夜はただ闇を落とす

 高く――どこまでも高く伸びり塔が、この世界にポツンと聳え立っていた。

 その近くで農場を運営していた男はある日、通りかかった旅人の話を小耳に挟む。

 塔の上には誰も見たことがないものが眠っているらしい。

 男はいてもたってもいられなくなり、翌日とうとう十年間住み続けた馬小屋を後に、塔へと足を向けた。

 様々な塔の階層には、恐ろしい見た目をした怪物たちが潜んでいた。

 男は恐怖の存在に打ち勝ちながらも、ようやく塔の最上階へと上り詰める。

 しかしそこには、何もなかった。

 男はこの塔を昇り切ったことに見合う褒賞を期待していた。

 この手に有り余るほどの金銀財宝を期待していた。

 しかしそれらは一つも転がってなどいない。

 空という広大な空間に生成された無の世界。

 男はしばらく周囲を巡っていたが、目ぼしいものは何もない。

 やがて遠く果てなき冒険を繰り返した塔内部へと続く通路を見返すが、到底戻りたくはなかった。

 そのまま塔の淵へと向かう。

 そこから下を見やると、広々として薄暗い、夜明けを待つ大地が広がっていた。

 男は地上が懐かしくなり、塔の上から飛ぼうと勇気を振り絞った。

 だが男には到底、そこから地上を目指すことなど――できはしなかった。


 ◇


「どういうことだ?」


 私は周囲を観察していた。

 健康を維持するため、患者の元にいるのが私の務めである。


 なので、どうあってもカナリアを安静に、かつ安全に要塞の外へと連れ出さねばならなかった。


 だが、先ほどから一人も騎士の姿を見かけない。

 一体何がどうなっているのか。


 私には点で訳が分からなかった。

 そのまま何も起きることなく、スヤスヤと寝息を立てる背中の患者と共に外へと出る。


 辺りはまだ暗闇に満ちているが、西の地平線がぼんやりと白かった。


「夜明け……か」


「おや、そこにおるのはカルミールではないか。いやはや待ちくたびれたぞ」


「教授……いたのか」


 うむ、と元気にステッキを突きながら歩いてくる、団員のマントとシルクハットに身を包んだ、長い白髭を蓄える長身の老人。


 もはや教授というより長老の方がいいのではないかと言いたくなる。


 だがその教授であっても、ワイルドハントの中ではかなりの古株だ。これより更に上の古参がいるということを知った日には気になり過ぎて、流石に不健康な体で日の出を迎えて不愉快だったことを今でも覚えている。


「団長の指示は確か――『日の出まで待て』、じゃったな?」


「ったく……何が日の出だ。早く寝ないと睡眠不足で体がボロボロだ」


 私は背中のカナリアを見る。本当に気持ちよく眠っているのは正直羨ましい。健康体の理想形とはこうあるべきだと、彼女の寝顔を見るたびに再確認できる。医者として忘れてはいけない心得だ。


「おお、カナリア! 何があったのじゃカルミール!」


「いつものやつだと気づけ。とうとうボケが始まったか」


 あたふたと教授が私の周りで慌てている。

 すると頭上から、聞き慣れない生物らしき声を耳にする。


 それは確か五十年ほど前、ゼオラシアの北、ノースタイン連邦国の周辺で見たのが最後だ。


「竜……どうしてこんなところに」


 私たちの頭上に、一体の白い竜が旋回する。


 やがてそれは降下し、目の前で翼をはためかせると、着陸する。


 私が見た竜はもう少し気性の荒い、暴れ狂った愚患者のイメージ近い。

 そのため、警戒は緩めるどころか更に強めた。


 ――攻撃してこない?

 目の前にいる白い竜からは、どう猛さからくる感情の波は一切伝わってこない。


 むしろ、理性ある生物と対話しているかのような安心感と信頼を感じ取る。


 竜の生態はこのゼオラシアと深く結びついた謎の一つでもある。


 研究者たちは創世期より、謎へたどり着くべく竜の生態を調べ続けていた。

 そのため、帝国の書簡や旅の道中でそれなりに竜とは出くわしていたが、このような素振りを見せる理知的な竜と出くわすのは初めてだった。


 すると、竜は背中に自らの頭部を延ばす。

 その口の先端には、寝巻に身を包んだ少女の姿があった。


 少女をつまみ、ゆっくりと地面へ丁寧に寝かせる。


 それから私たちは、竜としばらく視線を交わしていた。


 飛んでくるのは火花ではなく、竜の美しい意思そのものだと私は感じ取る。

 やがて白い竜は、朝日の方角に向けて跳躍し、翼を広げる。


 地平線に向けて咆哮し、彼方の空へと消えていった。


 ◇


 頭の中が、妙に静かだった。

 いつもあーでもない、こーでもないと、うるさく思考の会話を繰り広げる自分対自分の構図が見えるのだが、本日は休戦の模様。


 そんな休戦とも冷戦とも取れない整った心境と、しんとした要塞の上階へ続く階段。


 彼らは――騎士団の人々は去ったのだろうか。


 しかしあれは、私がかつて相対した騎士団ではない。


 聖堂を訪れる前、慣れた詠唱で騎士の一人を尋問くどきおとした時のことだ。

 その証言は、あの大男の発言と一致していた。


 どうやら彼らは、大男に利用されていた、デイブレイク分派と呼ばれる組織のようだ。

 あのデイブレイクが内部分裂など世も末だとつくづく思うが、一体全体どのような理由で組織に亀裂が走ったのか。そこについては私が詮索する必要などない。


 それが示すのはすなわち――



 私は屋上に通じる扉を切り刻む。


 細切れになった扉が吹き飛ぶと、そこには二つの影があった。


 暗闇で何も見えないと安心しているようだが、生憎とこの視界には暗視の魔法がかけられている。それもただの暗視ではない。相手の心拍数や恐怖度、果ては心まで見透かすという絶級支援魔法”真眼しんがん”である。


「どうした。私はここにいるぞ大男」


 私は視界の中で怯えている大男の姿を見やる。

 それは以前敵対した時とはまったく真逆の、雰囲気までも縮こまった様子の大男が立っていた。


 隣には黒いローブを着た小柄の魔法使い。


 こちらは見た事ない奴だった。


 どちらにせよ逃がすわけはない。


 私は両手を構え、詠唱を開始する。


 対魔武器への対策は完璧だ。

 要は使われる前に壊せばいい。その手の速攻性に長けた魔法は腐るほど研究しつくしている。


 同じ手が通用するのは馬鹿か、常識なしであると相場が決まっているのだ。


 私は全身全霊でお返しを見舞おうと、怯えた相手を見据えながら距離を詰める。


「ま、待ってくれ! これには深い事情があるんだ! 騎士団がお前を追っているのは本当で――」


「関係ないね。お前は私を怒らせた。その背中にある武器を使おうったって無駄だぞ」


 ひい……! と小さく悲鳴を漏らす。


 大男の心拍数と恐怖度は最高潮に達していた。


 しかし、隣の小柄な魔法使いには恐怖それを感じられない。

 一体何者なのかと、勝手に思索を巡らせていた時だった。


「このグズが! そんなにひいひいと娼婦のように喚き散らしやがって!」


 魔法使いが大男に対して恫喝する。

 私は小さな見た目でよくそんな態度が取れるなと困惑した。


「だ、だって……こんな大物を倒すために、元デイブレイクの組織を利用するなんて……もういやだ、帰りたい」


 大男は身に合わない台詞を次々と吐いていく。


「うるせえ! 俺様の魔法で恐怖心を無くしてんだ! お前を使えばうまく組織をまとめて邪神を手に入れられそうだったのによ。あーもう。あの竜とこのクソ女のせいで全部台無しだ」


 小柄の魔法使いが怒鳴り声を上げている。


 一体何がどうなっているのか。

 私はひたすらにその奇妙な光景を目にしながらも、詠唱を構わず続ける。


「仕方ない。あーあ、リーダーから久々に怒られちまう」


 私の目に映った魔法使いのバイタルが次々と更新されていく。


 それは小柄な見た目だけでなく、黒いローブの服装さえも一変していった。

 魔法使いは豹変すると、見慣れないどこかの騎士の恰好を身に纏っている。


 百年前のゼオラシアを知る私でさえ見た事のない服装だ。


「というわけだ、レイカ・アイザワ。俺はここいらでとんずらこかせてもらう。そこのグズと一緒に仲良く死んどけ」


 騎士の恰好をした魔法使いは口元を動かすことなく、詠唱を済ませる。

 魔力の胎動が呼吸のように弾む。


 今のは詠唱と呼べるのだろうか。

 私は嫌な予感に鳥肌が止まらない。


 なぜならそれができるのは――私の知る限り師匠以外にはいないからだ。


「狂いて走り、絶望を振り撒け。”強靭狂化”」


 魔法を唱えると、隣に空いた空間の歪みへと魔法使いは体を沈め、やがてこの場から姿を消した。


「ぐううううう………………」


 その場に残ったのは、大男だった者。


 強靭なる狂気をまとった、狂乱の狂戦士だった。

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