君が忘れた思い出

人想 律

転校生と夏の子

 「転校生、入れ」

 声にメリハリのある、女教師の声が教室から漏れ出る。

 俺はその合図を受け取り、2-1の数字をぶら下げたドアに手を掛け、恐る恐る開けた。

 

 ―視線が俺に集まる。

 

 ピリピリと静電気を帯び始めるような空気に圧倒され、俺は少し仰け反った。

 背中に熱さを感じ、内側から流れる汗の感覚を感じる。

 固唾を飲み、ぎこちない歩きで教卓の前へと重い足を動かした。


 「自己紹介」

 女教師は俺が緊張しているのなんかお構いなしに淡々と事を進める。


 「…」


 促され、俺は口を開けた。すると、一番目の前の女子生徒と目が合う。

 慌てて俺は目を背け、右の方へ眼をやった。

 

 男子生徒と目が合う。


 俺はもうどこに目をやればいいのか分からず、天井を見上げて言った。


 「…ッ!田んぼの多い、田多町たたちょうというところから引っ越してきました!杉山 すぎやま とおると言います!」


 「ということで、杉山君だ。宜しくなー」

 

 女教師の声に注目が代わり、緊張が解けてこわばった足が緩む。


 「席は…一番右奥」

 女教師は三十人程の席が埋まっている中、二つの内の一つ空いた席を指差した。


 一歩歩く。また集まる視線。再度こわばる足。それでも一歩、また一歩と歩みを進める。


 「―ふぅ」


 やっとの思いで席に着き一息。


 「…」


 隣を見る。ただ真っ直ぐ、ポニーテールで茶髪の女教師を見つめる長髪の女子高生。


 俺のことなんかどうでも良さそうだ。


 女子高生から顔を逸らし、俺も女教師に目を向けて、朝のホームルームに耳を立てる。すると、ドアが破裂音のような音を立てて開いた。


「―す、すみません。遅れました」


 粗い呼吸を立てながら、女教師の会話を中断させる。少し声の高い黒髪ロングの女子高生。


 突然現れた女子高生に女教師は頭を搔く。

 「あー、そういえば今日は火曜日か」


 何やら曜日を呟く女教師。遅刻はそこまで気にしていない様子だった。もしかすると、この女子高生だからなのかもしれない。


 足早に俺の右前に座る女子高生。揺れる髪に、華奢な体。そして整った顔立ち。特段、惹かれるというわけではないのだが、どこか見覚えがあった。


 ホームルームを聞き流しつつ、記憶を巡らせる。


 「…」


 頭の中に流れる花火の音。ショートカットの女の子と手を繋ぎ花火を見る光景が目に浮かぶ。


 ―そうだ。俺が八歳の時、俺はある女の子とお祭りを回ったんだ。


 何せ、八年も前のことなので正確に覚えてはいないが、何処か雰囲気は似ている。

…ホームルームが終わったら聞いてみるか。


 ホームルームが終わる。教室は話声で賑わっていた。


 俺は席を立ち、右前の女子高生が一限目の教科書を準備する様子を窺いながら話しかけた。


 「あのさ。俺、杉山 透って言うんだけど。俺のこと知らない?」


 彼女は準備する手を止め、俺の顔をジッと見た。


 「…」

 

