6. 熊野への旅路

 それにしてもなぜ、熊野は伊勢や出雲とは違った姿をこうして見せるのだろう。


 現在、世界遺産に登録されている「紀伊山地の霊場と参詣道」――それは、この熊野がまさに複合的に見えざる神を幾重にも抱える聖地であることを示している。まさしく神仏混淆こんこう。その真髄こそは日本人が元来根源的に自ら抱く、深層心理的宗教観とも合致していた。


 例えばキリスト教を引き合いに出してみても解る。決して信者ではなくても当たり前のように年間行事の一環として存在するキリスト生誕際であるクリスマス。あるいは正月、そして盆。仏教もだが、たとえ海外由来の伝来のものであっても日本人の魂は、それらを常に懐深く柔軟に受け入れてきた。


 そして、この熊野にも同様のことが言えるのだろう。それは、まるで日本という精神構造そのものの縮図だ。蟻の熊野詣――江戸時代に隆盛を極めたその一大ブームは、位の高い者のみならず多くの庶民の足をこの聖地へと導いた。それは老若男女、身分の高低に限らず、どんな人間だろうと容易に懐へ招き入れる、その寛容さにこそあったのに他ならない。


 紀伊半島をぐるりと取り囲む海岸線と山々とが接する、その僅かな場所での人々の慎ましい暮らし。それはそのまま、神が海と山とに姿を変えた究極の聖なる土地そのものであった。奥深い山地と森林から臨む海、それ以外には何もないということの本来の意味。そう、そういったプリミティブな処にこそ確かに神は存在するのかもしれない。


 それぞれの神の名を例々しく祀った熊野三山でさえ既に出来合いの社でしかなく、本来の神の坐す場所ではないのかもしれない。そして時に人を拒むほどの急峻な坂道を行く熊野古道、あるいは陸路以上に海上は、幾重にも困難を極めた巡礼の道だった。事実、志半ばで命を落とす者も少なくなかったという。それほどまでの代償を経て人々が、ここ熊野を目指す理由とは。


 ……時に人は安易な道でなく己自身に厳しい道を選んでしまう。それは、この俺自身もか。


 竜崎はいつしか夕陽が傾き始めた海岸道路で車を走らせていた。やつが水澤ひとみを保護したという。その連絡は、先ほど白浜で待機している円城寺からの携帯で受けた。その目的はいざ知らず、伊勢崎ナミと篠崎聡己を本来の道標へと導く一つの演出に他ならないだろう。そこまでは我々と同じ――それでも何一つ油断はならないってことか。


 まるで一分が一時間のようにも感じられる。誰の策略なのかと疑う以前に、それはこの熊野自身が既に大昔から仕組んでいることなのだと悟る。これでは、さしずめ逆浦島太郎だな。竜宮城での一年は地上の三〇〇年、だがここでは真逆の磁場が確かに働いている、そんな錯覚にまでいつしか陥る。

 

 熊野市の海岸沿いに伊弉冉尊イザナミノミコトとその子軻遇突智かぐつちを祀る花のいわや神社、あるいは新宮市の神倉神社のゴトビキ岩や、丹倉あかぐら神社など、巨石を御神体とする独特の聖域は日本各地にも数多くある。それは、まさに沖縄の御嶽うたきそのままだ。熊野那智大社などは、その背後の絶壁から雪崩下る日本髄一の高低差を誇る那智の滝を御神体としている。


 神とは時にいわおであり水であり、そして山々そのものであった。自然と共存する、しかしそのことを一時忘れ一方的に肥大した己自身への過信から人間は堕落と崩壊への道を辿ることになる。何より内なる己自身の中に鎮座する神の存在を忘れ去った時から――。


 たかだか一〇〇年弱の命、そんなものはこの大自然の前では、どんな意味も持たない。荒れ狂う海と嵐、火を吹き地殻を引き裂く大地の鼓動。我欲に走らず清貧を尊び、ひたすら慎ましく生きる。いや、既にそんなものは幻想であると、その本質を見失った瞬間に起きる悲劇。


 事実、日本人は無宗教を貫く人々で今現在あふれかえっている。むしろそのことにさえ気付かない。本来の自分自身の核が、無意識のうちにどれほどそんなものに強く依存しているのかも知らず。本来の宗教とは形ではないばかりか、教義や偶像でさえも持たない。ただ無心に自身の欲望とは限りなくかけ離れた境地にしか存在しえない。限りなく点に近いその次元の最涯さいはていにしえの時代、この国にも確かにそれは存在していたのだ。


