バイト先の先輩からマイクをパスされた少女。できれば普通にバイトしたい

シーン1 自転車店

//静かな空調の音。BGM無し。開店前の雰囲気。

//弾んだ声で。



「おはようござるますー」


「おお、何やら見慣れぬ生首の怪異……いや、置物でござるか。てんちょー。これ何でござるか? 新しいヘルメットのディスプレイ?」


「え? マイク? これがマイクなのでござるか? えー、えす、えむ、あーる? ……よく分からぬが、声を収録する道具でござるか」



//急に正気に戻る。



「え? なんで自転車店にマイク?」


「ふむ……『こないだルリ姉がASMRにハマったので、買ってしまった』と――つまり、これはルリ姉の私物でござるか」


「ん? 店の宣伝のために動画を作ろうと思ってる、でござるか」


「拙者にも出演してほしい、と……解ったでござる。拙者、時給が出るなら何でもするでござるよ」


「ふむ。こやつを人間の頭に見立てて、耳かきをすればいいのでござるな。……別に汚れてないでござるが?」


「なるほど。そこは拙者の演技力が試されるところでござったか。では、参る」



//左耳に近付く。囁くような声ではなく、普通の声で。



「それじゃあ、耳かきを始めるよ。まずはこの竹製の耳かき棒で、そっと掻いていくね」



//耳元から離れて、



「ん? 何でござる? 『普段のござる口調でやってほしい』でござるか?」


「いや、拙者が言うのも変でござるが、そろそろこの語尾、恥ずかしい……」



//少し言い訳がましく。拗ねたように。



「確かに中学生の頃の拙者が勝手に始めたことで、あの頃はこれがカッコいいと思ってたからやったでござるよ。でも、そろそろ恥ずかしいというか、とっくに恥ずかしいというか……」


「うう……高校に入学した暁には、普通の女の子に戻ろうと思ってたのに」


「分かったでござるよ。ござるでござればよいのでござろう」



//気を取り直して、元気よく。



「では、耳かきをしていくでござる。まずは耳かき棒から」



//左耳。竹製耳かきで擦る音。



「拙者の剣に切れぬ物なし。拙者の耳かきに取れぬ垢なしでござる。鼓膜さえも突き破り、おぬしの煩悩すらかき消して……え? そこまでするなって?」


「うーむ。マイク相手だから加減が難しいでござる。まあ、適当にやっても怪我をしないという良さはあるでござるが」


「ちなみに、この録音データはどうするでござるか?」


「……え? 『中二病の女子高生が勘違い耳かきしてみた』というタイトルで世に出す?」



//耳かき棒を引き抜く。引っ掻くような音。

//耳元から距離を取り、やや大きめの声で。



「何で拙者が恥の上塗りに加担しなくてはならんのでござるか! いい加減にするでござる!」



//一転、戸惑うように。



「……そ、それは、まあ」


「た、たしかにそろそろ、自転車のタイヤがすり減ってきた頃合いでござるな」


「分かったでござるよ。時給5割増し。忘れないでほしいでござる」



//また左耳の近くに戻る。耳かきの音、再開。



「こうしてみると、本当に耳の形を綺麗に再現しているようでござるな。まあ、拙者は他人の耳などまじまじと見たことがないゆえ、判断つかぬが」


「それでも、こんな複雑な造形をするメーカーには、少し尊敬の念を抱くというもの」



//楽しそうに。



「ふふっ。こことか、この溝とか、自分だと出来ないところかもしれぬ。拙者も今度、行きつけの床屋に頼んで耳かきをしてもらおうか」


「……拙者の耳も、こんなふうになっているのでござろうか?」



//しばらくの無言。耳かきの音のみ。

//耳かきの音、停止後。



「――よし、こんなものでござろう。あとは、綿棒か梵天での仕上げでござるか?」



//梵天を入れ、回しながら引き抜く音。



「ん? ああ、この手の豆知識は知ってるのでござるよ。ちょっと前まで、知識がいっぱいのクイズ番組とか、雑学番組とかに夢中になった時期があって、の」


「このふわふわ。梵天というのでござるよな。なんとも縁起のいい漢字の組み合わせ。きっと名のある僧侶が修行の末に編み出した、究極の道具なのでござろう」


「――それを無駄遣いしている気がしないでもないが」



//梵天の音、停止。耳元から離れる。



「これで終わりでござるな。……え? 違う? 耳にふーって息を吹きかける?」


「ふむ。なるほど。ダスターと同じ原理でござるか。あまりマイクの奥には吹きかけないように?……注文が多いでござるな」



//左耳の耳元でささやく。



「では行くでござるよ」



//息を吹きかける音。断続的に「ふー、ふー」と、短く数発。



「これで綺麗になったでござるな」



//耳元から離れる。飛び跳ねるような足音を数歩。



「どうでござるか。これなら時給5割増しに報いる働きと言えるでござろう?」


「ああ、もちろん右耳も同様にやらねばならぬな」


「んむ? 拙者の演技に不満があると? いやいや、耳かきってこんな感じでござろう? 拙者も行きつけの床屋でたまに頼むが……いや、さすがにその床屋は語尾にござる付けないでござるよ」


