[第二部]

《Zoo side - 1》『新たなる宿主』

──人生は勝たなければ無意味だ。


 ズーは野心家であった。


 だが、そんな思いとは裏腹に彼の人生は負け続けていた。これまで雇われの傭兵として幾度となく戦いくさに参加もしてきたがその全てが負け戦ときている。そのくせこれまで大きな負傷もなく生き延びてきたのはある意味奇跡的ともいえた。


 彼はほとほと疲れ果て、故郷であるこのザックバランへ舞い戻ってきたという始末であった。ザックバランは建国以来『平和の代名詞』ともいわれてきた国であったが若きズーにとっては退屈すぎたのだ。そういうわけだから世界各地を巡り巡って帰りついたこの国で彼の運命が劇的に動き出そうなど、その時のズーが想像しているはずもなかった──


 両親の顔など記憶になかった。ズーが物心ついた時、彼はもうすでに孤児院にいたからだ。友と呼べるものも果たしてどれくらいいたのか、今となっては思い出すことすら難しい。そんな別段故郷に帰ってきてはみたが、はたしてこれからどうしていいのやらズーにはさっぱりわからなかった。


『いっそのこと商売でも始めるか──』


 そんなことを考えながら真っ昼間のバーで酒をあおっていると丁度商談らしきものをしている男たちの姿が彼の目に入った。二人のうち一人は王宮の使いの者だろうか。小綺麗な身なりにそれなりの装飾品をじゃらじゃらと身につけている──が、脂ぎって緩んだ顔がそれらすべてを台無しにしていた。


 おおかたインテリアでも探しているのだろう、対面の若い男から『壁掛け』のようなものを見せてもらっている。


(──はたして俺にあんな真似ができるのだろうか?)


 そう考え、彼は苦笑する。商談が成立したのかどうかはわからなかったが、やがて脂ぎった男の方が席を立った。ズーはその時、それを見送る若い男と一瞬目が合ったような気がした。少年のような美しい顔立ちをしているが髪の毛だけが老人のように真っ白だった。男はフードを被ると『壁掛け』を脇に抱えた。


『さてと、俺も仕事を探すか──』


 勘定をしようとズーが腰を上げたその時だった。

「ちょっと、いいかな」

 愛嬌のある笑顔でそう語りかけてきたのは、その白髪はくはつの男だった。男は右手を差し出し、言った。


「僕はフォグ。世の珍しい物を集めて商売をしている。さっきから君がずっと見ていた通りね」


 ズーはばつが悪そうに男の握手に応える。固くて冷たいものを指に感じた。指輪だ。フォグと名乗ったその男の手には中指を半分ほど隠してしまうような螺旋状の指輪が光っていた。


「気を悪くしたんなら許してくれ。俺もちょっと商売を始めたくてね……つい」

「ふーん。商売人というよりキミは兵士向きの体格をしてるがね、どちらかといえば」

「そういうあんただって、商売人というよりは使のような格好してるじゃないか。どちらかといえば」


 そりゃそうだ、とフォグは笑った。


「俺はズー。さっきの壁掛けは売れたのかい?」

「これかい。これは壁掛けじゃない。『り』だ。それものね」


 フォグはその青い瞳でズーをじっと見つめた。


「な、なんだぃ、俺の顔に何かついてるか?」

「『──人生は勝たなければ無意味だ』。ズー、そうは思わないかい?」

「え?」


 ズーはドキリとした。


 フォグはズーが飲み終えたロックグラスを持ち上げる。テーブルには汗をかいたグラスから滴り落ちた水滴が溜まっていた。フォグはそこに人差し指を突っ込むと、そのまま真横に一本の線を引いて、こう言った。


「たとえばだな、ズー。これが人生のフラットの線だとしよう。海でいうところの水面だと思えばいい」


 そしてフォグは改めて線の一番左に指を置くと、そこを起点に今度は右斜め下に向かって下降線を引き始めた。


「これが今までのキミの人生だ。そうだろ?」


 ズーの瞳がちらりと動揺の色を見せる。突然現れたこの男はまるで彼の人生を見透かしたように語り始めている。


「この、いわゆるバイオリズムというやつだが、あまりに落ちてばかりだと今度はフラットに向かって急速に上昇しようとする。確率の収束と同じだね。わかるかい?」


 そう言うと、フォグの指はアルファベットの『U』を描くように今度は右斜め上に上昇し始めた。辺りにキュッと音が響く。


「差こそあれど、大抵の人はこのフラット線を境に上下をウロウロしながら人生が進むわけだ。線より上なら俗に言う『勝ち組』であり下なら『負け組』。だから人は最終的にこの線の上にいたいと願う」

「ちょ、ちょっと待った。占いでもおっぱじめようてのかい? 言っとくが金なんか払わねえぜ」


 フォグはきょとんとした顔を一瞬見せ、また笑った。


「キミから金を取ろうなんて思っちゃないさ。さっきの『織り』がいくらで売れたと思う?」


 フォグは手のひらを広げ五本の指を立てた。今度は中指の指輪がはっきり見えた。それは蛇が螺旋状にとぐろを巻き、最終的に自らの尻尾を噛む──俗に言う『ウロボロス』のような形をしていた。


