第5話 回想(看取りの夜)
昼の病院の賑わいから一転、ナースステーションでの聞き取り調査が始まった。先ほどまで凛と蓮を案内していた医師が席を外し、かわりに若い看護師が前に立つ。彼女は深く息を吸い込み、勇気を振り絞るように語り出した。
「……三日前からなんです。夜勤のたびに、あんなことが」
声は震え、場の空気は一気に重くなった。
夜勤のナースステーションは、紙の擦れる音と心電図モニターの電子音だけが響いていました。
そのわずかな音さえ、やけに大きく耳に刺さります。消毒液とワックスの匂いが混じり、胸の奥に重く沈んでいくようでした。
私は巡回表を握りしめて立ち上がりました。今夜は初めての看取り。カルテの患者名に触れるたび、心臓がひとつ脈を打ち、胸が締めつけられました。
「三四二号室……呼吸が浅い。家族はさっき到着したばかりよ。落ち着いていこう」
先輩の佐伯さんが、紙コップを指で転がしながら言いました。声は平静なのに、私の足は震えていました。
病室に入ると、家族のすすり泣きが薄暗い空間に溶け込んでいました。人工呼吸器はつけられておらず、延命処置は行わないと決まっていたのです。心電図の波は細く揺れ、今にも消えそうでした。
医師が呼ばれ、脈を確かめました。落ち着いた手つき。心電図の波はさらに低くなり、やがて静止線へ。
一瞬、音がすべて消えました。電子音も、呼吸も、すすり泣きも。世界から切り離されたように、ただ無音だけが残ったのです。
私の鼓動だけが体内で暴れ、秒針さえ止まったように感じました。
そして、部屋が白く光りました。蛍光灯でも街灯でもない、目を焼くような白が一拍だけ空間を覆ったのです。
残像は網膜に張り付き、まぶたを閉じても消えません。
「……亡くなりました」
医師の声が静かに戻ってきました。奥さまが小さく息を呑み、指輪が白光を鈍く返しました。
死後の処置が進む中でも、私はあの光を忘れることができませんでした。器具が触れるたび、光がちらつくのです。考えれば考えるほど背筋に冷たいものが這いました。
病室の隅には黒い電動車いすがありました。亡くなられた方が生前愛用していたものです。奥さまはそれに目を向け、唇を震わせながら言いました。
「……これを、寄付させてください。主人の電動車いすです。ここで役立ててもらえたら……きっと主人も喜びます」
指先で手すりを撫でた瞬間、カタリと小さな音がしました。胸に鋭い冷気が突き刺さり、私は息を止めました。
遺族が去ったあと、病室は再び静寂に包まれました。ですが、その静けさはどこか異質で、空調の唸りさえ生ぬるく耳にまとわりつきました。
「さっきの光……見えましたよね?」
佐伯さんの声は低く震えていました。
「……はい。気のせいではなかったと思います」
私の答えも震えていました。まぶたを閉じても、なお白い残像が揺れていたからです。
語り終えた新人看護師は顔を伏せ、手を固く組んでいた。
清掃員も青ざめて口を閉ざしている。
村上蓮は思わず息を呑み、背筋に寒気を覚えた。
その横で神宮寺凛は紅茶を啜り、わずかに口角を上げた。
「……ふむ。実に興味深い」
神宮寺探偵事務所の実験録 怪奇の病院 解答編 @Hiyorin25
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。神宮寺探偵事務所の実験録 怪奇の病院 解答編の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます