最終話:旅路

 日暮が鳴き止まぬ夏の終わり、炎天下の中、右手に特大の西瓜をぶら下げ、鷲尾が妖檄舎の門を叩く。

 玄関に出てきたのは、正宗菊だ。


「あ、鷲尾さん、いらっしゃ~い!」


 独特な緩さを醸し出しながら、菊がにっこりと笑う。


「仙道さんと大賀社長はご在宅ですか?」


 鷲尾が、顰め面を隠しながら問いかける。


「いますよ? おーい、社長、霧ちゃん、お客様だよー!」


 菊の声を聞いて、二人と霞が玄関に下りてきた。


「どうも……」


 鷲尾が頭を下げる。

 妖檄舎の居間に通された鷲尾は、珍しく居心地悪そうに、そわそわしている。


「珍しいな、鷲尾ちゃんからこっちに来るなんて」


 霧子が笑顔で話しかける。


「まあな、余り大事にはしたくない話だ」

「悪い話か?」

「ああ……かなり、な」


 鷲尾の表情を察し、真剣な面持ちになる霧子。


「鷲尾ちゃん、お茶をどうぞ」


 霞が煎茶を差し入れる。


「ありがとう、霞ちゃん」


 鷲尾は微笑むと、熱いお茶を一口啜った。


「で? 悪い話ってなんだよ」


 霧子が問う。

 鷲尾は、腸から絞り出すような声で、霧子に事実を伝える。


「その……言い難いんだが、北東総合病院倒壊について、巻き込まれた遺族が騒ぎ始めている」

「動画が流出したか……」


 霧子が上を向いて額を押さえる。


「誰が流したかは分からない、同行した機動隊員かも知れないし、生き残った屍かも知れない」

「まあ、こういう時は味方を疑うなよ、内部から瓦解するぞ」

「分かっている、慎重にやるさ……だが、抑えられないのは上の圧力だ」

「腰抜けが、民意に靡いたってとこか」

「すまん……」


鷲尾がそう言って、頭を下げる。


「いいよ、鷲尾ちゃん……突入する前から、こうなる覚悟は出来ていた。かと言って止める訳にもいかなかったしな」

「当局の現場検証で回収した遺体は1081人、死因のトップは銃殺だ。つまり霧子……遺族はお前に殺されたと思っている」


 鷲尾が押し殺したような声で呟く。


「そんな、霧ちゃんが撃ったのは屍だけだよ! 人間がいたら……私が見逃す筈ないもん!」

「まあ待て菊……それで、当局は?」


 菊の反論を押さえる霧子、冷静な表情で、鷲尾の次の台詞を待つ。


「大妖を倒し、北東区の封印を解いた功績は上も認めている。ただ、押し寄せる民意を納得させるだけの力を、行政は持っていない」

「で? 当局は私をどうしたいんだ?」


 霧子の瞳がギラリと輝く。


「追放だ。仙道霧子以下、妖檄舎構成員は北東区から退去、指定する特別任務に就いてもらう」


 鷲尾は、下を向いたまま、肩を震わせて、言葉を絞り出す。


「そんな、それじゃあ罪人と変わらないじゃないか!」


 二郎が珍しく、攻撃的に言葉を荒げる。


「我らの努力を、仇で返すというのか!」


 小鉄も、臨戦態勢に入った。


「だから待てよ、二人とも……原因を作ったのは私だ、私がすべて悪い」


 霧子は、そう言って、微かな笑みを見せる。


「どうするの、社長?」


 菊が問う。


「鷲尾さん、その特別任務と言うのは?」


 吹絵は深刻な面持ちで、鷲尾に問いかける。


「……日本国内に12都点在する、魔窟の撃滅と解放だ」


 鷲尾が言葉を絞り出す。


「また、ヘビーだな……」


 霧子は笑った。


「条件を飲むしか、無いんですね」


 吹絵が苦々しい表情で言葉を飲み込む。


「すまん。俺の持てる権限を全て使った、精一杯の努力の結果だ」


 鷲尾はテーブルに両手を付き、全力で頭を下げた。

 重苦しい空気が、居間を包む。


「……分かった。やろうぜ、みんな!」


 霧子が意を決したように、檄を飛ばした。


「霧ちゃん……」


 菊が、心配そうな視線を送る。


「私と霞が組むんだ、その力は間違いなく日本で一番さ! 魔窟の解放は、誰かがやらねばならないこと……私達の手で、それをやってやろうじゃないか!」


 霧子の笑顔は、あくまでも前向きで、他の追随を許さない。


「お姉、でもそれは、お姉をさらに傷つける事になるかもしれませんよ?」


 霞が心配そうに呟く。


「分かっている、でも、私には霞がいる。私の傷はお前が癒す、お前の傷は私が癒す、そして最後には全員の力で、魔窟を突破する……完璧じゃないか!」


 霧子の笑顔が、霞の杞憂を払拭した。


「霧子がそう言うんじゃ、仕方ないわね……分かりました、妖檄舎は当局の決定に従います」


 吹絵は瞳を閉じ、鷲尾の提案を無条件で引き受ける。


「任務に必要な資材は、出来る限り供給する。だが基本は、孤立無援だと思ってくれ」

「いいよ、鷲尾ちゃん……無理してくれたんだろ? 有難く思っているよ」


 同僚の立場を慮って、霧子は笑顔で親指を立てる。


「……すまない」


 鷲尾は、ただ謝るしかなかった。


「じゃあ、今後は妖檄舎の独立採算制でいいのかな? 武器や弾も、自分達で勝手に作っていいって事?」


 二郎が問いかける。


「それは……全て自己責任でやってくれ」


 鷲尾が頷く。


「やった! 小鉄、お上のお墨付きが出たぞ!」

「おう、腕が鳴るな!」


 鷲尾の言葉を受け、異様に燃え上がる工房担当者。


『くっくっくっく……』


 凶悪な笑みが、鷲尾の背筋を寒くする。


「お前等、逞しいんだな……」

「ああ、獣は野に放たれた……放ったのはお前等だ、もう誰にも止められないぞ?」


 狼狽する鷲尾の表情を見透かして、霧子が笑う。


「まったく、お前等と来たら……」


 鷲尾も、笑うしかなかった。


「よーし、行くぞ日本! 潰すぞ魔窟! もう誰にも、アタシ達は止められない!」


 霞が気勢を上げる。


「……でも、報酬は下さいね? 生きて行けないから……」


 さすが、吹絵は抜け目がない。


「社長、辛気臭いこと言うな! ここは乗りだ、乗りが大事なんだよ!」


 霧子が笑う。


「もう、どうなっても知らないから!」

「そういう方面も含めて、私等姉妹に任せとけ!」


 吹絵の悲鳴を、霧子が言い含める。


「はい! アタシとお姉の姉妹は、無敵です!」


 霞が、霧子に目配せを送る。

 霧子は、同じく目配せで、それに答えた。


 鷲尾は、その生命力に、ただ絶句するしかない。


 ……かくて、姉妹と妖檄舎は、魔窟解放の旅に出る。

 行く手に待つのは、大妖と呼ばれる人外の覇者。


 しかし、姉妹はひるまない。

 巨大な敵に、怖気づくことなく挑んでいく。


 霞と霧子、そして妖檄舎の旅は、今、始まった。


(了)

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仙境異聞 霞 神楽坂 幻駆郎 @kagraya

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