本当にありそうな怖くない話
風水庵
第1話 トンネルの怪
あれは私が小学校の…確か5年か、6年の時でしょうか。
当時はカブト虫やクワガタを戦わせるのが流行りでして、私も例外なく虜でした。
――夏休みのある日、家族が寝静まる頃合。
忍び足で昆虫採集に繰り出しました。
狙い目は、家から自転車で30分ほどの峠、
くねくねと曲がる渓流沿いの山道。
建設中のトンネルは明かりが点いたままで、
きっと虫が集まる、と睨んでのことでした。
そして、土日の深夜は工事も休みであることも、調べついていました。
昔から「出る」と噂の危険な峠道。
私にとっては通学路でしたので、街灯がなくともスイスイ漕げます。
さてトンネルのある横道に逸れると、
朽ち木の湿気と樹液の甘さの混じった癖になる匂い。
虫取り少年なら本能で分かる…そう、大型甲虫の匂いです。
近くの路側帯に自転車を停め、暗い林道を歩いていきます。
少なくとも灯りの下は誰もいない。
暗所で工事する人なんて当然いませんから、おそらく無人でしょう。
事前調査の通り、静かなトンネル内。
小学生なりの探検をしました。
停止した重機、掘りかけの地層…
子供心にはどれも新鮮で興味深いものです。
もちろん本題も忘れません。
めぼしい甲虫を見つけてはカゴに放り込んで、
奥へ奥へと進みます。
特に幻のオオクワガタを見つけた時など、
人目のないのをいいことに
当時の私の体感ではありますが…入り口から結構な距離を進んだのか、
気付くと灯りが減っていました。
しかし、若気の至りでしょうか。
薄暗い空間に恐怖するどころか、秘密基地のような安心感、所有感を覚えて腰をおろします。
事実コンクリートの壁は冷えて心地よく、
進むことも帰ることも忘れて、うっとり涼んでおりました。
――ぴちゃり…ぴちゃり…
冷たい壁に、ぼーっと
はじめは、
しかし水が湧いたら工事どころではないはずですし、天気予報だって確認済みです。
今日も明日も、もちろん昨日も晴れでした。
それなのに、
ぴちゃり、ぴちゃ、ぴちゃ――
――おぉぉ…ぁあぁ…ぉぉお…
水音の合間に、何かが呻くような声が
風か獣か化け物か…
流石に不気味に感じた私は、正体を探るべく闇に目を
すると、キラリと光る…糸?のようなものが反射で見える。
糸を視線で追うと上の方に綺麗に輝く黒い何か
つい夢中になって、ひたりと手をつき、四つ足で身を乗りだして目を細め…。
きょろり
――眼……? …こちらを見つめ返している!
目が合い、一瞬ドキリとしました。
しかし、ぱっちりと見開いた濡羽色は吸い込まれるようで、ぼーっと眺めてしまい――
いつの間にか水の音は消え、
柔らかい何かが地面を擦るような音に変わっていました。
――ひたり…ひたり…
――ヒタ…ヒタ…
ヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタヒタ
近づいてくる!
摩擦音と胸の鼓動が連動するように間隔を縮める。
本能が危険だと言っている。咄嗟にその場を離れようとしました。
しかし急に走ろうとしたせいで荷物に躓いてしまう。
半身を起こして擦り剥いた膝を見やり、
恐る恐る前を向くと…
薄暗い影の中に、背の高い女性が立っていました。
当時の私は高学年と言えど小学生。恐怖を感じるには十分すぎる状況でありました。
10歳あまりの思考回路は焼き切れそうになりながら、必死に言葉を紡ぎます。
「こ、こんばんは…」「…」
返事がない。見上げても、トンネルの闇で表情が見えない。
「ええと…勝手に入ってごめんなさい。
僕の宝物をあげるので…許してください!」
何か大切なものを渡せば命は助かるだろうか。
そう考えて、交換条件を試みる――
――オオクワガタがひしめく虫カゴを取り出し、開いてみせた。
「ゴッ…キャァァァァァ!」
どういうわけか、時価数万の黒いダイヤを前に
“それ”は悲鳴を上げて走り去っていきました。
かく言う私も悲鳴に驚き、空けた虫カゴもそのままに逃げてしまいました。
停めておいた自転車に飛びつき、
峠の坂を勢いのままに転げ帰ると、実家は相変わらず寝静まっています。
私は布団に包まって…いつの間にか眠っていました。
――これが私の思い出の怪談です。
…あぁ、そういえば。
翌日それを友達の家で話すと、
「オオクワなんて幻だ、証拠もってこいよぉ」
とバカにされてしまいました。
そんな、よくある少年たちの休日。
ムキになって言い返していると、
彼の姉がスイカを持ってきてくれました。
すらりとした手足は夏なのに綺麗な肌で、
子供心に顔が熱くなったのを覚えています。
「クワガタぁ?ちょっと、やめてよ!」
「君も、女の子の家に虫なんて持ってきちゃダメだからね!」
額をつんと指で突かれて見上げると、ちょうど目が合って…
あまりの胸の高鳴りに、つい視線を伏せてしまいました。
いま思えば、あれが初恋だったのでしょうか。
――失敬、話が逸れましたね。
さて、物心ついてからこそ…
この季節になると思い出し、考えるのです。
水音の正体、“それ”の白い肌、艶やかな髪、伸びた肢体。
そして…そのまま捕まっていたら、
どうなってしまったのだろうか。
あの時の鼓動を忘れられず…
今夜も私は、トンネルへ向かうのです。
本当にありそうな怖くない話 風水庵 @MtLivermore
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