第12話 約束の地平線 05


「――割れちゃったんですね」

 宗谷は、病院の屋上で碎王の懐中時計を手に取った。

「ガラスは、また付け替えればいいだろ?」

 代償なら幾らでも。けれど、無二の相棒と共に過ごす時間に代わるものなど、ありはしない。

「でも――」碎王は言い淀んでから改めた。「あまり無茶をしてくれるな。俺はまだ、お前と一緒にいたいんだ」

「僕もですよ」

 宗谷は、壊れた時計を持ち主に返した。

「僕にとって、貴方は理想でヒーローなんです。僕の夢を、壊さないでくださいね?」


 二人の足元にある病院のベッド上で、毒気を抜く治療を受けている夜乃に、添い寝をしている雪夜と夜鷹も深い眠りに陥っていた。

 処置室の前にある待ち合いベンチで、直人と遼臥も爆睡している。


 やがて目覚めた夜乃に。雪夜と夜鷹は改めて「一緒に生きよう」と抱き付き。夜乃は、場を憚ることなく「怖かった。ありがとう。もっと一緒に生きたい」と号泣していた。

 この世に生まれ、誕生したばかりの産声のように。

 腹の底から泣き叫び、生ある喜びに感謝するかの賛美を謳い。

 そうして自らの殻を、自らの弾丸シェルで皮を破りしものの咽びは、涙雨レインで埋もれる嗚咽にも負けず叫ぶのだ。生あることへの喜びも込めて――謳う。


「実は――。心残りがありまして」

 宗谷の手の中に握られていた自身の懐中時計を、碎王はじっと眺めた。それもまたお前らしいよ――、とは優しき目元で語る。

 二人の間ではもはや、言葉はいらない。その代わりに、この地平線に誓おう。もう少しだけこのままで居ようと、足掻くことを。


 声を上げて泣きじゃくる夜乃の姿を初めて見て、思わずもらい泣きをしてしまった直人は、アンディの姿がないことに気づいた。


 水たまりの縁で壊れ、破損したピックスの傍でアンディはひっそりと別れを告げていた。

「長い間、世話になった――」

 ピックスの車体には、目に見える大きな損傷は見当たらなかった。けれど、心臓である動力源に致命的な不具合が生じていて、動かなくなってしまっていた。

 漆黒の車体に手をつき、項垂れているアンディへ直人は言葉をかけていた。

「彼女のもとに――、帰れなくなっちまったな?」

 アンディは振り返らず、首を横に振った。

「……彼女じゃなくて。ピックスは親友だと何度言ったら――あぁ、もういい。いいんだ。ようやく、俺にも――」

 護りたいと思える仲間が出来た。帰りたいと思う、懐が出来た。

 こいつらと一緒に、もう一度の明日を目指したいと心から――。

「ありがとな。ロスティ」

 ピックス失くした今にして、会いたくとも訪ね行ける場所を永遠になくしたことにも値する。

 友との約束を、このような形で果たそうとは思ってもみなかった。

「……悪くないだろ。こんな最後も」

 ようやく引けた。己のラストエピソードとしてのピリオドを――。

「俺たちらしいって、笑ってくれるか?」

 そして始まるのだ。今度は新たな仲間という名の家族と共に、刻みたい――。

 形あるものはいつか壊れる。けれど、固く、固く結ばれた友情の絆は確かなものだと信じたい。

 夕日のような朝日の地平線が、黄金色に染め上がった東の果てで。ピックスの前照灯から洩れていた僅かな光も消え、物言わぬ最期の動力も事切れた。

 

