2
「たぶん、店は二つあるんじゃないかな」
*
「あった……」
「あったね」
猫背が白いソフトクリームを携えて看板の下まで戻ってくると、同じ様にソフトクリームを持ったホタルが同時に戻ってきた。同じタイミング。違いがあるとすればホタルのソフトクリームが茶色いことくらいである。
どちらともなく口を開く。
「お店の人に聞いてきた」
「看板が裏表で良いんですかって?」
「うん。最初は間違えて発注しちゃったんだって」
「看板やさんもミスに気づかなかったみたい」
「作り直すのも勿体ないから、なんとか看板を活かせないかと考えた」
「そしたらちょうど、町内でもう一軒カフェが建つかもしれないって話があって」
「向こうの店長に事情を説明したところ」
「それは面白いと快諾してくれたから」
「同じ名前の店が二つ出来上がったということ」
「でも、流石に住所と電話番号まで同じにするのは不可能だったから」
「看板に記載されていた、それらの記述を後から消した」
「『左折二百メートル』の記述は間違ってないから、そのまま残したということ」
猫背は白い螺旋を口に含む。ゼロの咀嚼音がした。
「発注ミスからこんなに面白いことを思いつくなんてね。怪我の功名だ」
「そうだね。この街のアイスの供給が二店舗分増えたことにもなるし♪」
ホタルも上機嫌である。
「じゃ、私はこれを食べ切りながら駅まで行くよ。猫背ちゃんはどこまで一緒?」
「ん、そろそろかな」
「寂しい」
「明日も会えるって。じゃあね」
猫背はアイスを持っていない方の手で軽く手を振り、駅へ向かうホタルを見送った。
桃色の後ろ姿は陽光を反射して、摩訶不思議なシルエットだ。
(ホタルはチョコが好きなのかな)
猫背は踵を返し、自分の道を行く。帰路に買い食いなんて相当に久しぶりなことだった。こういう気分になるのか。勉強になる。
猫背が適宜アイスを口に運びながらアパートを目指していると、不意に声が聞こえてきた。聞き慣れた声だ。
「人違いかと思いました」
しかも、頭上から。
猫背の目の前に、人影が降ってくる。猫背は一寸吃驚して踵に力を込める。
長い黒髪を風に泳がせ、高所から飛び降りてきたのは、猫背のよく知る相手だった。
「こんにちは、猫背さん」
歩道沿いのブロック塀の上に立っていたのは、猫背の実家の近所に住む高校生・累だった。
猫背は塀を見上げる。猫背であれば数秒も立っていられなかっただろう。
否、そもそも塀に登れなかったかもしれない。
「私も空から累ちゃんが降ってきて、人違いかと思ったよ。今日は学校は?」
「開校記念日です。お休みです」
私服姿の累は、塀から飛び降りた衝撃を全く感じていないという風に、すたすたと猫背の脇に追いつく。
「大学近くで累ちゃんに会うなんて珍しいね」
「まぁ、言うほど実家から離れていませんし」
確かに。累の家は猫背の実家のすぐそばにあり、実家と大学はバスで一本だ。大学周りには駅ビル等の施設があるので、累もそこに用事があったのかもしれない。
「いつから私とホタルを見ていたんだい?」
「裏と表が同じ看板を見つける前からです」
つまりほとんど全ての会話を聞かれていたということだ。
「………………」
「………………」
「……なんでか聞かないんですか?」
「今の私に、疑問は一つもない。謎が解けて良い気分だ」
累は猫背の顔を覗き込んでくる。猫背は前を見続けていた。
「猫背さん、蛍原さんの前だと別人みたいですね。人違いかと思いました」
「そ」
ソフトクリームを口に運ぶ。甘い。当たり前だ。
累が言いたいことは、予想がつく。だから猫背は沈黙を採った。
「あぁいう風に喋れるんですね」
「それ、だいぶ失礼じゃない?」
「だって猫背さん、私は陰キャだ私は陰キャだっていつも言ってるじゃないですか」
事実だった。実際、猫背の自認はそうなのだ。
他方、ホタルはかなり明るい人格の持ち主である。累が、猫背とホタルの相性を疑問視するのも分かる。
陰キャは普通、染めたてピンクのロングヘアと連まない。