 一体何を考えているのだろうか。ただ沈黙が続く。


 「知らない」


 沈黙の末に帰って来たのはその一言だった。


 じゃあ、何今の間。絶対知っている間の空き方してたんだが。


 俺を無視して淡々とまた準備を始める彼女に、俺は言った。


 「嘘つくなよ。その間は何か知ってる間だ」


 「…」


 自信満々に腕を組み、言い放つ俺に彼女は無言。というか、無視されている。


 「夏祭りさ…覚えてない?」


 俺はその態度に絞り出すかのような気持ちで、率直に聞いてみる。


 「ごめん、覚えてない」


 すると、彼女は寂しそうに笑って俺を見て言った。


 ほんの少しだけ、夏祭りというキーワードにビクついたように見える。


 教師の発言と言い、彼女に何があったのだろう…。教師に聞いてみるか。


 俺は彼女が準備をまた再開したのを見て、その場を離れた。そして、教室を抜けてホームルームを終え、廊下を歩く教師に話しかける。


 「先生、遅れてきた彼女に何か意味深なことを言っていましたけど、何があったんですか?」


 「あー、それね」


 複雑そうに頭をポリポリと掻く教師。


 「まぁ、いいか。クラスの皆、知ってるし」


 「…」 


 俺は教師の言葉を黙って待つ。


 「あいつな、交通事故で両親なくしてるんだよ。だから、学費と生活費を自分で稼いでる。…火曜日以外はな」


 「両親を…?でも、どうしてですか?身寄りはあると思うんですけど」


 「ないよ。あいつに身寄り何て。あいつの祖父母も、もうとっくに死んでる」


 ひとりぼっち…。真っ先に思ったのはそれだった。


 「何とか…。何とかしてあげられないんですか?」


 教師に尋ねると教師は一つ溜息を吐く。


 「ないよ。先生が出来ることなんて。…じゃ」


 教師は名簿を持った手で俺にあいさつをし、去っていった。


 クラスの皆は彼女が遅れてくることに何も言及していない。気にも留めていない。クラスの皆は知っているからこそ、誰も声を掛けないのだ。だから、あいつはホームルームが終わっても一人で黙々と作業をしている。


 俺は教室に戻り、ただ真っ直ぐに黒板を見つめる彼女の前に立つ。


 「…」


 無言の彼女。これ以上何にも言いたくなさ気だ。


 「お前さ、一人ぼっちなんだろ。先生から聞いたよ」


 俺はそんな彼女を無視して、話しかける。


 「…ッ!!」


 彼女はまるでハッと息を吞むような顔を俺に見せた。


 俺の発言が聞こえていたのだろう。クラスの皆がどよめいている。


 「俺さ…昔あった夏祭りの子が忘れられねぇんだよ。その子とお前はどこか似てるんだ。性格や髪型は違うけど、雰囲気が」


 ボソボソと勢い無く、話す俺。


 一人ぼっちだと知った今、彼女の苦しみを俺が理解してやれる自信がない。


 「…」


 彼女は俺の発言に終始無言で何も答えてはくれなかった。


 キーンコーンカーンコーン。


 そのままチャイムが鳴り、席に着く。


 一限、二限と授業は続いていった。


 授業が始まる合間に話しかける時間はあるが、俺はただ彼女を見つめるだけだ。名も知らないあの子を。あれ以上、俺が掛ける言葉なんて見つからない。


 結局、一日の終わりのホームルームまで何もなかった。


 俺は教科書を鞄に詰めていく…。


 そうして帰ろうとした矢先、何を考えていたのか、長い髪を揺らして彼女が話しかけてきた。


 「…透くん、あの夏の出来事の相手は確かに私だと思う。でも、今の私は昔と違って何にもない。だから、私のことは忘れてほしい」


 「なんで?」


 俺はその発言の意図が分からず、彼女に問う。


 「私はこんな私を知られたくないんだよ!!もう、昔みたいには笑えないの!!」


 涙をこぼれ落とし俯く彼女。


 「…そんなの関係ねぇよ。親もいない、金もない、笑えない。だから何だってんだ。俺はお前が好きだ!あの夏からずっと」


 彼女は俺の目を見る。


 「え…?」


 戸惑っている様子だった。


 「だからさ、一人だなんて思うなよ。俺が傍にいてやるから」


 「もう、一人ぼっちにはならない?」


 「ああ」


 「嬉しい…。ホントはね、覚えてたの。火曜日にバイトがないのも、あのお祭りの日が火曜日だったからどうしても入れられなかった…」


 彼女は俺の目を見て、大粒の涙を零していく。


 俯いていたときとは、大きく明確に。違っていたことがあった。


 笑っていたのだ。笑って泣いていた。


 俺はニカッと笑顔で返す。


 あの夏と同じ匂いがした。


 きっと、彼女の隣にいることは茨の道だろう。

 普通の高校生らしいデートも、気楽な未来も望めないかもしれない。

 でも、そんな損得勘定なんて、俺にはどうでもいい。

 

 彼女のためならこれからどんなことがあろうと頑張れる。


 ―そう思った。


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君が忘れた思い出 人想 律 @tuji_ritu

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