが好きなんだろう。

 どこまで歩いてもお姉ちゃんの姿は見えてこない。もしかして、完全にはぐれちゃったのかも。

 お姉ちゃんがいない。そう思うと急に怖くなってきた。さっきまでは回りに歩いている人たちの表情が楽しそうだったのに、とたんに悪意を持った悪い顔になって、わたしを食べつくそうとしてくる。

 人がたくさんいるのにわたしはひとりぼっち。なんだか世界がとっても大きなものに感じて、それに対してわたしの存在はどんどんちっぽけになってゆく。

 不安に飲み込まれそうになる。どうしてこんなことになったんだろう。後悔が背後からわたしを食べようと隙をこしたんたんとうかがっている。わたしはわたあめになってしまったのだ。ぱくっと一口で飲み込まれて、あっという間に溶かされてしまうのだ。

 だけど、隙を見せるわけにはいかない。不安でも、迷子くらいで泣いちゃだめなんだ。

 だって、わたしはもう小学二年生だもん。こーはいだっているのだよ。

 とにかく、歩こう。そうすれば、きっと光は見えてくるはず。

 でも、いくら歩いてもお姉ちゃんは見当たらない。ついに一番奥の神社のところにまでたどり着いてしまった。

 もう何十分もたってる。一時間以上たってるのかもしれない。正確な時間はわからないけれど、もしかしたらお姉ちゃんは怒って先に帰っちゃったのかもしれない。

 いいかげん嫌になってきた。この神社からうちまでの道も分からないから、お姉ちゃんを見つけないと一生帰れなくなっちゃうかもしれない。

 そう思うと、いままで我慢していた涙がボロボロとこぼれ落ちてくる。どうしよう。どうしたらいい? 私はもう大人だと思っていたのに、こんなちょっとしたことで動揺して、潰れそうになっている。これじゃあまるで子供じゃないか。

 そう思っていると、端っこで屈みこんで丸くなっている子を見つけた。

 わたしよりも年下の、小さな男の子だ。

 もしかしたら、わたしと同じく家族とはぐれてしまっているのかもしれない。

「きみも迷子?」

 声をかけると、男の子はわたしのほうを見上げて、首を傾げた。

「お、おねえ、え、ちゃん、だ、だれ?」

 しゃっくりをしているみたいに言葉をつっかえさせながら、男の子が尋ねた。わたしもあと少しでこの段階まで泣き虫レベルがあがっちゃいそうだったけど、男の子の様子をこうして見ていると、こらえなきゃって思えた。

「わたしは、えーっと……」

 前にお母さんが言っていた言葉を思い出す。

「みずさき……うん、そう。みずさきあんないにんってやつだよ。困ってる人をみちびくせいぎのみかた!」

 言ってから意味があってるのか不安になったけど、男の子はせいぎのみかたという部分に反応したらしく、少し元気が出たようだ。

「みじゅさきあんないにーん!」

「みずさきあんないにーん! いえー!」

「いえー!」

 なんか打ち解けた。わたしのほうは空元気なんだけど。純粋な男の子はさっきまで泣いていたのに今はきゃっきゃと笑っている。単純なやつめ。羨ましい。

「それで、どうして泣いていたの?」

「おかあさんがいなくなった……」

 思い出したのか、また泣きそうになってしまった。

「あわわ、ごめんごめん。安心して、私が絶対に見つけてあげるから!」

 旅は道づれって言うしね! よく意味わかんないけど!

「とりあえず、探そ? ついでにわたしのおねえちゃんも探してねっ!」

 男の子はこくんと頷いた。一瞬「お前も迷子なのかよ!」という非難の目を浴びた気がするけど、きっと気のせいだろう。

 再びお姉ちゃんののそうさくを開始! そうさくたいしょうに男の子のお母さんをついか!

 そうだ、ゲームみたいにすれば不安も薄れるかも。

「ねえ、どっちが先に見つけられるか競争してみない?」

 競争という言葉で火が付いたのか、ぱぁぁっと明るい表情になった。

「うんっ。きょうそうしよう!」

 そういうと突然男の子が駆け出した。

「わーー! まってー!」

 これじゃまた男の子とはぐれちゃうじゃないか! わたしのおバカ!

