私の本当の目的は……

美女前bI

終わらない物語


 ――子供を連れた女性が突然私の住むアパートにやってきました。この子を10分だけ見てくださいと言い、その女性は私の返答をする間もなく走り去ったのです。

 当然、私は彼女を追い掛けた。

 必死に追い掛けて、追い抜いて気がついたらそこは銭湯の男湯の脱衣所でした。

 半裸の男性、迸る興奮。血流は血管を突き破り、私の口元へ熱いものとして零れ落ちました。ええ、そうです。鼻血です。

 そんな話を脳内で考えて、その時間は自販機の前を歩いておりました」


 私はそう言い終えると、目の前で眉間にシワを寄せる女性を見つめた。彼女が途中まで書いていたその紙は、床に無造作に丸まって転がっている。


「あなた、延々と何を言っているの?」


 彼女の机を指で叩く音が止まらない。気になって集中できなかったが、最後まで言えた自分を褒めたい。


 そして、私は目を閉じてあの時の状況を思い起こす。


「なるほど。続きをご所望ですね。では、その後入ったコンビニに立ち寄るまで考えたことをお話しましょう。それは今朝のことでした――」


 すると、彼女の手によって叩かれた机の大きな音が、取調室の中に響き渡った。私はその驚きで話を止め、肩をびくっと上げてしまう。


 女性はこめかみを抑え、苛立ちを隠せない様子で机に向かって話し出す。


「待ちなさい。詳しく状況を言えと言ったわ。なぜその時間にあなたが六本木を歩いていたのかと聞いたのも私。いくら記憶力が良いからって、もうかれこれ2日よ。いつになったら話が終わるのかなあと思ったら次はようやく犯行現場のコンビニ。そこにたどり着く話はいつまで続くわけ?」


 彼女は徐ろに咥えていた煙草に火を着けた。机の上にある携帯灰皿の吸い殻が溢れそうになっている。5時間前に部下に買わせたというのに……

 たしか扉の前に、喫煙禁止と書かれていたはず。違法行為を取り締まる警官が、堂々と一般市民の前でルールを破るのは許される行為ではない。


 だが気持ちはわかる。ストレスがたまってたまってしょうがないのでしょう?


 私はまた彼女に向き直ると、この2日間で私と彼女の仕事について、少し思っていることを話すことにした。


「刑事さん、うんざりしているところ申しわけありません。言語化というものはなかなか難しいものです。作家として、常に私はどう表現するかを考えているわけです。これ以上聞きたくなければ解放するしかありません。でもあなたは調書を書くことすら、もう諦めてるじゃないですか。だから最初からスマホとAIに頼んだらと申しましたのに。もしかすると、そこに犯行の動機が隠されていたかもわかりませんよ。私は、伏線と回収のプロですもの。でも私は優しい人間です。あなたがお諦めになった開始1時間からもう一度丁寧にお話いたしましょう」


 そう言って、私は刑事さんの疲れ切った目を得意げに見つめる。


「いや、もういい。私の部下にやらせる。轟、後は任せた。痴女行為についてしっかり落とせ」


 女性の警官はそう言うと、彫りの深い面差の男に仕事を丸投げした。彼も少し嫌そうな顔をするものの、一人で仕事を任せられたことを喜んでいるようにも見える。


 突然の担当替え。私はこれをずっと待っていた。

 やっと、やっと彼まで辿り着いたのね。


 彼とお話するために、ありもしない適当な物語を考えて時間をかけたかいがある。女性の方が諦めてくれないものだから、こちらもちょっと大変だったのよね。一度話し始めたら、オチまで作らなきゃ落ち着かない性分はもう職業病とも言える。


「では、こちらの質問に答えてもらいます」


 私は彼の声に聞き惚れながら、頷いて脳にその声音を入力し始める。


「あなたは、なぜコンビニで痴女行為に及んだのですか」


 いきなり彼が発した卑猥な言葉に脳がフリーズしかけた。


 言った? 言ったわよね!

 やば! キタコレ。私の海馬にも、しっかり彼の声はインプットされているのが確認できた。


 はあ、ようやく、ようやく聞けたわ!

 もうこれは一生の宝物。私がおばあちゃんになっても、彼の声は私の脳内から消えることはない。


「……貧血でふらつき倒れかけて手を出した先に、彼女の胸がありました。一瞬の気絶の後に悲鳴で目覚め、気が付いたら捕まっておりました」


 すると、彼らは目を丸くしてお互いにその顔を見合わせる。


「さ、最初からそう言ってくれれば……」


 女性警官はタバコの箱を握りつぶしながら、奥歯を鳴らして悔しげに私を睨むとそう言った。


 だけど私を怒るのは筋違い。こちらだってちゃんと言ったはずなのだ。無視したのはそちら。


「男性とお話をさせてくださいとお願いしたのに、聞き入れてくださらなかったのはそちらでしょう?」


 目的を達成した私にはもう彼の存在はどうでもいい。私だって乙女。早く帰ってお風呂に入りたいもの。


 そしてかかりつけのお医者様から、貧血を頻繁に起こす体質の立証がされ、防犯カメラの私の様子に矛盾がないことも証明された。

 結局、私はすぐに不可抗力が認められて釈放となった。


 外に出ると寒風が私の体を通り抜ける。ヒールを鳴らしながらカフェへと続く道で私は自嘲した。


 「終わらない物語を生み出し続けるなんて、さすがにもうこりごりね……」

 

 

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私の本当の目的は…… 美女前bI @dietking

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