終章

 一切の乱れなく、手にした二本の木刀を落ちてくる木の葉めがけて叩きつける。

 操る木刀を最善の形でふるうべく肉体に意識を行きわたらせ、自然にある力に逆らわず、できうる限り利用して最善の一閃を追い求める。

 木刀の描く軌道と心中には乱れなく、淀みなく、迷いなく、そしてそれらを意識する雑念すらなく、次々と落ちてくる木の葉の芯を捕らえて打ち落とし、理想的な結果のみを残していく。

 と、そんな集中が最高に上りつめ、肉体を心地よい疲労と熱に包まれた瞬間、


(!?)


 突然背後で気配と妖気が発生し、金属が連続してぶつかるような音が忠継めがけて迫って来た。

 すかさず右腕に魔力を流して刀身状の紋様を顕わにし、迫る鎖を手にした木刀で叩き落とす。


「……む、エルヴィスかと思えばエミリアか……。背後から突然魔術を使ってくるのはエルヴィスだと思っていたのだが」


「いつもならそうですけど今日は話が別です。タダツグさん怪我してからまだ二日しかたっていないでしょう? いくらなんでも早く動きすぎです。だから縛ってでも連れ戻そうと思いましたのに、それを【カタナ】まで使って迎撃して……」


 まあ、木剣だと斬れないせいか魔術は消えないみたいですけど、と呟くエミリアを見て、忠継は今回の襲撃がいつもの遊び半分でないことをようやく理解した。

 二日前の【妖魔】の襲撃で肩に手傷を負った忠継は、本来なら今日も昨日と同じように治療に専念しなければいけないはずだったのだ。

 どうやらベットに引きずり戻すつもりだったらしいエミリアが鎖の魔術を消すのを見ながら、忠継は木刀を置いてそばの石の上に置いてあった手拭いで汗をぬぐう。


「だが、俺の怪我はもう治っているぞ。さっきから動いていても、痛みはおろか違和感もない」


「え? そんなはずは……? ちょっと見せてください」


「え? あっ、おい!!」


 忠継に組みつき、無理やり服をはぎ取るという、年頃の女としてはどうなのかと思う所業をやってのけ、エミリアは忠継の服の下、肩に巻かれた包帯をほどいてその下を改める。

 だが、そこに本来あるべき傷痕は、一昨日大蛇に噛みつかれたのが嘘だったかのように痕跡すら残さず消えていた。


「すごい……。本当に治ってます」


「だから言っただろう。それにしても、外法の医術は怪我の処置に優れているとは聞いていたが、人の体を縫うなどという治療法がここまで治りが早いものとはな」


「……いえ、本来こんなに早く治るはずはないんですけど……。って、そう言えばタダツグさん? 傷を縫った糸はどこに行ったんですか? まだ抜糸は済んでいないはすなんですけど?」


「そんなもの、適当に切って抜いたに決まっているだろう。いつまでも体から糸を生やしていられるか」


「医者の許可も得ずに何やってるんですかぁっ!!」


 あっさりと言ってのけた忠継に、エミリアが珍しく絶叫する側に回る。彼女の中ではかなり体に悪いはずのことをやってしまったのはなんとか分かったが、いつも振り回されている身としては特に傷が悪化したりもしなかったことも相まって、正直かなり小気味が良かった。


「そもそも、なんでこんなに傷の治りが早いんです? 言っておきますけど、この国の医術でもタダツグさんの治癒速度は異常ですよ?」


「む、そうなのか? ならば例の膂力が上がったり、感覚が鋭くなったりしたのと同じ魔力の影響じゃないか? いや、それと同じ理屈なら、昨日寝床で行っていた魔力を操る訓練もそうか……」


「どういうことです?」


「いや、昨日あの騒ぎのときに魔力を手足に流して脚力や筋力をあげたという話はしただろう? 実は寝床に運ばれた後、その感覚を忘れないように寝ながらそれを試していたんだ。……そう言えばそのとき肩に魔力を流すと痛みが和らいだような気がしたな」


「……もしかして魔力を用いて怪我の治療を行っていたのでしょうか……? だとしたらすごいです!! それってタダツグさんを研究(・・)すれば医療の現場でも画期的な進歩が見込めるってことですよね!!」


