3.
車は王都のメインストリートである交易街道をルベ川方面に向かって走っていた。
ぼんやりと窓の外に目を向ける。朝ということもあってか、道の両端に並ぶ商店のほとんどは閉まっている。まっ、九時開店が殆どだから当たり前か。なんとなく、そう思う。そういや、向こうもだいたいは同じだっけな。変なとこで似てんな。古代の神殿を彷彿とさせる外観のトルテ銀行本店の前を行き交う人々。忙しなく、セカセカと、感情などないように歩いている。まるで、ロボットのようだ。
「うへ、近所にある駅の通勤ラッシュみてぇ、」
ふと、ヤテハ兄がそう言った。
振り向いて「そうなの?」と尋ねる。
「ああ、そうだよ。俺ん家の近くにある駅さ、朝になるとあんな感じで人がぞろぞろと降りてくるんだよ」と、いう言葉が返ってくる。
「やっぱ、ギルスって都会なんだねえ、」
オヌが感心したように言う。
「まっ、フルビルタス王国の首都だからな」
ヤテハ兄は軽く笑いながらそう言った。
「あー、首都といえばさ、この前ね──」
オヌが思い出したように話を切り出す。そのあとに続く話は、首都とはまったく関係がなかった。だが、オレたちはしばらくその話で盛り上がった。そして、話が盛り下がり、自然とお開きになった頃、車が停まった。
「着きましたよ」
ギムウェリア人の男はそう言いながらサイドブレーキを引いた。
車から降りる。だだっ広い駐車場の奥にコンクリートとガラスと鉄で作られた開放的な、およそ火葬場とは思えないモダンな建造物が建っていた。美術館とか図書館とか、そんなのみたいだ。他は何もない。ただ、鬱蒼とした森が広がっている。それ以外には何もなかった。ここに来るのは初めてだけど、なんか、不気味なほど静かだよな。まあ、処刑場だった場所だから人気がないのは当たり前なんだけどさ。火葬場や斎場は死と縁かある場所に建てられることが多い。
「こちらです。ご案内いたします」
ギムウェリア人の男の案内で、だだっ広い駐車場を歩いて火葬場に向かっていく。だんだんと大きくなっていく建物。外壁は打ちっぱなしのコンクリートで、一階は全面ガラス張り。エントランスホールが丸見えだった。一階と二階の境目に広がる水溜まりのような、定まらない形をした庇。その下には庇を支える無数の白い柱が地面に向かって斜めに伸びていた。火葬場には見えねえな。死を誤魔化している。そんな気がした。
中に入る。異様に高い天井、黒を基調とした内装、辺りに漂うハリボテの神秘性。スタイリッシュでモダンなデザイン。本当に火葬場なのかと疑いたくなる。職員や警備員が何人かいる以外、辺りに人はいなかった。明るかったが、何処か、薄気味悪くも感じた。
ギムウェリア人の男に続いてTo,UNi──一番という意味──と表記された部屋に入る。中は白を基調とした明るく開放的な雰囲気で、高い天井からは自然光が差し込んでいた。白く、四角い枠に切り取られた青空。ロチオの棺はその真下、銀色の台の上に安置されていた。奥には厳つい鉄扉が見える。ちょうど、ロチオの頭の上だ。
棺の周りには三人の男たちがいた。一人は先程のスーツ姿の男、もう一人は人夫。残りの一人は聖職者用の簡素な法衣を着ていた。ゲセブ教の聖職者である伝言師だった。火葬場の職員が手配したのか、或いは火葬場に常駐しているのかは分からないが、とりあえずロチオが信仰していない宗教の聖職者に見守られながら火葬されようとしているのだけは確かだった。ロアルスは、土から生まれてその魂は風に乗って天へと運ばれていく、というアニミズムのような独自の宗教を持っていた。なんとかしてやりたい、と思った。
ヤテハ兄がオレの腕を小突きながら小さな声で「我慢、だぜ?」と言ってきた。
「わかってるよ。……でもさ、」
小さな声でそう返すと、伝言師が声を張り上げながら、高らかに「故人との最後のお別れをいたしましょう」と言った。芝居がかった口調。室内にファスナーが下ろされる音が響く。
「ほら、行くぞ?」