「ご、五万……いや、五十万かぃ?」


「五億ドラムだ」

「五億ドラム?!」

「そうさ、買い主を教えてやろうか。このザックバランの国王、キリエ・ボナパルトだ」

「……驚いたな。あんな布っきれ一枚が五億なんて。商売ってのは随分儲かるんだな」


 フォグはニヤニヤと笑いながら目を細めた。


「しかし、だ。どうだい? もし、その気があるならこれはキミに譲ってあげてもいい」

「は?」


 ズーは頭の中を整理したが、彼が何を言おうとしているのかさっぱり分からなかった。


「つまり、なにかい? 俺にそれを五億以上出してそれを買えってのか? バカ言っちゃ──」

「さっきも言っただろう? キミからを取ろうなんて思ってないって」

「じゃあ……」

「いいかい、ズー。人間てのはね、買い物をする時、さも自分が選んで買ったように思いがちだが実はそうじゃない。特にこういった芸術品はね自分の持ち主を探し、選ぶんだ。どうやらこの『織り』はキミのことが気に入ったらしい」

「つまり……これを俺にくれるってのか? だって、さっき国王に売れたって……」


 フォグは「あぁ」と思い出したような顔をした。まるで『そんなこともあったな』といった様子だ。


「あれか。あれはもういい。気が変わった」

「気が変わった──って。五億だろ?!」

「金の問題じゃないんだ。『織り』はキミがいいと言っている」

「だって……お、俺が売っちまうかもしれないぜ?」

「キミがそうしたいならそうすればいいさ。それをもとに商売を始めるもよし、もし気に入らなきゃ鍋敷きにでもすればいい」


 そう言うとフォグは巻いた『織り』をズーに手渡し、立ち上がった。


「お、おい、マジかよ?!」

「おっと、さっきの話の続きだ。落ちに落ちたヤツが急速にこのフラット線へ急上昇することがあるっていったろ?」


 フォグは大きめのフードをごそりとかぶり直すとテーブルに指を置いて、先程の右斜め上がりの線をさらにグングン引っ張っていった。


「もちろんそんなことはめったに起こらない。人間のちっぽけな一生なんかじゃとても計れない長い目で見た場合だ。が、ごく稀にだが、こんな人物だっている。上っても、上っても、上りつめても、さらにまだ上る……」


 それはフラット線を越え、さらに上る。フォグの指は上昇し続け、ついにテーブルの端まで辿り着く。そして、その人差し指はそのままズーを差した。


「ひょっとしたら、それがキミだってこともある……」


 フォグの妖しい瞳がフードの奥の闇で光っていた。


 ▲▼▲▼▲▼


(──ツキが廻ってきやがった!)


 一旦は場の雰囲気に飲まれてそう思い込みかけたズーであったが、よくよく考えてみるとそんな旨い話などあるわけがない。その夜、安宿の一室で冷静に考えてみた後すぐにそれは疑心へと変わった。


『バカバカしい。俺は担がれただけだ。あいつめ。きっとこの『織り』が売れなかったもんだから腹いせに俺をからかいやがったに違いない。なにが国王だ!──』


 本当に鍋敷きにしてやろうか。ズーは『織り』を見つめ、そうも考えた。


(──しかし……もしも、本当にそんな値の張るものだとしたら)


 ズーはその希望を棄て去ることができなかった。ともあれ彼は『織り』を開いてみることにした。


(──変だな……?)


 昼間、バーでちらと見た時と柄が違うような気がする。だが、その答えはすぐに分かった。模様が動いているのだ。初めは目の錯覚かとも思ったが、その模様はまるで水を張ったバケツの上に絵の具を一滴垂らした時のような動きで、確かに織りの中を所狭しと動き回っている。


「な……なんだ、こりゃ?」


 その『織り』には奥行きすら感じた。うっかり手を伸ばせばそのまま肩まで飲み込まれてしまいそうでもあった。やがて『織り』は次第に自らの力で光りを放ち始めると眩い閃光となりズーの目を眩ませた。


「──!」


 光は優しく、まるで恋人を包容するかのごとくズーを包み込む。その光の中でズーは美しい歌声を聞いたような気がした。が、実のところはそうでなかった。彼は『歌声』をいたのだ。


(──こいつは……凄ぇ!)


 彼の頭に五億の文字が浮かんだ。


(──売れる……こいつぁ売れる)


 その瞬間、ズーの頭の中に話しかけてくる『声』があった。それは男のものとも女のものとも形容しがたい哀しげな、それでいて透き通るような美しい声であった。


【ъй┘┌оф└╋┯ ……売る……?】


「……?!」


【┫мяй┬……ようやく……բΛբնը……肉の体たいを見つけたのに……Այբ┤եЖ……φヵ├┰ЙЩЩ……我を売るだと?……笑わせるな……】


『織り』は自らを形成する一本一本の細い糸を触手のように伸ばすと、ズーの口、鼻、耳の中へと侵入し始めた。


【そんなことは……αΞΛԱյւե╋……決して……させない】


『──!』


 どれだけもがいても、抵抗しようとしても無駄だった。すでに無数の糸はズーの両の目の隙間からも入り込み、果てはその毛穴からも侵食を開始している。


 ザックバラン王国からほどなく離れたアーレファンの森に住む一羽の小鳥ブラック・バード、ヴァンブラン。その『ヴァンブランの声』は、主を失ってからというもの次第に“意思”を持ち始め、今、確かに目覚めようとしていた。


 新たな『主』を求めて。

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