第9章(神代編:最終話) 声なき神の夜
それは、静かな夜だった。
かつて神が宿ると言われた堂の中で、信吉はひとり座っていた。
虫の音も、風の気配もない。
時が止まったような沈黙の中、彼は右手に持った小瓶の蓋を外し、薬を口に含もうとしていた。
その瞬間だった。
——掘るなと言ったはずだ。
それは、声ではなかった。
だが、確かに彼の中に届いた。
……それは、かつて父に言われた言葉だった気もした。
あるいは、あの“おおこがね様”が、初めて語ったのかもしれなかった。
どちらかは分からない。
もしかすると、ただの幻聴。
死を前にした脳の逃避。
だが、信吉の手は、震えて止まっていた。
***
かつて、彼は信じていた。
村を守るために、皆を救うために、自分の身を投げ出してきた。
それがいまや、神も、教祖も、神の子も崩れ去り、
信じた者たちすら、互いを疑い、憎みあっていた。
「……何が神だ」
彼はぽつりと呟いた。
「人としても、未熟なのに」
そう言って、新聞の切り抜きを火鉢にくべる。
真央のスキャンダル、幹部の逮捕、信者による事件、宗教法人の取り消し——
すべての記事が、火に呑まれていった。
燃え残ったのは、ただ一枚の写真。
薬師堂の前で笑う弥生の姿だった。
「……あの時のお前は、本当に、神様に見えたよ」
その写真も、そっと火にくべた。
***
小瓶を握った手が、再び静かに震え出す。
だが、そのまま彼は蓋を締め直した。
外で、鳥の声がした。
夜が、明けかけていた。
堂の奥、祠の中に祀られた“おおこがね様”の像は、
今も静かに座っていた。
信吉は、祠に向かって深く頭を下げた。
それが祈りだったのか、謝罪だったのか。
それとも——別れだったのか。
分かる者はいない。
——ただ、確かにその瞬間だけ、
何かが、この堂に満ちていた。
金胎記(神代編)−おおこがね様を巡る三代記− Spica|言葉を編む @Spica_Written
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