エピローグ

  エピローグ


 隼人はただちに救急車を呼んだ。セシリアのためにできることは、もうそれしかなかったからだ。それから部屋のなかを見回し、剛弘と武田、上杉らの死体を見て、少し葛藤したが諦めて自ら警察に通報した。どうせもう隠してはおけないのだ。

 そして救急車とパトカーが隼人の家に到着し、事が明るみに出るや、大騒ぎになった。

 なんの変哲もない住宅街のある一軒の家で、三人もの少年が死んだのだ。しかもその数日前には彼らと同じ教室の少女が怪死を遂げており、また教室でも指折りの美少女三人が原因不明の脳疾患を発症して入院となっている。さらには少年三人が死亡した家の主、すなわち隼人の両親が十日以上も前から行方不明になっていること、しかもそれに誰一人として気づかなかったことなどが、マスコミによって取り沙汰された。そしてこうした事件の渦中に一人の少年、すなわち如月隼人のいることが大きく報道されたのである。

 世間は大騒ぎになったし、学校も騒然としただろう。しかし隼人はそうした世間の喧騒とは無縁の場所にいた。すなわち警察の保護下にあったのである。

 隼人は最初の一日はだんまりを決め込んでいた。救急車で運ばれたセシリアがその後どうなったのか、肉体上の安否も含めていっさい教えてもらえなかったのがまず気懸かりだったというのもある。それになにより、すべてを正直に話せば精神鑑定に回されることは間違いがない。しかしいつまでも黙っているわけにもいかない。

 そこで隼人は翌日からぽつりぽつりと事のあらましを話し始めた。ファムと名乗る外国人の女に両親を殺されたこと。遺体はファムがどこかへ処分してしまったこと。自分は彼女に半ば脅迫されて同居を余儀なくされていたこと。そのことを剛弘に相談したところ、彼と、折しも自分の家を訪ねてきた武田や上杉が全員ファムに殺されてしまった、ということをだ。

 つまり隼人は悪魔のことを隠しながら、なるべく嘘をつかないように事件のあらましを話して聞かせたのである。だがそのような虫食いだらけ、墨塗りだらけの供述で警察を納得させることはできなかった。まだなにかを隠している。そう疑われたし、それは実際事実だった。隼人は最重要容疑者として警察に拘束され続けた。

 ――もしかしたら、もう塀の外には出られないかもしれないな。

 事件が明るみに出てから十日ほどが過ぎたその日、隼人はそうぼんやりと考え、自分の運命を諦めるようになっていた。だから突然釈放されたときには、なにが起こっているのかわからなかった。


 十月の末の、薄曇りの肌寒い日に、隼人は薄着でパトカーから教会堂の前に抛り出された。そこは遠目からでもそれとわかる、なかなか立派な教会堂で、塀に囲まれており、門は最初から開いていた。

 パトカーは車を路肩に寄せ、左折して歩道を横切ってその門をゆっくりと通り抜けると、そこで隼人を降ろし、いっそ無礼なほどに隼人を無視して走り去っていったのだ。

 ――これからどうすればいいの?

 一人その場に取り残された隼人がそう狼狽したとき、教会堂の扉が内側から開き、ベールをつけて髪を隠した一人の女性が姿をあらわした。彼女は初めて会ったときと同じ、白いブラウスに黒いスカート、黒タイツに黒いブーツという装いである。その姿を見た隼人は、安堵と驚きに胸を打たれて声をあげた。

「セシリア」

 セシリアはにこりと微笑み、隼人に近づいてくると口を切った。

「あなたを釈放させるのには、教会側がかなり骨を折ったと聞きましたよ」

「あ、ああ……そうか。つまり君たちが助けてくれたんだ」

「助けたというのは、ちょっと違いますね。それに教会からしてみれば、私は初誓願を立てたばかりの駆け出し修道女に過ぎません。それがこうしてあなたのことを委されたのは、云ってみれば乗りかかった船というものでしょうか」