「前々から思ってたんですけど、猫背さんが蛍原さんと仲良いの意外ですよね。なんていうか、全然系統の違う二人じゃないですか」
「累ちゃんソフトクリーム食べる? 私もうお腹いっぱい」
「芯しか残ってないじゃないですか」
猫背はふやけた段ボールのような芯を食べる。味はしない。
「昔のホタルはもっと落ち着いた色合いだったんだよ」
猫背はホタルと初めて会ったときのことを思い出す。あの頃の彼女は髪を染めていなかった。
ソフトクリームの季節だというのに、首筋に仄かな涼しさを感じる。
「猫背さん、蛍原さんの前だとちょっと声高いです?」
「累ちゃん」
確かにホタルの前では気持ち背筋も伸ばしているけれど。
それは真正面から指摘しないでほしい。恥ずかしいから。
「いろんな人に会うんだから、複数の自分を持つのは当たり前だよ。そうでない人間なんていない」
猫背は自然体でいることが好きだった。そうでない者など少ないだろう。無理に人格を構築せずに生きていけるなら、それに越したことはない。
しかし、時には自分を飾らなければならないこともある。
猫背と累は赤信号に立ち止まった。電柱の影は薄く細く地面に延びている。
「私は誰にでも、平等に接しているつもりですけど」
「累ちゃんはそうだろうね」
猫背はつくづく、累が真面目すぎると思っていた。
彼女ほどの実直さ、清廉さなら、そのような芸当も可能なのだろう。
只事ではない、その偉業が。
(生憎、私は普通の人間だ)
赤信号が青へと変わる。歩を進める。
アスファルト上には人間しかいない。それが青信号の効能だからだ。
裏表のない人間性は美徳として認知されている。彼は裏表のない人だとか、噓を吐かないとか。
そんなの無理だ。意識的に裏表を無くそうとしている者はかえって怪しい。
表裏が全く同じ造形でも許されるのは、無機物くらいなものであろう。
(それこそ)
あの看板のような。
対して猫背は、人間は、有機的だ。絶えず変動し、摂取し排出し、変わる生き物。ホタルも会ったときから激変しているのだ。
人間が一人でいるだけで、そいつは勝手にくるくると変化する。そんな人間が何人も集まった社会では、我を通すなど至難の業。
累のような鋭さを有しない猫背には。
「……私だって、いつも陰鬱としているわけじゃないさ」
特にホタルの前では。
「疲れません? それって」
「疲れるよ。果てしなくね」
しかし、
「それが大事だ」
今日だって、猫背にとって最短の帰路を選んでいれば、大学付近でホタルと別れて帰ることだってできた。
しかし猫背は、駅までの道の途中までホタルに同行することを選んだ。別にその道からでも猫背は帰宅できるからだ。
それで明日もホタルに会えるのなら、これ以上ない。
「今日なんて、オマケに面白い謎と、アイスを拾えた。これは素晴らしいことだよ」
「あのインドアな猫背さんが、自ら望んで歩数を増やす道を行くなんて……」
猫背はポケットの携帯を取り出し、歩数計を起動する。普段は外出などしないのに、携帯は勝手にそれを搭載していたのだ。
「三二七一歩。これはすごい成果だ」
「少なっ」
「えっ」
多いでしょう。普通に。
そう思う猫背を他所に累は、ほんの少しだけ橙色を滲ませ始めた西の空に目をやる。
「……目指せ一万歩ですね」
「今日の三倍⁉︎」
「今度の土日、川沿いの遊歩道でも散歩しますか。良い運動になりますよ」
「嫌だ……土日は休むためにあるのであって、わざわざ体力を使うのは非合理的だ」
「アクティブレストって知ってますか? 休息日に軽い運動をすることで、一層の疲労回復が見込めるというものです。猫背さんもやってみましょう」
「………………」
運動することで、体力を回復?
「ウラオモテ、ね」
猫背は観念した。
〈了〉
神使猫背とウラオモテ 黒田忽奈 @KKgrandine
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます