第1話 クローン譲渡契約交渉


 仮名垣かながき刻也ときやという人物を知ったのは、相手からの接触によるものだった。

 名前からすると男なのだが、僕は彼の本当の性別は知らない。

 何のポリシーがあるのか、会食の最中も彼は全身を隈無く覆った――顔を含めて包み込んだ――ごついボディースーツをまったく脱ぐことはなく、僕の目に素顔を曝すことがなかったからだ。

 場所は光花市中央塔の最上域にある天上庭園。待ち合わせによく使われる定番の噴水の傍で、そいつは初対面にもかかわらずどこか馴れ馴れしい態度で、右手を挙げて陽気に声を掛けてきた。


「やあ、はじめまして。僕が仮名垣刻也だ! きみが藤堂由樹くんだね?」


 その声は陽気ではあったが、顔を覆った仮面というかマスクというか、そのようなもののせいか、くぐもって聞こえて、元々の声質もあるのだろうけれども、男とも女とも判断の付かない、不思議な声に聞こえた。わかるのは、やや高めの声、ということだけだ。

 僕はその声に今まで感じたことのない、妙なくすぐったさを感じてしまい、やや返答を遅れてしまった。


「……ええ、仮名垣さん。はじめまして」

「ああっ! 君とはこれから長い付き合いになるんだ。よろしく頼むよっ!」


 陽気に言ってくるのだが、対して僕の表情は暗く成らざるを得ない。

 仮名垣の申し出は、とてもありふれたもので、わりとよくあることでもあり、僕自身も過去にも何度か経験し、それを受け入れてきたという経緯があった。だから別に何の問題もないはずなのだ。本来ならば。けれども、今回の場合に関しては、僕は彼の申し出を断るしかなかった。そういう特殊な事情があったのだ。


 予約していた展望の良いレストランに入り、食事をする。

 コース料理のような格式張ったものではない、普通の定食。しかし素材にはとことん拘った、かなりの高価なもの。がっつり食べるというよりは、じっくり味わって食べる的な料理。時折世間話を差し込みながら、僕らはゆっくりと食事を済ませ、デザートを待つ合間に話の本題に入る。


「単刀直入に言おう。藤堂くん。君のTSクローンのひとりであるUK_FLOAT_TYPE.TS0014くんを私に譲ってくれないか?」


 それは別に珍しい申し出というわけではなかった。

 クローンなんていくらでも創れるこの時代。街で見かけた気になるあの子が欲しくなって、そのクローン体を譲って貰うことを【本人】と交渉するなんてことは、ごく普通に、日常的にあり得ることだった。ほとんどの場合、それが断られるなんてことはない。その求められたクローン体が【本人】にとって重要な役割を持つ存在だとしても、そのクローン体のクローンを作れば、同じものはいくらでも作ることができるのだから。過去にも僕は、そうやって幾人ものクローンを他人に譲ってきた。

 もちろん、無差別になんてことはない。

 この辺は人によって差異があるのだけれども、僕としてはいくらクローンだからといっても、僕と同一遺伝子を持つ存在が誰かの下で不幸になっているなんて耐えられない。だから僕は、僕のクローンを譲る相手の人間性をある程度見極めてから行うことにしている。そう言った意味では、彼、仮名垣刻也はまだ審査前だった。僕は彼がどんな人間なのか、まだよく知らない。これからじっくりと時間を掛けて、彼がどんな人物であるのか調べ、僕のクローンが彼の下で安心して暮らしていけると確信を持ってから譲るかどうかを決めるのだ。――本来ならば、そう言った流れになるのだろう。


「申し訳ございません。仮名垣さん。彼女は――」

「ああ、わかっている。僕がどういった人物かわからないから簡単に譲るという判断ができない。そういうことだね? うん、良いね。君はクローンたちの幸せも考えられる良い人間のようだ。それがわかっただけでも君との縁を結ぶ価値があるってものさ」


