7. 太陽と北極星《ポーラスター》

 ――クマヌクスヒ……そう、貴方はまつろわぬ神。

 鬱蒼と生い茂る杜の闇に滴る一滴の月光。その藍色の夜空をツクヨミは見つめていた。


 そして私も……、いや所詮私は表舞台から退場した幻の存在。けれど、それも貴方が姿を消していた、ほんの数百年の間だけだった。貴方は再びこの世に顕現し、貴方の巫女をみつけた。そして私は――貴方を追うようにして、またこの地上に降り立ち力を得ることができた。


 聡介は未だ貴方の巫女……金城瑠美那を諦めてはいない。もはや自分自身の身体と生体エネルギーを私に預け、月の光と一体になったにも関らず。人間とは、おかしなものだ。己自身を捨ててまで何かを渇望する。けれど私にはそれを愚かと嘲笑することなどできない。それは多分私自身も同じだから。私はツクヨミ、夜を照らす月の神。そしてクスヒ、貴方は――。


         *


「ツクヨミ、ツクヨミはおらぬか?」

「……は、兄上。私はここに」


 周囲の空気を轟かす怒号のようなその声音に静かに応えた。スサノオ、私の兄君だ。しかし、その姿は私たち姉弟とは全く異なり、文字通り獣の如き怖ろしい異形。すなわち牛頭ごず神である。兄スサノオはかつて天界から地上へ降りた際、自らに代わってクニを治めることになった王オオナムチに地上を任せ、その後、母イザナミの眠る冥界へ下ることとなる。


 これはその直前の話だ。そう、それはまだ私が三貴神としての地位を保っていた頃の。


「姉者のことなのだが、――そうアマテラスノミコトよ」


 姉上が何か? そう怪訝そうに尋ねたのも無理はなかった。その名を口にする兄の声には不穏な気配が漂っていた。予てから兄スサノオの姉アマテラスを見る目に異様なものを感じてもいた。


わしは姉者と婚礼を挙げようと思う――、」


 天と大地をあまねく照らし文字通り統べる太陽の神。その威光には、ただならぬものがある。それを手にしようとすることは決して愚かなこととは思わない。そうだ、兄はこの天空の中心に位置する北極星でもあったからだ。まさに夜と昼。太陽と星。……つまり、そこには月の神の付け入る隙はないということである。


「そこで、そなたに一役買って貰いたいのだが」


 兄の言いたいことは解っている。姉君との仲を取り持つ仲介役。幸い私は無骨な兄以上に姉アマテラスとは親しい間柄だった。それだけに、この兄の提案には内心穏やかではなかった。姉は絶対に嫌がるだろう。それでもスサノオに反抗することはできない。すれば、ただ斬って捨てられるだけのこと。それはたとえ姉の女帝アマテラスであろうとも……。世界の中心星の威厳とは裏腹な乱暴狼藉者。それは覇者たるもののさだめか――それが兄スサノオだった。


 しかし、姉君にはすべてお見通しだった。さすがは日神、日の巫女である。

「スサノオよ、そなたが望むのであれば、このアマテラスとともに国を治める力を授けましょう」


 健気、などとは口が裂けても言うまい。まさに太陽の如くの絶対的威厳、眩いばかりの美しさと神々しさ。そして、それはスサノオ自体の強大な力を収めるためであったのだと今さらながら気付く。まさに身を犠牲にして、ということなのだ。


 婚礼の夜、姉アマテラスはミノタウロスの如き兄にその身を開き、幾度かの夜伽よとぎの末、懐妊し産み落とした一つ種。それが――。

 

        *


「分かっているのです……姉アマテラスと兄スサノオ、昼と夜そのどちらもがなければ国、世界は立ち行かないことを」


 しかし、スサノオには我慢ならなかった。しかも生まれた五柱の全てが日の皇子だった。スサノオがもうけた三柱は全て姫。――だから。最後に生まれたアマテラスの皇子の存在を天地に隠し、離宮へと追いやった。そしてツクヨミ自身も。そう運命の皇子、クマヌクスヒ。


