おやすみ少年。いい夢を

天海二色

傘をささない青年と、通りすがりの少年

 ざぁざぁ。ごうごう。

 とある雨の日。

 水溜まりがあちらこちらにできた歩道で、右往左往をする青年がいた。

 格好もへんてこで、傘を持っているのに開きもせず、靴も履かず、パジャマ姿で歩いている。

 しかし道行く人たちは誰も青年を気に留めない。サラリーマンも女子高生も配達員も、まるで見えていないかのように、青年の横を通り過ぎて行っている。


「あの、お兄さん」


 しかし、一人だけ。

 カエルの目が付いたカッパを着て、ランドセルを背負って、キッズケータイを首から下げた少年だけは、青年に声をかけた。


「迷子? 探しもの? それとも誰か待ってるとか?」


 おずおずと青年の顔を覗き込んで、少年は訊ねる。

 そして気付く。


「あれ? もしかして目、見えてない?」


 青年の両目は、眠っている時のように閉じられていた。

 手に持っている傘は、杖代わりだったのかもしれない。そんな推測が脳裏に過ぎる。


「見えているよ」


 しかしその推測は青年の返答で覆った。


「傘を探しているんだ。落としてしまってね」

「えっ。手に持っているのは?」

「これとは別の傘なんだ」

(じゃあ、なくしたのは雨傘で、あれは日傘なのかな?)


 それならば傘をささない理由も納得できる。

 しかし雨に打たれながら探す理由はわからない。一旦、ビニール傘でも買った方が濡れなくてすむ。

 お金がないのだろうか。靴下で歩いている所といい、やっぱり青年はへんてこだ。


「どんな傘? 探すの手伝うよ?」

「ありがとう、少年。でも大丈夫、暗くなる前に帰るといい」

「でもこのままだとお兄さん、風邪ひいちゃうよ? あ、そうだ。お巡りさん呼ぼうか? 探している傘、もしかしたら交番にあるかもだし」

「少年は優しいね」


 青年はそう言って屈み込み、少年と目線を合わせる。

 彼の目は閉じられているのに、どことなく慈しみ深い眼差しを感じた。


「大丈夫。もう直ぐ弟が来るんだ。彼ならパパッと見付けてくれるよ」

「そうなの?」

「あぁ。だから安心してお帰り」

「……うん、わかった」

「おっと、その前に。声をかけてくれたお礼をしよう」


 そこで青年は持っていた傘を掲げると、パッと開いて、少年を内側に入れる。

 傘の裏側は、メリーゴーランドにジェットコースター、観覧車と、遊園地の景色が広がっていた。


「わぁっ」


 ぱぁっと笑顔を浮かべる少年。

 思わず手を伸ばしてみれば、絵の筈なのに触れた気がして、楽しげな音楽まで聞こえてきて、「えいっ」とジャンプをしたら傘の中へ入り込めてしまった。


「わぁい!」


 そのまま遊園地へ――


「――おやすみ、少年」


 いや、夢の世界へ旅立った少年を、青年は優しい手付きで抱き止める。

 間もなくして、パカパカと馬の蹄の音が近付いてきて、青年は弟が来てくれたことを悟る。


「あぁ、待っていたよ。オーレ・ルゲイエ」

「その子はどうした、オーレ・ルゲイエ」

「僕を心配してくれた、いい子さ。お礼に夢を見させているんだ」

「ここで寝かせたら風邪を引くぞ」

「そうだね。君の馬に乗せて帰してあげよう、オーレ・ルゲイエ」

「妖精使いが荒すぎやしないか、オーレ・ルゲイエ」


 眠りの妖精、オーレ・ルゲイエ。

 その弟、永遠の眠りの妖精、オーレ・ルゲイエ。

 二人はその日、心優しい少年を家に送り届けてから、傘探しに戻ったのだった。


「あった、あった。悪い子の家に置いてきてしまっていたんだった」

「だから思い当たる場所は片端から探せとあれほど……」

「ごめんごめん、次からは気を付けるよ。オーレ・ルゲイエ」

「信用できないな、オーレ・ルゲイエ」

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