「いや、ちょっと待て!!」


 言葉の端から不穏なものを感じ取り、忠継は慌ててエミリアの思考を止めに入る。やはり発言によって相手を慌てさせることにおいては、忠継よりもエミリア達の方が一枚上手だった。現に、忠継が待ったをかけてもエミリアはまるでその理由を理解していない。


「どうしたんですかタダツグさん? ああ、方法でしたら問題ありません。手始めに動物相手にあらん限りの魔力を振り絞るつもりで試していきましょう。仕組みについてはその都度検証して行けばいいんです。副作用のないようでしたら人間にも行えます。なんでしたら私が自らこの身をささげても――」


「待て!! 俺の意思は無視か!? 俺はまだ協力するとは一言も言っていないぞ!?」


「でも医術ですから、誰かの助けにはなりますよ」


「……なに?」


 脈絡もない、唐突な話題の飛躍に、忠継はしばし呆然とする。だが、そんな言葉でもエミリアにとっては間違いなく繋がりのあることだったらしい。


「タダツグさん、以前家督を継げなかったときとかに、『自分は必要ない』って感じたことありません?」


「待て、家督については覚えているが、俺はそんなことまで話したのか?」


「いいえ。……実は私も、そんなふうに自分の価値を見失ったと言いますか、自分なんていらないんだなって思ったことがあるんですよ」


「……そうなのか?」


「私はなんだかんだ言っても女ですから、同じことをやっていてもどうしても兄様には届かない部分があるんです。クロフォード家の跡継ぎは昔から兄様に決まっていましたし、世間では女の学問なんて遊びの類や、良くても花嫁修業の一環という認識で、その成果を認めてくれる人もほとんどいません。そもそも私と兄様では残念ながら兄様の方が優れているんですよね」


「……」


 エミリアの思わぬ内心の吐露に、忠継は何も言わずに沈黙する。それは忠継が考えたこともない、悩みなどないと思っていた相手の思いがけない本音だった。

 だが、そんな内容にもかかわらず、エミリアは忠継に背中を向けたまま、さらに軽い口調で語り続ける。


「まあ、そんな訳で、私も一時期『自分なんかいなくてもすべてうまくいくんだ』って思ってたことがあるんですよ。私にできることはすべて兄様ができましたし、唯一できない他家への嫁入りも、そもそもこれ以上ないくらいの名家であるクロフォード家ではあまり必要ありませんでしたから」


 自分に価値を見いだせなくなり、ついには自分に見切りをつける。それはかつて忠継自身も味わった、温くて根深い絶望だ。決して致命的ではないくせに、いつも心のどこかで自分を蝕んでいる。


「でもある時、私が適当に読んでいた本の知識が役に立つ場面があったんですよ。ある人が怪我をした時に、読んで知っていた医療の知識で手当てしたんです」


 そう言うとエミリアは、振り向いて忠継に輝くような笑顔を見せる。それは先ほどの話の中にはありえない、誇りと自信に満ちた表情だ。


「実際、その人は今にも死にそうだったとか、そういう訳ではありません。行ったのも本を読んだことがあれば誰でもできるような簡単なものでした。でも、手当てした時にその人にお礼を言われて、初めて自分のしてきたことが無駄じゃなかったって思えたんです」


「無駄じゃ、無かった……」


「結局のところ、私達が抱いている悩みなんてその程度で消えてしまうようなものなんですよ。少しでも誰かの助けになれて、自分が見失ってしまった自分の価値を、誰かに見つけてもらえるだけでいい。それだけで私達には、世界が明るく変わって見える」


「……ああ。そうだな」


 エミリアの言葉に一昨日の出来事を思い出し、忠継は静かに、しかし確かな実感と共に同意する。

 己の力を求められ、役割を求められ、そして何より誰かを救ってその礼を言われただけで、忠継は自身の中にあった淀みのようなものをきれいに取り去られてしまった。

 現金な話だ。だが、それでも大切なことなのだ。誰かを救うその行為で、自分もどこか救われる。


「だからタダツグさん、傷の治りを速める魔力の運用法、ぜひとも研究させてくださいね」


「……それとこれとは話が別だが、まあ、前向きに検討しておこう」


 忠継がそう返事をしてエミリアに背を向けると、視線を向けた先から見知った顔があるいてくるのが見える。昨日の騒ぎであちこちに怪我を負ったため、顔こそ手当てして隠れているが、その姿は間違いなくこの国でできた友人ライナスのものだ。