「私は確かにそう預言した。けれどその運命を産み落としたのは生まれた皇子そのものの力」

 決してスサノオにたぶらかされたのでもなければ、己の境遇を呪ったのでもない。……ふふ、すべては貴方自身の心のまま。


 かの人にまつわる、こんな昔話を聡介に話したのは単なる気まぐれだったのか、それとも。

「それでも僕は絶対に認めたくないよ――ツクヨミ、君には悪いけど」


 無碍もなく言い捨てる少年の心は既に読めていた。そして、やはり話の端々から滲み出る不遇な月の神の姿。クスヒ、どれだけ私が貴方の境遇を私自身に重ねていたか。そしてたとえその神格が昼と夜、太陽と中心星双方のそれを擁していようと、そこかしこに纏った妖しげな翳を隠せないこと――、


 ……もうお解かりでしょう? かの人が、どれほどの闇をその身に抱えているのかを。擁する光が強ければ強いほど、その心と運命の闇は。


 しかし、身罷ったアマテラスの代わりとなる巫女を探さねばならない。いや、それだけの力を持っているとすれば、むしろ己自身の依代として。どちらにしても、それは手にかけたものの宿命的な使命となる。一度大切なものを失うということは、そういうことでもあるのだ。ある意味で、それは脅迫的な渇望。もう永遠にその魂には安らぎは来ない――そうですよね、クスヒ。


 ツクヨミはゾッとするほどの冷たい微笑みで夜を照らす。聡介は思わずごくりと喉元を鳴らした。

「……大丈夫ですよ、貴方には私がついていますから」


 月は太陽が夜に零した涙なのかもしれない。自らが輝くことをしない、だからこそあるじである日の光に恋焦がれる。そうなのだ、もし太陽がなくなってしまったら月は……。


 いつしかその蒼白のおもてに差す翳り。たとえ刺し違えてもかまわないとすら誓う言葉の裏に潜む情愛の深さ。僕だって同じさ、ツクヨミ。瑠美那さんのこととは別に――、本当はすごく哀しい君を、僕はやっぱり放っておけない。


         *


 突然こんなことになって彼女は著しく困惑した。


 そもそも、どうして自分がここにいるのかも一切解らなかった。そう……自分自身が誰なのか解らない。その根源的な惑いは彼女を混乱させるのに十分だった。突然留まることになった煌びやかな宮殿。そして……、まるで天の使いのように神々しい人。その人に身を委ねることで、どうにかこうしてここに留まっていられる不確かなこの身。どことなく何かが不安で、いつも心が震えている感じがする。そして、そんな風に震え続ける自分を優しく気遣ってくれる、不思議なその人。


 それでも、何かが心の奥底に引っ掛かっている。何かが――おそらくそれは、彼女がかつて大切に思っていた何がしかだったのかもしれない。それは、決して忘れてはいけないと胸の奥で常に彼女に囁き続ける。


 そんな胸の内を知ることもなく、彼女を取り巻く状況は新しい時を紡いでみせるのだった。


「えっ……イザナギ?」

「そうだよ、フェリシア。私と一緒に行こう」

 その国の名に妙に心が騒いだ。知っている……いいえ、私はそこにいた、の?


 何となくそんな気がしないでもなかった。突然、不確かに揺らいでいた記憶が濃淡を増し、心を混乱させる。どちらにしても明後日、私はリュシフェラス様と、ここを発つことになった。それでも、自分が鳥籠の中にいることは変わらない、そんな気がした。だのに私は、その人に囲われている自分から当たり前のように逃げ出すことができなかった。優しく、甘い束縛。むしろ、それ以上の何かが私を捕らえて離そうとしない。


 遠い記憶の彼方で誰かが呼んでいる。フェリシア……、そんな名前じゃない。そこにいてはいけない、誰かがそう悲痛な声で強く囁く。まるで耳鳴りのように響くその声に、けれど私は応えることすらできない。


