SCENE#72 金田一耕助は二度死ぬ(ただしツッコミで)
魚住 陸
金田一耕助は二度死ぬ(ただしツッコミで)
第1章:完璧なる登場、そして飛び散る蕎麦湯
それは、とある雪深い山村で起こった陰惨な殺人事件の現場だった。警察の無能ぶりに痺れを切らした村人たちの前に、颯爽と現れた一台の漆黒の高級セダンが滑り込む。ドアが静かに開き、フワリと風になびく漆黒の髪、切れ長の瞳、完璧に仕立てられたツイードのスーツを身につけた一人の男が、まるで映画のワンシーンのように現れた。
「皆様、お待たせいたしました。金田一耕助です。この度の忌まわしい事件、微力ながら尽力させていただきます。以前のような、泥まみれで崖から転がり落ちるような失態は二度と犯しません。あれは若気の至りでしたので、どうかお忘れいただきたい…」
低く響く、しかし耳に心地よい声に、その場にいた誰もが息を呑んだ。「おお、これが名探偵か!」「まるで英国紳士のようだ!」「あのヨレヨレの袴姿は偽りだったのか!」と村人たちは感嘆と驚きの声を上げた。警察官たちも「さすが金田一先生! 我々とは格が違う!」「これで事件は解決だ!」と、過剰な期待を込めた眼差しを向ける。
捜査会議室に入ると、彼は淀みない口調で事件の概要を的確に把握し、瞬時に事件の核心に迫る鋭い質問を投げかける。その姿はまさに、英国の貴公子然とした名探偵そのもの。彼は胸ポケットから高級な万年筆を取り出し、革のメモ帳にサラサラと書き込み始めた。その手元は美しく、まさに絵になる光景だ。
しかし、金田一はふと、そのメモ帳をまじまじと見つめた。万年筆のインクが、なぜか彼の白いカフスにべったりと付着していたのだ。
「…おや、またインクが漏れてしまいましたか。この万年筆は一流品のはずなのですが、どうにも私とは相性が悪いようです。毎回この調子で、クリーニング代がかさんで仕方がない。まったく、困ったものですな。ええい、拭いても拭いてもこの有様だ!」
彼は涼しい顔でそう言いながら、シミを拭こうと試みたが、余計に広がるばかり。完璧な登場は、あっという間に「どこか抜けている金田一耕助」へと引き戻されていく。警察官たちの表情には、微かな戸惑いと、もはや隠しきれない呆れが浮かび始めていた。その時、ふと会議室の隅に置かれていた湯呑みが目に入ると、彼は懐かしそうに目を細めた。
「ああ、蕎麦湯ですな。この匂い、落ち着きますね。少しいただいても?」
彼は湯呑みを手に取り、優雅に一口飲んだ、次の瞬間、顔がくしゃりと歪み、口に含んだ蕎麦湯を盛大に吹き出した。
「あぢっ! 熱っ! 熱すぎる! うぐっ…いけませんな、この程度でたじろいでは。しかし、これほど熱いとは想定外でした。これは最早、凶器に等しい!」
蕎麦湯は会議室の壁に飛び散り、村人たちの間に小さな悲鳴が上がった。完璧な登場は、瞬く間にドタバタ喜劇へと変貌したのだった。
第2章:華麗なる推理、からの滑る足元
金田一耕助は、飛び散った蕎麦湯のシミを気にしつつも、事件現場で華麗な推理を展開した。彼は被害者の遺体の状態、現場に残されたわずかな痕跡、そして村人の証言を総合的に分析し、次々と真犯人へと繋がるヒントを見つけ出す。
「この足跡は、犯人が深い雪の中を急いで逃げた証拠。そして、この僅かな土の付着…これは、村の外れにある廃屋の庭の土に間違いありません。この特徴的な鉱物組成から判断いたしました。私の携帯分析器にかかれば、瞬時に判別できますからね。ええ、この手の科学捜査は得意分野でして…」
その洞察力は、まさに天才的。警察官たちは再び「さすが先生!」「我々には到底及びません!」「やはり最新技術を使いこなす探偵は違う!」と感嘆の声を漏らす。村人たちも彼の言葉に希望を見出した。彼は証拠品の一つ一つを手に取り、まるでオペラを指揮するかのように、流れるような手つきでそれを分析していく。
「そして、この血痕…DNA鑑定を行えば、おそらく犯人の特定は容易でしょう。最新の技術を駆使すれば、数時間で結果が出るはずです。しかし、こうもスムーズにいくと、少々拍子抜けしてしまいますね。もっと、こう、泥臭い謎解きこそが、探偵の醍醐味だと思いませんか?」
彼は自信に満ちた表情でそう言い放ち、警察官に指示を出した。その一連の動作は、まさに洗練されたプロフェッショナル。その時、足元の雪で少し滑りそうになったが、彼は持ち前の身体能力で体勢を立て直し、何食わぬ顔で推理を続行した。しかし、彼のスーツの裾には、うっすらと泥が付着していた。