「――アンディ」

 宗谷の呼びかけに反応したアンディが振り返った。

 そこには、かけがえのない仲間が揃っていた。

 夜乃はもう起き上がっても大丈夫なのだろうか。まだ青い顔をしているのを、直人や夜鷹が両脇から支えている、その前に雪夜が進み出ていた。

「……諦めないでよ?」

 ――ピックスがあれば。

 ピックスさえあれば――。

 アンディは苦渋の表情で言った。

「……未練が残ろうとも、諦めなければならない時もある。受け入れなければならない時は、誰にでも。平等に訪れるんだ」

 覚悟を決めていようといまいが。終わりは、ある日に突然やってくる。

「でも、ピックスがないと……」

 ――戻れない、と悔やむアンディの目元から一粒の涙が零れた。


「泣かないでよ……。こんな結果になっちゃったけど。僕は」

 皆と一緒なら、それだけで――。の後に続く言葉は別のものに変えた。

「……ねぇ。こんな時だけど。僕たち、家族にならない?」

「お前、何を言ってるんだ? こんな時に」

「こんな時だからこそでしょ? 僕ね、ずっと仲間も欲しかった。でも今、分かったんだ」

 ――俺たちはもう既に家族だろ? 兄弟。

 アンディの脳裏に、はにかんでは照れながらそう言ったロスティの、煤でも汚れた在りし日の姿が甦った。

「雪……、お前――」

「アンディ」

 名を呼んでから手を取った雪夜の手に、宗谷の手が重ねられた。

「信じます。僕は、あなたを信じます」

「ママさん?」

「僕を信じて貰えるのなら。僕の力も終わらない」


 宗谷の手の上には、碎王の手が乗る。

「俺も信じる。お前たちの力になれるのなら」

 幾らでも――。俺も、僕もと。直人に夜乃、夜鷹に遼臥の手も重なった。

「アンディ」

 雪夜に促されたアンディも、沈黙したピックスの装甲に手を添えた。

「ピックスも、僕たちの家族の一員だから」

 全員の願いにより、一つの魂に奇跡を吹き込むと。眠ったはずのピックスの前照灯に、再びの力が宿っていた。


 アンディは宗谷に疑心を呈した。

「なぁママさん。もしかして、だけど。ママさんのリピート術は――」

 己に残る寿命を使用していないかと、仲間も薄々感じていたものに。宗谷はさらりと笑顔で答えていた。

「実はそうなんです」

 だからもう、二度とは使えないだろうと思っていた。

「でも、ピックスが復活したように。僕の時間も少しだけ、リセットされた気がするんです」

 それは皆が信じてくれた事による、それこそ奇跡のお裾分けを貰ったようです――とも告げた、渾身の微笑みも弾ける。

「僕も。もう少し、この仲間と過ごしたい。そう思う気持ちが、一緒に時を過ごして、戦っている内に強くなってしまったようです」

 だからこそ、残りの時間も全て、この面子と居たいだなんて――。

「我儘でしょうか?」


「――ちょっと! 夜、どこまで行くの?」

 毒気も抜け、退院した夜乃が皆に見せたいものがあるとして、全員を連れ出していた。

「夜。そんなに引っ張らないで?」

 特に、爆心地の中心、奥底へと向かう時には宗谷の手を引き、迷わずに真っ直ぐ。目的の場所へと誘った。

「病み上がりなんだから。あんまり無茶しないで――?」

 立ち止まったそこで、夜乃は「これ……」と視線を落した。


「どれ?」

 夜乃は、土や瓦礫と地層に埋もれた地点にしゃがみ込み、手で砂をぱっぱと払いのけた。そこには、きらりと光った芽があった。

「……食べれる?」

 憂いもなく、宗谷を見上げた濁りのない目に。宗谷は困った表情を浮かべてはにかんだ。

「うーん、料理するのは、無理かな?」

 そこで宗谷は、はたと気づいた。

「もしかして、夜。これ、食べ物だと思ってたの?」

 腹の虫が「ぐうぅ」と寂しげに鳴いたのを聞き入れ、宗谷は優しき笑顔をほっこりと和ませた。

「そっか。これがあったから――」

 単に、取ろうとしていただけだったのかも知れない。


「何だって?」

 先陣に追いついた碎王以下、シーラの面々が地層より顔を出している黄金色の物体を目にとめた。

「おいおい、それって――」

 絶句する大人陣営を余所に、雪夜と夜鷹は「え? 食べられないの?」と驚愕を新たにしていた。

 根本近くに埋もれていた別の物体を彫り上げた夜鷹は、「つまんない。食べらんないのかぁ……」と項垂れ。雪夜も金の塊を掴み上げながら、煌めくそれをぞんざいに扱った。

「なぁーんだ。食べ物じゃなかったのか……。残念だね」

 しょぼくれた夜乃の肩を抱き、「いらない」と放り出す動作を、直人が「ちょっと待て!」と制する。

 遼臥もポイ捨て防止に参加して。「お前ら、これが何か分かってねぇよな?」

 小さき者たちはそれぞれにきょとんとしていて。大人組は互いに横流しの意味深を探り合っている。

「いらないなら、俺らで貰うが?」

「まぁ。第一発見者に権利があるだろうが。放棄するってぇんなら。俺らに所有権が移るわな?」

 ここまで無言でいたアンディも口を挟んだ。

「これは恐らく、純金の中でも最も希少価値のあるものだぞ?」

 それがどれほど、この地層に埋まっているのか。少なくとも見止められる範囲内でも多量にて余りある。

「食べられないのに、何かの役に立つの?」

 小首を傾げた雪夜に対して、宗谷が「大いにね」と告げると。

「じゃあ、あげる!」

 屈託のない無邪気な笑顔が弾けていた。


 木端微塵となったビクトリアの根源より、巨大な金の塊が掘り出された。

 それが嘆きや悔恨の根になり、醜き憎悪や怨嗟を呼び込み交差させていたのか。今となっては計り知れない。しかしそれを世に出し、分け与えることで少しでも役立てれば――と。

 碎王は、金塊のほぼ全てを破壊された都市の復興費用にと進呈し。避難生活を余儀なくされた住民たちへの資金援助にも回して。一躍、碎王の名は世に伝わる事ともなった。


 それ以降、交差点であらぬものたちが出現することはなくなったと言う。

 けれど交差点で謳われた、名もなき連鎖は。今も、形を変えて続いている。

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シェルレインに謳えば 久麗ひらる @kureru11

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