第七章 海の那由多

後編

1. 海よりも遠く星をこえて

海よりも遠く星をこえて    5phenOmena


  作詞:LISA 作曲/編曲:草薙那由人


君が星をこえるなら 僕はここで海になろう

たとえそれが誰か 傷つけることになっても


夜に闇を抱いて 輝く泉湧き出でるよう

新しい命 何処かにきっとみつけるから


身を切るような雨 熱い身体に受けて

どこで何を間違え 二人ここにいるの


どこにもない夢を追って 探した傷の痕跡あと

つづく明日が確かに この時を刻むなら


今でも覚えてる 泣きそうなその微笑み

強がりな心で 優しく騙された瞳

まだ囁く想いが 胸しめつけるよ


君が星をこえるなら 僕はここで海になろう

たとえそれが誰か 傷つけることになっても


夜に闇を抱いて 輝く泉湧き出でるよう

新しい命 何処かにきっとみつけるから


愛してた人は 確かにいた気がしたのに

いつか消えた涙の跡が すべて溶かした


太陽と月の戯れ 狂おしい痛みで

嘘をついた夢の中に 君を閉じ込めた


何ももう怖くない 本当の翼になれる

どこかで咲く花は 君に捧ぐ愛の歌

忘れないで いつでも 二人つなぐ糸を


君が星をこえるなら 僕はここで海を纏う

辛い孤独 いつか心蝕む 檻となり


夜と闇に穢れ 向かう涯て知らず凍えても

愛しい光 何処かでそっと感じるから――


君が星をこえるなら 僕はここで海になろう

たとえそれが誰か 傷つけることになっても


夜に闇を抱いて 輝く泉湧き出でるよう

新しい命 何処かにきっとみつけるから



「『5phenOmena――ツクヨミ・聡介・諒牙・リュシー・ワイズ』……て、これって草薙さん!?」

「そ、君たち男性声優陣が歌うルミナス二期EDエンディング……」


 何気なく配られた譜面を前に、各人が驚きの声を不意にあげる。第一話アフレコ収録後にスタジオに集められた男性声優三人。すなわち、ツクヨミ役の寺嶋彰、聡介役の神崎まこと、そして睦月諒牙役の森下宏史、である。ちなみに本日この場にいない白のメシアことリュシーとドクター・ワイズ役の櫻井一樹と宮部祥一朗に限っては、改めて後日連絡が行くようになっているらしい。


 総監督の竜崎や相澤らが去った後、人知れず入れ替わりにスタジオに入ってきた風のような男。あまり存在自体を感じさせない、不思議な雰囲気を漂わせている、その長髪の優男が前回の一作目からの主題歌プロデュースを担当している草薙那由人であることは、一期の某イベントなどを介して三人とも当然見知っていた。


 それはともかく、このルミナス二期ED曲である。それも劇中での位置づけとして、かなりアヤシイ役どころの五人。しかも、何かいきなり声優ユニットみたいになっている。前期が瑠美那役の水澤ひとみによるEDだったからか、今回は反して男性ユニットなのか。まあ、それぞれの男性声優にもそれなりのファンが付いており、一応女性ファン人気でもっているルミナス・コードだけあって、こういうサプライズ的イベントも珍しくないのだろうが。


「ワァなんかユニット名かっこいいっすねぇー」

「……しかし、さすがに役のチョイスがやばいですよね。というか、これで今後の展開が見えてくるっていう? いや、そんなこともないのかな」


 思わず感嘆の声を上げる聡介役の神崎に、ツクヨミ役の寺嶋は微妙に苦笑いながらも、こちらも感心している様子。諒牙役の森下は何気に自分が「こちら側」に入っているので、自身としても同様に失笑するしかなかった。


「そりゃ諒牙君も、めでたく闇の力に目覚めたから……」

「うわ、俺一応双子なのに……、真吾兄貴ィ!」


 そんな屈託のない三人のやり取りを他所に、草薙は一人別の思案に耽っていた。……弉冉いざなみの君、か。さて、君が一体どんなポテンシャルを秘めているのか、楽しみに待たせて貰うよ。