「どうしたというのだ? 今日は訓練は休みだと聞いたが?」


「ああ、まあ忠継に用事がな」


 そう言って近づいて来たライナスは、しかしいきなり忠継を引き寄せ、その口を耳のそばに近づける。突然のことに忠継が驚いていると、タダツグにしか聞こえないような小さな声でライナスはその伝言を耳打ちしてきた。


「まずは団長より伝言。『危険だからしばらくエルヴィス様には近づくな』だそうだ」


「なに? どういうことだ?」


「おまえの【カタナ】に、エルヴィス様が目をつけたんだそうだ。聞いた話じゃ、『魔術をあれだけ簡単に無効化できるなら、臨界ギリギリ、爆発一歩手前みたいなところまでの実験もできるよね』とか言っているらしい」


「よし、しばらくは近づかん。接触しそうになったら助けてくれと伝えてくれ」


 疑問を一瞬で氷解させ、忠継は小声でそうライナスに返事を返す。万が一にもこの話がそばのエミリアに漏れたら一大事だ。何しろこの兄妹はやることなすこと本当によく似ている。


「ところでライナス、その【カタナ】というのは? 話しの筋からして俺の剣のことではないようだが……?」


「あん? ああ、そう言えばあの剣もカタナって言うんだっけ。いやな、例のお前の魔力を斬る技、もう町中で【カタナ】って名前で広まってるんだよ」


「なんだと!?」


 どうやらカタナという名前をそういう剣ではなく、魔力を斬る技の名前と勘違いされているらしい。腕に現れる紋様は確かに刀身状の代物であるためあながち命名として外れているわけではないが、それでも紛らわしい事態が進行しつつあると言える。


「今から誤解を正すのは無理だろうか……?」


「無理だろうな。さて、後は俺の要件は一つだけだ」


 そう言うとライナスは自身が歩いて来た後方に向きなおり、『おぉい、出て来いよ』と声をかける。忠継がその方向に視線を向けると、建物の影から屋敷で侍女たちが来ている白と黒の服を着た、屋敷の侍女たちより少し小柄な娘が現れた。

 尻ごみするような仕草を見せながら近づいてくる娘を見て、忠継はようやくそれが誰かを理解する。


「お主は、アネットか?」


 そこにいたのは、つい先日まで難民だったはずの少女だった。とはいえその姿は見違えるようで、汚れと疲労で土に近い色だった肌も赤みが差して人間の色に戻っており、くすんだような色をしていた髪も、わずかながら艶を取り戻して銀色に変わっている。


「ああ、屋敷の方で何人か難民の方を雇うことにしたんですよ。ゼインクルの様子を知っている人が欲しかったことですしね」


 エミリアのその言葉にようやく忠継は少女がここにいる理由を理解する。一方で当の少女はうつむいて何かを口ごもっており、隣に立つライナスになにやら促されていた。


「ほら嬢ちゃん、言いたいことがあるんだろ? ひと思いに言っちまいな」


「なんだ? 俺に用なのか?」


 視線を向けた忠継に、アネット自身も顔をあげ視線を合わせる。その顔色は、赤い顔の多いこの国の人間の中でも、一際赤く染まって見えた。


「あ、あの、ありがとうございました。そ、その、助けていただいて……!!」


「え、ああ……」


「すごく……、嬉しかった、です。自分は助からない、誰も助けてくれないって、ずっと……、ずっと思ってたから」


「……そうか」


 かけられたその言葉に、忠継は自分の腹から温かいものが広がっていくような感覚を覚える。

 それは決して悪い気分ではない。くすぐったくも愛おしい感覚。自分の価値を見つけてもらえた、自分の価値を再び目の当たりにできたからこそ感じられる感覚だ。


「その言葉に救われる」


 自然とそんな言葉が口をついた。

 眼に映る景色が、輝きを増した気がした。

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故国に捧ぐカタナ 数札霜月 @kazuhudasimotuki

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