         *


 クリスタルパレス――ここはそう呼ばれていた。大陸国家・神聖ガイア、その中心部。


 全てが滞りなく運営され、何一つ間違いのない正しい秩序。だから人々は心から豊かな生活を享受していた。犯罪一つ起こらない、いや起こる芽さえ当たり前に芽生えない。この国で生まれた子供の教育は基本的に人道博愛主義に根ざしたものであり、青少年が何不自由なく学び愉しみ、そして成人して社会のために働くことは、すなわち自分や家族の幸福を純粋に意味することでもあった。それでも、その至極当たり前の社会基盤ともいえる人々の安寧と秩序が今、この世界で保たれていることは、もはや奇跡に近い。


 ガイアはすなわち世界の中心。かつては数多の国々だったそれが世界の混乱の末、一つ所に集約され、巨大国家として新たな社会を構築するに至った。……そのまさに中心軸に彼女はいた。


 そこで“彼”は常に祈り続けていた。永遠の瞑想。けれど時に目を見開き、一人きりの繭の中で、今にも滞りそうな空気が淀まぬうちに彼女を探す。そう――、私はあの方の大切な小鳥になった。孤独とは無縁のはずの、あの方。もし神様がほんとうにこの世にいたとしたら、神様はきっとものすごく退屈しているのに違いない。誰の目にも見えない、けれど誰もが無意識のうちに、その存在を思い、心に描いている。


 けれども本当は耐え難いくらいに、神様はひとりぼっち。だから私にだけ、あんな楽しそうな、嬉しそうな笑顔をくれる、心から。きっと他の誰も見たことがない、そんな奇跡のような天使の美しい微笑み。


「君は時々すごく淋しそうな瞳をする……」

 突然、覗き込むようにそう言われてドキッとする。

「――まるで世界中から見放されてしまったみたいだ」


 ……そう、かもしれません。少し戸惑いがちに答えて俯く。自分のことが何一つ分からない、そのことがこんなにも世界というものを不確かにさせるなんて。だからだろうか。その曖昧になった自分と世界の分、確かな何かを求めてしまう。それが今目の前にいる、この大天使のように優しく美しい人であることは間違いなかった。


 なのに……なのに、何かがどこかで違うという気がする。


「大丈夫だよ――フェリシア。君はまだ本当の自分に出会っていないだけなのだから」

 その言葉が何を意味するのかさえ、何一つ解らなかった。

 

        *


「フェリシア……今はそう呼ばれているのね」

 一人テラスで物思いに耽っていると、突然背後からポツリと声を掛けられ、はっとして振り返る。


 そこにいたのは一人の不思議な少女だった。自分より二つくらい下だろうか。お下げに結い上げたプラチナブロンドの髪、幼げな顔立ち。けれどどこか理知的なブルーグレイの眼差しに、どことなく見覚えがあるような気がして、しばらく無言でその子を見つめてしまった。


「あなたは……?」

 それには答えず、少女は遠い瞳をしてテラスの向こうに広がる薄闇を見つめる。

「……世界は混沌に飲み込まれてしまった。決して明けぬことのない本当の闇。けれど、それでももうじき新しい夜明けが来る」


 まるで預言でもするような厳かな口調。でも、どこか他人事のように抑揚のない声色と無表情。あの――、と言い掛けた、その言葉を遮るかのように少女は再び呟いた。

「……私はベアトリーチェ」


 私は彼女を知っている――そんな気がして、思わず言葉にして問いかけたくなる。けれど、それきり黙ったままの少女から無言の圧力のようなものを感じて、こちらもそのまま押し黙ってしまうのだった。

 

         *


 大いなる海。この惑星ほしが大陸と海とに二分されてしまったことで、その大海原はさらに拡大され広がった。決して途絶えることのない、涯てない青い波――。けれどそれが、ただの誇張であることを知るには、人々はまだ未熟おさなすぎた。


 世界の崩壊があまりに簡単に起こりすぎたのだ。それは言うなれば、これみよがしに絵に描かれた書き割りのよう。それでも人々は、目の前に提示された真実こそをのみを信じる。それ以外に彼らの“世界”はありえないからだ。本当の「意味」とは、その真実とは、人々の心の中にこそ在る。


