第3話

 そもそもの前提が間違っていたか? 

 山橋の奴はとっくのとうに矢澤くんから盗んだ希少な単語帳を自宅の保管に移しており、学校の図書室には置いていなかった。だから自信満々に「探してみろ」と挑戦的な態度をとってきたのか? 

 しかしそんな僕の疑問を、矢澤くんは吹き飛ばした。

「山橋のコレクター根性は『異常』らしい。ルールは絶対曲げないし、古書の管理も管理帖をつけて徹底しているそうだ。聞くところによると単語帳は山橋の管理で言う『その他の書籍』に位置づけられることが予想され、その分類の本は最近家の本棚に収まりきらなくなってきているから外部の書架に移されているそうだ」

「だったらその管理帖を探すか?」

「日に数十回はその管理帖を眺めてニマニマしているそうだぞ。肌身離していない」

「どうでもいいがさっきからやたらに詳しいその情報は誰から聞いたんだ?」

「山橋の幼馴染の新庄しんじょう美香みかちゃん」

「女子か?」

「ああ。二駅先の誠心女学園の子だ。俺のことが好きらしい。今日もお弁当を作ってきてくれた」

 羨ましい限りである。まぁ、矢澤も渋谷を歩けば五回は芸能事務所にスカウトされるような美少年なので仕方がない。

「美香ちゃんが俺に噓をつくわけがない。聞いてもないのに昨日見た夢の話までしてくるような子だ……まぁ、美香ちゃんはどうでもいい。単語帳だ」

 矢澤くんが心底悔しそうである。

「一度引くか。作戦会議だ」

「了解」



「本棚は上から下まで探したぞ」

 廊下を歩き、暮れ始めた空模様を窓の外に見ながら僕たちは作戦会議をした。僕は進言した。

「美香ちゃんに訊いてみたらどうだ? 心当たりはないか」

「既に五回は訊いたが見返りとしてデートを要求してきた。これ以上の接触は面倒だ」

「美香ちゃんってのはブスなのか?」

「齋藤飛鳥に似ている」

「美人じゃないか」

 とことん羨ましい。

「女ってのはみんなどこかメンヘラなんだよ。おはようからおやすみまでLINEを提供してくるんだぞ。下手なスパム広告みたいだ」

「女の子のメッセージを『スパム広告』だとかどうだとか……」

 まぁ、それはさておき……と話していた時だった。

 ひどく耳障りな音が聞こえてきた。鼓膜とその奥を針金で突っつき回すような不快音である。思わず首をすくめて耳を覆いそうになったが、矢澤くんは反射的とも言える勢いで怒鳴った。

「うるせぇぞ!」

 するとすぐそばの空き教室から声がした。

「失敬!」

 聞き覚えのある声だった。

「買ったばかりのものでね。まだ音出しをしていなかったものだから、手に馴染んでなくて……」

 そう、言い訳をしながらひょっこり姿を現した、その人こそ。

 去りし日、怪我人だった僕の代わりに一年生試合に出てくれた、久住飛定その人だったのである。



「君バイオリンをやるんだな」

 空き教室。後に聞くところによると久住が見つけた「誰も使っていない部屋」らしいのだが、その部屋の中で僕と矢澤くんと久住は向かい合いながら座っていた。久住の手にはバイオリンがあった。

「いや、これはフィドルだ」

 久住は手にあった弦楽器を示した。

「バイオリンとの違いは……まぁ、イタリア語か英語かくらいのものなのかな。僕もよく分からん。とりあえずオーケストラが嫌でこっちに転身した」

「オーケストラなんてやっていたのか」

 すると久住は訳もなさそうに肩をすくめた。

「昔な」

 それから久住は「部活はどうしたラグビー部」と僕と矢澤に訊いてきた。僕たち二人とも、先日の一年生練習試合で顔が割れている。

 実はかくかくしかじかで……と僕が事情を説明すると、久住は山橋のことを「気に入らん奴だな」と評価した。それから「どうにかして鼻を明かしてやりたいが……」と考えるような顔になると、僕たちに向かって訊いてきた。

「その図書室の彼の机周りのことを、思い出せる範囲で僕に話してみてくれないか」

「ああ、それならこっちの上沢の方が向いている」

 矢澤は機嫌よく僕を示してきた。

「なんせ俺の靴下童貞を奪ったからな」

「なるほど」

 久住はなんだか変な顔をして僕を見てきた。

「なんだその目は」

「変態を見る目だ」

「変態とはなんだ変態とは」

「まぁいいから話してみたまえ」

 納得いかなかったが僕は、自分が山橋の机周りで目にしたものについて久住に話してみた。すると久住は笑った。

「もう一回その山橋とかいう奴のデスクに行くことを勧める」

 僕と矢澤は顔を見合わせた。

「分かるのか? どこにあるか」

 すると久住はつまらなそうに、またバイオリンを……ではなくフィドルを手に取った。

「簡単だ。簡単すぎる」

 それから久住はついい、とフィドルの弦を引っ掻いた。

「君たちねぇ。この日本に女王を象った切手なんてあると思っているのか?」

「女王を象った切手?」

 矢澤が首を傾げると、しかし久住は訳もなさそうに僕を示し、「さっき彼が言っていただろう。山橋の机の上には『王冠をかぶった女性の横顔が印刷された切手が貼られており、英字の消印が押されていた黄色い小包み』があったと」