「…しかし、この手袋、なんだか片方だけ大きい気がするなぁ。もしかして、左右を間違えてはめてしまったのか? どうにもバランスが悪い。これでは集中力も散漫になるというものだ。この手袋、確か高級ブランド品だったはずなのだが…私の手には少々合わないようだ…」
誰もが彼の推理に集中していたため、その独り言を聞き逃す者はいなかった。完璧な推理の最中に挟まれたあまりにも日常的なつぶやきと、格好悪いリアクションに、その場の緊張感がほんの少しだけ緩んだ。警察官たちは、彼の足元の泥と、彼の独り言に、顔を見合わせて苦笑いを浮かべていた。
第3章:スマートな尋問、そしてお昼寝と奇妙な寝言
金田一耕助は、容疑者への尋問もスマートだった。彼は高圧的な態度を取ることなく、しかし鋭い質問で相手の矛盾を突き、心理的な揺さぶりをかける。容疑者は彼の尋問に翻弄され、徐々に真実を語り始める。
「あなたの証言にはいくつか矛盾点がありますね。例えば、事件が起こったとされる時間に、あなたはご自宅にいらっしゃったとおっしゃいますが、その際、なぜ雨戸が閉まっていたのでしょうか? 晴天だったにもかかわらず。合理的説明をお願いできますか? 論理的思考に基づいてご返答いただきたい!」
金田一の言葉に、容疑者は言葉に詰まる。彼の表情は変わらないが、その眼差しは、獲物を追い詰める豹のようだった。あと一歩で、真実が引き出せる。警察官たちも「この調子なら、あと数分で自白に追い込めるぞ!」「さすが金田一先生の尋問術!」と期待に胸を膨らませた。
しかし、その「数分」はなぜか「数時間」に及んだ。金田一は、同じ質問を様々な角度から執拗に繰り返し、時には黙り込み、時には天井をじっと見つめ、容疑者だけでなく、周囲の警察官まで精神的に追い詰めていった。
「…ええと、その、先ほどの質問ですが、もう少し詳しくご説明いただけますか? はい、その、ええと…つまりですね、その…ああ、そういえば、昨日のカレーうどんの具に、ネギは入っていたのか…」
尋問中に飛び出した金田一の奇妙な独り言に、尋問室の空気が一瞬で凍り付いた。完璧なはずの尋問は、いつしか言葉の沼に嵌まり込み、奇妙な膠着状態に陥っていた。容疑者は疲労困憊で、警察官たちも居眠りを始めそうなほどだった。
尋問が佳境に入った時、金田一はふと、「少し休憩を挟みましょうか!」と提案した。そして、彼の口から飛び出した言葉に、尋問室にいた全員が呆気に取られた。
「…いえ、少し眠気を覚ますためにも、10分ほど仮眠を取りたいのですが。頭脳労働は案外、体力を消耗するものでして。最高のパフォーマンスを発揮するためには、適切な休息が不可欠です。以前、徹夜で捜査をして、盛大にコケてしまったことがありましてね。あれは痛かった…」
彼はそう言うと、持参していた小さな携帯枕を取り出し、椅子の背もたれにもたれかかって目を閉じた。その完璧なスーツ姿のまま、彼は本当にわずか数秒で穏やかな寝息を立て始めたのだ。しかも、時折「はっ! 蕎麦! 蕎麦が食べたひ…!」などと奇妙な寝言を漏らしていた。
あと一歩で真実に辿り着くという緊迫した状況でのまさかの行動に、容疑者も警察官もただ呆然とするばかりだった。金田一のスマートな尋問は、彼のお昼寝と奇妙な寝言によってあっけなく中断されてしまった。
第4章:鮮やかな手品、そして隠しきれない仕掛けと「ああ、やっちまった…」
事件の真相がほぼ明らかになった頃、金田一耕助は、真犯人を前にして鮮やかな手品を披露した。それは、彼が事件の謎を解き明かすための「決め手」となるトリックを実演するものだった。
「犯人は、このトリックを使って被害者を誘い出し、そして…。ご注目ください、この瞬間を。まるで幻影のように消え去る被害者の姿を。さあ、魔法の始まりです!」
彼はそう言いながら、何もない空間からまるで魔法のように、事件の凶器にそっくりなナイフを取り出してみせた。その見事な手並みに、真犯人は動揺を隠せない。その場にいた誰もが、彼の華麗なパフォーマンスに魅了された。警察官たちも「先生は手品まで嗜んでいらっしゃるのか!」「多才すぎる!」と驚嘆し、拍手まで起こりかけた。
彼はさらに、被害者が残したとされるダイイングメッセージを、まるで空中から文字を浮かび上がらせるかのように、鮮やかに再現してみせた。その瞬間、真犯人の顔から血の気が引いた。
「これで、あなたの罪は明らかになりましたね。いかなる弁解も、この目の前の真実の前には無力です。このトリックを見破るのは至難の業でしょう。ええ、なぜなら私が考案しましたからな!」
金田一は、鋭い眼差しで真犯人を射抜いた。その言葉は、まさに決定打だった。