 それでも人は、彼らの物語を欲しがる。彼ら自身が生きる糧となる、嘘でも偽りでもよいから、そんなカタルシスを欲するのだ。


 神とは、そのための免罪符だ。畢竟、誰も彼もが己の感情を高揚させ、自ずと見えざる真実へと導く物語に縋る。そこに何があるのか、何かあるとしたら、それは自分自身と何の関係があるのか、そんなものがあるはずのないものにまで、人は自分の思いを重ね合わせる。決して手の届かないものを手のするための、その形。そうだ、ただ形さえあれば、すべてが滞りなく動き出す。


 そうやって人の歴史は過去から未来へと永劫に続けられてきた。人が人として、生きている限り続けられる躍動する命の舞台。


 その舞台で演じられる一幕に、すべてを賭ける――。


 太陽が昇ったあとも、星は必ず目に見えない夜空に輝いている。太陽だけに目を奪われるから、何かの罠に捕らえられてしまうのだ。それでも太陽は、そこにあるだけで無条件の豊穣を人々にもたらした。もはや太陽のない世界など誰にも信じられないだろう。それだけに、あまりにもその存在は彼らにとって大きすぎた。


 その無意識のうちの拘束、呪縛。その無為の闇を、あまねく銀河に散らばる星々は突き崩す。……星だけではない。海と大気とをこの地上に押し留めた引力は、絶妙な距離間にある月とのバランスにおいて保たれているのだという。その無言の輝きは、文字通りそこに在るという、ただそれだけの奇跡を示してもいる。


 ――だが、そんなことはどうでもいい。


 日神の少年は、改めて前方を強く見据えた。たとえこの世界が、どのような嘘偽りの方便に支配されているのだとしても。何かに踊らされるだけの幻でしかないのだとしても。むしろ、その幻をこちらから利用してやればいいのだ。騙されるのではなく、相手を騙す。隙を突かれた、その隙を逆にいち早く突いてやるのだ。それだけの強い気概が今の彼にはあった。


 ルミナス――思えば、その名はまさに今の自分自身に、これ以上ないというほど相応しかった。


 なんという真理。龍神の巫女は、その目に見えない真実に気付いていた。闇の中でこそ輝く光。それは大宇宙のただ中に放り込まれた意識そのものだ。この大地に立っている限り、人は人としての生のみにしか目が行かなくなる。だから己自身の繁栄を願い生きるため、その糧を欲して大いなる日の光、太陽を崇め祀る。


 だが人はいつか死ぬ。その生を終えた魂が向かうのは、自分自身が生まれた闇の果てだ。すなわち、それは宇宙。大いなる生命の海原。魂とは、エネルギーそのものだ。その生体エネルギーが集い、そして循環する。それは一つ一つの星の輝きにも相当する。


 この惑星ほしの大地を踏みしめている限り、しかし、それこそは大きな力を持つ。そして――。


 太陽の擬態を纏い、見えざる銀河の輝きを魂に焼き付けさせる……。

それでこそ、“隠されし皇子”の本領発揮というわけだ。


         *


 「白のメシア」――それがどのような存在なのか、結局あたしは何一つ知らなかった。勿論それは、イザナギや他のどの国の人たちだって。いいえガイアの人たちでさえ、その真実について実際、何一つ満足に真実を知ってなどいなかったのだろう。


 それでも、それとあたし自身の場合は少し違っていた。龍蛇の巫女。ルミナス、そう太陽神の巫女であるあたしは、その存在について本当の真実を知らなければならない。そんなに知りたいか……きっとルミナスなら、そう意地悪く言いそうだけど。でも。少しだけ怖い気がした。最もそんな感情は、今さらルミナスと一緒にいて感じることではないのかもしれないけれど。


 もし、あの時現れた“天使”が白のメシアなのだとしたら。ガイアは諸悪の根源と言った、かつてのルミナス自身の言葉が胸に蘇る。そしてリリアンを奪われた、その怒りも――。


 まだどこかで一人置き去りにされている自分自身を感じながら、それでもルミナス自身の胸の奥底に眠る何かに触れるには、それは避けては通れない真実なのかもしれなかった。


 その「白のメシア」が、ここイザナギへやってくる。ルミナスは自分に対する宣戦布告だと言った。だとしたら何かが起こらないわけはない。何か、とてつもない重大な何か。


 それでも今は、諒牙君のことの方が酷く気にかかった。それはすなわち、真吾と諒牙、睦月兄弟に深く関ることなのかもしれないから。あれから彼とは会っていない。それだけに、あの哀しいキスの余韻が自分自身の感覚から離れなかった。