 僕の断りのセリフを遮るようにして彼は捲し立てるように言った。

 言葉を遮られたというのになぜか一切不快な感じはしない。

 するりと自分の内側に入ってくるような、それは不思議な感覚だった。

 戸惑う僕に構うことなく彼は楽しそうに僕や僕のクローンである彼女を褒める。

 彼が彼女、藤堂由樹UK_FLOAT_TYPE.TS0014と会ったのは、とあるバラエティ番組の収録の現場だったとのことである。

 番組のスポンサーのひとりでもあった仮名垣は、普段はお金だけ出して特にその番組に対して何か影響力を行使するというわけでもなかったのだけれども、その日は何の気紛れなのか、たまたまスケジュールがぽっかり空いていたのか、ふと思い出して、番組収録の見学に訪れたのだった。

 そこに出ていたゲストのひとりに、占い師の『鳴兎』と言う女性がいた。

 収録前、鳴兎は友人らしき二人の少女とスタジオの隅で談笑していた。

 二人の少女の内、小柄の方。

 華やかなスタジオのセットにやや気後れしているように、はにかんだ笑みを浮かべる様子が仮名垣の目にひどく新鮮に映ったのだという。


「可愛らしかったからまだ無名の新人アイドルか誰かだと思っていたら、本当にただの一般人で、占い姫『鳴兎』の友人にすぎないって言うじゃないか! そこで伝手を辿って調べて、君に辿り着いたというわけだよ」


 仮名垣の言葉を聞いて、僕は納得してうなずく。その興味の示し方はとても自然だと思うのだけれども、うちの子と一緒にいたもうひとりの女の子の方はどうだったのだろうか。あの子と一緒にいた少女は、きっとたぶん、宮藤美音のクローン体、MM_BIRTH_TYPE.SE0021だろう。彼女のことはよく知っている。宮藤美音とは、僕自身も友達だからだ。目に止まるようなアイドル的な美少女といえば、うちのUK_FLOAT_TYPE.TS0014よりも美音の方がぴったり当て嵌まると思うのだけれどもどうなのかな。まあ、UK_FLOAT_TYPE.TS0014の友人である美音のクローンの性格は、確かに少し感じだったけれども。それとも、仮名垣は口ではこう言っておきながらすでに美音の方にもクローン体譲渡の申し出をしているところだったりするのだろうか。もしそうだったら、少し考慮する問題なのかもしれない。後で美音の方にも確認を取って――――。


 って、いやいや。


「申し訳ございません仮名垣さん。残念なのですが、僕は彼女、UK_FLOAT_TYPE.TS0014を誰にも譲るつもりはありません」


 そもそも、そうだ。本来の流れだったら。彼女以外の別の僕のクローン体だったらまだしも、僕はUK_FLOAT_TYPE.TS0014を誰にも譲るつもりはなかった。

 これは僕のクローン体たち、全員が共通して持っている認識である。UK_FLOAT_TYPE.TS0014は僕にとって特別な存在なのだ。そのことを当の本人、UK_FLOAT_TYPE.TS0014自身には決して気取られないようにしていて、他のクローン体たちと同様の扱いにしているけれども。いや、本人もきっと、また別の意味で自分が特別であることは意識しているだろう。何せ、元はといえば性処理用として作られたTSクローン体だというのに、未だ処女なのだ。色々と理由はあるけれども、その一点だけでも彼女が特別だということはわかるだろう。


クローン体でしたら、お譲りすることを考えても良いのですが……」

「……どういうことです?」


 濁す僕の回答に仮名垣は普通とは違う何か特殊な事情を感じてくれたのであろう。陽気な表情をそこで初めて歪め、不審そうに、どこか慎重に訊いてきた。

 僕はその言葉に返せる言葉は少ない。

 少なくとも、理由をすべて言うわけにはいかない。

 しかし嘘ではない、本当の事情は話さなくては、きっと納得はしてくれないだろうと感じた。


「彼女は、UK_FLOAT_TYPE.TS0014は……うん、僕らは彼女を『ニヴィス』と呼んでいるのですが、彼女はある意味、僕のクローンの中で、特殊なのです。突然変異と言っても良い」

「……何か異常が?」


 クローン体を作るに際して、最近ではだいぶ少なくなったと言うけれども、何らかの原因で正常に成長しないことがことはよく知られている。

 その発現は寿命であったり奇形などの外見であったり欠損だったり病弱だったり異常知性だったりと多岐に渡る。実は僕のクローンの中にも、そんな存在は何体かいる。けれどもそれら一般に言われる異常は、彼女、ニヴィスには当て嵌まらない。

 それを考えての仮名垣の不安そうな言葉だったが、僕は首を傾げる。

 彼女のそれは、言うなれば『記憶』だ。

 彼女は『記憶』に異常を抱えていて、それを僕も確認している。

 しかしそれは何かデメリットになるようなものではない。

 彼女は至って健康的だし、容姿も、こうして他人に目をかけられる程度には整った、非常に好ましいものだった。

 

 彼女の問題。

 彼女の記憶には解明できない異常がある。

 いや、他者と違うためにそれを「異常」と呼んでいるだけであって、本当は異常でもなんでもない、正統な理由のあることなのかもしれない。


「異常……と呼べることなのかどうか、わかりません。が、彼女を手放す気はありません」

「……彼女のクローンでも良いのだが?」


 真剣な声に息を飲む。それだけで仮名垣が遊びなどではなく、本気で申し出てきていることがわかる。


「そこまで彼女を買って下さって、僕としても嬉しいのですが……たとえニヴィスのクローンを作ったとしても、彼女自身には決してならないことを僕は断言しますよ?」

「どういう意味だ? 同一のクローンを作って記憶をコピーしてしまえば同じ存在になるじゃないか?」


 それは常識であり、当たり前であり、当然のことだ。

 けれども違うのだ。

 僕も以前、彼女のクローンを作ったことがある。

 UK_FLOAT_TYPE.TSシリーズの、15番目、そして20番目から25番目がそれに当たる。

 けれども彼女たちは決して、ニヴィスと同一の存在にはならなかった。

 15番目はほぼ同時期に作られた同モデルクローン体なので、ニヴィスの双子の妹みたいな存在なので、違うかもしれない。けれども20番目から25番目は意図してニヴィスと同じように作られて、ニヴィスの記憶も移植された。けれども彼女たちは決してニヴィスと同じにはならなかった。