 歌、そして番組主題歌。特にそのOP《オープニング》テーマは作品のファーストインプレッションの要として重要だ。それを前作では草薙自身が率いるバンドユニットLuna-Mariaが手掛けた。そのメインフレーズを歌う女性ヴォーカルは無論、沙原琴音。そして同男性ヴォーカリスト、黒崎凛。バンドとしては、途中参加の琴音だが、草薙の目は正しかった。どこか繊細でありながら震えるような強い吸引力を持つ彼女の歌声は、多くのファンを言葉少なに魅了した。事実Luna-Mariaは彼女の参入を切っ掛けに、文字通りのスターダムへとのし上がって行ったのだ。


 しかし、今回は違う。元々の草薙の狙いは男女混合ヴォーカル、その不確定要素にこそある。若干琴音と心理的相性を異にする、バンド結成時からの元々のヴォーカリストである凛。自分自身の力でないもので得た成功という、彼としては当然あまり喜ばしくない事実。そして、それが今後共に歩んでいかねばならない存在であるという葛藤。……凛。


 本来の意味での一ユニットとしての醍醐味は、これからだ。それが奇しくも、このルミナス・コード二期という、もう一つの新たな舞台。凛と琴音、二人の真の化学反応ケミストリーを促す出発点、か。


 それに加え、今回のOP作詞担当は草薙自身ではなく、素性も知らない外部から採用された作詞家。急遽、決定したドラマー変更はともかく、どこかしら全てが異なる布陣にての再出発。だがしかしそれは、このルミナス・コード第二期だからこその新展開に他ならなかった。


 草薙は今回の諸々決定に、いささか不服気味の凛を思う。しかし、愁い顔に見えるその横顔には、既に確固たる確信の色が見て取れた。凛と琴音の真のシンクロもだが、最終的なすべては“彼女自身”の力による。そう、まだ何一つ持っていない、その無償の思いの、ね。


          *


 この物質世界から真に解き放たれることとは、一体何を意味するのか。宇宙とは――真の宇宙とは、時間と空間から隔てられた、まさにその虚空を差す。過去から未来へと向かって流れていく時の流れ。決して揺るがぬものと誰もが信じて疑わぬ、その整然とした時間軸。が、それは幻想だ。過去も未来もない。すべてが同時並行的に存在するパラレル・ワールド。そう、タイムレス・ワールド。


 生と死……。まさにここは、その狭間を瞬間的に垣間見ることのできる場所なのかもしれない。神に触れる場所。そして、己自身のすべてに還る場所。熊野という引力が真に持っている、何か。それそのものに気付けた瞬間にこそ、ここを訪れる者にとって熊野は熊野でありえるのだ。


 草薙那由人という男が、本当に時間を自在に操る能力を持っているのかは、実は定かではない。ただあり得るのは、その“真の時間軸”に干渉することのできる宇宙を自身の中に介在させている、ということだ。音、そしてことば。それらは奴の脳神経から間接的に抽出したイマジネーションの宝庫であり、それらを表出させることによって新たな宇宙を聴くものの耳を介して再構築する。……いや、既にそれは奴の中にあった宇宙ではない。そうやって常に新世界を増殖させ、宇宙そのものを新たに生み出す。


 『それこそが、真の創造クリエイションなのではないですか?』


 そう誰もが、その真の創造の根を持っている。要はそれをどうやって己自身の中に構築させ、さらなる世界を世に表出させていくかだ。だから無数の存在の可能性が必要になる。そして、その中の不確定要素こそが――。その感染源は、どこにでもある。


 涼しげに笑うその顔を、竜崎は今でも鮮明に覚えている。いや、そう思った瞬間が既に過ぎ去った過去のものだったのか、それともそうでなかったのか。ただ「今」という瞬間の連続が続くこの地球生命系の、この時代にいる今だからこそ、そう感じることができるだけなのかもしれない。


 過去から未来へ。その直線的な時間軸のレールに沿って幸か不幸か我々は生きている。重力という確固とした楔に繋がれ、それ以上は全てを知りえぬ檻の中に囲われているからこそ、感じることのできる充足感。そして決して解くことの叶わぬ重荷。


 死とは、まさにその重荷から解き放たれることだ。肉体の枷をほどいて自由な魂に戻る瞬間。草薙が紡ぎ出す音の調べは、どこかしらそんなものに似ている。我々人間がこの物質世界に繋がれていることは不幸なのか幸福なのか。そんなことを一瞬でも思い浮かべた瞬間に、既に人はこの世界そのものに対し、些かでも疑問を抱き始めているのかもしれないが、それが自殺を考える一歩手前であるのか、それとも自殺という考え方、その思考回路そのものが、まさにこの物質世界に囚われているせいなのか、それ自体も定かではない。


