【ホラー】移動してください

花田縹(ハナダ)

第1話

「おはよう。いい天気でよかったね」


 小学校の空き教室に入ると、総務委員長の直美はすでに来ていた役員の2人に話しかけた。


「暑くなりそうだね」


 書紀の吉田が窓の外を眺めながら言う。抜けるように青い空が広がり、5月の気持ちのいい風がカーテンを揺らしていた。役員の中でも、委員長、副委員長、会計、書紀の役がついた4人だけ30分早く来て、資料の準備をすることになっている。


「来てないのは藤木さんだけだね」


 会計の遠藤がポツリと呟いた。


「来なくていいよ」


 直美はうんざりしながら椅子に座った。

 副委員長の藤木さんは、自分から仕事をしない。連絡をしないと何もしない。でも時々、どうでもいいときに限って「なにか手伝いますか?」と、言ってくるのが委員長の直美は気に食わなかった。


「連絡したんだから、来るよ」


「まだ時間前だし」


 吉田と遠藤は苦笑いをこぼしつつ、あっさりと聞き流す。もっと文句を言ってやりたい直美は少し不満げに肩を落とした。

 その時、教室の前の扉が開いた。


「おはようございます」


 オドオドと入ってきてのは藤木さんだった。


「おはよう」


と、挨拶は返すものの、直美はすぐに視線をそらした。このオドオドした態度も直美は気に入らない。まるで被害者アピールしているみたいでうっとうしい。藤木さんの着ている青のチェックのシャツにさえ苛ついてしまう。


「あの、教頭先生が、移動してくださいって」


 ドアの向こうに立ったまま、藤木さんが言った。


「職員室の隣の会議室を使ってくださいって言ってました」


 一同は顔を見合わせる。


「でも、ここでって話だよね」


「なんで、移動しないといけないの?」


「さあ」


 首を傾げ、そのまま黙り込んだ。


「でも、先生に言われて……」


 藤木さんが言っても、誰も動こうとしない。


「あれ?」


 その藤木さんの後ろからその教頭先生がやってきた。


「どうしたんですか? 急きょこの空き教室を別件で使うことになって、会議室に変更してほしいとお願いしたんですが」


 教頭先生の言葉に三人は再び顔を見合わせる。


「大丈夫です。今から移動しようと思っていました」


 直美が立ち上がると、他の二人もようやくぞろぞろと移動を始めた。


「なかなか来ないから何かあったのかと思いました」


 教頭先生がそういったとき、直美はふいに後ろに引っ張っぱられる。あまりに突然で声も上げられなかった。振り返ると右腕が何者かに掴まれていた。掴まれている感触はあるのに姿が見えない。


「では、移動お願いします」


 教頭先生は背中を向けて去ってしまった。直美は助けを求めたくてもできない。口も体も動かないのだ。



ーー委員長って文句ばかりだよね


 ふいに、聞いたことのある、大人の女の声が聞こえた。


ーー藤木さんが気の毒になるよ。


ーー委員長がさ、何をやらなきゃいけないなんて言わなくてもわかるはずって言ってたんだけど、無理があるよね。


ーー説明ないとわからないよ。資料持っているのは委員長だけなんだから


ーー察してが強いよね


ーー会計で良かった。会計は前年度の会計さんから教えてもらえるから。


ーー書紀もだよ。本当に助かった。藤木さんは災難だよね


(やめて)


 この声は何なのか。

 内容は直美への批判だ。しかも、書紀と会計の二人の声だった。

 先に廊下へ出たはずの二人の姿は消えたのに、クスクスと軽い笑い声だけが聞こえてくる。

 直美はいつのまに誰もいなくなった教室に取り残され、自分への苦笑を聞かされていた。



ーーおばさん。


ふと、子どもの声がした。


ーーおばさん、オレと一緒にあいつらに意地悪しようよ。だってあいつら陰口たたいてるよ。


「誰?」


ーー陰口叩くやつ、成敗しよう。


 右腕は折れるんじゃないかってほど強い力で掴まれていた。あまりの痛みに悲鳴をあげたいのに声が出ない。体も凍りつき、振りはらうどころか倒れることもできない。


ーーだから、こっちにおいで


 右腕をつかむ小さな手がぼんやりと見えてきた。小学一、二年生くらいであろう男の子が直美にピタリと張り付いている。生気を失った虚ろな目で直美をじっと見つめている。


「やめなよ」


 その時、さっきまで教頭がいた教室の入り口に藤木さんが現れた。直美の前に立ち、直美を捕らえている見えない何かに、藤木さんはゆっくりと真向う。


「あの二人、意地悪のつもりはないんじゃないかな」


 静かに、眼の前で起きていることに驚きの色一つも見せずにそう言うと、チェックのシャツの背中が青く光った。光は熱を帯び、青く透き通っている。

 その光に、直美は一瞬恐怖を忘れた。

 その青が美しくて、目を離すことができない。動くこともできない。

 心臓を貫いて、心に張り付いていた感情の澱を残らず消し去るような、鮮烈な青。

 

