終章:そして新しいゲームが始まる

 一年後。

 ドイツ、エッセン。

 世界最大のゲームの祭典「シュピール」。

 

 会場の一番大きなブースには、見慣れないロゴが掲げられていた。

 

 『HolzSpiel × Gen-Genesis』

 

 その下には、小さく副題が添えられている。

 『Bridging Worlds - アナログとデジタルの架け橋』

 

 そこにいたのは、私とジン、二人の姿だった。私たちはこの一年、文字通り世界を股にかけて新しいゲームの開発に取り組んできた。ソウルとシュヴァルツヴァルトを行き来し、時にはシリコンバレーでIT企業と会議をし、時には京都で伝統工芸の職人と語り合った。

 

 そして完成したのが、『Mythos』というゲームだった。

 

 それは、アナログとデジタルが完璧に融合した、誰も見たことのないハイブリッド・ゲームだった。

 

 基本は伝統的なボードゲーム。美しい木製のコマをボードの上で動かす。各コマは手作りで、一つとして同じものはない。触感、重さ、木目の模様、すべてが異なる個性を持っている。

 

 しかし、それぞれのコマにはNFCチップが埋め込まれており、専用のタブレットをかざすと、AR(拡張現実)技術によって、壮大なデジタルの世界が広がる。コマが騎士なら、画面には煌びやかな鎧をまとった戦士が現れ、ドラゴンなら、炎を吐く巨大な竜が空を舞う。

 

 さらに革新的だったのは、ゲームのルールが固定されていないことだった。プレイヤーたちは基本ルールをベースに、自分たちだけの「ハウスルール」を作ることができる。そのルールはクラウド上で共有され、世界中のプレイヤーが新しい遊び方を生み出していく。

 

 まさに、祖父が夢見た「みんなが勝者になれるゲーム」であり、ジンが追求した「人間の創造性を最大限に引き出すゲーム」だった。

 

「信じられない……」

 

 ブースを訪れた来場者たちは、口々に感嘆の声を上げた。子供たちは木製のコマの美しさに目を輝かせ、若者たちはARの演出に熱狂した。

 

「これこそ、ゲームの未来だ」

 

 著名なゲーム評論家がそう評した。

 

 その革新的なゲームは見本市の最大の話題をさらい、その年の年間ゲーム大賞を受賞することになる。さらに、テクノロジー部門の賞も同時受賞という、史上初の快挙を成し遂げた。

 

 授賞式で、私たちは壇上に立った。

 

「このゲームは、多くの人の協力なしには完成しませんでした」と私は言った。「亡き祖父クラウス、Gen-Genesisの選手たち、そして何より、異なる世界を繋ぐ勇気をくれたすべての人に感謝します」

 

 ジンも続けた。

 

「ゲームに国境はありません。アナログもデジタルも、東も西も、すべては人を繋ぐためのツールです。私たちは、これからも新しい橋を架け続けます」

 

 会場から温かい拍手が送られた。

 

 その後の懇親会で、KIDが私たちのところへやってきた。彼は今、プロゲーマーを続けながら、ゲームセラピストの資格を取るために勉強しているという。

 

「エルザさん、ジンさん、僕も誰かを救いたいんです。ゲームで苦しんでいる人を、ゲームで救いたい」

 

 彼の瞳には、あの絶望的だった頃の影は微塵もなかった。代わりに、未来への希望と、他者への慈愛が宿っていた。

 

「素晴らしいことね」


 私は微笑んだ。


「『黒い森のささやき』のセッション、いつでも手伝うわ」

 

「僕たちの経験を本にまとめようと思うんです」とジンが続けた。「eスポーツの世界でメンタルヘルスに悩む選手たちのために」

 

 KIDは深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます。僕、ようやく分かったんです。本当の勝利って、誰かを負かすことじゃない。誰かを救うことなんですね」


 夜が更けて、会場の片付けが始まる頃。

 私とジンは、ブースの片隅にそっと座っていた。二人の間には、『Mythos』のプロトタイプが置かれている。祖父が作った古い木工用ナイフで削った、最初のコマたち。それらには今や、無数の思い出が宿っていた。

 

