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「たぶん、店は二つあるんじゃないかな」



「あった……」

「あったね」

 猫背が白いソフトクリームを携えて看板の下まで戻ってくると、同じ様にソフトクリームを持ったホタルが同時に戻ってきた。同じタイミング。違いがあるとすればホタルのソフトクリームが茶色いことくらいである。

 どちらともなく口を開く。

「お店の人に聞いてきた」

「看板が裏表で良いんですかって?」

「うん。最初は間違えて発注しちゃったんだって」

「看板やさんもミスに気づかなかったみたい」

「作り直すのも勿体ないから、なんとか看板を活かせないかと考えた」

「そしたらちょうど、町内でもう一軒カフェが建つかもしれないって話があって」

「向こうの店長に事情を説明したところ」

「それは面白いと快諾してくれたから」

「同じ名前の店が二つ出来上がったということ」

「でも、流石に住所と電話番号まで同じにするのは不可能だったから」

「看板に記載されていた、それらの記述を後から消した」

「『左折二百メートル』の記述は間違ってないから、そのまま残したということ」

 猫背は白い螺旋を口に含む。ゼロの咀嚼音がした。

「発注ミスからこんなに面白いことを思いつくなんてね。怪我の功名だ」

「そうだね。この街のアイスの供給が二店舗分増えたことにもなるし♪」

 ホタルも上機嫌である。

「じゃ、私はこれを食べ切りながら駅まで行くよ。猫背ちゃんはどこまで一緒?」

「ん、そろそろかな」

「寂しい」

「明日も会えるって。じゃあね」

 猫背はアイスを持っていない方の手で軽く手を振り、駅へ向かうホタルを見送った。

 桃色の後ろ姿は陽光を反射して、摩訶不思議なシルエットだ。

(ホタルはチョコが好きなのかな)