 ――所詮リベルテのやろうとしていることは詭弁でしかない。ただの狂ったペシミストだ。この大地を離れた時点で、人は人ではなくなってしまう。たとえそれがどのような手段を用いることになっても、やつらの暴挙は停めるしかない。一見して、その飼い犬のように成り下がった己自身に幾度となく念じ続ける。


         *


「堕天使、まさにそういうイメージなんだけど」

「やらしいわな、こういうヤツほど一見善人の面の皮だけは厚かったりしてっ」

「その対極にあるのがルミナスってか? 解り易すぎてお姉さん恥ずかしくなっちゃうよ」

「……くふっ究極の厨二病」


――そして、つかの間の暗転。

 

 ――ところでさぁ。竜崎監督からの発注、困っちゃうよね。正直あの人がそんなこと言い出すなんて赤い雪でも降るかね? ダメダメ、本気にしちゃ。ソレがあの人の手でもあるんだからァ。アンナコトやソンナコト……これは、かなり気になりますわね。巷の噂のトレースまんまのネタで恐縮ですが、実はカントクって未来からタイムワープしてきた正義の味方ってオチ。……誰がそんなこと信じんのよ? アタシのリビドーの源泉でもある心臓が既にばくばく言ってますがな。おぅ、そりゃ早く病院行った方がええぞ。


 人呼んで同人あがりの無敵クリエイター集団、A/R/C(アーク)。人はあたしたちのことを、そう4㌦。キャラ設定及びメインコンセプト担当、真咲奏。カラーイラスト、デザイン画及びネーム担当、夕海みなと。同イラスト担当、榊結衣。面白いことを面白おかしく、しかして仕事はハードに、そしてちょっぴりの乙女ゴコロも忘れずに!ってか。それが、あたしたちのモットー。←え、ちょっぴりなのかよ(汗)少しはセンシティブに、とかなんとかほざけよ。それよか、またも当たってしまった、あたしたちが手掛けたキャラデのルミナス・コードですが、めでたく第二期制作が決定いたしましたっ! ドンドンパフパフ。姉ちゃん、その話もう聞いたー。うるさい小娘、皆まで聞いてからコメントしなっ。それがどこでどう間違ったのか、制作が異常に遅れておりまする! それだけならまだしも、さっきカントクから電話があったんよっ。え、それって、もしかしてラブコー……(ばしっ)いてーよ、アンタ! いきなり何すんのさっ。みなとの腹黒ジト目線はどっかに置いとい……って。ええと『今、熊野だから。頼んどいた新キャラよろしくね♪』だってさ。何考えてんの、この監督詐欺、もしくは昼行灯! 


 ――再び、暗転。


「だからさーつまり、そういうコト」

「で、どうすんの……コンセプトがいまいち曖昧すぎて説得力に欠けるんだけど?」

「と、言う以前の問題でしょ、コレ」

「……くふっ現実リアルヲタトレース疑惑」


「イマドキのRPGプレイヤー異世界転送ものラノベでもあるまいし――、どうしまひょーみなとさん!」

「いや、これはこれで面白いと私は思うぞ、切実に」

「結構ノリノリで絵が描けたりね?」

「結衣っち……そういうオマエがノリノリなのがむしろ怖いよ、姐さん的に」

「別にあたしは諒牙クンさえ予定通り腹黒くなってくれれば、それで満足。さらにツクヨミと聡介が結婚してくれさえすれば再び万事オケ」

「どういう方向性だよ、それ?」

「いやフツーにBLじゃないの健全な……」


「ともかく面白トリプル漫才もといキャラデ会議終了!」

「監督の熊野土産でも期待しましょ……」

「おぃ、それでいいのか姉貴」


(終了) 


         *


 んー、いちお熊野三山は押さえといた方がいいかな……、それでも、これを一週間でこなすとなると……。単なる観光目的でないことは相澤にも解っていた。それでも竜崎たちからの指示を鑑みるに端折る部分は端折るとしても、とりあえず……、そう一人ブツブツ呟きながら地図と睨めっこ。


「んで、どの辺をどう歩くわけ?」

「そりゃ時間と体力との相談でしょ、単なるハイキングと違うんだからね」

「なはは、高校時代、陸上水泳をはじめとして各種運動部かけもち女王と呼ばれた、この神代未玲サマの辞書に不可能という文字はない!」

「あのね神代さーん、それは非常に心強いんだけど、時間の制約だってあるんだからね一応。それに僕自身あんまり体力に自信ないし、とりあえず二人とも最低限の余力があった方がいいと思うから」