「エルザ」


 ジンが静かに言った。


「次のゲームは、どんなルールにしようか?」

 

 私は少し考えて、微笑んだ。

 

「そうね……でも、きっとどんなルールでも構わない。あなたと一緒なら、どんな無理ゲーだって、クリアできる気がするもの」

 

か」


 ジンも笑った。


「確かに、僕たちの出会いから始まって、これまでの一年間、すべてが無理ゲーだった」

 

 彼は私の手を取った。

 

「でも、それが面白かった。予想できない展開、理不尽な難易度、そして時々現れる、思わぬ幸運のボーナス」

 

 私たちは笑い合った。

 

 窓の外では、エッセンの街が静かな夜に包まれている。明日になれば、私たちはまた新しい挑戦を始めるだろう。アメリカでの展開、アジア市場への参入、そして何より、世界中の孤独な心を繋ぐための新しいゲームの開発。

 

「ジン」


 私は言った。


「祖父が晩年によく言ってたの。『ゲームは小さな奇跡だ』って」

 

「奇跡?」

 

「ええ。見ず知らずの人同士が、ほんの少しの時間、同じルールを共有して、一緒に笑い合う。それは確かに、小さな奇跡よね」

 

 ジンは頷いた。

 

「今夜も、この会場で何千もの小さな奇跡が生まれた。人種も、年齢も、言語も超えて、ゲームを通じて人々が繋がった」

 

 私たちは立ち上がり、荷物をまとめ始めた。明日の朝早く、ソウルへ向けて出発する予定だ。Gen-Genesisの新しいプロジェクトの打ち合わせがある。今度は、『Mythos』をベースにしたeスポーツ大会の企画だ。

 

「おかしなものね」


 私は呟いた。


「一年前の私は、eスポーツを毛嫌いしていたのに」

 

「僕も、アナログゲームを時代遅れだと思っていた」


 ジンが答えた。


「でも、違ったんだ。どちらも、同じ根っこから生まれている」

 

「人間の、『遊び』への欲求」

 

「そう。そして、『繋がり』への渇望」

 

 私たちは微笑み合った。


 最後の荷物を車に積み込んだ後、私は一人、会場に戻った。

 がらんとした展示ホール。昼間の熱狂が嘘のような静寂が広がっている。

 

 私は『HolzSpiel × Gen-Genesis』のブースの前に立った。そして、心の中で祖父に報告した。

 

 『おじいさま、やったわ。あなたが夢見た橋を、ジンと一緒に架けることができたわよ』

 

 風もないのに、どこからともなく微かな木の香りがした。カエデの甘い香り。祖父が最も愛した木の香りだった。

 

 『ありがとう、おじいさま。あなたが残してくれたもの、私がきちんと受け継いで、そして新しい世代に渡していくから安心してね』

 

 私は深く一礼して、会場を後にした。

 

 駐車場で待っていたジンが、「どうかした?」と聞いた。

 

「ううん、何でもない。ただ、お礼を言っただけ」

 

「お礼?」

 

「すべてに。過去に、現在に、そして未来に」

 

 私たちは車に乗り込んだ。エンジンをかけると、ラジオから軽やかな音楽が流れてきた。

 

「さあ、帰ろうか」


 ジンが言った。


「韓国の、私たちの新しい家に」

 

「私たちの家」


 私は繰り返した。

 その響きが、とても心地よかった。

 

 車は静かな夜の街を走っていく。

 盤上の世界も、モニターの中の世界も、そして現実の世界も。

 私たちにとって、それはすべてが愛おしく、そして、どこまでも続いていく最高のゲームなのだから。

 

 天国の祖父も、きっと笑って見ていてくれるだろう。

 私たちの新しいゲームの始まりを。

 私たちの新しい人生というゲームの、第一章の始まりを。


 そして物語は、終わりではなく、始まりとなった。

 アナログとデジタル、東と西、過去と未来を繋ぐ架け橋の上で、二人の新しい冒険が、今、始まったのだ。


(了)

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【相反ゲーム業界恋愛短編小説】アナログ・ハート、デジタル・ソウル ~黒い森とネオンの恋文~(約18,000字) 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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