《Zoo side - 2》『ザックバランの歌声』
「王を打ち取ったぞ!」
ズーは頭上に広がる
城壁の内外では彼の率いる兵士たちが新しいザックバラン国王の誕生を讃え言葉にならぬ雄叫びを上げている。それに応えるようにズーは叫び返した。
「聞け! 『平和の代名詞』という旗を掲げながら私腹を肥やし続けていた者たちは朽ちた! 風は変わった。ザックバランは今こそ
兵士たちのさらなる巨大な歓声は地の奥底より湧き出ているようであり、まだ天から降り注ぐようでもあった。それらが
知る者が見れば、それはきっとどこかで見たことのあるような風景に思えたに違いない。
大観衆の前で弁をふるうズーの姿。その言葉を崇めるように聞いている聴衆の姿──そう、それはまるで、いつかのヴァンブランのコンサートのようであった。
▼▲▼▲▼▲
【我を…… ┫мяй┬……売るだと? ……αΞΛԱյւե╋……そんなことは……決して……させない】
三ヶ月前──ズーはあのフォグという
あの夜『織り』は光と歌声を放ちながらズーを包み込み、それまで自分を織り成していた一本一本の糸を触手のように伸ばしてきた。それらはズーの体にまとわりつき、彼の口から、耳から、毛穴から深く体内にまで侵入してくる。
(俺は──今、死ぬのだ……!)
つんと後頭部の辺りから鼻腔にかけてきな臭い衝撃が下りてくる。意識の波が沖の方へ引いていくのをズーは今でもハッキリ覚えていた。だが──次の朝はやってきた。
彼は深い海の底からようやく水面に辿り着いた
吸うばかりで吐くことを忘れていた呼吸を整えるとズーは顔に水を浴びせかける。そして低く笑い出した。咳のため両の目は真っ赤に充血しているものの鏡に映っている顔は確かに昨日までの自分と同じ顔だった。この至極当然のことに何故かズーはほっと胸を撫で下ろす。
だが、バスルームを出た時、彼の心臓は再び大きく波打った。あの『織り』が見あたらないのだ──
ズーは反射的に背後の壁へ背中を、両の手のひらを、めり込ませるように押しつけた。血走った目玉を素早く右へ左へと動かす。
──夢だったのか、それとも夢ではなかったのか。夢だとしたらいったいどこからどこまでが夢なのか。そもそも『歌声を放つ織り』など本当に存在したのか? あのフォグと名乗る白髪はくはつの男に会ったのもすべて夢の中の出来事ではなかったのか?
ズーは混乱し、頭を押さえながらそのまま壁づたいにへたり込んでしまった。
▲▼▲▼▲▼
熱い湯を沸かし体を拭いたあと、ズーは朝食を取るために階下の食堂へ向かった。どうにも体がだるい。それに喉の辺りが熱く、渇いている。
ズーはミルクの中にウイスキーを少し垂らしてくれるよう給仕に告げたが、彼女が注文を取り終えてもまだこちらをしげしげと見ているので戸惑ってしまった。
「なんだ? 俺の顔に何か付いてるのか?」
そういえば昨日もこんな言葉をあの白髪の男に言った覚えがあるなとズーは思い返す。あれが夢でないのであれば。
「いえ、お客さん、歌手か何か? とってもいい声だなと思って」
ズーは苦笑した。
「そんなこと言われたのは初めてだな。寝起きだからだろ……」
そこまで喋ってようやくズーも違和感を感じたのか、咳払いをして喉を押さえた。
(──確かにおかしい……まるで俺の声じゃないみたいだ)
運ばれてきたミルクを一気に飲み干すとズーはパサパサのコーン・ブレッドにかぶりついた。周りの客の会話が自然と耳に入ってくる。ここのところ周りは
話の中には以前ズーが傭兵として訪れた国の名前もちらほら出てきたが、結局皆が口を揃えて言いたいのはこういうことなのだろう。
『この国は平和でよかった──』と。
(──ふん、この偽善者どもめ)
ズーは急に彼らのそんな心を
『そんな守りに入った心など簡単に操作できる。女をたぶらかすより簡単にな──』
ズーは自分がなぜ急にこんなことを考え始めているのかわからなかった。ふと我に立ち返ると首を振る。
そんな時だった。かん高い少年の悲鳴が店の中に響いた。どうやらパンを盗もうとして捕まったらしい。別に珍しいことでもなかった。どうせ近くの孤児院の子供が腹を空かせてやったことだろう。ズー自身も幼い頃はよくやった──そんなくそ懐かしくもない風景だった。
そんなわけだからその光景を見た時だって、ズーの頭の中にこれといった算段があったわけではなかった。
チャリン──
だが、それとは裏腹に、ズーの体は勝手に動き、言葉は自然に飛び出していた。ズーが放った小銭が床に転がった。くるくると
「よその国の飢餓を嘆くんなら、まず目の前にいる子供のパン代くらい払ってやったらどうだ?」
