天職

ヤマ

天職

 私は、決して裕福な家の生まれではなかった。


 両親が、「せめて身なりくらいは」と不潔でないようにしてくれたが、雨漏りのする古いアパートで暮らし、食事は足りず、腹を膨らませるために水ばかり飲んでいた。


 そんな生活だったが、それでも、子供の頃から一つだけ、自信があるものがあった。


 ——口だ。


 私が話せば、人は笑った。

 暗い顔をしていた大人も、肩を震わせた。

 泣いていた友も、いつの間にか泣き止んでいた。


 言葉一つで、相手の気分を変えられる。

 幼い私は、それがどれほどの武器かまだ知らなかった。


 大人になるにつれ、やがて、気付いた。


 人は、笑えば気を許す。

 褒められれば、懐を開く。

 恐れれば、反抗をやめる。


 言葉は刃でもあり、鍵でもある。


 そう悟ったとき、私はようやく「自分の生きる道」を見つけたのだ。


 最初は、小さな相手だった。

 飲み屋で、隣に座った若者を丸め込み、余分に金を出させた。

 年寄りには「安心」を囁き、蓄えを預けさせた。


 些細な成功だったが、確信に変わった。


 言葉や振る舞いで人を操り、利益を得る——


 これこそ、私の天職だ、と。


 そこから私は、舞台を広げた。

 より多くの人間を相手に、より大きな利益を手に入れた。

 拍手を浴び、歓声を浴び、自分の行動と言動が金に変わる瞬間を味わった。


 これほど旨い商売はない。


 そう信じて疑わなかった。





 ——だが、今は違う。





 狭い部屋で、硬い椅子に腰を縛られ、無言の視線に晒されている。


 失敗だった。

 利益を分け与えて協力させた者が無能だったのがきっかけだが、他者に責任を押し付けても仕方がない。選定が甘かった自分に非がある。

 これまでも失敗はあったが、致命的なものは避けてきた。

 だから、油断していたのかもしれない。




 やがて——


 机を挟んで、向かいに座る男が、低い声で告げた。









「罪を認めていただけますか? 近藤こんどう









 私は一瞬、唇を結んだ。





 だが、次の瞬間、口の端が勝手に持ち上がっていた。


 ここでは私の言葉も、もう通じない。

 さっきまで、そう思っていた。


 しかし。


 言葉で築き上げた人生だ。


 最後まで、それを手放す気はない。


 私は、組んだ両手を机の上に乗せて、目の前の刑事を見つめながら言った。





「……少し、話をしようか」

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天職 ヤマ @ymhr0926

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