 熊野は死者の国、黄泉の国であるといわれる。だからこそ隠されし神がす処なのだと。――花のいわや。まずは、そこで奴のお手並み拝見、というところか。海の那由多……、その波の向こうに見える、すべからく生けとし生けるものが還る場所。そして新たなる生命いのちが生まれる彼方。


          *


 あれはどこでだったか。凛はいつか何処かで聴いた旋律メロディをふと口ずさんでいた。それは遠い記憶の彼方、まだ彼が音楽を志す以前、もっとずっと幼い頃に耳にしたものであるような気がした。が、それもどこか不確かで、ただその不鮮明な記憶の中で、ただ妙な懐かしさを伴って彼自身の意識をずっと浸し続けていた。それは酷く曖昧なようでいて、その実、普遍性を持って存在する確かなもののようにも思われた。


 ――さっきの“アレ”は、どことなく、それに似ている気がする。


 仮歌の旋律それ自体もだが、何より囁くように口ずさむ、そのことばによって彼の意識は、そのどこかにいつしか連れ出されていた。タダの言葉の羅列ではない。深い意味があるようで意味のない、そんな無邪気さにも似た、どこまでも無防備なうたの翼。


 ヴォーカルは琴音だろうか。赦すとか赦さないとかいったレベルでの話は、とうに自身の中で終わっている気がするのに、それでもまだ何かにこだわっている自分自身がいた。無論、彼女は悪くない。それどころか、いつまでも大人気なく独り問題を引きずっているかもしれないのは、むしろ俺自身の方だ。……草薙那由人、その人がいるから、確かに今の俺自身がいる。その人のすべては、俺自身のすべてだ。だからこそ、本当は余計な部外者に邪魔されたくない、ただそれだけのことなのかもしれない。


 だが琴音の歌声は、正直嫌いではなかった。いや、むしろ自分自身にない柔らかな抱擁力とでもいうような、何ともいえない静けさや穏やかさがあることは認めている。歌いヴォーカルの力とは、何も声高に強く叫ぶことだけではないのだと勿論知っていた。ああ、そうだ。とんだ捻くれ者とでも何とでも言ってくれ。なぜもっと素直に評価し、受け入れてやれないのかと。俺はそんな彼女に嫉妬しているのかもしれない。そう。決して自身が到底、到達できそうもない境地を軽々と飛び越え飛翔してしまう、そんな無垢で真っ白な、その無邪気な翼に。


 ……そうか。アレは、そんなものにも、どこか似ているのかもしれない。だからこそ彼女の歌声が映えるのか。


 でも、本当にあれは何なのだろう? 俺自身の知覚そのものが、どこかで分かちがたくそれと結びついているような、そんな不可思議な引力を感じる。その果てしなささえ感じる磁力に、否応なしに強烈に引き付けられている自分自身を実感する。そのフレーズが、俺自身の中のこの微かな感覚を呼び起こすのだろうか。


 しかし凛は、自分自身の資質がそれと真に出遭い、どんな相乗効果を生み出すのか、その事実に今はまだ気付かずにいた。これまで決して触れ合えないと思えていた、マイナスとプラスの磁極。火と水。光と影。彼はどこかで怖れていたのかもしれなかった。今以上の、いや、それ以上の自分自身に出遭う瞬間を。おそらく一度引き合ってしまったら、到底戻ることのできない次元に踏み込んでしまう、どこかでそんな気さえした。


          *


 そう、どこかで何かを整理しなきゃいけないと、心の中でずっと思ってる……。


 伊勢から熊野へ。その途中で水澤さんを一人残して、あたしたち二人は。そう、あたしと篠崎さんは、こうして熊野古道を歩いている。いや、正確には独りじゃないのかもしれない、水澤さんは。けど、だからといって忘れてしまっていいことじゃない。第一おかしなことばかりじゃない? あの瞬間、まるでテレポートでもしてしまったかのように、あたしたちは瀧原宮にいた。だから、必然的に水澤さんと別れてしまうことになってしまったんだけど。