「気をつけたほうがいいですよ」


 藤木さんが直美に振り返る。


「委員長が仕事を自分で抱え込んで、他の役員に仕事を振らないから困っている。それなのに『自分ばっかり大変』って文句ばかり言ってる。そう言われてますよ」


「なにそれ」 


「会計の吉田さんも、書紀の遠藤さんも困っている」


「でも……!」


 いつも藤木さんの愚痴をきいてくれていたのに。共感してくれていると思っていたのに。


「私ね、こう見えて孤立する人をほっとけなくて。自分が孤立していたからね」


 そういうと、寂しそうに微笑んで、また教室の方を向いた。


「ーー委員長の仲間に入れてほしかったなぁ」


「何を……」


 何をするのか問う前に、藤木の背中がヒビ割れて、中から光り輝く鳥が首を出した。大きな白鳥のような鳥だった。

 全身が現れると、鳥は大きく翼を広げて、直美に向かって飛んだ。


(ぶつかる!)


 思わず目を閉じたその瞬間、ふと体が軽くなり、男の子に強く掴まれていた直美の右腕から、その手が離れたのを感じた。


(助かった?)


 男の子の気配は消え、鳥になった藤木さんが机の上に降り立っていた。


「……藤木さんなの?」 


 鳥は何も答えない。直美を一瞥し、再び翼を広げると、カーテンが揺れる窓から飛び出してしまった。


「藤木さん!」


 直美が叫ぶ。鳥が飛び出していった窓に駆け出そうとした時だった。


「どうしたの?」


 声をかけられて足を止める。

 その途端、あったはずの教室が消え、直美は渡り廊下に立っていた。

 視界には教室での異様な出来事など何もなかったのように、静かな廊下があるだけだった。   

 前には書紀の吉田と会計の遠藤、後ろには教頭先生がいて、不思議そうに直美を見ている。


「藤木さんがいなくなった」


 直美が言うと、二人は困惑した様子で顔を見合わせる。 


「藤木さんなら先に会議室にいったよ?」


「でも、今ここに……」


 しかし、そこには藤木さんはいなかった。会計も書紀も様子のおかしい直美を見て、揃って首を傾げている。


「どうしたの?」


 直美は答えられない。みんな藤木が鳥になったところを見ていないのだ。 

 最後の頼み綱である教頭先生に視線を送ると、


「さあ、会議室に行きましょうか」


と言って歩き出す。 


「教頭先生、あの」


「今日はいい天気ですね」


 教頭先生は窓の外を見やった。


「知ってます? うちの学校、出るんです」


「出る?」


「ええ。あの渡り廊下は気をつけたほうがいいですよ。いじめっ子が断罪され、それを苦に飛び降りたそうですから」


「出るって、そういうことですか?」 


「ええ。彼は仲間に引きずり込むんです。まあ、大声で拒否すれば驚いて消えます。彼は怖がりなので」


 教頭先生は穏やかに微笑む。あの男の子の存在を当然のように語る姿は普通ではなかった。けれども、どんなに笑顔を作っても教頭先生はどこか悲しみを帯びている。


「我々教員たちは、彼を救えなかった」


 教頭先生は呟いた。戒めのように。


 ーーオトナになっても、仲間はずれってあるんだね。


 男の子の言葉を思い出し、同時に藤木さんの言葉も直美の脳裏に蘇る。


ーー仲間に入れてほしかったなぁ


 あれは夢だったのだろうか。直美はわからない。

 それでも、教室が消えた途端に姿を現した書紀の吉田と会計の遠藤に投げかけずにはいられない。


「私、仕事を抱え込んでる?」


 教頭先生が別件のためいなくなったタイミングで、直美は訊ねてみた。二人は顔を見合わせる。


「もう少し、相談してほしいかな。詳しい説明も」


 遠慮がちに吉田が答えた。


「そっか」 


 直美は藤木さんに不満を持っていた。みんなも同じ気持ちだと思っていた。

 でも、不満を持たれていたのは直美のほうだったなんて。


(藤木さんは何者なんだろう)


 藤木さんが鳥になって、それが本当かどうか。直美が確かめるすべはない。

 見つめた先にある窓の外に、鳥の羽毛が見えた。5月の風に揺られてふわふわと揺れながら、落下していく。


ーーこっちにおいで


 また、あの男の子の声が聞こえるんじゃないんだろうか。

 飛び立ったあの鳥は本当に藤木さんだったのか。

 藤木さんだとしたら、では、どこへ行ったのだろう。


ーー彼は仲間に引きずり込むんです


 嫌な予感がして、直美は窓の外を覗き込む。

 そして、しばらく動けなくなった。

 視線の先で誰かが倒れている。

 それが藤木さんと気づくのには時間は掛からなかった。

 鳥などではない。青いチェックのシャツを着た、生身の人間だった。背中を向けているのに、首がひしゃげたて顔だけ空を仰いでいる。

 

ーーーー仲間に入れてほしかった


 眼下の藤木さんはじっと直美を見ていた。



 

 

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