「そうじゃなくて? じゃあどういう事でござるか?」


「ふむ。……そのマイクを、思い人だと思って接してほしい?」


「なるほど」



//右耳に接近。囁く。



「そう思って見ると、なんだかこの無機質な耳も愛嬌があるように見えるから不思議でござるな」


「では、こちら側の掃除も終わらせるでござるよ」



//竹製耳かきで擦る音。やや強め。奥まで。



「ああ、強すぎたでござるか。もっと優しく、まんべんなく、でござるな。いやー、こっちはさっきより難しく感じるのでござる。安定しないと言うか……」


「ん? 左耳の時と同じように、耳たぶに手の側面を当てれば安定する、でござるか」


「それはそうでござるな。では――おっと、手汗が」



//エプロンの裾で手を拭く音。ごしごしと、やや強めな摩擦。マイクからは遠い位置で。



「では改めて、耳かきを再開するでござる」



//耳かきで内側を擦る音。たまに手が震えるような振動音。要するにカタカタと小刻みに叩くような音。



「妙な演技指導のせいで、拙者も集中できないのでござるが……え? これがいいのでござるか? そんなわけなかろう」


「お主だって、耳の安全を預けるなら、もっと平常心を保てるプロフェッショナルに依頼するのがいいでござる。なんで拙者みたいな、こんなことで緊張する程度の人間に――」



//無言。耳かきの音だけ。時々、取れた耳垢を取り除くような動作や、奥まで覗き込もうとする息遣いなどを入れる。その際は耳かきの音を停止すること。

//数分後に完了。耳かきの音、停止。



「よし、それでは梵天でござるな。これを、こうして……」



//梵天の音。ごそごそと回したのち、一度引き上げる。確認するような息遣いの後、再び梵天を入れる。引き抜いた後に少し間を開ける。



「よし。これで満足でござるよな」


「え? 耳に息を吹きかける? おお、それが残っておったな。まあ、別に忘れていたわけではないのでござるが……」


「や、やるでござるよ」



//遠くで呼吸音。深呼吸する。



「いや、待ってほしい。何をどうするのでござったか……ええっと、耳に息を吹きかけるのでござったな。ふーの方? それともはーの方? ちょっと湿っぽかったら嫌でござる。うーん」


「え? 耳にちゅーでもいい? ……何も良くないでござるよ。本来の目的である『耳の中を綺麗にする』が達成できてないでござるからな」



//戸惑い気味に、言いにくそうに。



「ところで、ちゅーする時って、普通は息を止めるものなのではござらぬか?」


「え? むしろ吸うの? なんで?」


「ふむふむ。お互いの息を吸い合って、だ、唾液を――ほう。それから舌を……した? いや、待て。それじゃあお互いに相手の恥ずかしい所とか全部わかってしまうではござらぬか! ……? 知るために、やる? ほう……」



//何かに納得したように。



「ちゅーとは、思った以上に厳しいものなのでござるな。拙者は恋人が出来ても、やらぬかもしれん」


「む? まあ、それに比べれば耳に息を吹きかけるくらい、なんの問題も無いか」



//右耳の耳元へ。極度に緊張した様子で。



「それでは、やってみるでござる」



//息を大きく吸い込んで、ゆっくりと吹き付ける音。3回。



「すぅうっ。ふー――。すぅうっ。ふー――。すぅうっ。ふー――。ちゅっ」



//近づきすぎて耳に唇が当たる音。そのまま一瞬だけ間違って吸ってしまう。

//その場から離れて飛びのく。



「うわぁ当たったった!? あたたたたった!? あたっ!?」



//壁に頭を打ち付ける音。立てかけてあった自転車が倒れる。マイクがひっくり返って床に落ちる音。

//以降、ホワイトノイズ数秒

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第4回「G’sこえけん」音声化短編コンテスト……に、出場しない 古城ろっく@感想大感謝祭!! @huruki-rock

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