ヤテハ兄の後について棺の前まで行き、中を覗き込む。遺体袋から覗く、澱んだ褐色の顔。ロチオは生々しい薫香を撒き散らす生花に囲まれながら、すっきりとした表情を浮かべていた。目は閉じていた。啜り泣く声。オヌが泣いていた。ジャオ婆は仏頂面だ。ヤテハ兄も同じだ。でも、手が僅かに震えている。無理をしているのは明らかだった。オレは、一体、どういう顔をしているんだろうか? よく分からない。体が浮き上がるような感覚。遠近法のように伸びていく床。周りから音がなくなっていく。伝言師が祈りの言葉を唱えはじめた。でも、声は聞こえない。スーツ姿の男が棺に蓋をする。もしかしたら、ガコンという乾いた音が響いたのかも知れない。人夫が丸いボタンが押す。鉄扉が開く。暗い正方形の空間。まるで、地獄の入り口だ。奥は暗い。微かにレールが見えている。棺が炉の中に吸い込まれていく。祈りの言葉は、まだ続いているようだった。涙ぐむオヌ。ジャオ婆はいつの間にか目を瞑って、手を合わせていた。ヤテハ兄は相変わらず無表情だ。オレはというと、いまだに自分がどういう顔をしているのか分からないでいた。冷静だと思った。鉄扉が閉まる。
ボッという音。火が付いたのだろう、不思議とその音だけは聞こえた。あの、扉の向こうでロチオが焼かれていると思うと胸が詰まりそうだった。焦げ臭い匂いが鼻を掠めていく。
その時、これでロチオとはもう二度と会えないのだということに気がついた。死んだからもう会えない、という意味ではない。生きた証が消えていくという意味だ。
ロチオは、あの炉の中で赤々とした畝るような炎に焼かれている。炎が皮膚を、髪を、思考を、自我を、ロチオが生きていた証拠を全て焼き尽くしていく。残るのは、焼き石膏のように白く、軽石のようにスカスカな骨片のみ。そのあとに待っているのは、骨を砕かれ、小さな壺にギュギュッと押し込められる、生きていた証を色褪せていく不確かな記憶のみにしていく作業のような儀式だ。心が激しく揺さぶられ、下降する様な喪失感を覚えた。ふと、自分の頬を涙が伝っていることに気がつく。
大きく深呼吸をする。そして、いつもよりも深く、ゆっくりと息を吐いた。さっきまで内側で渦巻いていた、砂のようにざらついた感情はいつの間にか綺麗さっぱりなくなっていた。気分はいつになく晴れやかで、何か、憑き物が落ちたような、そんな感じだった。もしかしたら、昨日、ロチオを見た時から心の中に渦巻いていた、あの砂のようにざらついた感情は今、この瞬間に対する警告であり、あの妙に冷静な自分の態度は、戸惑わずに儀式を粛々と執り行えるようにするために必要な訓練のようなものだったのかもしれない。
脳裏にロチオの姿が浮かぶ。あの、生ける屍のような姿ではない。爽やかに笑う、在りし日の姿だ。背が高くて、細身ながらも適度な筋肉の付いたしっかりとした体躯。すっきりとした輪郭の端正な顔立ち。正義感が強くて、誰に対しても優しいヒーローみたいな性格で、相手が悪人であっても絶対に殺さないし、怪我もさせないようにしていた。……あれ? でも、ロチオって、どんな顔してたっけか? 会って、どんな話をしていたっけか? 思い出せないし、分からない。徐々にぼやけていき、溶け合い、混じり合っていく、記憶、顔。
「……ねえ、いくよ?」
ふと、オヌの声が聞こえてきた。ハッとする。意識が覚醒し、周囲の音が耳の中に流れ込んでくる。気がつくと部屋の中にいるのは、ヤテハ兄とオヌとオレの三人だけだった。他には誰もいない。
「……大丈夫か?」
ヤテハ兄が心配そうな声で尋ねてくる。涙は尽きることのない泉のように流れ続けている。体の中からさまざまな感情が込み上げてきて、ぐしゃぐしゃに絡まりあう。噛むように息を吸い込み、喉奥から絞り出した声で「……大丈夫」と返すと、ヤテハ兄は何も言わずにオレの頭をワシワシと掻き回した。不思議と嫌な感じはしなかった。どこか懐かしく、心が安らぐ、そんな気がした。
鉄扉を凝視する。
これから先、ロチオのことを思い出すたびに記憶の中のアイツは理想化されていく。記憶は時間の経過と共に色褪せていき、やがて、理想化された、或いは美しい記憶ばかりを思い出すようになっていく。そして、理想化されていない、色褪せた記憶は徐々に不鮮明になっていき、消えていく。あの、間取りしか思い出せない、人のいない幼い頃の記憶のように。
今だってそうだ。爽やかな笑顔を浮かべるロチオ、それしか思い出せない。
ロチオの死んだ日 中町奈司 @t_furubirutasu
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