ホルスターのオカリナ
春野あさ
第1話
遠い遠い宇宙の、小さな星に、その少年は生きていました。
彼の名前はスィラン。師匠がつけてくれた名前です。
「静寂は、音楽を愛する人が、大切にするもうひとつのものよ」
師匠──シーニュがそう言って微笑んだのを、スィランは昨日の事のように思い出せます。
シーニュはスィランの隣から、いなくなってしまいました。
歌を歌う人だから、風になったのだろうと、彼女を知る人は言いました。
この星で、歌を生業にする人には、お墓が作られることはありません。
彼らは身体を遺さないからです。
小さな記念碑が、彼らを悼む人によっていくつもの土地に建てられます。
歌を生業にする人は、すなわち旅をする人。
彼らの亡骸を弔いたい人たちが喧嘩をしないために、彼らは風になるのかもしれません。
スィランは今日も、小さな川のほとりで目を覚まします。
あの日、シーニュが風になった場所でした。
それは、いつものように朝の演奏を終わらせた時のことでした。
スィランは、ささやかな音と共に、シーニュのリュートが足元に落ちるのを見ました。
シーニュのまとっていた服が風に舞い、溶けるように消えてしまって。
シーニュの姿は、どこにも見当たらなくなってしまったのでした。
シーニュが消えてしまうということを、スィランは知っていました。
歌い手としての使命が終わったのだと、お迎えが来て、この世界から消えてしまうのだと、あらかじめ聞かされていたのです。
シーニュが消えてしまったあと、スィランにはやるべきことがありました。
シーニュの書いた手紙を、この星の各地にいる彼女の知り合いに届けることです。
彼女がもうこの星に居ないのだと伝えるのは、覚悟のいることでした。
それを聞いた人がみな、どこかに傷を受けたような顔をするからです。
涙を流す人も、何人もいました。
スィランのことを、抱きしめる人もいました。
心配してくれる人がいたことに気づいていました。
だけどスィランは、笑うことも、泣くこともできませんでした。
それは、シーニュに出会うよりずっと昔に、失くしてしまったものだったのです。
手紙を届け終わって、スィランはシーニュと別れた場所に戻ってきていました。
次に向かうべき場所が、分からなかったのです。
カワセミがやってきて言いました。
「オマエはいつまでここにいるの?」
「……分からない」
カワセミは首をしきりに動かしました。
何か考えているようでした。
「何も食べてないだろう。魚の獲り方を教えてあげようか」
「僕は、食べなくても平気なんだ」
「ウタヒメといた時は、ふわふわしたものやドロドロしたものを食べていただろう」
「そうだね……。でももう、何かを食べる気になれないんだ」
カワセミが大きい声で言いました。
「何かを食べようとしないヤツはばかだよ。そのうち強いヤツに食べられちまう」
「心配してくれてるの?」
「オレはオマエの笛も、ウタヒメの歌もキライじゃない。オマエが食べられたら、ウタヒメは泣くぞ」
「……うん。ありがとう、カワセミ」
カワセミは首を振って、飛び去ってゆきました。
やれやれ、という言葉が聞こえてきそうな仕草でした。
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