 それに本当に誰なんだろう。篠崎さんの携帯にかけてきた人って――話によれば、水澤さんはその人と今一緒にいるみたいだけど……。


 深く考えまいとすること自体は、やはり不味いことなんだろうか。なぜかしら、何も考えずにこれまでいた気がする。というか、ただ黙々と山道を歩いていることで、自然と心からそういった何もかもが抜け落ちていくような……、雑念が解け落ちる、と言うのだろうか。そう、もっと別の何かに心が自然と向けられて。何も考えるな、そう暗黙のうちに諭されてしまっていた。何に? 誰か、ではない。木々の間から零れ落ちる日の光。水のせせらぎ、鬱蒼とした緑のかおり。


 流れる汗と心地よい疲労感。何もかもが浄化される。月並みかもしれないけど、そんな表現が相応しかった。身体の五感が次第に研ぎ澄まされていく。そのうちに色んなことが、どうでもよくなってくる。けれど、あたしは、あたしたちは、一体何を目指して歩いているんだろう。何に向かって、こうして一歩一歩山道を踏みしめているんだろう。様々な疑問、そして戸惑いが、次第に氷解していくような心地よさの中で、それでもまだ向こう側に踏みとどまろうとする。まるで心と魂が二つに分かれてしまったみたいだ。


 ついこの間まで、雲の上の人だった人。自分とはまるで違う次元に生きている人……声優、という職業は、それでも地味な部類に入るのだろうか。それでも、あたしにとってその人は、紛れもなく生きる世界の違う人だった。幼い頃は、普通に見ているアニメのキャラクターに声をあてている人がいるなんて微塵も考えなかった。


 でも、ある時、とある女性声優がTV画面の中で、目の前のモニターの前で実際に聴き覚えのある声をあてて演じている姿を見た瞬間、子供心に、心からすごい!と思った。あのキャラの声の人だ!……なぁんていう感慨や感激は、アニメ制作の裏側を初めて知ったような人なら、誰もが最初に感じる類のものだろうから、今では既に懐かしい遠い記憶でしかないのだけど。


 そして曲がりなりにも? アニメオタクという人種に当然振り分けられているかもしれない昨今。そんな今となっては子供時代のそんな純粋な気持ちとは別な意味で、ずっと慣れ親しんでいる世界。そして今では声優は、女性声優を中心として、いわばアイドル並の絶妙な立ち位置におり。さらにそれをディープに知るファンたちにとっては、もはや特異な存在であり、と同時に妙な親近感も強い。そう自分たちしか知らない、自分たちの、自分たちだけが心から寛げる、それは大切な聖域サンクチュアリ


 それだけじゃない。実は声優という職業は非常に専門的な特異さを持ち併せている。画面に合わせ、声だけで全てを演じ分ける能力ちからは、心底伊達じゃないと思う。そこが普通の俳優とは異なる点だ。声の演技のスペシャリスト。まあ、中にはそうじゃない部分で人気を博している存在ひともいたりするけど……、それでも普通に訓練されてアテレコできるだけで凄いといえる。その諸々含めて色々と特殊な職業であることは確かだろう。


 はあ……。それがどうして。いまさらながら、今目の前にいる人が、自分にとってそんな存在だったなんて信じられない。というか、その人と自分がこうして一緒にいることが――。その戸惑いや疑問のすべてを、ここ熊野は全て無条件に溶かしてしまう。一つ一つ整理して、じっくり考えるいとまも与えられないほどの、怒涛の急展開。それなのに心のどこかで「大丈夫だよ」と、相変わらず誰かが囁く。全然そんなわけないはずなのに、そんな余裕ないはずなのに、自ずと心が鎮まっていく。ほんとまだ『ルミナス』に関する謎や疑問の全ては何一つ氷解していないっていうのに……。


 というより。


 そろそろ日も西に傾きかけようとしているさなか、円城寺女史が取っておいてくれたという今晩の宿のことを考えると、やたらとそわそわしてしまう自分自身に気付いて一人密かに赤面していたりしたのは勿論、篠崎さんには内緒のことだ(勿論、部屋は別々だろうとは思うんだけど)。本当に未玲が知ったら、なんて言うだろうか。


          *

 

 白銀の機体、エンリル。睦月慎吾の乗機D-2である。古代メソポタミア神話における「風と嵐」を司る神の名。しかし慎吾自身、それがどう己自身の「想い」そのものと結びつくのか考えたこともなかった。しかし今、龍蛇の巫女である金城瑠美那と出逢い、そしてテロリストにして海賊パルジャミアの首領、アグニ・ヴァシュラートと出逢い……彼自身の中の何かが確実に変わっていった。


