さいごのよる

歌峰由子

第1話


 この終末を選んだのは、確かに僕自身だ。



 にんまりと不気味に嗤う狐面の男は、その異形の爪を持つ右手を僕に差し出して言ったのだ。

「選びな。世界と自分ら、どっちが滅ぶのか……な」

 僕独りなら、自分が滅んで終わりにする方を選んだのかもしれない。滅びた世界に生き残り、勝利に吠えるほどの気力は残っていなかった。そして、寿命も。

 だが、口を塞がれたまま、世界に殺されるのは僕一人じゃない。

 マヤも、ユーリも、アルドも。

 みんなこうやって『消費』されてく。これまでの仲間がそうだったように、誰にも顧みられぬまま。

「僕らは――これ以上、黙って世界に殺されるのは嫌だ」

 しゃべると喉がギシリと痛んだ。その痛みに俯くと、慢性的に痛みを訴えている右足が軋む。何もかもがぐちゃぐちゃなんだ。僕らは、みんな。

 サイボーグ、インプラント技術。

 大昔にSFの中でもてはやされた「超人化」の技術は、この人類が宇宙を自由に行き来する時代において、見捨てられて埃を被っていた。この世界には『ドール』がある。自律人型戦闘機と呼ばれる鋼鉄製の彼等に比べて、人間に多少強化を施しただけの半端モノなど虫けらも同然だった。おなじ人間を強化するならば、まだしもパワードスーツがマシというご時世だ。

 なのに僕らは『サイボーグ』だ。

 肉体強化インプラントを受け、少年兵として日々過酷な戦場を渡り歩く、誰にも顧みられる事の無い命。何故、そんな真似をさせられているのか。理由は簡単だった。

『その方が安上がりだから』

 余りにも単純で、冷酷な理由。この人口爆発時代に、食糧資源の乏しい辺境宇宙で一番安いのは人肉だ。僕らの値段など限りなくゼロに近い。



「テツ。これ」

 狐との談判を終えて放心していた僕のもとへ、茶を入れたカップを持った少女が歩いてくる。僕と同時期に戦場に出るようになったマヤだ。マヤは今、十六歳。僕も十六歳で、今の僕らの中で最年長だった。

「ありがと」

 受け取って礼を言う。じんわりと指先が温もる感覚に、まだ温みを感じられる事に何故か酷く感動した。

「――ねえ、マヤ。あのさ……」

 触りたい。

 この手が身体の温もりを、柔らかさを感じられる間に、マヤに。

 身体の至る所を襲う慢性的な痛みを誤魔化す為か、僕らサイボーグの感覚は末期を迎えるにつれどんどん鈍くなっていく。

 僕にはもう、時間は無い。きっとマヤにも。

 肉体強化インプラントは、非生物の人口骨格、人工筋肉等を人体に移植する。その無茶な手術に耐えて、強化インプラントを自分のものにするのには若さが必要だ。どうしたって十代の子供になる。だが逆に、その若さによって強化インプラントはすぐに使い物にならなくなる。子供の身体は成長するからだ。成長しない金属の骨や樹脂の筋肉は丈が合わなくなって壊れていく。

「何? お茶、おかわり?」

 廃墟と化した研究所――という名の僕たちの監獄だった場所で、埃まみれの実験台に腰かけてのんびりそんな事を尋ねるマヤ。ふんわりと首を傾げ、そしてふふ、と楽しそうに微笑んだ。

「何か……楽しいね。家族みたい」

 僕らはみんな、家族を知らない。

 知っているのは、ディスプレイ越しに見るステレオタイプの「家族像」だけだ。

 返答に困って、所在なくカップを揺らした僕に、マヤがずいっと近寄ってきた。至近距離で、少し硬い声が囁く。

「ね、テツ。結婚式しようよ。あの狐さんが、神父役になってくれるって」

 年齢を重ねれば成長は緩やかになる。そうなればインプラントに耐えられなくなる。それがやって来るのは女子の方が早かった。逆に男子は、十代後半の成長期に、肉体の成長にインプラントが追い付かなくなり自壊する。

 どちらにしても十六歳は、僕らサイボーグが動けるギリギリの年齢だ。

「だから……あのシステムが作動してから」

 全部が終わる夜の後、最初の朝日を浴びて誓いの口づけを。女子らしいロマンチシズムに少し笑う。頷けば明日の朝にはマヤに触れられる。唇に触れて、身体に触れて、もっともっと触れ合っても、決してその先は無いけれど。

「じゃあ、今夜は何もする事が無いじゃん」

 マヤの提案に頷いてから、ふとそう漏らして、しょうもない事を思い付いた。本当に、しょうもない事だ。でも十六歳男子なんて、そんなものだろう?

「……先にさ、新婚ごっこやろう。順番逆だけど」

 夜にする新婚ごっこなんて一つしかない。理解したマヤは目を丸くして、それから呆れた顔をした後、少しはにかんで頷いた。



 今夜この世界は終わる。

 世界なんて言ったって、宇宙は広い。人類全員が死滅するわけではないけれど。

 それでもこの世のヒエラルキーは引っくり返り、善良な一般市民は醜悪な極悪人として、宇宙をまたにかける大企業は犯罪組織として告発される。僕らの星はまっさらな更地になって、僕らを使っていた連中は丸裸のまま他国に喰い潰される。

 その結果、どれくらいの人間が不幸になって、死ぬのか。そんな事はもうどうだって良かった。

「よう、青春してるな少年兵」

 胡散臭さだけで形作られたような狐面の男が、再び一人になった僕のもとへ近寄って来た。二十代前半らしいその男は自分たちとは違い、遺伝子レベルで改造された『バイオロイド』と呼ばれる生物兵器だそうだ。

「…………まあ」

 居心地悪く答えた僕に、からからと明るく笑い、狐は僕の頭をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。

「命短し、恋せよ少年! ってな。いいじゃねぇの、リア充上等だぜ。引っくり返った世界に向けて、いの一番で幸せ宣言してやんな」

 異能者ばかりの傭兵団だという狐の部隊は、僕らの星を滅ぼすために別の星からやって来た。この星にとっては、終末のラッパを吹く『災厄』そのものだろう。でも、僕らにとっては初めて見る『味方の大人』だ。

「うん」

 こんな風に頭を撫でられる事も、多分初めてだ。くすぐったい思いをしていると、見咎めた年下の仲間たちが羨ましがって寄って来る。

「おめーらの新天地は一応コッチで用意してあんぜ。正直、その身体をどうこう出来る技術は無ェが、衣食住くらいはマトモになる」

 崩落して青天井となった空を見上げると、星が瞬いていた。

 今夜、僕は最後の夜を眠る。隣にマヤの温みを抱いて。そうしてやって来る明日は皮肉なことに、生まれて初めての「希望の明日」だ。

 僕はそっと立ち上がり、まだ屋根の残っている物陰へと歩いた。



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Twitterフリーワンライ企画(#深夜の真剣文字書き60分一本勝負)参加作。

使用お題:「新婚ごっこ」「終末の世界で、」

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さいごのよる 歌峰由子 @althlod

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