しかし、その直後だった。彼が手品に使っていた仕掛けが、なぜかポロリと彼の足元に転がった。それは、テグスと小さな鏡、そして磁石が雑に組み合わされた、どう見ても安っぽい仕掛けだった。しかも、そのうちの一つは、彼が「以前のような失態は犯しません!」と語っていた、スーツの裾から落ちていたのだ。しかも、落ちた瞬間に彼は「ああ、やっちまった…!」と、わざとらしく小声で呟いた。
手品によって張り詰めていた空気は、一瞬にして弛緩した。真犯人は、金田一のプロフェッショナルな手品と、あまりにも安易で明らかな落とし物(しかも自身のスーツから!)のギャップに、思わず吹き出してしまった。警察官たちも、拍手をしようとしていた手が宙ぶらりんになり、そのまま固まってしまった。金田一は、何食わぬ顔でそれらを拾い上げたが、彼の周囲に漂う「惜しい」どころではない「盛大に残念」な雰囲気は、もう誰にも止められないものとなっていた。
第5章:事件解決、そして「面白くない」から元に戻そう
金田一耕助の完璧な推理と、時折挟まるあまりにも残念な行動の数々を経て、ついに事件は解決した。真犯人は逮捕され、村にはようやく平穏が訪れた。
金田一は、村人たちの感謝の言葉を背に、再び高級セダンに乗り込もうとしていた。彼の顔には、事件を解決した探偵としての達成感と、どこか物悲しさが入り混じったような表情が浮かんでいた。
「金田一先生、本当にありがとうございました!」「先生がいなければ、事件は闇の中でした!」「まさか、あの有名な金田一先生が、これほどまでに洗練された方だったとは! しかし、蕎麦湯にはご注意を…」
村人たちが口々に感謝の言葉を述べ、最後の言葉に金田一は少し顔をしかめた。それでも彼は小さく頷いた。その姿は、絵になるほど洗練されていた。
しかし、セダンに乗り込み、エンジンをかける直前、彼は助手席のシートに置いてあった、くしゃくしゃの袴と、ぼさぼさのウィッグを手に取った。
「…やはり、どうもこう、しっくりこないんですよね。この装いも、私の思考も、どうも落ち着かない。事件はスムーズに解決できる。見た目も悪くない。完璧と言っても差し支えないでしょう。しかし、この底知れないつまらなさは何なのでしょう。まるで、味のしない高級料理を食べている気分です…」
彼は寂しそうにそう言うと、持っていた袴とウィッグをまじまじと見つめた。
「こうもあっさりと解決してしまっては、どうにも物足りませんな。もっと、こう、奇妙な因習とか、禍々しい血筋とか、ドロドロとした人間関係が絡み合って初めて、事件は"熟成"すると思うのですが…まるでインスタントコーヒーのようです。深みが足りない。いや、例えるなら、出汁の効いていない蕎麦つゆとでも言いましょうか…」
彼はため息をついた。周囲には、その完璧な容姿からは想像もつかないような、妙な「間」が生まれた。
「どうも、私の持ち味は、このヨレヨレの袴と、寝癖のついた髪、そして時折発する意味不明な奇声にこそあるような気がしてなりません。ああ、そういえば、あの袴を履いていると、なぜか妙な閃きが訪れることが多かった気がします。このスーツでは、どうも冴えない。それに、何より、周囲の皆さんの過剰な期待と、私の地味な本質とのギャップに、私が疲れてしまいました。これでは、探偵業も長続きしません。精神的な負担が大きすぎる…」
そう断言すると、彼は高級セダンから降り、その場で器用に袴に着替え、ぼさぼさのウィッグを被った。みるみるうちに、洗練されたイケメン探偵の面影は薄れ、いつものあの、頼りなくも愛すべき金田一耕助の姿がそこにあった。警察官たちは、その変貌ぶりに呆然としていたが、どこかホッとしたような表情も浮かべていた。
「では、皆様。また事件が起こりましたら、いつでもお呼びください。その時は、きっと、もっと面白い金田一耕助が参上いたしますので。足元がおぼつかないかもしれませんが、それもまた味ということで! ああ、そうだ、このあたりに、出汁の効いた美味しい蕎麦屋はございませんか? 先ほどから、無性に蕎麦が食べたくて仕方がないのです!」
そう言い残し、彼はヨレヨレの袴姿で、雪道をフラフラと歩き去っていった。村人たちは、その背中を見送りながら、どこか安心したような、しかし複雑な表情を浮かべるのだった。
金田一耕助は、実は洗練されて、格好良くスマートに事件を解決するキレ者の探偵だった。けれど、やっぱりつまらないから、元に戻ることを選んだのだったとさ…
SCENE#72 金田一耕助は二度死ぬ(ただしツッコミで) 魚住 陸 @mako1122
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