そして座礁の夜は終わり 朝の帆船は大海へと舵を切る
なんとなく、今の私の状況を俯瞰してみる。
暗い、ひたすらに昏い世界。
ベッドの上で天井や壁の汚れを探すのが日課だった。
それがいつか、深くて怖い暗闇へと引きずりこまれていった。
暗いという無形のナニカがうろついている。
誰もいない、私だけの居場所。
一生このままなのか。そういつも考える。
ふと、足元に黒とは違う色たちが、水紋のように広がっていく。
長らくみる事のなかったその色をうまく言い表すことはできないが――知っている。
この水面に映る色を――――私はよく知っている。
◇
ドルムア帝国首都ゼルヴァ。
喧噪賑やかな都市内部にそびえる、ゼルヴァ第一総合病院。
病院とは名ばかりの、帝国の黒いイメージを意識したデザインの壁や装飾は、重病で訪れる患者の心の投影のようだと、百年たった今でも思う。
およそ入り口を通過する際、胸中へと渦巻く感情は帰りたいか今すぐ殺してくれ、の二択なのだろう。
そんな怪談のような、この病院のあるかもよく分からない噂話を捏造していると、がらりと扉が開く。
そこには見慣れた――いつもやってくるしゃきっとした佇まいで白い髭が特徴のおじいさんが立っていた。
「レイカ様、本日もまいりました。朝食のお時間です」
「様はいいから。そんな大層な呼ばれ方されるほど、偉業のいの字も達成してないって」
「それは非常に困ります。ドルムアの人民たちの中には、あなたのことを英雄視している者もいるほどですから。何より陛下の頼みなので」
おじいさんことカスティリオさんは私の隣に立ち、ずい、とフォークに突き刺さった果物――食べやすく切り刻んだもの――を「はい、あーん」と渋い声で言いながら口元へと突き出してくる。
こんなに過保護に扱われたのは、両親と暮らしていた時以来である。
しかし師匠のところにいた時よりは遥かにマシだ。
なぜなら牛さんの肉がフォークに突き刺さったままぶっ飛んでくることがあったため、命がいくつあっても足りない。
そんなぶっとんだ世界線で生まれたあーんのパターンを考えていると、病室ががらりと開く。
「おい半端――とおじいちゃんか」
顔見知りの神様、ウルフェンが部屋へと入ってくる。
彼は私に対して不機嫌な態度を常に取っているが、なんやかんやで今回のことでも世話になったし、昔から懇意にさせてもらっている。まあ縁を持つことになった経緯はあまり語りたくはないが。
ウルフェンはとあるものを私の前の机へと置く。
何やら鞘に納められたナイフのようだった。
「もうすぐ遠征でな。その、お前魔法使いの癖に、身を守る手段が魔法以外にないだろ。うちに良い腕の鍛冶師がいてな。そいつに打ってもらったやつだ」
私は鞘からナイフの本体を抜く。
そこには見事な抜き身を誇るナイフが、窓からさしこむ朝日に照らされていた。
「えーっと、ありがとう?」
私は彼の背後に違和感を感じ、入り口を見るべく首を傾げる。
「なぜ疑問を浮かべる」
ウルフェンの言い分は最もだ。私とて、このようなことを進んでやる趣味はない。
ただ、ナイフを渡した経緯がまともとはいえ、少し曖昧で唐突過ぎたので少々詮索することにする。
私は上級支援魔法"
数里先の虫の羽音すら聞き分ける地獄耳はあっさりと、扉の向こう側で繰り広げられる彼らの会話をすべて、私の耳元へと届けてきた。
『あ~もう団長のばか! レイカっちと久々にお話できるっていうのに…………ってうおい! ちょっとあんたたち邪魔! せっかく恋にずぼらなアタシらの神様が今、その片鱗に触れようって時に』
ガヤガヤと、扉の向こう側の声が聞こえてくる。
最初に話したのはカナリアだろう。さすがワイルドハント系女子。年齢も人間なのかも知らないけど。
『古来より恋煩いというのは医学的に見ても、精神衛生上よくない。不健康極まりないため、私は一刻も早く団長の診察をした方がいいと思っているのだが』
『あーもうカルっち見えない! せっかくいいところなのに!』
