Report.14

泉 仁志


「またか……」

舞台を終え、帰路に着くとすぐに遼太郎が呟いた。その声を聞き取った僕は反射的に振り返ると、確かにその男はいた。男は季節に合わない黒いコートを羽織っていた。僕はどうしようもない事を知っていながら遼太郎に尋ねた。

「……どうする?」

遼太郎は携帯を取り出し、メモを開いて何やら打ち込み始めた。

『前と同じ。今度は家まで走る』

僕は遼太郎の目を見据えて頷いた。



ああ……置いていかれる……。



僕の想いは誰にも知られることはなく、密かに胸の奥に押し込まれたのだった。







その男は僕らが走り出しても追いかける事はしなかった。僕は徐々に小さくなっていく男に底知れぬ不信感を感じつつも、遼太郎について行った。念には念を入れたのか、全く知らぬ道を通って自宅まで向かった。普段の2倍ほどかかって、オシャレで大きなアパートに着いた。

「ふぅ、今日は追って来なかったな」

「ハァ……ハァ……ゲホッ……。お前……何で、そんなに、余裕、なのさ……ハァ」

「いや仁志こそなんでそこまで息切れてるの」

「も……もう、いいから……。取り敢えず、早く、部屋……に……」

僕と遼太郎はアパートの玄関から目が離せなかった。

玄関の脇の壁には、闇に溶け込むような黒いコートを羽織った人が只ならぬ雰囲気で壁に背を預けていた。顔はフードを被っているため見えないが、コートを見ているうちに徐々に鳥肌が立ち、背筋が凍っていった。

「な、何で……」

疲れていた事などすでに忘れていた。





「随分と遅かったね」

しばらく立ち尽くしていると、少々耳障りな声が聞こえてきた。それでも僕らは黙り続けると、男はこちらに歩きながら再び口を開いた。

「とある人に聞いてきたんだ」

「とある人?」

隣の遼太郎は引き気味に尋ねた。

「ま、取り敢えず中に入りたいかな。暑いし」

じゃあコート脱げよ。

「な、なんであんたの言うこと聞かなきゃいけないんだよ」

「聞かなくてもいいけどあんたの大切な人が痛い目に会っちゃうかもよ?」

一瞬で僕の知る人物は知らない人物へと切り替わった。

「おい。誰の事を言ってる」

男は顔を酷く歪ませて笑った。

「僕の運命の人、芽吹 千穂さ」

隣の雰囲気がさらに変わる。

「……いいだろう。来い」

「お、いいねいいねぇその感じ」






「昌平さん!昌平さん!」

必死にヘッドホンに呼びかけると、眠そうな声が返事をした。

「……んだよるっせえな……。ん?携帯じゃねえ……。あ、無線か。って事は……」

「……仁志です」

「あー仁志か、どうした」

「監視対象のストーカーらしき人が接触して来たんですが」

「あ?」

声から眠気が消え去った。

「場所は?……っと、こっちでわかるわ。すまん、寝ぼけてる」

知ってる。

「今から彰に準備をしてもらうから、その内に状況を教えてくれ」

「えーと、監視対象の元恋人を使って脅し、家に上がり込んだって感じです」

「……よし、わかった。救援が欲しい時はまた連絡してくれ」

そう言ってから昌平との連絡は途絶えた。






部屋に入ると2人は机を挟んで向かい合うように座っていた。

「で?どういう事だ?説明しろよ」

遼太郎の怒りが滲み出ている。かなり居心地が悪い。

「君が僕に命令しないでくれるかな?」

そう言うとポケットから手の平程の何かを取り出し、何やら弄り始めた。

「……っと、よし」

取り出したのは折りたたみナイフだった。

「何でそんなもん持ち歩いてんだ?」

遼太郎は怯む事なく話を続ける。

「それも今から話すから」

そう言って、男はナイフを机に突き刺した。

「さて、話そうか」





男は色々なものに恵まれなかったと言う。男は丁寧に色々と例を挙げてくれたが、簡単に纏めてしまえば学力や運動、もっと言えば容姿などの「才能」に恵まれなかったそうだ。

否定の余地は無いと思う。



男は努力する事を諦めた。いくら努力をしても限界がある。努力をしない才能と努力をした無才能であれば努力が勝る。しかし努力をした才能、いわゆる天才には手も足も出なかった。


