第2話


 次の日、スィランが目を覚ましたのはお昼も過ぎようとしている頃でした。

 何だかこの頃、妙に眠たいのです。


 こういう時が、過去にもありました。

 シーニュと旅を始めて、少しした頃のことです。


 それまでは、そんなことはありませんでした。


 戦場と寝床を行き来するだけの生活で、必要以上の睡眠をとる時間はありませんでしたし、そもそも寝床以外の場所で眠気を感じることもなかったのです。


 きっとスィランは、シーニュといて始めて、ただの暗い空白ではない、あたたかな眠りを知ったのです。


 そして、それまで休まる暇のなかった心を休めるために、ただひたすらに眠り続けていたのでしょう。


 移動の合間や、食事の後、その隙があればすぐに眠ってしまうスィランに、シーニュは根気良く付き合っていました。


 ときおり、シーニュの口ずさむ歌や、リュートの音色で目が覚めることがありました。


 あの時の幸福を、どう言い表したらいいのでしょう。


 柔らかな音色が遠慮がちに響いていて、目を開ければ、木漏れ日の中でシーニュが歌を歌っているのです。


 シーニュは、スィランが目を覚ませばすぐに気づいて、目を合わせて、微笑んでくれました。


 もう、そんな瞬間は訪れません。


 叶わないことを知っているのに、毎日のように夢を見ます。


 シーニュが居なくなった日々は、まるで永遠のような、昼夜の繰り返しの中にありました。


 夢の中の笑顔に縋るようにスィランは眠り、そして、喪失とともに目を覚ますのでした。




 今日もやってきたカワセミに、スィランは言いました。


「僕、眠ることにしようと思うんだ」


 どこかぼんやりとした声で、彼は続けます。


「もうずっとずっと眠たいんだ。だからこのまま、起きるのをやめてしまえば、いつかシーニュと同じ場所に行けるんじゃないかな」


 カワセミは黙り込んでしまいました。


 あまりに長く黙っているので、スィランはカワセミを仰ぎました。


「……ひょっとして、怒ってる?」


「いいや」


 カワセミは呟くように言いました。

 いつもよりも、力のない声でした。


「オマエみたいなやつを何回か見てきたよ。番を失った鳥なんかがそうだ。

 情ってのは面倒だ。だけどオレらとそれは、分けることは出来ない」


 スィランは静かにそれを聞いていました。


 カワセミは言い終わるとまた黙ってしまい、二人の間には沈黙が降りてきました。


 そしてしばらくして、何かを振り切ったような声で、カワセミは言いました。


「分かった。オマエが眠るのを止めはしない。

 だけどな、ここは小川のほとりだ。寒くて眠るのには向かないよ」


 スィランは首をかしげました。カワセミが何を言いたいのか分からなったのです。


「西の野原に行ってみな。

 あそこは暖かくていい場所だ。きっとオマエも気に入るよ」


「分かった。君がそう言うのなら」


 スィランは頷きました。カワセミは小さな声で言いました。

「なあ、笛を聴かせてくれよ。もうずっと触っていないだろう」


「うん、いいよ」


 スィランはホルスターの中に入っているオカリナを取り出しました。


 スィランが拳銃を捨てると決意した日に、シーニュが贈ってくれたものでした。


 口元にあてがうと、隣にシーニュがいるような気がします。


 シーニュの気配を消してしまいたくなくて、そうっと、オカリナを奏でました。


 静かな、静かな川辺でした。


 風はやさしく草原を渡り、夕方を迎えようと、柔らかくなった光がふたりを照らしていました。


「やっぱり、オマエの笛は好きだ。きっとそんなヤツは、他にもいっぱいいるよ」


「ありがとう、カワセミ」


「オレはもう行く。行くなら勝手に行くことだな。お別れをするのは苦手なんだ。」


「分かったよ」


 カワセミは飛び去っていきました。


 彼が止まっていた木の枝が、ちいさく揺れています。


 カワセミが飛んで行った方向を、スィランはずっと見つめていました。

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ホルスターのオカリナ 春野あさ @haru_asa

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