 こんの、モヤシ男め。いかにも頼りなさそうな旅の道連れ、もとい相方を無言で睨みながら未玲は温くなったコーヒーカップに口をつけた。そもそも、こいつらが唐突に熊野行きの計画を実行に移したのも何かの裏があるはずだ。ルミナス主役二人とナミ一行といい、やはり何か関係がありそうな気がする。それでも、いくら何でも放送直前アニメの制作中に(しかも、その制作自体が大幅に遅れている)実質的な現場の指揮を執るはずの助監督が……、一体ぜんたい、どうなってんだよ。


 などと、これまで何度も脳内で呟いた疑問を反芻してみても意味がない。それよりも今頃ナミは。多分、携帯は持って出てるだろうけど、何となくかけてみるのが躊躇われた。第一あたし自身、本来なら今頃はコイツともども、ルミナスの制作に多忙を極めていなけりゃならないんだから。それでも未玲は、何気なく手にした携帯画面をずっと見つめていた。


 とりあえず移動手段としてバスや鉄道を駆使するのは外せないな、あいかわらずブツブツ言っている相澤の手元の紀伊半島全体をプリントした地図と観光雑誌。これが熊野観光以外でなくて何なのだという件。それでも、ナミと未玲のことを思えば、どうしたって不可解に思う以上に、監督や助監の相澤含め、主要スタッフ陣が揃いも揃って熊野入りしたのには、何か深い意味合いがあろうというものだ。


 相澤と未玲の熊野珍道中は、とりあえず伊勢路の玄関口である伊勢神宮は素通りして、鉄道利用で伊勢路の中でもポピュラーなツヅラト峠入り口である梅ヶ谷駅まで向かうことに。そこまでの所要時間は途中の乗り換え含め、約二時間強。三瀬谷駅まで特急を利用、そのあとは梅ヶ谷までJR紀伊本線普通列車の新宮行、途中下車。初日ではあるが、時間的なことも考慮して多少割高だが、その経路で行くことになった。


「うっはーいよいよ出発だねぇ!」

 子供みたいにはしゃぐ未玲を他所に軽装にリュックを背負った相澤は未玲の分の荷物まで持たされ、少々困惑気味だったが、仕方なく大目に見ることにした。


 特急ワイドビュー南紀1号、八時八分、名古屋発。名前の通り前方の見通しのよい列車の大きな車窓からは、どこまでも晴れ渡った青空が見える。早朝からGWの混雑の波に紛れ、未玲と相澤は何とかその自由席に落ち着いた。


 当初は、より初心者向けで緩やかな荷坂峠コースを予定していたのだが、未玲の一言によって急遽変更。あ、ここいいじゃん! いかにも熊野古道ってカンジ――観光ガイドに載せられていたツヅラト峠の石畳の坂道がお気に召したようだ。ツヅラトというのは九十九折りのことで、この石畳へ向かう急カーブを差す言葉でもある。所要時間は荷坂峠コースより一時間長いおおよそ三時間半。梅ヶ谷駅を出発して紀伊長島駅まで歩くコースだ。


 ツヅラト峠は、かつて伊勢と熊野の国境でもあった峠。それとほぼ平行に下る、江戸時代に新たに整備された荷坂峠よりも歴史が古く昭和初期まで生活道としても使われていたコースだ。それを考慮するなら、未玲の勘は正しかったのだとも言える。


 歴史を知るには、実際にその場所を歩いてみるのが一番の早道だ。とはいっても相澤は観光以外に何かの目的があって、熊野を目指しているわけではなかった。一応名目上はロケということにはなっているけど。じゃあお祓い? 以前、未玲にそう訊かれたことを思い出し、思わず苦笑いする。未玲が同行することになって何となく主導権を握られてしまった感もあるが、結局はそれでよかったのかもしれない。


 今回、異例とも思える抜擢で本作ルミナス・コードの助監を任された相澤太一。副監督といえば、何となく監督の右腕、監督の手助けをする役回りといったニュアンスが強いが、実際はそうではなかった。総監督の制作意図を現場に伝え、その大元締めの監督の代わりに実質的に制作現場を切り盛りしていく、そういう役目を担っていた。


 それでも、その相澤が……、確かに制作それ自体が遅れているとは言っても、既に決定している放送枠を潰すわけにもいかない。当初は四月新番組の予定だったのが、もう五月にずれ込んでいる。ではなぜ? 青い顔をして、あたふたする制作進行デスクの乙部が脳裏に浮かんだ。