 そう、僕は瑠美那さんとアグニを救いたい。それがもし今の自分自身に可能であるならば。そう――そうであるなら、どんなによいか。しかし慎吾の機体エンリルは、風と嵐を司る神……雨雲を作り出し、雷をともなう雨を降らせ、大地と人々を潤す。奇しくもアグニが率いる賊たちが戴く名も、それと属性を同じくする神の名だった。


「これを使う」


 クロエは、そう唐突に目の前に差し出されたコンパクト・ミラーに思わず目をしばたいた。鏡……? そう鏡だ。それは何の変哲もない、ただの鏡だった。


「三種の神器。かつての日本では、その一つだったそうだな」

「だが、しかし……」


 デュナンの姿をした日神は、それが重要な宝の一つであることを思い出していた。十種とぐさ神宝かむだから。そのうちの剣、鏡、そして勾玉たま。その一つである勾玉は既にリリアンもろともガイアの親玉に奪取されてしまった。そして残りの剣と鏡の所在だが、それも未だ明確に判明しているわけではない。そもそもその剣や鏡も、それらの機動キーであるところの勾玉自体がなければ、何の意味もない。では一体?


「何も本物そのものでなければ、効果を発揮しないというわけではないだろう」

 まさか……、そのまさか、さ。

「ダミーを使う」


 太陽の擬態を纏い、見えざる銀河の輝きを目に焼き付けさせる。それこそは今この時の日神が選ぶべき選択だった。すべては何より事を始めなければ先へは進めない。そして、それをするために有用ならば、それそのものが本物じつぶつか、そうでないかなどは文字通り瑣末な問題だろう。


「………」

 瞬間クロエは押し黙った。しかし、今この時のかの人が非力なればこその方法の選択というものもある。確かに理念だけでは現実は動かないものだが、おそらくそれが可能ならば、どのような方法だろうと。そう、可能ならば。


「そうだな。試して――、みるか……」

 ようやく重い口を開いた瞬間、黒髪の少年はニヤリと笑った。

「デュナン・リトラス、いや太陽の皇子よ。お前自身が真にその身にその力を宿しているなら、」

 当たり前だ。しかし、クロエの若干の逡巡を余所に、己自身の威光を信じる余裕に満ち満ちたその表情には一点の曇りもなく、あるのは勝利への確信だけだった。


          *


 ついに白のメシア来訪を翌日に控え、イザナギ国内は文字通り慌ただしい気配に満たされていた。イザナギだけではない。大国神聖ガイアの象徴そのものとも言える、白のメシア……その門外不出の聖なる存在がガイア国外へ出ること自体、異例中の異例の出来事である。その一大スクープに各国メディアのニュースはそれ一本で持ちきりの状態が続いていた。


「ついに、明日……か」


アマテラス・ドーム中心部の首都高を車を走らせながら、高層ビル群の街頭モニターや電光掲示板の文字ニュースなどを横目で追う。そのどれもが神聖ガイア、白のメシア関連のニュースであふれかえっている。一向に掴めないリリアン失踪の真相。そして龍蛇の巫女である姪の金城瑠美那を宿したはずの謎の男子生徒デュナン・リトラス。そして、この白のメシアイザナギ訪問。


 だが、そのどれもが不可思議な引力をもってしてリング状に島嶺の意識を取り巻いていた。なぜだ……、その疑問を余所に、ある街頭ビルのモニターを見やるとイザナギ首相、御統要一の会見が映し出されていた。その御統こそは唯一失踪後のデュナン、いや日神の姿を変えたところのその黒髪の少年に出遭っている、ただ一人の人物なのであるが。そんなことを知る由もない島峰はハンドルを握りながら、ふん。とそのモニター越しの会見に鼻を鳴らした。


『――神聖ガイア皇国、その神聖なる白のメシアこそは我が国イザナギにおける神国としての文字通りの象徴の雛形であり、我が国も、その失われし象徴そのものを今こそ復活させるべき時であるとともに、明日という日を迎えることは真に喜ばしきことと認識しており……』


