始まりの

 深く――谷底をなぞるほどに意気込んだ戦士は、蒸気のように口から闘気を吐き出す。


 その姿は、先ほどの弱音を吐く大男ではない。

 静かなる狂気へとその身を堕とし込んだ狂戦士が、目の前に立ちふさがっていた。


 魔法使いと戦士の戦いは一方的なものだと、私はゼオラシアのとある学園にてさんざん学んでいる。


 ――だがこの状況、師匠あのひとなら絶対引かない。


 私は相手との距離を取りながら屋上を駆ける。


 手に魔力を込めながら、ある一点突破の考えをひねり出す。

 こういった嵐のごとき相手には、超火力による押切ゴリおしが最も効果的だ。


 私は手元へと魔力を集中させる。


 青白い光の泡が不規則に揺らめき、掌で浮遊し始めた。


「来るなら来い! 私はいつでも――」


 瞬間、魔力が途絶する。


 体内を循環する、魔力を通すための管との接続が切れた。


 なぜか。

 原因は例の対魔武器。


 続いて手元を見た。

 両腕とその感覚がない。


 じんわりとした熱が手首から伝わってくる。

 次第に痛みが熱と共に全身へと伝播する。


 やがて脳が下した解答はこうだ。



 ――――両手が無くなって痛い。


「あ…………ああ、ああああああああああ!!」


 あの時以上の量の血が、手首から噴水のように溢れ出る。


 魔力が途絶したと同時に、私の視覚も暗闇に包まれた。

 幸い朝日が昇りかけのため、最低限にモノの輪郭が分かる程度には明るさが担保されている。


 だがそれでも、先ほどのクリーンな視界とは段違いだった。


 両腕が切り落とされた。それだけであれば多少なりとも魔法を放つことは可能。


 しかし、今回は腕を切り落とした物が物である。


 魔力を練る事もままならず、おまけに視界は完全に闇の中ブラックアウト


 ――やばい……積みかも。


 死をここまで明確に覚悟したのは久々だ。

 世界に順応しようと思い立ち、行動した結果が商売道具りょううでを奪われたこの様とは。


 私は頭上に広がる明けの夜空を見やる。


 ひゅうひゅう、と夜風が傷口に当たって逆に気持ちがいい。

 周囲には死の足音が鳴り続けている。


 それもあの世への凱歌と捉えれば、これほど心地いい音色はないと思えるくらいには、心は死を覚悟できていた。


 痛いまま生き続けるのは嫌だと、身を案じてこの体に不死を付与せず、不老だけに留めたのは案外正解だったのかもしれない。


 途端に、これまでのことが頭の中で逆流してくる。


 あれも懐かしい、これも懐かしいと、私は狂戦士が舞う死の舞踏の只中、懐かしの記憶たちを脳内で上映し続けた。


 途端、ある場所にて再生が止まった。


 私は我に返って巻き戻し、その場面をもう一度再生する。


 それは――私が初めて死を覚悟した時の記憶エピソードだった。


 ◇


「が……はあ」


 首が締まる。

 もはや生きている意味も感じられなくなるほどに、私は生への執着を手離しかける。


 すると――途端に目の前の黒いシルエットが手元の力を緩めると、なんとか呼吸を取り戻す。


「どうした。死ぬんじゃなかったのか?」


 ――そんなの分からない。


 私は涎まみれの口元を気にせず、なんとか声をひねり出す。


「もう……死ぬのに…………意味も…………ないのに」


 黒いシルエットはため息を吐く。

 やれやれと言った感じで、それは私の首を掴むのとは真逆の手で光の玉を生成した。


 青白い、宝石のように透き通った玉だった。


「今からこれをお前に打ち込む。一体何が、この玉には込められていると思う?」


 私はあらゆる呪詛系の魔法を思考した。

 当時の知識だと相手を呪う、相手に毒を付与する、程度のものしか想像が及ばなかった。


 黒いシルエットは次にこう言った。


「これからお前の全身を、百種以上の病魔が蝕む。ただの病魔じゃない。こいつらがお前の中の抗体とやりあっている間、お前の全身はナイフを突き刺されたような激痛を伴う。死んで楽になろうとは思わないことだ。その死を幾百もの寄生型モンスターが這いずりまわって阻害し、お前の体を苗床に成長し始める。こいつらは宿主を死なせまいと、やがて頭へと到達してお前を乗っ取り、生きているように体を錯覚させる。その間、お前の意識がどうなっているかは知らんが、少なくとも安らかに逝くことは難しいだろう」


 私は宝石のような玉を凝視する。


 疑う余裕はなかった。


 言葉の語気と、簡単に相手を殺してしまうような度胸を持つ黒いシルエットが、脅しでこんなことを口にするはずがない。


 黒いシルエットはゆっくりとその手を近づける。


 私は猛烈に生へ縋ると、無我夢中で手元に魔力を集中させた。



「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」



 一点に集中し、ただ放った。


 私は魔の手から解放される。


 相手の姿はどこにもない。


 首元を抑えて咳き込みながら、すぐにその場を後にする。


 息を荒げつつも足を動かし、私はただ前を向いていた。


 ――生きなきゃ。


 そう心に強く願い――そして誓った。


 ◇


 ふと、ぼんやりとした淡い輝きが、視界の隅に見える。

 私は手元を見た。


 血塗れの、手首から上を喪失した不完全な両腕。魔法使いとしての価値を失った腕。


 だがなぜ、その資格すらない腕の先が、なぜ光っているのだろうか。


 あの時は無我夢中だった。

 何事も意にも介さず、放った。


 そう。ただ魔法を――放ったのだ。


 私は狂戦士が突っ込んでくるであろう方向に手をやる。

 今も周囲では、死の舞踏が繰り広げられていた。


 そんな手間暇かけて私を確実に仕留めようという魂胆が丸見えだが、魔法を使えないのであれば半ば死んでいるようなもの。


 私は半死の自分を顧みず、喪失した両腕を掲げた。


 気力は湧いてこない。


 ただ、こう言える。


 ――撃つ。



 何のために?



 ――生きるために。



 生きる。


 それだけが、私の中の水たまりにポツンと落ち、波紋を生んだ。


 周囲から聞こえていた足踏みステップが止む。


 刹那の間隙、狂戦士が得物を振り被り、超高速で迫る。


 なんと言われようがどうでもいい。


 今はただ――


「おはようって、あの子に言わなきゃ」


 すさまじい魔力の奔流が蘇り、私の全身を再び駆け巡る。


 瞬間、腕に蓄積していた魔力が突如、雷のように爆ぜた。

 喪失した腕の先から、極大の魔力が光の柱となり、西の空へと立ち上がる。


 得物を振り被った狂戦士が停止。


 その胸には大きな穴が開通していた。


 そこから見える朝日はなんと美しいのだろうと、私の視界に絶景が映し出される。


「…………朝」


 私は手元を見やる。

 そこには無くなった筈の両腕が、綺麗に生えそろっていた。


 撫でてみると、あの子と同じひんやりとした鱗の質感が伝わってくる。


 瞳に熱いものを感じ、私は腕に縋りながらかがむと、嗚咽声を屋上へしばらく響かせていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る