うじたかり

灯村秋夜(とうむら・しゅうや)

 

 私が持ってきたのは、「うじたかり」のお話です。ああ、いえ。そんなにグロテスクなもののお話ではなくて、虫も関係ありません。ああ、でも……どうでしょう、あれを表す言葉には虫が含まれるでしょうし、おぞましさをグロテスクと言い換えることもできるのでしょうか。


 皆さんは、触ると病を癒してくれるお地蔵さんのことは知ってらっしゃいますか? ええ、よくありますよね。ある地方都市に……っていうとすごくわざとらしいですね。ちょっと都会の近郊、けれどそんなににぎやかでもみやびたところでもない、ちょっとしたところです。名前を言えば知っている人もいるけれど、全国デビューするほどでもない、ような。


 そんな街の片隅に、さる古くからの良家がありまして、ある大きな祠を祀っています。その中に、白くてやわらかい「うじたかり」があります。いえ、「いる」って言った方がいいんでしょうか。来歴はしっかり分かっていて、文献にも残っています。求めてやってきた人にも説明してもらえますし、聞きたくないなら省略もしてもらえるみたいですよ。では、聞いてきたそのままに話しますね。




 平安の昔にまでさかのぼって、ある女がいたそうです。生まれも氏素性も知れないけれど、たったひとつ分かっているのはその手口。行き倒れたふりをして家に入り込み、愛される才能を活かして家の財を喰い尽くし、いつの間にかいなくなる。一家離散ならまだいい方で、犯罪に手を染めて一族郎党が処刑されることもあったと言います。家……氏に集って喰い尽くす様子から「うじたかり」と称された女の名前は、今も分からないままです。そもそも本名がなかったのか、それとも名前を残すべきではないとされたのか。そのあたりは、判断しかねます。


 ひとつ、ふたつ、みっつ。最初は不可解とも思われなかったそうですが、真面目な男が何人も立て続けに身を持ち崩していくと、事件になりました。ちょうど七つ目の家が滅びて、いくつもの首が並んだところで、その女が見つかりました。とても悪しざまに書かれていますから、事実はどうか分かりませんが……あの「九尾の狐」のように男性をとろかすだけでなく、子供や女性に好かれる天才だった、とも書かれていますね。


 捕まって牢に入ったのちも、看守に抱かれることを楽しんだり、役人に色目を使ったりと才能は発揮されていました。けれど、彼女が過ぎ去ったあと、家を喰い尽くされた人の恨みは相当なものでした。貴族から下人に堕ちるわけですから、つらいだなんて言葉で表現することはできないでしょうね。


 量刑はなかなか決まりませんでした。裁判結果……当時は「沙汰」というんでしょうか、そういうものが権力で左右されてしまう風土も残っているころです。ただ首を切って晒すだけでは足りない、そうささやかれるほど重い罪と恨みを一身に背負って、女は獄中で淫楽に美食に耽っていました。


 そのうちに、ある少年が直訴してきました。滅ぼされたある家の傍系で、つながりこそ遠かったものの、縁戚でもあの家が滅んだことは許せない、あの晒し首が恨みと呪いを吐き続けているのだと――そう言ったそうです。じっさい、当時の要人の家系がいくつも同時期に滅んでいることはたしかで、時の朝廷も黙ってはいられなかったのでしょう。とうとう女の量刑は決まりました。


 いくつの人生を送っても、とても味わいきれないほどの快楽の中で生きた。ならば永遠に苦しめ、せめて他人を楽にする助けにはなれ、と。ならばどうすればいいのか、と問われても、万人に奉仕できる人間はいません。女はまじないをかけられ、全身を拘束されて、幾十を虜にした裸体を晒されることになりました。ある祠に幽閉され、あるまじないの媒介にされることになりました。


 お察しの通りですよ。彼女をさすると誰かの体が治る。その代わりに彼女が苦しみ……まじないの代償として、彼女以外のもうひとりも苦しむ。一人で抱えればすぐに死んでしまいますし、神仏の起こす奇跡は人の身には重すぎますから。ある女が担保し、もう一人が保証人になってようやく、奇跡を起こせるんです。


 いくつの病を背負っても、どこを失うほどの傷を負っても、彼女は死にません。それも込みでのまじないでしたから。ときには下卑た男の欲望のはけ口になり、ときには切実な願いを寄せられ、「うじたかり」の命は続いていきました。髪や目鼻がなくなり、豊かだった胸もなくなり、空いていた穴もなくなり、手足が短くなり……頭がなくなり、首が削れ、腰がなくなり、そして。


 日を浴びていない白い肌の、そうですね、このくらいの。一抱えの四角い箱のようなものでした。祈りながら触れば、どこでも治るようになったんだそうです。もう三百年は小さくなっていないそうで、これ以上小さくならない状態なのだろう、と。わざわざ行った甲斐がありましたね、ステージⅢが治るなんて……。祀られるわけです。


 人が祀られるとき、かれらは「そうならなかった未来」のために神様になるそうです。交通事故で亡くなった方が交通安全の神様になり、病気で亡くなった方が平癒祈願の神様になる。なら、永遠に苦しむ人は「みんなの苦しみを取り除く神様」になるでしょう。方法が正しくありませんし、生きているから神様にはなれませんけど……結果は出ていますから、これでいいんです。




 ああ、そのことですね。とくに問題ありません。

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うじたかり 灯村秋夜(とうむら・しゅうや) @Nou8-Cal7a

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