拾 -ジュウ-

 夏月と別れた玲花が藤と一緒にらす家に戻ってきたのは、すっかり日が落ちてからだった。

 明かりのともらない家屋を目にして、玲花の足取りが鈍くなる。

 群馬にいた頃は、家には父の姉である藤杜遠緒子がいて、いつも玲花を温かくむかえた。日が暮れると玄関先に橙色の明かりがいて、ふんわりとブランケットにくるまれているかのような優しく穏やかな空気に満ちていた。

 四月までの暮らしが鮮明に浮かび上がり、つんと鼻の奥に広がった痛みをそのままに玲花は玄関の鍵を開けて中に入った。

「ただいま」

 明かりを点けながら誰もいない家に帰宅を告げると、ふわりと空気が動き、その柔らかい空気に玲花は一人じゃないと感じた。


 九条学園高等部から歩いて三十分、住宅地から離れた閑散かんさんとした場所にある木造の平屋。

 北側の玄関から入ると、廊下が左右に伸び、コの字をかたどった建物のは中庭に面して廊下が造られている。玄関の東側にダイニングキッチンがあり、その先に藤の部屋が、玄関の反対側にはトイレと浴室がある。中庭には、桃、百日紅さるすべり紅葉もみじ、椿などの木々が植えてあり、四季折々の花が咲く。

 そこが、今の玲花の住まいだ。


 日中の熱気を帯びた空気を入れ替えようと廊下の窓を開けながら南東端の自分の部屋に向かっていた玲花は、開けた窓からひんやりとした風が入り、ぴりぴりとうなじ辺りに刺さるような感覚を覚えて振り返った。

 何かが、近寄ってくる。

 玲花が身構えるより早く閃光せんこうはじけて、建物を揺らすような雷が頭上で激しく鳴った。あまりの大音量に、玲花は思わず耳をふさぐ。雷が家に落ちたのではないだろうか、というほどの衝撃の後、ひやりと肌があわち、恐る恐る瞼を持ち上げた彼女の前には見慣れない形をした動物がいた。

「……」

 嫌な感じのしないそれを、玲花は怖々こわごわと観察した。

 艶のある灰色の子犬のような獣が、後ろあしを折ってちょこんと座っている。前肢にはわしのように鋭い爪が見えた。

「そんなに見んなやぁ。穴が開くではないか」

「喋った……」

「なんや、うちが喋ったらいかんか?」

 不穏な空気をかもし始めた獣に危険を察知して、玲花は慌てて首を横に振った。

「あなたは、何?」

「うちか? うちは雷獣らいじゅうや。雷神らいじん眷属けんぞくのな」

「雷神の、眷属」

「そうや、神使しんしや。神の使い」

 男児のような声がのんびりと説明するその特徴的なイントネーションが、玲花の記憶に引っかかった。

「その声……お昼の時の」

「そうそう、あれうちや。『先見』の小娘たちが余分よぶんな話をしていたからなぁ」

「先見の、小娘?」

 首を傾げる玲花に、雷獣と告白した獣は呆れたように目を細めた。

「何や聞いておらんのか。相良柾矢も水無月んところの娘も気がかんなぁ」

 盛大に溜め息を吐き出し、左の後ろ肢でわしゃわしゃと頭をかく雷獣の姿は、苛立いらだって頭をきむしる人間を想像させた。

「柾矢と藤を知っているの?」

「あぁもちろん、昔からよぉ知っておるよ。てゆうか、あいつらのことは置いといて」

 玲花の疑問に軽く答えた雷獣は、前肢ぜんしで物を持って脇に寄せる仕草しぐさをして話を続ける。

「『先見』っちゅうのはな、神々の言葉を受け取り伝える役目を持つ人間のことや。今は九条が担っている」

「九条って、九条楓さん?」

 目の前の神使という獣がかもし出す荘重そうちょうな雰囲気に、玲花は廊下に正座をして目線を雷獣と合わせて尋ねた。

「あぁそうや。その九条家や。詳しい話は相良柾矢か水無月藤にでも聞きな」

「聞いたら教えてくれるかな」

「それはうちにもわからん」

 独り言めいた呟きに律儀りちぎに答えた雷獣を見つめながら、玲花はその艶やかな毛並みをなでてみたい衝動しょうどうられていた。

 雷獣だから、触ったら感電するのかなぁ。神使ならやっぱり、触らぬ神にたたりなしなんだろうか。

「何や何やぁ。不穏当ふおんとうな空気ただよわせて」

 己の欲望と必死にせめぎ合う玲花を見て、雷獣が眉間に皺を寄せた。雷獣が稲妻いなずまに似た白銀はくぎんの目を剣呑けんのんに細めたの見て、玲花はうろたえながら「違うの」と告げる。

「どうして、雷の神さまの使いが、ここにいるのか、気になって……」

神意しんいや」

「しんい?」

「神の意志や」

 問いかけに短く答えた雷獣の視線が玲花から外れるのと同時に、耳をぴんと立てたのを見て、玲花も釣られて玄関を眺めているとドアが開いて藤が姿を現した。

「ただいま」

「お帰り、藤」

「空気がピリピリしていると思ったら、雷獣が来ているなんて」

 玲花が座る廊下に歩いてきた藤がやや呆れた口調で呟いて、雷獣を見やる。

「よぉ、水無月の娘っ子。息災そくさいか」

「おかげさまで」

「うむ、それは重畳ちょうじょう

「ところで雷神の神使が何用で?」

「ちぃと興味があってな」

 目を細めてそう告げた雷獣は、小首を傾けて前肢で顔をつくろい出した。

「詳細は教えてもらえないみたいね」

 藤の独白どくはくに灰色の尻尾をぱたぱたと振った雷獣の口角が上がり、まるで肯定の笑みに見えた。

「しばらく厄介やっかいになるからよろしゅうな」

「……え?!」

 楽しげな雷獣の言葉に、藤は驚いた声を上げた。いつも冷静な藤の鳩が豆鉄砲を食ったような顔を玲花は初めて見た。

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風をまくモノは嵐を収穫スル 田久 洋 @Takyu

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