ドグマグえもん

D野佐浦錠

鬱々目眩《ウツツ・マグラ》

「ドグマグえも〜ん!」


 と悩美那由多のびなゆたが脳髄を歪曲ディストーションさせるような声で青色のロボットに泣きついている。


「なに、夏休みの最終日なのに宿題が全然できてないだって? 全くもう……」


 呆れたね、と乾いた声で――その無味な応答がこの文脈ではむしろ人間的と言えた――答えたのは、未来から来た“広義の”ネコ型ロボット、ドグマグえもんである。彼はネコという概念が持ち得るあらゆる表象、イデアを自在に被観測対象として顕現できるのだという。


「まあ、今から明日の朝まで徹夜コースでやれば終わるんじゃない?」

 と、計算ドリルや漢字の書き取りといった宿題を払々ぱらぱらとめくりながらドグマグえもんは言う。


「ぼくにそんな根性があるわけないじゃないか! 絶対途中で寝ちゃうに決まってるよ! 未来の道具で何とかしてよドグマグえも〜ん!」

 那由多は俄然がぜん泣き落としのトーンを強めてまくし立てた。


「はあ……いつも言っているじゃないか。

「そんなこと言わずに! 君は未来から来たネコ型ロボットだろう!」

「この時代では二重思考ダブルシンク、あるいは二重辛苦ダブルシンクの根付き方が中途半端なのが説明に困るね。じゃあまあ、今回はネガティブ思考の君にふさわしい道具を出してあげよう」


 ドグマグえもんは虚空から金属製の装着具のような物体を取り出した。ぬめるような銀色をしたそれは、どうやら人間の頭部に取り付けるものらしかった。

鬱々目眩ウツツ・マグラ〜!」


「ウツツ・マグラ……」

 目の前に現れた奇怪な存在に、那由多は大いに眩惑された。


「『』というものを知っているかい?」

 とドグマグえもんは続ける。


「簡単に言うと、という仮説だ。鬱々目眩ウツツ・マグラはその理論を基に、使用者のネガティブ思考によって生み出した仮想の世界を――『』――現実と入れ替えることができる。これを使えば、夏休みの宿題をどうにかできた世界にも行けるだろうさ」


「流石ドグマグえもん!」

 と那由多は鬱々目眩ウツツ・マグラに飛びつき、それを頭に装着した。


「あー那由多くん。注意事項だけど」

「良いって良いって。夏休みの宿題が完璧に終わって、ついでにぼくが天才として崇められている世界に行こう」

 そして、那由多はその脳髄で生み出した仮想を現実へと変じ、異なる世界へと旅立ったのである。





「ああっ、那由多様よ!」

「キャー! 素敵!」

 那由多は登校中、道行く女子たちが黄色い声を上げるのを何度も聞いた。

 その度に、彼女たちは官憲に公序良俗違反のかどで連行されていく。

 彼女たちは矯正プログラムを受けさせられるのだろう。

 この世界において那由多は神聖性を帯びた超人として扱われており、もはや一般人がみだりに言及することが許される存在ではなかったのである。


 宿題は完璧にできていた。内容については知る由もないが、とにかく完璧にできている、という事実だけを那由多は把握していた。

 この世界観に照らしてみると、超人である自分に宿題を課すという行為は重罪に相当するのでは、という疑問が立ち上がったところで、校門の前で担任の教師が十字架にはりつけにされているのを那由多は目撃する。


「えっへへへへへ。これは何とも因果なことで。ねえ那由多さん。どうかご慈悲をいただけないでしょうか」

 と教師がはりつけのまま、へつらうような笑みを浮かべて言う。


「えっ……ど、どうしようかな」

 状況を整理しようと考える間もなく、どこからか官憲の群れが現れて一斉に教師の方へ小銃を向けた。

「大変失礼いたしました。かの者を直ちに射殺いたします」

「えっへへへへへ。こうなるのかい。なら言っておくぜ。那由多さん、

 タタタタ。

 乾いた銃声の後、教師の声は聞こえなくなった。

 「う、うわあー! この世界はもうやめよう!」

 那由多は再び鬱々目眩ウツツ・マグラを作動させ、次の世界へと移行した。






「す、素晴らしい、那由多さん! あれほどあった宿題を完璧にやり遂げるとは! これは前人未到の偉業です! あなたは英雄です!」

 教室に着くや否や、那由多は教師に褒められ倒していた。

「あっは、ちょっと大袈裟だけど、これぐらいの方が良いや」


「他の生徒の皆さんも大いに見習うように。それでは――」

 感極まった様子で、涙を堪えながら教師が言う。

「これより那由多さんの処刑をり行います」

「なんで!」


 たちまちのうちに、生徒たちの手によって那由多は十字架にはりつけにされる。

 そのまま校庭に運び出された那由多は、全校生徒の前で小銃を手にした教師により処刑されようとしていた。


「英雄の物語は、非業の死という結末によって完成し、後世に語り継がれるのです。あなたは死して歴史のいしずえとなる。それにこれも、?」

「ち、違う、ぼくはこんなこと……ドグマグえも〜〜〜ん!」


「はあ……やれやれ。こんなことになると思ってたよ」

 その瞬間、ドグマグえもんが十字架の上に器用に座り、那由多たちを見下ろしていた。


何奴なにやつ!」

 教師がドグマグえもんに向けて発砲する。

 放たれた銃弾はしかし、ドグマグえもんの前で全て虚空へと消えた。


「ぼくは“広義の”ネコ型ロボット。ここでは『気まぐれ』『神出鬼没』『不可侵』といったイデアを動員して“機械仕掛けのネコフェリス・エクス・マキナ”よろしく君を助けに来てはみたけど……なんともはや」


「ドグマグえもん! 早く助けて〜」

 生徒たちも加わり、銃弾が驟雨しゅううのごとく降り注ぐ。無数の弾丸は、やはりその全てがドグマグえもんの手前で虚空へと消失していく。


 弾幕は止まず、いまや凄惨な処刑場と化した校庭で、ドグマグえもんはつまらなそうに続けた。

「あのねえ那由多くん。注意事項はちゃんと聞きなよ。『抑うつリアリズム理論』の理屈からもわかりそうなもんだけどね。原理的に、鬱々目眩ウツツ・マグラ使使んだよ。そこのところ、注意して使ってねって言いたかったんだけど」

「そ、そんな〜」

「まあ、今回は大サービスでご都合主義的に解決してあげるとしよう」

 ドグマグえもんははりつけの那由多に鬱々目眩ウツツ・マグラを装着させた。

畢竟ひっきょう、全ては胎児の夢なんだよ」





「…………はっ!」

 那由多はがばりと布団を跳ねけた。

「宿題は……全然できてないっ!」

 横でスマホを手にカクヨムで小説を読んでいたドグマグえもんの手を取って、 

「もう一回、鬱々目眩ウツツ・マグラを出してよ〜」

 と懇願する那由多だった。


「はあ? 鬱々目眩ウツツ・マグラ? そんな道具知らないよ。それに夏休みはまだ半分以上残っているよ」


 一体、どれが夢なんだ? (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ドグマグえもん D野佐浦錠 @dinosaur_joe

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