悪意とは、なんだと思う?
俐月
悪意とは
※本作は代表作とディストピア小説のクロスオーバーです。
内容を知らなくてもお楽しみいただけるようになっていると思います。
ディストピア小説(現代寄り世界)キャラ
・ウィリアム → ディストピアより。死恐怖症を抱える、人間嫌いな気難しい哲学者。
・アンソニー → 公安警察官。ウィリアムをターゲットにして近づいたが、友人になる。皮肉屋。
代表作(ファンタジー世界)キャラ
・エーレ → 傭兵家業、実は高貴な出身。
舞台はディストピア小説のbarです。
ちなみにこの国は、宗教国家で思想の自由はありません。
ただ意味もなく「悪意」について、言葉遊びをしながら話してるだけの話です。
―――――――――――――――――――――
「悪意とは、なんだと思う?」
つい先ほどまで熱心に本を読んでいた男が、顔も上げずに聞いてきた。
グラスの中の氷が解けたのと、barのドアベルが同じような音を立てたのが同時だった。
「悪意って、あの悪意かい?」
「それ以外に何かあるなら、教えてほしいもんだ」
アンソニーは、目の端で今入ってきた客を見ながら答える。
「君と僕の認識が同じだとは思えなくてね」
ようやく顔をあげたウィリアムがアンソニーの視線を追って、ちらりと後ろを見た。
「それは随分と不憫な世界に生きてるもんだ」
「君ほどじゃないよ、リアム」
カラン、と今度はグラスから音が聞こえたのと、近くから床を靴が叩く音が同時だった。
「何故なら僕は悪意が何か?なんてことに時間を無駄に使おうとは思わない」
悪意なんてものは、どこにでも溢れている。
そんなものに時間を割くなら、好きなことを考えておいた方がいい。
どうして前の男がそんなことを言い出したのか。
彼の持っている本に何かしら書いていたのかもしれないな、とアンソニーは思いながらウイスキーを一口舐めた。
本をパタリと閉じたウィリアムが、ふんっと鼻で笑う。
「それは聡明なことで」
その時、床を叩く足音が隣で止まった。
先ほどから、変わった雰囲気を纏う男が店に入ったと思っていたアンソニーが、隣にやってきたその人物を見上げる。
「リアム、君。生き別れの兄弟でもいたの?」
その男はウィリアムによく似ていた。彼を若くしたらこんな感じかもしれないというくらいには。
「阿呆。俺は生まれて30年、ずっとひとりだ」
「そうだったね、君には僕以外の友人すらいなかったね」
隣にやってきた男を一瞥もしないどころか、いないものと扱っているウィリアムにアンソニーは頷く。
公安に回ってきた書類にもウィリアムは一人っ子と記載されていた。
では……この男は誰なのだろうか?
随分若く見えるが、その異様な雰囲気から年齢が図れない。
公安として身に付けてきた直感が赤信号を送ってくるような人物。
「ここはどこだ?」
隣の男が唐突に尋ねてきた。
そんな質問にアンソニーは目をパチクリとさせて、男へと微笑む。
「ここは見ての通りbarですよ?」
すると男はわかりやすく眉を寄せた。その反応もウィリアムによく似ている。
「そんなことを聞いてるんじゃない。ここはエーベルシュタインじゃないのか?」
聞いたこともない地名を出した男に、いよいよアンソニーは疑わしくなって、ウィリアムに投げてみることにした。
「リアム。知ってるかい?」
すると彼は再び本を開いて読み始めた。
どうやら何も見ていないし、聞いていないことにするつもりらしい。
アンソニーは再び、隣の男を見上げ、隣の席を勧めたが――
「読書の邪魔だ」とのリアムの声が割り込んだ。
謎の男と、気難しい男に挟まれたアンソニーはどうしたものか、と逡巡する。
「君、悪意とは何だと思う?」
アンソニーの問いかけに謎の男が、ウィリアムを見たのがわかった。