ズーは立ち上がり、これ見よがしに皆に聞こえるように言った。少年の行為を見て見ぬふりをしていた連中が黙り込み、急に場がよそよそしい感じになったが彼は構わず続ける。
「外側より、どうしてまず内側に目を向けない? 他人事じゃないはずだ。この国にだって恵まれない子供たちはたくさんいるだろ。薬が高くて医者にかかれないやつだって大勢いる」
そうやって喋っている間もやはりズーはなぜ自分がこんなことを話しているのかさっぱりわからなかった。ただ、自分の言っていることに皆が注目し始めているのがズーにはどことなく心地よかった。
ズーは人差し指を立てて続けた。
「俺は知ってるんだ──」
そもそも口下手なはずの自分の口からよくもまあこうペラペラと言葉が出てくるものだとズーは少し驚いていた──心にも思ってない言葉が。
「この国の王、キリエ・ボナパルトは、民から集めた金でくだらぬ調度品などを買い漁っていると聞く。昨日など五億ドラムという大金を出し、何の役にも立たぬみすぼらしい『織り』を買おうとしていたことも俺は知っている!」
真剣な顔をして耳を傾けているやつらを見て『どうしてこいつらは何の確証もないのにこんな根も葉もない話を鵜呑みにしてるんだろう?』とズーは最初不思議に思っていた。
だが、喋っているうちにぼんやりと分かってきた。
その理由はこの『声』だ。
空気の揺れの中をスルリと縫うようにして何処までも響いていくようなこの『声』に皆、魅了されているのだ。
それはいわば、演技だと分かっていても名俳優の台詞が観客の心を掴んで離さないのにも似ていた。かくいうズー自身もさながら幽体離脱でもしているような感覚に陥っていた。霊体となり、自分の体から抜け出した魂が外側からこのやりとりを眺めている──そんな気持ちになっていた。自分の演技をもう一人の自分が冷めた目で客観的に観ている──そんなところである。
「国王が泥棒ってんだからな。そりゃ子供だって盗みを働くわけだ。所詮悪党の息子は小悪党ってとこだ」
ズーは彼らの心に疑問や高ぶり、安っぽい正義感が芽生えてくるのを感じ取っていた。ただし、それはやはり『偽りの正義感』なのだ。
(──所詮、明日になれば全て忘れ去って結局は自分の生活のことしか考えないくせに。なんて愚かな連中だ)
ズーは腹の中でそう笑い飛ばしたが、もちろんそんな様子はおくびにも見せない。ズーの『声』は語り続けた。一節を区切るごとにその声は音色を増していった。
「五億だぞ? それだけあればどれだけの貧しい者が助かる? どれだけのパンを子供たちに買い与えてやれる? 王が我々から金をむしり取って与えているものとは何だ? それは偽りの平和だ。偽りの幸福感とエセ平等だ。なにが『平和の代名詞』ザックバランだ。もういい加減気付いたらどうだ! いや、賢いおまえらならすでに気付いているはずだ!」
そして頭ではこう語っていた。
(──この馬鹿どもは俺が言っていることが本当だろうと嘘だろうとどうでもよいのだろうな。この連中はただ自分に酔いしれたいだけなのだ……)
ズーはどうして自分がこんなことをしているのか次第にわかり始めていた。言葉も覚束ない赤ん坊を安心させ、死の際にあるものに勇気を与えるものが声だというなら、人を悲しませ、不安にさせ、そして傷つけ、そして嘘を信じこませるのも同じ『声』だ。
もはや俺は雇われ兵隊のズーではない。俺が演じる役目とは──
その三日後、ズーは目立たぬように決起集会を開いた。
彼の軍隊とはその集会によって急速に肥大化した地下組織を基盤にしたものだった。その数わずか千にも充たぬ──まさに
ズーはなるべく信憑性のある『嘘』をついた。『真実』というスパイスはほんの一振り二振りで十分だった。むしろそれによって全体の味を統括することができた。
学のない者にも伝わるようできるだけ単純かつ力強い言葉を選び抜き、何百何千とその同じ言葉を繰り返す。そして焚きつける。反感を、猜疑心を、何より『自分にもひょっとしたら何かができるのではないのか』というヒロイズムを。それが明日にでも忘れてしまいそうな高ぶりならば、忘れてしまう前に次の朝にも繰り返し語った。もっとも、そこまで『嘘』に固執する必要すらなかったのである。
なぜなら彼の『声』は特別であったのだから。
そんな彼がザックバランの新しい指導者となり、隣国であるジークファンへ侵略を開始するまでに費やした時間はわずか五ヶ月たらずであった。
ヴァンブラン・ボイス ペイザンヌ @peizannu
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