九月のスイカと一般OL

鍵崎佐吉

九月某日

 例えばなんとなく機嫌がいい時や逆にメンタル的に少し疲れてる時なんかは、値段も見ずに半ば衝動的に気に入ったスイーツをカゴに放り込むこともあるのだが、どうもフルーツの類はあまり食べようという気にはならなかった。別に嫌いというわけではないけどなんとなくフルーツは高いという先入観が定着してしまっていて、一人暮らしの現状ではそれを食べたいと思う瞬間がほぼ存在しないからだ。

 だけど青果コーナーの端っこに置き忘れられたようなそのカットスイカを目にした時、私の手は自然とその赤い果肉をカゴの中に入れていた。思い起こされるのは盆休みに帰省した実家、そこで見たある風景だった。


 大学に行くまではさほど意識したこともなかったが私が生まれ育ったあの町は結構な田舎で、地域の富を全て収奪しているかのようにそびえ立つ巨大なイオンモールの他には、老人たちのルーティンワークを満たすための小規模な畑があるばかりの場所だった。

 一年ぶりの実家はそう変わった様子もなく、自分で家事をしなくてもいいという至福の空間でだらだらと安逸を貪っていたわけだが、案の定母に目をつけられて庭の草むしりを仰せつかってしまった。それほど大きな庭ではないので二日もあれば終わるだろうが、それでも炎天下での作業は体に堪える。薄汚れた軍手を取ってしばし休憩していると、ふと生け垣の向こうに鮮やかな緑がちらつく。そこはお隣の西園さんの家で、確か七十くらいの老夫婦が二人きりで住んでいたはずだ。不躾だとは思いつつ背伸びして覗き込んでみれば、そこには見事なスイカがいくつも転がっていた。そういえばスイカなんてもう何年も食べていない。特別好きだったわけでもないが、いざこうして目の前に現れると確かに食欲をそそられる。

「ちょっとあんた、なにしてんの」

 縁側から母にそう呼び掛けられて私ははっと正気に戻る。私だってもういい大人なんだからそんな子どものイタズラを叱るみたいに言わなくても、と思うが口には出さず、代わりに母に質問をする。

「ねえ、西園さんのスイカ、わけてもらえないかなぁ」

「ああ、あのスイカね……」

 母の声は打って変わってどこか憂いを帯びたものだった。状況が飲み込めない私に母は淡々と説明する。

「先月の中頃だったかしらね、旦那さんが脳卒中で倒れて病院に運ばれたのよ。命に別状はなかったみたいだけど、それからずっと入院してるの。奥さんも旦那さんの側で過ごすことが多いからあんまり手入れもできてないみたい。でもねえ……勝手に入るわけにはいかないし、うちだって畑仕事なんてしたことないし」

 そう言われて改めて西園家の畑を眺めると確かに雑草も伸び放題で、スイカだって収穫期を過ぎて大きくなりすぎているだけなのかもしれない。家はしんと静まり返っていて、人がいるか定かではない。私はなぜだかその出来事を忘れることができないまま東京に戻り、残暑と呼ぶには主張が強すぎる熱気が立ち込めたまま九月が始まった。


 あの時感じた衝動はなんだったのか、正確に言語化することはできないが、とにかく買ってしまった以上は美味しくいただくのが道理だ。冷蔵庫で冷やしておいたカットスイカを取り出し、フォークを刺して一口かじってみる。多量の水分とほのかな甘味が口に広がり、やや旬を過ぎたとはいえ十分美味しいなと思う。

 まだ自分が小学生だった頃、西園さんはまだ定年前で活気に満ちていて、確かその時から既にスイカを育てていた。私は社会の理不尽とか都会との格差とか何も知らずに無邪気に遊び回り、奥さんは柔らかい微笑みを浮かべてその様子を見守ってくれていた。どんなきっかけだったか、一度だけ西園家の縁側で取れ立てのスイカを食べさせてもらったことがあった。勢いよくかじりついたはいいが、ちまちまと種を吐き出す私を見て二人は笑っていた。今思えば血の繋がった祖父母よりも、私にとっては西園夫婦の方が身近な存在だったように思う。だけど進学のために上京しそのまま就職して早数年、私たちはすっかり他人になってしまった。

 吐き出した種をゴミ箱に捨てながら、もしかしたら違う未来もあったのかな、なんてありがちな感傷に少し浸ってみる。当然過去には手は届かないし、今さらあの場所に帰るつもりもない。全てがうまくいってるわけじゃないと知っていても、それでも前に進むしかないし、意外とそれでどうにかなったりもするのが人生なんだと、最近はそう思うようにしている。


――大丈夫、九月のスイカだって美味しかった。完璧主義なんて捨て去ってもっとマイルドに生きたっていいじゃないか。


 自分への励ましにしてはちょっと言い訳じみているけど、たまにはそんな言葉に救われていたい。

 未だ衰えぬ残暑の九月、売れ残りのスイカよろしく今日も私は暮らしています。

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九月のスイカと一般OL 鍵崎佐吉 @gizagiza

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