 失われし象徴、ね。確かにガイアの白のメシアに匹敵するほどの威光を持った国の象徴が、かつてのこの国にもあった。が……やはり一七年前の天変地異がすべてを変えた。そう変えてしまった。実はそれですら何かの工作かと見紛うような俄かには信じられない大地殻変動で一夜にして巨大大陸が出現、そして。列島は沈降し、日本はその国土を失った。イザナギ、その蛹の殻を破り新たな命を紡ぐために。


 だが本当に“コイツ”は一体どこから湧いて出た? そんな疑問が確かにこの白のメシアに限っては如実に沸き上がらなくもない。世界各国が混乱に次ぐ混乱、その混沌の坩堝に飲み込まれるさなか、いつしか一筋の光に導かれるように“神”がこうして姿を現し、人々に「聖なる言葉」を放った――それがこの神聖ガイア皇国のはじまりとも言われている。


 その光景を見た者でなければ信じられないかもしれないが、そう伝えられることで短期間でこの超大国は文字通り完成したのだ。嘘だろ? おそらく島嶺のみならず、誰もが首を傾げることだろう、だが。デュナミス。そうデュナミスだ。おそらくは我がイザナギの誇る先鋭特殊部隊イオリゲルが専有しているはずの例の異能力を、この白のメシアも使っているとの噂も巷にはある。


 それならば些か真実味はあるかもしれない。が……、そのデュナミス自体、そもそもが得体の知れない力と言われている。だからそのイオリゲルも一部では怪しげな超能力ちからを宿した少年少女らの掃き溜め部隊とも揶揄されているのだ。そしてその肝心のイオリゲルだが。


 先日、ガイアの諜報部員でもある草薙瑞穂からもたらされたトップシークレット。そのイオリゲルの母艦アステリウスが白のメシア訪問に合わせ、ここアマテラス・ドームに明日入港するらしい。まあそれ自体はガイアの要人中の要人である白のメシア警護という彼らの最重要任務としてはもっともな事ではあるのだが、それがどうにも引っかかる。瑞穂からの情報ではアステリウスは小笠原諸島近海を航行中とのことだったのだが。


 そこからいきなりアマテラスに呼び出されるというのも少々無理がありはしないか? なぜわざわざ――。その島嶺の素朴な疑問は通常なら、さして疑問をさしはさむこともないような事柄だった。が、何かがおかしい。奇しくもその島嶺自身の勘がドンピシャだったというのは翌日首都アマテラスにて行われる首相官邸主催のセレモニーにて明らかになることだった。


          *


 不思議に心が騒ぐ。いつものようにアグニが眠る水槽を前にイメージトレーニングを重ねていた真吾は、ふと水槽の水面みなもから光ファイバーを通して微かに差し込む太陽光を見上げた。吹き抜けの仕様となっている円柱形のアグニの水槽は、その水温調整も自然の太陽エネルギーを利用していた。あつらえたばかりの代物にしては快適らしく、爬虫類よろしく定温動物の身となった不遇のアグニには、せめてもの褒美だったかもしれない。


 そのゆらゆらと揺らめく水面の光の矛先を見つめるうちに、いつしか心は彼女、金城瑠美那の面影を求めていることに気づく。白のメシアのイザナギ来訪をついに明日に控え、D-2の開発主任であるベアトを中心に何度アグニのマシンやアグニ自身とのシンクロ訓練を行ったか分からない。それでも結果は本当に万全とはいえないまでも、何とか物になるまでには仕上がったかもしれない。


 それでも真吾自身の心はやはり晴れない。アグニ、僕たちは一体どこへ行くのだろう。どこへ向かい何をするのだろう。分かりきったこと。その答えに何度かぶりを振り、何度抗おうとしただろう。それでも結果は同じ。そして僕はなぜイオリゲルにいる? 一体誰と何と戦おうとしているのだろう。だがその“ターゲット”自身がともがらであるアグニそれ自体の力を最も欲しているなどと、今の真吾には想像だにできないことだった。


 ……戦う……戦う……オレハナニト?


 人ならざるものとなったアグニ。そう水と空気と、そして太陽光さえあれば。その日の光の源がこちらへ近づいている。いや、それは光り輝く命そのものだ。その龍神の血潮そのものが、今アグニの身体を活かしていた。


 ……オマエハ、イマ、ドコニイル……?