「悪意とは世界から自分を守るためにあるものだ」
カラン。グラスの氷が解けた音にウィリアムが目を大きく見開いて、初めて謎の男を見た。
「これで満足か?」
謎の男は、了承もなしにアンソニーの隣の椅子を引いて腰を掛ける。
二人を見比べるとやはり、兄弟といっても誰も疑わないほど似ていた。
ウィリアムが再び本を読み始めないを願って、アンソニーは謎の男に言う。
「ここは見ての通りbarだから、迷子が来るところではないと僕は思うね」
ここがどこだがわからない男が、何故barに入ってきたのかはわからない。
向かうべきは警察だろう。
「迷子がbarを訪ねたってなんの不思議もない。barはそういうところだ」
すかさず言ったウィリアムは店員を呼んで、新しいウイスキーを2つ注文した。
どうやら、謎の男の答えが気に入ったらしい。
人間嫌いの男が人の酒を注文するなんて、明日は槍が降るかもしれない。
この国に槍が降ったところで、喜ぶ人間の方が多そうだ。
アンソニーは肩を竦めて、謎の男に事情を聞くことに来た。
しかし、男の話すことの全てをアンソニーは理解できなかった。
彼の名前はエーレ。職業は傭兵。
オルヴァニア大陸のエーベルシュタイン王国というところから、とある扉を潜るとこのbarにいたという。
もしかして危ない薬をしているのでは、と思ったアンソニーだったが、男の言動を見るに一貫性はある。
異様な雰囲気こそ纏ってはいたが、危ないものを服用している人特有の瞳孔の開きも、活舌の悪さも、おかしな体臭もしなければ、挙動もおかしくない。
そこにウィリアムが注文した酒が届いた。
「そこから入ってきたんなら、出ていけば帰れるだろう」
当然のことを、さも当然のようにいったウィリアムにエーレは「一理あるな」と頷く。
何が一理あるのか全くわからなかったウィリアムは、同じような外見の二人を再び見比べてしまった。
「よかったね、リアム。二人目の友人が出来そうじゃないか」
ふんっと鼻で笑ったウィリアムはウイスキーのコップをこちらに揺らしてくる。
「お前は嫌になるほど傲慢な男だな」
「それが僕の唯一の取り柄だからね」
アンソニーが満足げに微笑んだのを見たウィリアムは面白くなさそうに、もう一つのウイスキーをエーレの前に置いた。
「で、悪意の話の続きだが――」
やっぱりその話がしたかったのか、とアンソニーはほくそ笑む。
「どうやらお前はトニーと違って、その話題に時間を割ける人間らしい。
自分を守るためにある、本当にそれだけだと思うか?」
エーレは前にきたグラスを取ると、一口だけ舐めて、眉を寄せた。
どうやら彼が酒は得意ではないらしい。
アンソニーは話の腰を折らないように、沈黙を選んだ。
「あんたがどの意味での悪意を言ってるのか、俺にはわからん」
エーレの答えにウィリアムの目が輝いた気がした。
この男はこんな顔が出来るのか。アンソニーは意外に思った。
「知っている悪意を聞いてみたい」
これは……
珍しくウィリアムが饒舌になる傾向だと知ったアンソニーは、思わず開きかけた口を閉じ、グラスを傾けることに決めた。
グラスに手をつけることをやめたエーレは、一度沈黙する。
その沈黙すら楽しむように、ウィリアムが煙草とライターを取り出した。
「悪いが、俺は煙草が嫌いなんだ」
煙草から視線を避けながら淡々と告げたエーレに、ウィリアムは一度わかりやすく眉を寄せたものの、「そうか」と手に持った煙草とライターをポケットに仕舞う。
それを見て、アンソニーは更に驚愕した。
「君にもそんな気遣いが出来たなんて、僕は嬉しいよ」
「俺は紳士だからな」
紳士という概念から一番遠いだろう男の言葉にアンソニーが思わず、いつもの皮肉を口にしようとした。
「心遣い感謝する」
その前にエーレが一言応えた。
この男は、どうやらウィリアムなんかよりも余程紳士らしい。
異様な雰囲気で最初こそ気づかなかったが、隠しきれない品性が至る所から滲みだしている。
上流階級の人間なのかもしれない。職業柄、あらゆる人種を見てきたアンソニーはそんな推察を浮かべた。
「エーレくんのような友人がいれば、ウィリアムも僕には理解できない紳士とやらに近づけるかもしれないね」
彼がいれば、アンソニーが煙草で煙たい思いをすることもなくなるだろう。
人への気遣いの基本を学んで、彼がアンソニーの知る紳士に近づければ願ったり叶ったりだ。
「そんなに言うなら、お前の紳士としての振る舞いを見せてほしいもんだ」
じとり、と睨んできたウィリアムにアンソニーは知らぬふりをして、ウイスキーを舐める。
黙っておけ、ということらしいのだけは察した。
口を閉じたアンソニーを見て、ウィリアムが椅子に座りなおし、グラスを傾ける。
茶黄色の液体の中に、答えでも探しているかのようだった。
「さっきお前が言ったように、自己保存的悪意がある。
俺は人間は嫌いだが、人間の構造は好きだ。
他にも意見を教えてほしい」
哲学者としての顔を見せるウィリアムに、ついつい口を挟みたくなるアンソニーは何度もグラスを口に運んだ。
「残念ながら俺は人間の構造に興味がない。悪意について語ったところで利もない」
「どうしてそう思う? その口ぶりからすると、よくわかってるように聞こえるのは気のせいか?」
すぐに反駁したウィリアムにエーレは嘆息を挟んだ。
「嫉妬、価値観の相違、支配欲、甘え、無知……言い出したらキリがないからだ」
隣でアンソニーは、同意を示して幾度も頷く。
そう、悪意について語ったところで何にもならない。そんなものを嬉々として話すのは哲学者くらいだ。
しかしウィリアムは違う意味で頷いたようだった。
それがアンソニーには何かわからない。この男は何故そんなに満足そうな顔をしているのか。
ウィリアムは遊ぶように手の中でグラスを傾けだした。
エーレの次の言葉を待っている。アンソニーはそれを理解した。
「俺は自分の考えをひけらかすのは好きじゃない」
アンソニーが耐えきれず失笑する。
前の頭のおかしい哲学者には一番の皮肉のように聞こえた。
そうか。これももしかしたら一種の悪意になり得るかもしれない。言葉とは難しいものだ。
長い沈黙が挟まった。
そういえば迷子はどうして、この哲学者に話を付き合っているのだろうか?
今更ながらアンソニーは、そんな疑問を抱く。
「じゃあ趣旨を変えてみようじゃあないか。もし悪意を向けられたらどうする?」
しかしウィリアムは、エーレが迷子であることを気にかける様子もなく、問いを重ねた。
「実害のない悪意には何もしない。実害があるものだけを対処するまでだ」
彼はそう言って、グラスを前に押し出した。
「彼にとって、酒は実害のようだよ? リアム」
とっくにそれを見抜いていたアンソニーに、ウィリアムは信じられないものでも見たかの如く、押し出されたグラスとエーレを交互に見た。
ウィリアムの手がポケットに伸びる。
二人の視線がそこに集まったのを知った彼は、先ほどよりも更に眉を寄せて、差し出された方のグラス半分を一度に飲んだ。
「この世に酒が嫌いな人間がいるとは思えない。本当にお前は人間か?」
頭のおかしい男に、人間か? と、問われることも悪意なのだろうか?
どんどん思考の渦にハマっていきそうになったアンソニーは、咳払いを投げた。
「少し気になったんだけど、実害があるかどうかなんて区別できるの?」
彼は思った。
口だけの悪意はよくある。この世界には悪意で溢れている。
だからこそ、その中で実害へと繋がるだろう悪意なんてものを見抜くことは可能なのだろうか?
エーレは一度、口を開きかけて噤んだ。
ウィリアムより随分と手入れの行き届いた髪が、室内灯に照らされて僅かに揺れる。
「傭兵をしているとわかってくる」
彼の選んだ答えはそれだった。
公安に席を置くアンソニーはその答えに納得したが、そんな世界とは縁遠いウィリアムには納得いかなかったらしい。
「わからんな、全く理論的じゃない」
「リアムが酒を飲んで、煙草を吸うのに理論はあるということかい?」
咄嗟にエーレに肩を持つようなアンソニーの反駁に、ウィリアムは三度、鼻で笑い飛ばす。
「酒は副交感心を優位にさせるし、煙草はその逆だ。俺はそれでバランスを取ってる」
そんなわけのわからない理論を発言して見せた男に、前の二人の視線が僅かに交差した。
ドアベルが鳴る。ウィリアムが呷ったグラスの酒がなくなり、氷が音を立てた。
それっきりの沈黙の中で、彼の手がポケットに伸びそうになった数をアンソニーは数えながら、自らもウイスキーを何度か舐める。
乾いた鈴の音が鳴るたびに、エーレの視線が僅かにそちらへ向けられるのを知ったアンソニーは、心の中で頷いた。
どうやら何かを待っているらしい。
そういえば。アンソニーはエーレを見た時の疑問を思い出す。
「君、客は無駄にいるのに、どうして僕たちに声をかけたの?」
前の男の口癖が移ってしまった、と言葉にしてからアンソニーは気づく。
エーレは一度辺りを見渡した後、こちらとウィリアムを見た。
「あんたたちが一番話が通じそうだったからな」
「それは光栄なことだね」
答えながらもその対象にウィリアムは入っているのだろうか?と気になったがあえて聞かないことにしておいた。
「話を戻すが――」
その男はまだ諦めていなかったらしい。頑固なことだ。
エーレの嘆息が隣から聞こえた。
「今度は逆のことを聞こう。お前が悪意を向けるならどうする?」
同時、もしくは遅れてエーレが反応を示した。
彼は席から立ち上がり、ウィリアムを見下ろす。
「俺の仲間ならこう言うだろう。本当の悪意とは、計画性を持って確実に相手を潰すことだ。
大衆に紛れ、善の顔をしたまま誰にも決して悟られないように、ってな」
ウィリアムの満足げな吐息がテーブルの上の伝票を揺らし、エーレがそれを見た。
彼が去ることを知ったアンソニーは立ち上がる。
「代金は必要ないよ。ウィリアムが勝手に頼んだものだからね。
それに、君の持っている貨幣はここでは使えなさそうだ」
謎の男が言っていた話を受け入れられたわけではない。
けれど不思議と彼は、ここではないどこかから来たのだろうという確信があった。
彼の言った傭兵や公安にしかわからない、そういう類の感だ。
エーレは驚いたように一度目を見開くが、それを一瞬ですぐに伏せさせる。
その時、ドアベルが一段を大きな音を立てて、扉が開かれた。
「有意義な会話だった。お前のような迷子はいつでも歓迎だ」
ウィリアムはエーレへと一瞥もくれずに、ポケットから煙草を取り出し始める。
この男は本当に……
アンソニーは苦笑しながら、扉の前へ現れたエーレと同じく異様な男たちを目に留めた。
「友人の話相手になってくれて助かったよ」
エーレは応えずにちらり、とこちらを一瞥しただけで踵を返した。
コートの裾下に僅かに鞘が見える。どうして今まで気づかなかったのだろう。
アンソニーは最後までエーレを見送ることなく、席へとついた。
「残念だったね、リアム。せっかく二人目の友人が出来るチャンスだったのに」
彼ならこの気難しい男の話相手にでもなれたかもしれない。
紫煙が目の前にやってきた。アンソニーは咳き込む前に手でそれを払って、前の男を見据える。
「阿呆。俺の友人の席はたった一枠しか空いていない」
その顔は満足げに見えた。
「葬送師と同じくらい特別だなんて、感激して涙が出そうだよ」
ウィリアムはまさにバランスを取るように、紫煙が残る口にグラスをつける。
「そういうことは、悪意とは何かについて語れるようになってから言ってほしいもんだな」
悪意か。
そんな意味もなく、生産性もない会話が、前の男を正常に保つ要素になり得るのなら。
「僕の気が向くことを、神にでも祈っておくことだね」
それを理解できる日がくることを、信仰を持たないアンソニーは祈ってみるのも悪くないと思った。
悪意とは、なんだと思う? 俐月 @ri_tsuki
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