 白のメシアのイザナギ訪問のニュースが連日報道される中、まるで嵐の前の静けさのような高ぶりが胸の中から消えようとしない。


 ――お前が誰のことを思おうと、すべては初めから決まっていることなのだ。

 その声が唐突に胸に響き渡った。

「……っ」


 思わず絶句するも、その哀しいくらいの引力の強さにあたしは眩暈に襲われ、抗いたいようで抗えない、そんな自分自身の矛盾に満ちた運命を今さらながら呪う。


 そう真吾、そして諒牙君。あたしも、あなたたちと一緒だよ。あたしとルミナスは一心同体。何一つ隠せない、何もかもが、見通せる。それでも……微妙な距離が二人の間を阻む。それだけは事実だった。もしかしたらそれは、二人で一人だからこそ無意識のうちに働いてしまう、目に見えないバリアーなのかもしれない。


 誰よりも近しい、でも味方なのに、敵。だから、いつのまにか互いに壁を作る。それはイオリゲルの力のフィルタリング以上に、強力な哀しい心の壁なのかもしれない。それはまるで太陽と月の矛盾の狭間で揺れる気持ちそのものだった。


 ……そうだ、瑠美那。私のことをどう思おうが、それもお前の勝手だ。

 だが忘れるな――俺は、お前を決して離しはしない。


 けれど、その言葉に、不意に胸の奥底がじんと熱くなった。


         *


 その日から、その少女のことが殊更に気になるようになった。少女は自らベアトリーチェ、と名乗った。私は近々リュシフェラス様とイザナギへ向かわなければならないと言うのに。なぜ? ベアトリーチェという少女は時折、私のいるテラスへと現れては、一言二言だけ謎めいた言葉をかけて、それから不意にいなくなってしまう。いつだって、そうだった。


「フェリシア、その名前は気に入っている?」


 ある時、そう尋ねられたことがあり、正直返答に困ってしまった。ええ、とも、いいえ、とも言えず、結局私は今ここでフェリシアとして生きていて幸せなのかしら。と、ふと思い悩む。リュシフェラス様、あの方はいつもと変わらず、優しい。それだけに、とても不安になる。この不安は何?


 イザナギ訪問を数日後に控え、クリスタルパレスは俄かに慌ただしくなった。それでも、まるで鳥籠の中にいるような、この水晶宮の中心部だけは、いつも通りの静謐な静けさに満ちていた。ただ瞑想を繰り返しているだけのように見える、あの方が鎮まれる御簾ヴェールの奧には、それでもイザナギという国の未知のものへの期待と興奮が、当たり前のように鼓動しているのだろうか。


「フェリシア、イザナギに行きたい?」


 ベアトリーチェのその質問にも、結局まともに答えられていない。――イザナギ。かつて日本と呼ばれていた国。見るからに私の肌の色や髪の色はガイア人のそれそのものなのに、なぜこんなにもイザナギのことが気になるのだろう。気になる? そう私はイザナギに行きたいのかもしれない。けれど、でも。相変わらず襲う形のない不安。まるで、私が私ではなくなってしまうような。そして……あの方自身も。


「ねぇ、ベアトリーチェ……あなたは」


 そう言葉をかけると、風のように不意に彼女はいなくなってしまう。ほんの数秒、瞬きした瞬間、彼女のプラチナブロンドの髪が揺れたかと思った刹那……本当に不思議。まるで月の光のような――。それでも、どこかでその面影に見覚えがある気がして、でも、そう感じる度にイザナギに行くのが怖いと感じる自分自身を発見する。


 一体あの国に何があるというのだろう。そして、なぜリュシフェラス様はかの国へ行かれようとしているの。何があるのだろう、そこに。私はそこで何に出会うのだろう。全てが疑問符ばかりで何だか眩暈がする。それでも私は、その国をどこか懐かしいとさえ感じる、そんな不可思議な衝動に胸が踊るのを抑えることができなかった。

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