玖 -キュウ-

「玲花、大丈夫?」

 夏月の心配する声で、玲花は我に返った。

「うん。大丈夫」

「お待たせしました」

 会話の合間に柔らかな女性の声がすべり込んで、玲花は話を中断して目の前に置かれたパイを見つめる。

「美味しそう」

「苺パイとブレンドティーになります。ごゆっくりどうぞ」

 玲花の感想に柔和にゅうわな笑みを浮かべた店員は、すうっとテーブルから離れ去った。

いただきます」

 ケーキへと関心が移った玲花は紅茶を一口飲んでから、苺の乗ったパイにフォークを入れる。サクッと小気味こきみよい音を立ててパイ生地が切れる。

「美味しい」

「でしょう。お口に合ってよかった」

 苺パイを口に運び、満面の笑みを浮かべる玲花にそう返すと、夏月も紅茶を一口飲む。

「九条学園への転入を勧めたのって、相良さん?」

 静かにカップを置いて夏月が尋ねた。

「……柾矢を知っているの?」

「ええ。相良グループトップの息子さんで、グループ本体のサガラの営業部で勤務されている」

「よく、知っているね」

 夏月のげんを聞いていた玲花は目を丸くした。

「有名な方よ。相良さんの友人で、うちの高等部の非常勤の水無月藤先生も」

「……」

 鈴を転がすような軽やかな夏月の笑い声に、玲花は口をつぐんだ。よく知っているどころの話ではない。

「その水無月先生と、さっき一緒にいたよね。玲花」

「さっき?」

 向けられた夏月の穏やかな瞳とは反対に、告げられた内容に玲花の心は波立つ。

「五時限目が始まる直前、食堂のテラスで親しそうに話をしていたでしょう。雷鳴っていたのに二人とも平然としているから、気になっちゃった」

 学校で藤と一緒にいたおぼえのない玲花は、自分の記憶が飛んでいる間のことだと察した。学生会室で楓たちと食事をしたあの後、一階まで下りて食堂に行き藤と会ったのは、誰の意思か。

 自分が藤と何を話していたのか気になるが、それよりも意識のない時の自分の行動を見られていたことに、玲花の心は千々ちぢみだれた。

 動揺どうようのせいかのどかわきを覚え、玲花は紅茶をゆっくり飲む。

「知り合いなの?」

 紅茶を飲みながら、どう話そうか思案している玲花を、まっすぐとらえたまま夏月が続ける。

「うん。二人とも近所に住んでいて、面倒めんどうを見てもらっていたの。東京に引っ越す話が出た時に、ここにしたらって勧められて」

 夏月には隠し事ができない。そう思った玲花は、素直に説明した。


 六歳の時から、十年。柾矢たちが高校を卒業するまで、毎日のように家に遊びに来て、ふさぎ込んでいた玲花に優しく接してもらった。

 二人が東京の大学に進学してからも、よく群馬に戻ってきては玲花を連れ出して、色んな所に三人で出かけた。


「相良さんと水無月先生と幼馴染おさななじみなんて、みんながうらやむわねぇ」

 夏月の何気ない言葉に、玲花は胸に氷が触れたみたいにひやりとしながらも、自分は恵まれているとしみじみと感じる。

「……そうだよねぇ」

「玲花ってまっすぐだよね」

「えっ?」

「そういう性格だから、相良さんたちが気にかけるのかもね」

「……」

 玲花は夏月の言葉に「何て返せばいいのだろうか」と困惑する。

「ごめんね、色々突っ込んで聞いてしまって。気になると止まらなくなる性分しょうぶんなの」

「ううん、わたしは平気」

 眉尻まゆじりを下げた申し訳なさそうな表情の夏月に、玲花は首を横に振った。

「本当?! よかった」

 ぱっと明るく笑んだ夏月の顔を見て、玲花はとてつもなく何かを早まった気がしてならなかった。

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