ある程度は努力で競える。だが最後に鍵となるのが才能である。


男が努力を諦めたのはそれを悟ったからだった。





「すまん、お前の話はどうでもいいんだわ」

突如、遼太郎が話をぶった切った。

「千穂の事を聞かせろ」

彼の顔には一切の感情がこもっていない。男はやや戸惑いつつも話を再開した。




男は事故にあったと言う。それほど大きい事故でもなく、何箇所かの骨こそ折ったものの大事には至らなかったそうだ。


「千穂との出会いは約束されていたんだ」

男は満面の笑みを浮かべた。


搬送先の病院に勤めていたのが千穂だった。

千穂の態度が一々心にしみたと言う。

「愛の行動は傷ついた心も癒すのさ」


カッ


短く乾いた音が部屋に響く。

机に刺したはずのナイフは壁に突き刺さっていた。

男の頬から軽く血が垂れる。

「……今のは僕が悪かったね。あまりプライペートな事を言うと嫉妬しちゃうし。僕の配慮が足らなかったよ。ただ次勝手な事はしないでくれ」

脆い壁だなと呟きながら男はナイフを壁から引き抜き、それを弄りながら話を再開した。

「そこから僕は彼女に愛を表現したんだ」

「彼女は恥じらって僕の愛を正直に受け取ろうとはしなかった」

「僕は退院した後に彼女が正直になれない理由を探ったんだ」

「そして、君に辿り着いた」




遼太郎は少々考え込み、口を開いた。

「つまり、お前は千穂をストーキングして俺の元に通ってるのを知り、俺をどうにかしたいと思ったってわけか」

男は顔を歪ませて笑みを浮かべた。

「端から見たらそういう事だね」

「……お前が同じ劇団に居たってのもお前が仕組んだのか?」

「それは運命とでも言うんだろうね。僕も正直驚いたよ。ただ、これだけは言える」

男の顔から表情が消えた。

「君の存在は僕にとって邪魔でしかない」





昌平


「……何しに来た」

仁志から緊急の連絡があった直後に、事務所に思わぬ来訪者が現れた。

「そんな言い方はないだろ?仮にも、久々に会った同級生だぞ?」

同級生であっても友人ではない。

「お前が居るとろくな事がない。帰れ」

「おいおい感動の再会の言葉を間違えたのかぁ?」


彼——泉 優征は中学校からの同級生だ。いわゆる、腐れ縁という奴である。


「お前に預けた息子の様子を見に来たんだが、仁志に連絡しても音沙汰なし。仕方なくここに来たってわけだ」

仕方なくな、ともう一度言うと彼は細い笑みを浮かべた。

「またお前の仕業か?」

彼は鼻で笑い、近くの机に軽く体重を預けた。

「さて?何の話かねぇ」


……。


「俺は忙しい。どっか近くのホテルにでも行ってこい」

「こんな時間から仕事とはねぇ。しかも内容がガキ共の子守と来た」

彼は再び鼻で笑った。

「お前がマル暴だった頃とは大違いだな。あんな一件があったくらいでこんなくだらん組織に逃げ込むとは」

「逃げ込む?」

「……この組織の名目は『弱い者を守る』、もしくはそれに準ずる事を目的とした組織」


彼は無表情でこちらを睨んだ。


「それぞれを『監視対象』『監視人』とそれらしい名前は付けてるものの、実のところはどちらもそう大差ない」


「2つは立場や状況が少し違うだけで何も変わりゃしない」


「……どちらとも、何かに負けた『弱者』なんだろ」


その目は何かを楽しんでいる様だった。

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自殺監視人 コザクラインコ @kozakurainko

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