 本体である僕のクローン体や、クローン体のクローン体にもニヴィスと同じ存在は現れなかった。

 同コンセプトで設計された友人である美音のMM_FLOAT_TYPE.UKシリーズにも当然ながら同じような存在は現れなかった。


「どういうわけか、彼女はオンリーワンの個体なんですよ」


 ニヴィスには前世の記憶がある。

 こことは違う世界。

 平和で穏やかな世界で、平穏に暮らした一人の男の記憶がある。

 にわかに信じがたいことだけれども、彼女の言葉に嘘はない。

 証拠はどこにもなくて、違う世界のこと故に証明する手段もない。

 少なくとも彼女が知りうるはずのない知識を持った記憶が、彼女の中にあることは確かだと、長年彼女のことを見てきている僕は、確信を持って言える。

 ニヴィスの言葉は真実なのだと。


 いくらクローンを作っても、彼女のように前世の記憶を持つ個体は現れなかった。

 それどころか、彼女の記憶をコピーしたはずのクローン体にも、その前世の記憶が引き継がれることはなかった。

 一体それはどこから来た記憶なのだろう。

 脳ではない、遺伝子でもない、どこか別の場所に保存された記憶。

 彼女はそれを適時、どのような方法でか、引き出して使用している。

 出所の不明な記憶は、彼女の性格形成に大きな影響を与えただろう。

 故に彼女のようなクローンは二度と作られることが無く、僕の中で彼女の存在は特別なものとなっていったのだった。


 その記憶がどこからやってきたのかわかれば、色々と技術的な革新が起きるだろう。

 例えば脳に依存しない記憶保存術。

 その記憶が人の体の外からやってきたものならば、ある種の不老不死さえ達成できるんじゃないかって、そんなことを思ったりもする。


 ――そう、彼女の存在を知れば、そんなこと簡単に思いつく。


 だから僕は、彼女についての詳細は言わない。

 語れば、皆、彼女に興味を持ってしまうから。

 彼女の特殊性が広く知られれば、彼女に待つ運命は実験動物のそれだろう。

 だから僕は彼女を護る。

 深い理由は語らず、ただ僕にとって特別な存在なのだと、手放す気など、全く無いのだと、子離れできない親のように、娘の結婚を許さない父親のように、彼女の譲渡を、そして彼女のクローンの譲渡を、僕は許さない。

 それが、彼女たちを創ってしまった【本体】としての責任だろうと僕は思う。


 ……少し重い決意だと思う。

 この時代、クローンの譲渡は本来もっと気軽に、簡単に行われる。

 僕だって、美音や、他の友人のクローンを持っているし、僕のクローンだって美音や友人たちの手に渡っている。

 街で見かけた可愛い子のクローンを手に入れることなんて、人気アイドルのポスターを手に入れるのと同じぐらい容易く行われている。

 最も、人気のあるクローンなんかはプレミアが付いてそれなりに高価になるけれども。


 僕の手元に現在ある――つまり、管理しているクローンは、僕自身のクローンも含めて七十五体だ。これは僕らの世代に於ける、ほぼ平均的な数である。

 クローン元である【本体オリジナル】は、クローンたちの管理者であることと、ほぼ等号で結ばれる。

 管理者は、配下のクローンたちに対する責任がある。

 僕には、クローンたちを幸せにする責任がある。

 だからニヴィスのクローンは誰にも渡さず、ニヴィスの秘密を決して誰にも漏らすことはしない。


 彼女の前世について知っているのは僕と、あと一人だけ。

 友人である宮藤美音だけだ。

 それ以外の人には、ニヴィスの存在はただのバグとして提示される。

 原因の特定できない、様々な偶然が複合的に、かつ重層的に絡まり合って産まれた存在なのだと。

 決して何か特別な、奇跡的な秘密があるのではないのだと。


 そんな僕の説明を仮名垣は信じたのだろうか。

 小さく「ふむ」とつぶやくと、変わらぬ陽気さで、悪戯っぽく言った。


「ならば今回は諦めておこう。だが藤堂君。このまま私が諦めるとは努々ゆめゆめ思わないことだね」


 挑発めいた物言いだったが、仮名垣の表情は興味深げに、または満足そうに笑っていた。


 ――失敗した。


 僕は敗北を悟った。

 この短い数分の会合の間に、仮名垣は何か、ニヴィスのどこかにより強い興味を感じたらしかった。

 僕はわずかに眉をひそめ、軽く睨んで、しかしそれでも仮名垣の表情を変えることができなかったので、諦めてため息を吐いた。


「……ご随意に。しかし、それでもは誰にも渡しませんよ」

「うむ。丁寧に、君がまで付けている個体だものな。承知しているよ」


 そう、クローン体には本来、名前を付けたりはしない。

 名前がある存在は、すなわち【本体】であるということだから。

 例外は、前述の鳴兎のような、芸能活動をしている存在だけだろう。

 名前を呼ぶということは、その存在を自分は【本体】と見なしているということだ。

 この場合、僕がニヴィスの名を呼ぶと言うことは、ニヴィスが僕とは違う個体であると、僕自身が認定しているようなものだ。

 名前を付けている。

 それだけで僕がニヴィスについて強い執着を見せていることを示している。


 まあ、最も、当のニヴィス自身は、僕が、いや、僕自身も含めた藤堂由樹の全クローンが、彼女自身をそう呼んでいる現実を知らないのだけれども。

 知らぬまま、彼女は僕のクローン体の一人として生きている。

 藤堂由樹のつもりで、生活している。

 もう疾うの昔に僕らはそう見なさなくなっていたとしても。


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Somnia Memorias ―夢の中で夢を見る― 彩葉陽文 @wiz_arcana

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