『ここだ。カグツチ』


 自分をカグツチと呼ぶもの。それが今、俺自身を手招いている。少しずつ、その日の光はこの暗い海底へと届いていた。早く、ここから出なければ。龍神と化したその身は真に己自身が生き返る場所を求めていた。そう早く――そう思った途端、その手足は俄かに動いていた。カッと見開かれる赫光シャッコウの眸。瞬間、ほとばしる閃光。そして凄まじい轟音と共に目の前の強化ガラスが砕け散る。次の瞬間、アグニを包んでいた大量の水の塊がラボ内に踊り狂った。


 幸いその時、真吾は席を外していた。が、その瞬間、激しい振動と音とが真吾自身をも襲った。揺らぐ足元。なんだ!? ちょうどラボに向かっていた真吾はすぐに異変に気づき、大声でアグニを呼んだ。「アグニ――ッ!!」いつもならエレベーターで階下の水槽前まで辿り着くのだが、下のフロアーがすべて大海と化した今は、それすらままならない。上部ラボ内に駆け込みテラスから見下ろすと、分厚い強化ガラスを施したラボ内の円筒形の巨大水槽が半ばほど水に沈み、無残な姿を晒していた。


 見ると、その中ほどにかろうじて人の姿を留めた異形の影があった。アグニだ。アグニは半分ほど水に浸かりながらも、しかしその身体から発せられた熱で周囲の水が急激に気化し、シュウシュウと熱い湯気を立てていた。アグニッ! 真吾は眉根を歪ませ、必死の思いで叫ぶ。が、すっかり周りの水圧がほどけたのを合図にアグニは静かに立ち上がり、天井を見上げた。仁王立ち――その姿は人であって人でない。けれどそれは確かな意志を持って、信ずるどこかに飛び立とうとする人の姿そのものだった。


『ヤツガ、オレヲヨンデイル――』


 言葉を発せないはずの彼から、しかし確かに真吾はその声を聴く。それはイオリゲルだからこそ聴くことのできる心の声。だが既にアグニと真吾は、それ以上に“言葉にならない言葉を交わせる”、まさしく相互の存在となっていた。なのに。


「どうしたの!?これは一体!?」


 そんな緊迫した声と共にベアトが走り込んできた。無論、キリアンもだ。既にラボ内は他の隊員たちの働きで随分と吸水され水嵩が減りつつあったが、真吾はそれでも目の前のアグニから目を離すことができなかった。ヤツ?やつって誰だ。そして『俺は行かなければならない』――アグニのその声を聞いて、ハッとなると即座に別方向へ走り出していた。そう、自身の機体の元へと。


 それとほぼ同時にアグニの愛機アスラが唸り声をあげる。まるで龍神の血潮が乗り移ったように、何の動力もなしに。それはまるでその龍神そのものと化したアグニそれ自体のようだった。そして焔そのものとなったアグニの熱源に向かって、そのあかい機体が壁面を突き破り、主のいるその場所へと滑り込んだ。


「まずい!艦内ハッチをすべてロックしろ!!」


 しかし、そのキリアンの指示も虚しく、今やアスラと一体となったサーペントの青年はすぐ傍まで来ている“真の主”に向かって飛翔すべく邪魔なものはすべて排除することを選択した。その強い念力おもいが熱と光のパワーとなってアグニとアスラとを包み込み、それが一気に放出される。その衝撃波は、いとも簡単にアステリウス内部の隔壁を突き破ると、アグニ自身のための脱出経路を作った。


 その激しい衝撃に襲われ、艦内は混乱の坩堝と化す。そんな、まさか……。その不測の事態に言葉を失うばかりか、ベアトは無論キリアンでさえ、今はこの事態がもたらす近い未来の異変に思いを馳せることすら、到底ままならなかった。


 真吾ははやる心を抑え、興奮を鎮めて目を閉じ意識を集中させる。即座に自身の機体エンリルが青い光に包まれ、起動シークエンスを開始する。そっと目を開けると、真吾は既に内部のエントリーシートに位置していた。美しい流線型の機体はそのまま、真吾自身の想いの純粋さを示しているようだ。それは文字通り彼自身の翼。真吾がそのねがいを解き放ち、風そのものになるための――。


 空はどこまでも青く、そして眼下に広がる海原も碧く白い波頭と共に、彼方の水平線へと向かって共に遠くどこまでも続いていく。その青と碧とが一つに溶けあい重なり合う、永遠の遥か彼方へと……そして、その先に拡がる無限の宇宙。