 僕も矢澤もぽかんとした。

「エアメールの類なら英字の消印だけじゃなく日本語のスタンプも押されているはずだ。あるいは封筒からしてカラフルか。英字の消印だけが入った女王の切手の、黄色い小包み。この日本にある物品としてはちょっと不自然すぎる」

「でもあれ、見た目は封筒そのものだったぞ」

「『横向きの紐閉じ』だったからそう見えたんだ」

 久住はフィドルの弦をピンピンとはじいた。

「ブックカバーだよ。それもよく本屋で無料でつけてもらえる表紙の両端を入れるようなやつじゃなく、本全体をくるむようなやつだね。ワックスペーパーで作ったブックカバーに、封筒なんかに使う紐閉じのパーツを付けたんだ。ちょっと厚手のペーパーを使ってブックカバーを作り、スタンプの類を押して……そういえば、『スタンプ・レプリカ』っていうファイルブックもあったそうだね。そうして準備した見せかけ上は封筒に見えるブックカバーで本をくるめば一丁上がりというわけだ。封筒なんていうのはプライバシーを気にして開ける奴もいないだろうからね。絶好の隠し方さ。山橋とかいう奴はコレクターなんだろう? せっかく手に入れた希少本に傷や汚れがついたらたまらない。実際本棚にある本はどれもワックスペーパーが巻かれていたそうじゃないか。ブックカバーなら、隠蔽と保存を同時にできる」

 おお。思わず声が出た。彼の理論に無理はないように思えた。こうして彼は、彼が僕の代理で一年生試合に駆り出された時と同じようにして……謎を解いたというわけである。

 かくして再び山橋の机を……もっと具体的には、あの黄色い小包みを調べたところ、矢澤くんの単語帳は見つかった、という次第である。

「すごいな」

 僕は感嘆した。しかし久住は呆れたように笑った。

「簡単だよ」

 久住はつまらなそうに肩をすくめた。

「みんな見てはいるのさ。考えないだけで」



 さて、そういうわけで無事に奪還された単語帳を突き出すと、山橋の奴は悔しそうな顔をしたそうだが、腹の立つことに盗んだこと自体は詫びなかったらしい。不愉快極まりなかったので、僕たちは山橋の担任にこのことを報告。山橋は説教と罰則を受けることとなった。

「君はその頭脳を活かした部活をやるべきだね」

 さて、兼ねてから久住は先の一年生試合の件もあり、ラグビー部から熱烈な勧誘を受けていたのだが、何度誘っても断る久住に向かって、本件の依頼者たる矢澤はそう提案したのである。ラグビー部に入らないならせめてその才能を活かしたことをやれ、と。

「生憎この手の頭ってのはどのような競技にも向いていなくてね」

 久住はつれなかった。しかしそれで黙る矢澤じゃない。

「競技がないなら作ればいいじゃないか」

 久住はぽかんとして矢澤を見ていた。

「『何かを解明する』部活を作ればいい……そうだな、さしずめ『解明部』か」

「なんだそれ」

「まぁ、言ってしまえば便利屋稼業だ。もっとも『頭脳労働に限る』と注意書きをする必要はあるがな」

「そんな部活作ったところで生徒会に申請が通るわけもないだろう。予算はどうするんだ」

「ああ、それなら心配ない」

 矢澤は自信たっぷりだった。

「兄貴が元九院高校生徒会長でな。卒業生とは言え、生徒会は縦の繋がりが強い関係上、兄貴には影響力がある」

 俺が口添えするよ。矢澤はニッコリしていた。

「じゃ、来週から早速活動開始しとけよ」

「まだやるなんて言っていないが」

「お前なぁ。俺に口添えさせておいて何もしないなんて認めないからな」

 矢澤にはやや強引なところがある。もしかしたらそれがモテの秘訣かもしれない。

「部員一人じゃ部として成り立たない」

 しかし抵抗を続ける久住に矢澤は自身と僕を示してこう返した。

「俺たちが名前貸してやる。基本ラグビー部にしかいられないが、月に一回くらいは顔を出してやる」

「部長は」

「当然お前さ、久住」

 これには久住も閉口した。

「じゃ、そういうことで『解明部』結成だ」

 ジョニー・デップに似た久住はフゥっと前髪をため息で吹き飛ばした。その仕草さえどこか外国人風で、彼はまさしく洋風美少年という風体だった。


 了

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黄色い小包み 飯田太朗 @taroIda

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