 でも、最初に円城寺から「熊野」の二文字を提示された時には、何かのインスピレーションが浮かんだ気がした。伊達に過去に俄かでも占い師の肩書きを持っていた相澤ではなかった。確かに熊野については齧った程度の知識しかなかったけれど。何となくだが自分が未玲に触発されて腐男子の階段を昇っていったのとも、どことなく似ているような……(いや、この場合、下っていったという表現の方が似つかわしいのだが)


 何かすべてが予定通り、予定調和的に進んでいく世の中が、ある日突然煩わしくなった。男は可愛い女の子に萌え、女はイケメン男子に憧れる。それだけじゃない、自分はなんで生きているのか、何に向かって突き進もうとしているのか、唐突に解らなくなった。一オタクとして若干世の中の枠組みから外れていたはずの過去の相澤でさえ、結局は似たような趣味に囚われている画一的な大勢の中の一人でしかなかった。いやそのオタク趣味ですら、今や一般的に認知され誰でもが楽しめてしまうほどに、その敷居も一段と低くなった。でも本当に面白いことというのは、案外そうじゃない所に転がっているのかもしれない。いつしか、そう思い始めていた相澤の考えを直接察したわけではないだろうが、あの日、ルミナスの竜崎悟朗、そして円城寺冬華に出会って今に至る。


 確かに破天荒なことをする監督と脚本家だと思う。だが実質的な実績は、それに比例するかのように確実に表れている。ネプチューンは何か魔法でも使ってるんじゃないか、各方面からよくそう言われた。アニメ制作のこともよく知らなかった自分が、いつの間にか人気作である、このルミナス・コードの助監。一応段取りだけは頭に叩き込んでおいて、そのあとは多少迷走しながらでも本人の勘を頼りに何とかなるとでも思ったんだろうか。


 それでも元々飲み込みの早かった相澤は、多忙を極める制作現場で、その俄か仕立ての知識以上の働きを見せた。よく何事も経験とは言うけど、それでもその経験自体を、ある程度の時間をかけて培ってきたのでもない自分が、よくあそこまで出来たものだと思う。いや、もしかしたら今この時の経験そのものが、次に待っている何かに繋がっていくのかもしれない。勿論大事なのは、そのいつかの次じゃなくて、今この瞬間なんだけどね。


         *


 ……光が、眩しい。檜木立から零れ出る木漏れ日に、額に滲む汗を拭いながら目を細めた。


 馬越まごせ峠。三重県尾鷲市に近いその峠を、あたしは生まれて初めて歩いた。先を行く篠崎さんの背中が頼もしく感じる。篠崎さんの出身地は、お隣の和歌山でもあるだけに熊野古道には詳しく、ある程度の山歩きの経験も従ってあるようだ。それにしても熊野古道の石畳が、こんなにダイナミックなものだとは思わなかった。勿論、人の手で造られたものだけど、それが見事に自然と調和している。ところどころ苔むしていたり、場所によっては清水が流れていたり。


 瀧原から普通列車に乗り、紀北町の相賀駅に到着。そこからバスに乗って上り口の鷲毛わしげまで向かった。GW中ということもあって熊野古道伊勢路の中でも人気ルートである馬越峠は、それなりに混雑していた。それでも初夏のような陽射しの中で緑の木々は光り、森林のイオンが吐き出す空気は随所で澄み切っていた。山の季節は既に夏へと向かいつつある。


 本当に……ここに来れただけで、どんな矛盾も解決するような。そんな清々しさに包まれ、そして何より篠崎さんと一緒にこの場所に来れたことが、あたしは嬉しかった。燦々と日光が降り注ぐ檜木立、どこまでも山道に続く石畳。それはどことなく奇妙なほど、何の矛盾もなくしっくりした自然の風景であると思われた。事実として、この杉や檜の木立は植林されたものであり、当然この石畳も江戸時代に人の手によって整備されたものである。けれどそれは、どこか懐かしい心の原風景のように胸の奥底に沁み入った。


 何もない、何のことはない、ただの山道。けれど、それが何処かへ続いている、そしてこの道を歩くたくさんの人たちがいる――そのことを思うと、どこか目に見えない価値が、いや価値などという言葉を使う時点で既に何か違う気もするけれど、ともかく今あたしたちが、この道を歩いていることこそに最大限の意味があるのだと思えた。


 一時間も歩くと、さすがに息が切れてきた。やはり日頃の運動不足が祟ったようである。

「……大丈夫?」

「はい、……でもちょっとだけキツいかも」


 笑いながら振り返る篠崎さんに額の汗を拭いながら答える。不思議とこれまでの何となくギクシャクしていた感じが、ここへ来て次第にほぐれていくのを、あたしは感じていた。それが自然の力なのだ、と真顔で言われても、たぶん今なら何の矛盾もなく信じてしまうだろう。


 もしかしたら、水澤さんもここまで一緒に来ていたら……。そう思ってしまうのは仕方ないことだろう。篠崎さんだって本当はすごく心配してる、でも。


 貴重品以外の荷物は神宮のロッカーの中に置いて来てしまった。それでも服装的なことや簡単な山歩きに必要なものは、ほぼ麓の町で揃った。これからのことはまだどうなるか分からないけど、当面宿泊に困るようなこともないだろう。確かに着の身着のまま、というわけではなかったけれど、ほぼそれに近い状態で、あたしたちは熊野への道程に立たされた。それはつまり、心を無にして何も持たずにここへ来なさい、ということなのだろうか。


 伊勢と熊野は、この伊勢路で繋がっている。おそらくずっと途絶えることのない人々の巡礼の道。勿論、あたしは何かの宗教を信じてるわけじゃない。それはあたし自身だけじゃなく、ほとんどの日本人がそうだと思う。それなのに不思議。別段何かの意味が見出せるというわけでもないのに、ここを歩くということに、いつしか心の中で確かに何かの意味を見出してる。本当は神様は、自分自身の中にいるんじゃないかと思う。それが、この自然と一体になった大昔から続く古道を歩くことで突然スイッチが入る。自然の中で、ただ歩くことだけに意識を集中していると、不思議に無心になるものなのだ。


 羊歯シダの葉陰が落ちる冷たい沢の水。道端の名もない草花。すっきりと澄み切ったものたちが、今ここに生きていた。どこかで囀っている鳥の声。染み渡るような静けさの中、ただ響き渡る無言の心の声……。


 相変わらず前を行くその人も、そしてあたし自身も、ほとんど始終黙ったままだった。それでも、どこかで何か伝わるものが二人の間に流れていた。それは多分、このまっさらな自然が何かを媒介してくれているのだろう、そんな不可思議な思いにかられる。声優とかアニメファンとか、そういうことは勿論、ここでは何の意味も成さない。そのことが酷く清々しく思えた。自然には、人と人との間にある見えない壁を不思議に消し去ってしまう作用があるらしい。


「さすがに疲れたね?」

「ええ……、ほとんど山歩きなんてしたことなかったから」


 峠の頂上に辿り着いて、ようやくまともに言葉を交わしたような気がする。それでも、すれ違う道行く人たちが当たり前のように挨拶を交し合い、実際あたしたちも声を掛けられたので、驚き半分ながら、これがここの当たり前なんだと思った。もっとも彼氏、彼女同士?と、当然思われるようなことを面と向かって言われ、多少気恥ずかしい思いもしたけれど。


「僕も古道は久しぶりだったから。でもやっぱりいいものはいいね」


 額に浮かんだ汗が光ったその日焼けした笑顔が、殊更に輝いてみえた。それにつられて、あたしも俄かに笑顔になる。篠崎さんに勧められて道端の石に腰掛け、何気に両足をさすりながら水分補給。


「ほんと、熊野っていいところですよね。皆、気持ちが同じになるっていうか」

「ああ、そうだね。確かにそうかもしれない。ここでは歩くことが一番の目的だからね。でも何のために歩くとか、そんな直接の目的がない所がいい――だから、人の心が柔らかくて温かいのかもしれないね」


 その言葉で、これまでどことなく心のどこかでわだかまっていた何かが急速に溶け出していく気がした。それはもしかしたら篠崎さん自身も同じだったかもしれない。確かに全てが解決したわけじゃない。ルミナスに囚われた篠崎さんと水澤さん、そしてあたしと未玲。それでも皮肉なことに不思議に導かれた、ここ熊野に来たことで何かの答えが見つかる気がしている。それを直訳すると神様のお導き、とでも言うのだろうか。


「確かにあの時はびっくりしたけど――……、」


 と、切り出した篠崎さんの言葉で、再び一人残された水澤さんのことを思い出す。大丈夫でしょうか、水澤さん。そう言葉に出すと、篠崎さんは不意に黙り込んで木立の間から臨める彼方の景色を見つめた。そのじっと一点を見つめる眼差しは、酷く真剣だった。


「信じるしかないよ、今は……」


 水澤さんを保護したという男は言った。熊野へ向かいなさい、と。やはりルミナスの関係者なのか。そのどこか落ち着き払った、よく通る声が醸し出す安心感に全てを委ねた、委ねるしかなかった、今は。けれど、まるで糸の切れた凧のような状態の水澤ひとみの、それが今いるべき場所なのだと、二人ともまだ真に理解するまでには至らなかった。



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