 意味がわからず小首を傾げた隼人に、セシリアは淡々と語り始めた。

「孔雀院輝子、鳥居ゆら、一条奈緒美のことですが――」

 その名前を聞いて隼人はたちまち胸を締め上げられた。彼女たちのことはセシリアと同じくらい、いやそれ以上に気懸かりだった。

「どうなったの?」

「三人ともカトリック教会が用意している救護院に転院となりました」

「救護院?」

「はい。悪魔や黒魔術の被害者を保護し、治療および救済するための施設が、実は世界各地にあるのです。日本の場合は、長崎です」

「長崎」

 その単語に、隼人は距離を感じた。ここ東京からはあまりにも遠い、遠すぎる。

「もちろん三人の家族には了承済みです。そして恐らく、そこが彼女たちにとってついの住処になるでしょう」

 隼人は胸を抉られるような気がした。やはり助からないのだ。それがどうしようもなく悲しい。隼人は目元に浮かんだ涙を素早く拭うと、セシリアに縋るように云った。

「それなら、僕も長崎に行かないと……」

「そう云い出すだろうと思って、実はあなたの親戚にはもう話をつけています。あなたの身柄は以後、無期限で教会に監視されます」

 保護ではなく監視だ。その意味を素早く悟って、隼人は自嘲の笑みを浮かべた。

「僕が悪魔と契約したからだね」

「はい。これに伴い、勝手ながらあなたの通っていた高校からあなたの籍を抜かせていただきました。つまり、中退です。そして諸処の事情を鑑み、長崎にある救護院で働きながら、孔雀院、鳥居、一条の三名に奉仕し、彼女らが全員神に召されたときに、あなたの罪は赦され、その身柄は教会の監視下より自由とする……というのが、一時的にとはいえ悪魔に魂を売り渡したあなたへの罰です。異存はありますか?」

「ないよ」

 隼人は微笑みながら即答した。どうせ学校へは行けない。まともな社会生活も送れない。そんな自分に仕事を与えてくれたうえ、輝子たちの傍にいることまで許してくれるというのだ。

「喜んでその罰を受けさせてもらう」

結構よろしい。では行きましょうか」

「えっ?」

 目を丸くした隼人に靴音を鳴らして歩み寄ってきたセシリアは、隼人と無理やりに腕を組むと歩き出した。

「あの、ちょっと……」

「これから飛行機で長崎です。もうチケットは取ってあります。生活に必要な荷物は向こうが用意してくれるのでご心配なく。あなたの自宅は教会側で処分させてもらいました。あなたたちの入院費用に充てるということですから、諦めて下さいね」

「えええっ! ああ、まあ、仕方ないか」

 隼人は住み慣れた我が家までもを失ったことに少なからぬ衝撃を受けたが、それも運命と諦めることにした。だが釈然としないのはセシリアである。

 教会の敷地を出て、駅に向かって歩きながら隼人はなおもセシリアに訊ねた。

「で、なんで君が一緒に長崎に?」

「メインヒロインですから」

 その言葉に目を丸くした隼人を、セシリアは笑った。

「というのは冗談で、本当は私も長崎の救護院で働くことにしたのですよ」

「えっ? でも、悪魔退治はいいの……?」

「悪魔なんて今の世では滅多に出ません。ですから私は、私の代で家名に終止符を打っても許されると思って修道女の道を選んだのです。それに……」

 と、セシリアはそこで痛ましげな顔をして付け加えた。

「それにあなたは、そう遠くないうちにあの三人を見送らねばなりません。きっと辛い思いをするでしょう。そのとき私になにかできれば、それは神の御心に叶うと思うのです。もとより修道女の務めは献身と奉仕ですから、私はあなたに寄り添うことに決めました」

 その言葉に隼人は救われたような気がした。折しも風が雲を散らし、雲間から青空が見えてきた。光りの杖のような秋の陽射しが降ってくる。

「つまり、僕と一緒にいてくれるってこと?」

「まさにそういうことです」

 セシリアがわらう。それは献身の誠に溢れた、聖女の微笑みであった。

 この笑顔が傍にあれば、いずれ来る三つの別れも乗り越えられる。感謝は神になさいとたしなめられるのはもうわかっていたが、それでも隼人はこう云った。

「ありがとう」

                                     (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪魔物語、叛逆ライトノベル 太陽ひかる @SunLightNovel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