捌 ‐ハチ‐

「楠原さん、もうお帰り? 今日は図書館には行かないの?」

 夏月と並んで廊下を歩いていると、玲花の見知らない女子生徒が夏月に声をかけてきた。

「はい。今日は予定があるので、帰ります」

 夏月は立ち止まり、隣の二年Z組――教室棟は、一階から三階に一般クラスの三年生から一年生の教室が、四階には特待クラスとされるZ組の教室とテラスがある――だろう生徒に答える。

「そう、お気をつけて。また明日」

「ありがとうございます。お先に失礼します」

 ひかえめな笑みを浮かべて返す先輩女子に一礼した夏月は、くるりと玲花の方を向いた。

「お待たせ。さあ、行こっか」

 られて足を止めたが、この場にいていいのか、ためらっていた玲花の気持ちが軽くなる。「失礼します」と二年生に挨拶をして、玲花は夏月に付いて階段を下りながら、学校案内にあった二階建ての図書館を思い出す。

「図書館によく行くの?」

「よく利用してるわ。一階が蔵書で、二階は学習室なんだけど、静かで居心地がいいわよ」

「今度、行ってみる」

「じゃあ、わたしが案内してあげる」

 クラスの敬遠けいえんする空気を肌で感じて、一人で安らげる場所が欲しいと思っていた玲花には、夏月の言葉が救いの手のように感じた。

「ありがとう」

「どういたしまして」

「さっきも……ありがとう。楠原さん」

 教室棟の最下階さいかかいに着いて、昇降口から屋外へ出た夏月の背中に伝える。

「さっき?」

 正門へ足を向ける夏月は、不思議そうな表情で玲花を見た。

「教室で、九条さんに声をかけられた時」

「夏月って呼んで。わたしは……もう、玲花って呼んじゃってるし」

「うん。じゃあ、夏月って呼ばせてもらうね。どうして、さっき助けてくれたの?」

 夏月の気さくな様子に背中を押されるように、玲花は疑問をそのまま言葉にする。

「とっても困っていたように見えたから。それに、玲花ともっと話したかったし」

「ありがとう」

 確かに困惑していた。どう断ればいいのか悩んでいた。

「早速なんだけど、近くに紅茶の美味おいしいお店があるの。寄っていかない?」

「うん、行く」

 玲花は二つ返事で答えると、夏月は「お店はね――」と嬉しそうに道案内を始めた。


 九条学園高等部から坂を下りると、閑静かんせいな住宅地が広がる。その一角いっかくにある木々に囲まれた白い一軒家を夏月が指でさした。

「ここよ」

 そう言うと夏月は「リュミエール」と書かれた扉を開けた。店内に入ると正面あるケースの中のケーキが目を引く。

「いらっしゃいませ」と出迎でむかえた壮年そうねんの男性に、夏月は気さくに話しかける。

「こんにちは。窓際まどぎわの席、大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫ですよ。どうぞ」

 人好きする笑顔で答えた男性店員に窓辺まどべの二人掛けのテーブルへと案内された店内は、奥のテーブルで中年女性が話に花を咲かせていた。

「ありがとうございます」

 夏月は店員にお礼を伝えて椅子に座ると、玲花にメニューを差し出す。

「ここのいちごパイと、お店オリジナルのブレンドティーがおすすめよ」

「じゃあ、夏月のお薦めにする」

 受け取ったメニューを眺めてから玲花が告げると、夏月はカウンター近くにいた女性店員を呼んだ。

「苺パイをふたつと、ブレンドティーをふたつ、お願いします」

「かしこまりました」とうやうやしく答えてカウンターの中に入っていく店員を漫然まんぜんと見送った玲花は、そのまま心地のよい雰囲気の店内を見回す。

「昨日、玲花を迎えに来ていたのって、相良柾矢さんよね」

 何げない夏月の口ぶりに、玲花は石弓にはじかれたように視線を正面に戻した。

「……どうして、知っているの?」

「昼には目あり夜には耳あり、ってことね。一緒にいるところを見ていた人がいたみたい」

 夏月の言葉で、昨日の光景が呼び起こされた。


 突に風がおさまり、身体の熱を奪う強烈な冷気。

 呑み込んで何も見えなくなる夜闇のような怖さを思い返し、玲花は無意識に身震みぶるいをした。

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