随分と声が耳へと響いてくる。いいところもクソもあったものではない。
『いいじゃないかカナリア。吾輩の若かりし頃はあれくらい普通じゃったぞ? まあ千年前の話なんじゃが』
ほっほっほ、という笑い声と見た目のギャップの均衡が見事に取れている教授。
長生きなのは知っていたが、千年以上前の恋愛経験でマウントを取られても困る。
あとこいつとは一切そういう色恋沙汰はないので安心してほしい。
魔法が途切れ、周囲の音が戻ってくる。
私は耳に手をかざす姿勢を崩し、隣のウルフェンを見る。
廊下での騒ぎの音が、この病室にも若干入ってきていた。
「何してんだアイツら」
「さあ、なんだろうね」
私は扉から正面へと視線を移し、話題を切り替える。
「聞いたよ。みんな起きたんだって?」
「ああ。さっき城に行ったら、シエラが俺の顔面に飛んできた」
私はその微笑ましい光景を頭に浮かべながら、あの後の出来事を振り返る。
要塞で起きた戦闘の後、ネムリ患者が一斉に目を覚ました。それも、大陸中で、だ。
私はベッドで傷を癒しながら、カスティリオさんから話を聞いた。
翌日発行されたゼオラシア報道誌によると、ネムリ患者の完治が完了。現在は眠ったままの体力を戻すための復帰に専念、という希望に満ちた文字で書かれていた。
この日のことは世界の歴史に記録されることとなり、『覚醒の日』と名づけられた。
デイブレイク騎士団の残党は、どうなったのかは分からない。
要塞から姿を眩ませたのと、あの大男はもういないことから、少なくとも変な思想にまみれた集団ではなくなったのだろう。
私はそう内心で彼らの今後を祈ると、手元のナイフへと視線を落とし、刀身を鞘に納めた。
「どうかしたか?」
「別に」
私はウルフェンに笑ってみせた。
やがて廊下の騒がしい仲間たちは、病室を後にする。
ようやくこれで一人になれる。そう思っていると、再び果物を突き刺したフォークが差し出された。
「さあ、レイカ殿。どうぞ召し上がってください」
カスティリオさんが果物の乗った皿を持ちながら立っている。
どうやら私たちの世間話が終わるまで待ってくれていたようだ。
あと、私の呼び方も様から殿に変わっている。
一体どこで覚えたのかは知らないが和の世界もあるんだなと、改めて私はこのゼオラシアが百年前とは大きくかけ離れていることを、今一度再確認できたのであった。
◇
病室を抜け出し、私はとある病棟へとゆったり向かっていた。
あの後、カスティリオさんが、帝国のみんなからもらった食べ物です是非、とどうしても譲らなかったため、リハビリがてら支援上級魔法”速攻安眠”をかけておいた。
百年前の夜盗やら夜道での暴漢に出くわした際に使っていたが、まさか良い人相手に使うなどとは、過去の自分も思うまい。
そうしてとある病棟へと差しかかる。
入り口に書かれている文字に、私は胸を痛めた。
”ネムリ患者病棟”。
ここには帝国でネムリに罹った患者が入れられている。
たった一人も、ネムリ患者が正気を取り戻してこの入り口をくぐったことはない。
これは百年前と変わらない。
通常の病棟より明るさの色味に欠ける無機質な廊下を歩き、私は目的の病室の扉の前に立つと、引き戸へと手を掛けて中へと体を潜らせる。
見慣れた黒髪の少女が、ベッドへと静かに横たわっていた。
彼女の隣に移動し、その頬を優しく撫でる。
ピクリと、瞼の周囲が撥ねる。
うーん、という可愛らしいうなり声を上げ、少女は体をよじる。
やがてゆったりと双眸を開き、慣れていないであろう光に目を細めている。
少女とばったり目が合う。
その視線はどこまでもまっすぐで、澱みがない。
開幕一番、誰かと出会えば目覚めの一言を交わすのが通例である。
私は始まりと締めくくりに最もふさわしい言葉を紡いだ。
「おはよう」
ゼオラシア大陸記 Zaku @zaku3483854
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