天女の住む時計台
時輪めぐる
天女の住む時計台
『街はずれの天女の住む時計台に行け。俺達は逃げる。頑張れよ。父』
朝起きたら、書き置きを残し、両親も家財も消えていた。
「はぁ? 何だよ、これ!」
中学一年の僕は、仕方ないのでリュックに学用品と着替えを詰めて、街はずれに向かった。天女の住む時計台? そんなのあったっけ?
これか。古い木造のシンメトリーの建物。中央の塔に大きな時計が付いている。社会の授業で見た写真は、もっとイイ感じだった。撮り方が上手いんだな。写真を見て訪れる人がいたら、多分、ガッカリするだろう。
「こんにちは」
僕は、引き戸をガラッと開けた。
「誰かいませんか?」
家の奥から、ノシノシ足音が聞こえて、小汚いオッサンが、ズボンの尻を掻きながら現れた。
天女じゃないな。オッサンだ。
「間違えました。すみません」
僕が、戸を閉めようとすると、オッサンが言った。
「待て、待て。お前、中村んとこの?」
「あ、はい。ジュンです。お父さんの書き置きを見て来たのですが、家を間違えたみたいです」
「んにゃ、間違ってない」
「だって」
「表札を見ろ」
改めて表札を見ると、『天女』と書いてあった。
「ええー、天女って苗字だったんですか」
「俺が天女だ!」
オッサンは胸を張る。
「ご先祖が天女を嫁にし、以来、毎日正午を天女の声で歌い告げる家系だ。俺で十二代目。家を守るのが俺の務めだ」
「でも……」
オッサンだよね、という言葉は飲み込んだ。
「言いたい事は分かる。これを見ろ」
オッサンは、ピンクの拡声器の様なものを懐から取り出す。
「天女の声・変換器―!」
オッサンの野太い声は、変換器を通して、天女の声になった。どういう仕組みなんだ。
「代々、女が当主を継いで来たが、俺は男だし、モテないから子供もいない」
「……えっと、それで」
「安心しろ。父親に頼まれているから、お前は此処に置いてやる。その代わり、俺の後を継いで、天女十三代目になるんだ」
「僕が天女に? でも……」
言葉を飲み込む。
集団生活が苦手で不登校になった僕は、親に捨てられた現実に直面している。此処で歌えば生きていける。それって悪くない。
「天女になります!」
その日から、僕は天女家に住み、昼は遠隔授業、夜は歌のレッスンを受けた。
「ところで、天女って需要あるんですか?」
「何を言ってるんだ。俺達が食べているご飯は、何処から来ると思っている」
そういえば、オッサンが働いている様子はない。
「この辺りは、昔から天女信仰があった。毎日天女の歌声で、せんの……、いや、祝福しているので、街の人達は、感謝の気持ちの供物や金を喜捨してくれるのだ」
オッサンは、真面目ぶった顔をした。
ん? 今、洗脳と言い掛けなかったか?
四十年後。オッサンは八十五歳、僕は五十三歳になった。ある日、終活の断捨離をしていたオッサンは、したり顔をした。
「時計台で古文書を見付けた」
「何て書いてあるの?」
「いずれ分かる。明日から、お前が歌え。俺はもう声が出ん」
天女デビュー? 音痴な僕の歌声で、せんの、いや、祝福できるだろうか。
「自分を信じろ」
それが、オッサンの最後の言葉だった。
翌朝、時計台の中にオッサンの姿は無かった。
『頑張れよ』
メモが食卓に載っている。
「はぁ? またかよ!」
僕はいつも置いてきぼりだ。だが、もう中学生ではない。中年男性だ。生きる為の術は、オッサンが授けてくれた。これから毎日、歌うだけだ。
三十年後。八十三歳になった僕は、孤児になった少女・リンを育てていた。彼女は遠縁の遠縁だということで、たらい回しの挙句、此処に預けられた。つまり、天女の血を引いている。リンは歌が上手く、変換器も不要だ。
音痴な歌を笑わずに聴き、「お祖父ちゃん」と慕ってくれるリンを、孫のように思い育てて来た。
「リン、お前はもう十八歳だ。明日からお前が歌うんだよ。僕の役目は終わった」
リンが眠った深夜、そろそろかと思い、外に出た。
『ジュン、お疲れ様』
玄関先に全身が白く輝く天女が佇んでいた。
「どうして、僕の名を?」
「やぁね、アタシよ」
「オ、オッサン?」
オッサンが、本物の天女になっていた。
『古文書にね、天女の歌に生涯を捧げた者は天女になると書いてあったの。ほら、天女の家系だから』
「……僕は血縁じゃないな」
『何言ってんの。あんたは、アタシの曾祖母の妹の孫の孫。つまり遠縁ってこと』
「えっ、そうなの?」
親に捨てられた僕に、そんな血が流れていたなんて。
「天女になれるってことだよね」
『そうよ。さぁ、行きましょう』
「行くって?」
元オッサンの天女は、微笑んで天を指差し、指を鳴らした。
「わぁ」
僕の体は若返り、曲がった腰が伸びた。
両手で触ると、顔はつるりとし、豊かな金髪が降りかかる。体が軽い。僕は天女になった。驚きと嬉しさで胸がいっぱいだ。
『素敵よ!』
オッサンと僕は手を繋ぐと、淡く輝きながら、星月夜の空を高く高く昇って行った。
いつかリンが天女になる時、今度は僕が迎えに行く。それが天女の家の約束だ。
天女の住む時計台 時輪めぐる @kanariesku
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