 子供の頃は空を飛びたいと夢見ていた。そしてその思いは今こうして叶ったのかもしれない。でもその願いの形は、その頃とは微妙に違っていた。僕自身が願ったことが、それを叶えることが、いつか誰かを傷つける。その誰かの、何かの犠牲なしには叶うことのない夢。それが生きることの真実なのか。今さらながら真吾は一人かぶりを振る。


 だがこうして彼自身が駆る機体エンリルは、真吾自身の向かうべき世界を示していたのかもしれない。風と嵐の神。風のように軽やかに舞いながら、その滑空する翼は戦って勝つことを決して避けることはできない。全てを薙ぎ払い切り裂いて疾駆する白銀の機体。


 そしてその先で待つ龍神の光。それは奇しくも人間ひとだった頃のアグニ自身が夢にまで見たこの世の涯ての輝きだった。見えない水平線に向かって飛翔していながら、その実彼らがめざしていたのは、もっとはてない宇宙そらの彼方だったのかもしれない。海よりも遠く星をこえて……。


「アグニッ――!!」


 真吾は叫んだ。視界の先を行く赤い炎。流星のように半ば燃えながら尾を引くその機体は既にマッハの速度を超えていた。


 その瞬間クロエはハッとした。アグニだ。“そのこと”にデュナンも気づいたようだ。「やつか!?」遠い波濤のさらに遠く。空と海との青が溶け合う彼方。クロエはデュナンにかまわず己の思念を研ぎ澄ます。アグニは真っ直ぐこちらへ向かっている。デュナンに姿を変えた日神も、凝と見据える遠方の空に“それ”が来ているのだと察知した。


「太陽の皇子みこよ、用意はいいか」


 クロエのその言葉に無言で頷く。海面を走り続けるホバークラフトのスピードはそのままに、デュナンは目を閉じる。真に己自身のともがらなればこそ。カグツチ。その命は文字通りアグニの肉体を借りてこうして生き続けていた。いや、文字通りもっと違う何かに変容したのかもしれない。それでも共に在る意味があるならば。


 それは複数の願いが拮抗した瞬間だった。アグニを求めるクロエ。アグニを追い、そして共に金城瑠美那を追い求める睦月慎吾。そして……日の神の願いも、また。その求めるものの思いそのものを一つに束ね、さらなる高みへともろとも上昇する。だが、それすらただの詭弁であると気づかぬままに、傲慢すら超えた強い意思が一つの光跡となる。皮肉にも、どこまでも人に近しい存在ものとなりつつある、それがその証拠こたえだった。


「アグニと睦月の機体の位置は!?」


 遥か洋上を往くアステリウス艦内にて状況を確認するキリアン。既に複数のメンバー達が二人を追ったが、光の速度に達した時点で諦めざるを得ず引き返した。まずい事になったわね……僅かにチッと舌打ちしながら呟くベアト。もしこのままアグニの機体を見失うようなことにでもなれば。白のメシア来訪は明日。その護衛ならびにアグニの機体アスラ御披露目を兼ねているとあっては……今さら重大な命令違反を侵すわけには行かない。


「どうあってもアグニを捕獲する、いいわねキリアン隊長」


 彼女の勧告はガイアそのものの命令である。ベアトの厳しい視線に硬い表情でゆっくりと静かに頷くキリアン。そうだ、このままでは真吾までも失いかねない。睦月真吾は元より重大な反逆罪を企てているとしてガイア内部での監査の目が行き届いていることは周知の事実だったが、このままでは奇しくも、その疑いが明白な事実として白日の下に晒されることになってしまう。その意味での真吾自身の喪失であり、そうなれば、事実上イオリゲル隊員の資格は剥奪。


 いや、むしろ――、今時点でトップシークレットである重要検体アグニ・ヴァシュラートまでも奪取した文字通りの反逆者ということになる。ベアト自身の命は、むしろそれだけは回避する、という言葉以上の切実な思いをも含んでいた。その真実を知っているからには……キリアンらのアグニ追跡およびその回収は、その実、仲間そのものを取り戻すという真剣さにつながるものでもあったのだ。

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幻影-まぼろし-のルミナス みなもと瑠華@ミナモトルカ @lucam

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