 猫背は踵を返し、自分の道を行く。帰路に買い食いなんて相当に久しぶりなことだった。こういう気分になるのか。勉強になる。

 猫背が適宜アイスを口に運びながらアパートを目指していると、不意に声が聞こえてきた。聞き慣れた声だ。

「人違いかと思いました」

 しかも、頭上から。

 猫背の目の前に、人影が降ってくる。猫背は一寸吃驚して踵に力を込める。

 長い黒髪を風に泳がせ、高所から飛び降りてきたのは、猫背のよく知る相手だった。

「こんにちは、猫背さん」

 歩道沿いのブロック塀の上に立っていたのは、猫背の実家の近所に住む高校生・累だった。

 猫背は塀を見上げる。猫背であれば数秒も立っていられなかっただろう。

 否、そもそも塀に登れなかったかもしれない。

「私も空から累ちゃんが降ってきて、人違いかと思ったよ。今日は学校は?」

「開校記念日です。お休みです」

 私服姿の累は、塀から飛び降りた衝撃を全く感じていないという風に、すたすたと猫背の脇に追いつく。

「大学近くで累ちゃんに会うなんて珍しいね」

「まぁ、言うほど実家から離れていませんし」

 確かに。累の家は猫背の実家のすぐそばにあり、実家と大学はバスで一本だ。大学周りには駅ビル等の施設があるので、累もそこに用事があったのかもしれない。

「いつから私とホタルを見ていたんだい?」

「裏と表が同じ看板を見つける前からです」

 つまりほとんど全ての会話を聞かれていたということだ。

「………………」

「………………」

「……なんでか聞かないんですか?」

「今の私に、疑問は一つもない。謎が解けて良い気分だ」

 累は猫背の顔を覗き込んでくる。猫背は前を見続けていた。

「猫背さん、蛍原さんの前だと別人みたいですね。人違いかと思いました」

「そ」

 ソフトクリームを口に運ぶ。甘い。当たり前だ。

 累が言いたいことは、予想がつく。だから猫背は沈黙を採った。

「あぁいう風に喋れるんですね」

「それ、だいぶ失礼じゃない?」

「だって猫背さん、私は陰キャだ私は陰キャだっていつも言ってるじゃないですか」

 事実だった。実際、猫背の自認はそうなのだ。

 他方、ホタルはかなり明るい人格の持ち主である。累が、猫背とホタルの相性を疑問視するのも分かる。

 陰キャは普通、染めたてピンクのロングヘアと連まない。

「前々から思ってたんですけど、猫背さんが蛍原さんと仲良いの意外ですよね。なんていうか、全然系統の違う二人じゃないですか」

「累ちゃんソフトクリーム食べる? 私もうお腹いっぱい」

「芯しか残ってないじゃないですか」

 猫背はふやけた段ボールのような芯を食べる。味はしない。

「昔のホタルはもっと落ち着いた色合いだったんだよ」

 猫背はホタルと初めて会ったときのことを思い出す。あの頃の彼女は髪を染めていなかった。

 ソフトクリームの季節だというのに、首筋に仄かな涼しさを感じる。

「猫背さん、蛍原さんの前だとちょっと声高いです?」

「累ちゃん」

 確かにホタルの前では気持ち背筋も伸ばしているけれど。

 それは真正面から指摘しないでほしい。恥ずかしいから。

「いろんな人に会うんだから、複数の自分を持つのは当たり前だよ。そうでない人間なんていない」

 猫背は自然体でいることが好きだった。そうでない者など少ないだろう。無理に人格を構築せずに生きていけるなら、それに越したことはない。

 しかし、時には自分を飾らなければならないこともある。

 猫背と累は赤信号に立ち止まった。電柱の影は薄く細く地面に延びている。

「私は誰にでも、平等に接しているつもりですけど」

「累ちゃんはそうだろうね」

 猫背はつくづく、累が真面目すぎると思っていた。

 彼女ほどの実直さ、清廉さなら、そのような芸当も可能なのだろう。

 只事ではない、その偉業が。

(生憎、私は普通の人間だ)

 赤信号が青へと変わる。歩を進める。

 アスファルト上には人間しかいない。それが青信号の効能だからだ。

 裏表のない人間性は美徳として認知されている。彼は裏表のない人だとか、噓を吐かないとか。

 そんなの無理だ。意識的に裏表を無くそうとしている者はかえって怪しい。

 表裏が全く同じ造形でも許されるのは、無機物くらいなものであろう。

(それこそ)

 あの看板のような。

 対して猫背は、人間は、有機的だ。絶えず変動し、摂取し排出し、変わる生き物。ホタルも会ったときから激変しているのだ。

 人間が一人でいるだけで、そいつは勝手にくるくると変化する。そんな人間が何人も集まった社会では、我を通すなど至難の業。

 累のような鋭さを有しない猫背には。

「……私だって、いつも陰鬱としているわけじゃないさ」

 特にホタルの前では。

「疲れません? それって」

「疲れるよ。果てしなくね」

 しかし、

「それが大事だ」

 今日だって、猫背にとって最短の帰路を選んでいれば、大学付近でホタルと別れて帰ることだってできた。

 しかし猫背は、駅までの道の途中までホタルに同行することを選んだ。別にその道からでも猫背は帰宅できるからだ。

 それで明日もホタルに会えるのなら、これ以上ない。

「今日なんて、オマケに面白い謎と、アイスを拾えた。これは素晴らしいことだよ」

「あのインドアな猫背さんが、自ら望んで歩数を増やす道を行くなんて……」

 猫背はポケットの携帯を取り出し、歩数計を起動する。普段は外出などしないのに、携帯は勝手にそれを搭載していたのだ。

「三二七一歩。これはすごい成果だ」

「少なっ」

「えっ」

 多いでしょう。普通に。

 そう思う猫背を他所に累は、ほんの少しだけ橙色を滲ませ始めた西の空に目をやる。

「……目指せ一万歩ですね」

「今日の三倍⁉︎」

「今度の土日、川沿いの遊歩道でも散歩しますか。良い運動になりますよ」

「嫌だ……土日は休むためにあるのであって、わざわざ体力を使うのは非合理的だ」

「アクティブレストって知ってますか? 休息日に軽い運動をすることで、一層の疲労回復が見込めるというものです。猫背さんもやってみましょう」

「………………」

 運動することで、体力を回復?

「ウラオモテ、ね」

 猫背は観念した。


〈了〉

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神使猫背とウラオモテ 黒田忽奈 @KKgrandine

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