 慌てて追いかけて腕をつかむと、男の子は不満そうに頬を膨らませた。

「なんでー!? きょうそーっていったじゃん」

「ごめんごめん、やっぱなし今のなし!」

 すると、男の子がまた泣き出してしまった。怒ったと思われたのかもしれない。

「違うの、怒ってないから!」

 絶賛迷子中というのもあって、男の子もまいってきてしまっているのかもしれない。なかなか泣き止んでくれない。

「ちがうのー! 泣かないで―!」

 子供の相手なんて全然やったことないから、こんなときにどうしたらいいか分からない。

 わたしも泣きそうになって、必死にお姉ちゃんをさがすと、さっき見たわたあめのお店を見つけた。

 自分がお小遣いを持ってきているのを思い出した。わたあめ屋には『わたあめ二百円』と書いてあった。ちょうど一か月分のお小遣いで、買っちゃうと欲しいマンガが買えなくなっちゃうけど。

「わたあめ、食べる?」

 食べ物で釣る方法しか思いつかなくて、うっかりそう言ってしまった。すると男の子が嬉しそうな顔になった。

「うんっ、たべる!」

「じゃあ、ちょっと待ってて……いややっぱりついてきて。また迷子になっちゃうと困るし」

 マンガが買えなくなっちゃうーと後悔したけど、男の子が嬉しそうな顔をしてくれたから、まあいっか。

 わたしはもうお姉さんだから、それくらい我慢できるのだー。

「はい、買ってきたよ!」

 男の子にわたあめを手渡した。男の子は美味しそうに食べ始める。

 そういえば、わたしはわたあめを買ってもらえなかったから怒って迷子になっちゃったんだよなぁ。今思うと、なんてバカなことをしたんだろう。

 思い出すと、また泣きそうになった。だめだ、わたしより小さな男の子の前で泣くわけにはいかない。

「おねえちゃんもたべる?」

「へ?」

 そんなに物欲しそうな顔をしていただろうか。でも食べたかったのは確かだし、男の子と半分こすることにしよう。

「うん。もらうね。ありがとう」

 端っこをちぎって口に入れる。舌に触れたとたんにわたは溶け出して、甘い味だけを口の中に残して消えてゆく。

「裕くん!」

 女の人の声が聞こえた。すると、男の子が「お母さん!」と嬉しそうな顔をして抱きついた。

 よかった、お母さんが見つかったんだ。

 安心したけど、じゃあ、わたしのお姉ちゃんはどこにいるの?

 なんとなく勝手に男の子のお母さんとわたしのお姉ちゃんが一緒に見つかる気がしていて、でもよく考えたらそんなわけもなくて、とたんに再びひとりぼっちになってしまった。

「あ、いたいた。おーい」

 この声は、お姉ちゃん!

 どこからかひょっこりとお姉ちゃんが姿を現した。

 その姿を見たとき、わたしの奥のほうで、何かが崩壊した。

「うぁあ、おね、お姉ちゃ……」

 大粒の涙がぼろぼろと流れてきて、まともに声を出すこともできなくなってしまった。

 ゆっくりと歩いてゆくと、お姉ちゃんに優しく抱きかかえられた。

「よしよし、ごめんな」

 さっきは怒っていたのに、今は会えたのが嬉しくて仕方がない。お姉ちゃんは大きくて暖かくて、安心感があった。

「あのおねえちゃんがたすけてくれたんだよ!」

 男の子が私を指さして男の子のお母さんに告げた。助けたって言えるほど、なにができたわけでもないんだけど。

「おー、お前があの子を助けたんだな。えらいえらい」

 お姉ちゃんに頭を撫でられた。とにかく今はお姉ちゃんの胸の中で泣きたい気分だ。

 余っていたわたあめを一気に食べる。お姉ちゃんの服にちょっとついちゃったけど、怒られなかった。

「そのわたあめどうした? 自分で買ったのか」

「うん」

「そっか。じゃがバターも食べるか?」

 相変わらずお姉ちゃんはジャガバターばっかり食べているみたいだ。

 わたあめの最後の一口をほおばる。口の中には、雲みたいな柔らかい甘さが広がっていた。

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甘い雲 桜﨑芦花 @sakurazaki_roka

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